2010/05/11 - 2010/05/13
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YAMAJIさん
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ポンペイの海の門、公共広場フォーロ、ジュピター神殿、エウマキアの建物、フォーロの市場、フォーロの公衆浴場、テルミポリオ(居酒屋)、住居跡、水飲み場、ピストリヌム(パン屋)、悲劇詩人の家、悲劇の石膏像、アポロ神殿、ローマのコロッセオ、コンスタンティヌス帝の凱旋門、ティトゥス帝の凱旋門、共和国広場、ナイアディの噴水、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会を、巡った旅行記です。
古代ローマの都市ポンペイは、西暦79年8月24日のヴェスヴィオ火山の大噴火により火山礫と火山灰により埋もれ、発生した毒ガスにより多くの人々の命を奪いました。街がその眠りから醒めるのは、1860年に考古学者ジュゼッペ・フィオレッリによる本格的発掘によってであった。堅い火山礫の層にできた生物体腐食後の穴に石膏を流し込んで型を取るアイディアも彼が考え出したものであった。ポンペイの発掘は、古代ローマ人の生活の解明に大いに役立ちました。
コロッセオは、西暦72年ヴェスパシアヌス帝が着工し、80年にティトゥス帝により完成した世界最大の闘技場です。ローマがエルサレムを征服した時に連れ帰った10万人の捕虜のうち、4万人の奴隷を使い、わずか8年で完成している。収容人員は5万人以上を誇り、猛獣と剣闘士、剣闘士と剣闘士の凄惨な戦いが繰り広げられました。
これで、今回のイタリアの「ローマのコロッセオ」を加え、メキシコの「チチェン・イッツァのピラミッド」、ブラジルの「コルコバードのイエス・キリスト像」、中国の「万里の長城」、ペルーの「マチュ・ピチュ」、ヨルダンの「ペトラ遺跡」、インドの「タージ・マハール」とともに、新世界の七不思議の達成です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
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ポンペイ遺跡
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ポンペイの海の門。ポンペイ市の周囲をぐるりと囲む城壁の中でも最も保存状態の良い門の一つである。
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車道と歩道が分離されており、横断歩道もあったことが分かる。
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馬を繋いだ穴が残る。
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ポンペイの公共広場フォーロ。フォーロの周りには、公共の建物、市役所、神殿、記念建築物などが配置されていた。また、フォーロは北から南に向かって38m×142mの長方形であった。
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ポンペイ遺跡の目の前にヴェスヴィオ火山が見える。標高1,281mの活火山で、噴火によって山頂が吹き飛び現在の姿になった。噴火前は3千M級の雄大な山だったそうである。
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ポンペイのジュピター神殿。フォーロの北側の一番奥にあり、ポンペイの神殿の中でも最も重要な神殿であった。紀元前2世紀に建築され、コリント式の柱廊をもっている。
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フォーロにはトラバーチンの敷石が張られ、三方を柱廊が巡っていた。
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フォーロに面したエウマキアの巫女の建物の入口。
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建物の入口の見事な装飾。アカンサスの葉の浮き彫り。
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小鳥の浮き彫り。
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フォーロに面した市場。
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市場に在った運送屋の看板。
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車止め。フォーロには荷車等が入れなかったことが分かる。
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フォーロの公衆浴場の入口。
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公衆浴場の冷水浴場。右端に昔のままの椅子が残っている。
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公衆浴場の温水浴室。温浴用の浴槽が綺麗に残っている。ヨーロッパでも古くからお湯を貯めて浴槽に入る習慣があったが、中世に大流行したペストの影響で、シャワーの文化に変わってしまったという。
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浴室を飾った男像柱。浴室は彩色漆喰で神話のシーンや草葉模様、男像柱などで飾られていた。
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公衆浴場の熱浴室。二重の壁とオンドル式高床の間を温かい蒸気が送られていく仕組みの蒸し風呂である。
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浴室内の天井。滴防止用の彫りこみがされていたことが分かる。
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ポンペイのテルモポリオ、居酒屋(バール)。通りに面した開いた部屋があり、壁に接した細長い台と飲み物を入れた容器が据えられていた。
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テルモポリオの瓶。ワインやオリーブオイルなどを貯蔵していた。
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ポンペイの大通り。
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ポンペイの住居跡。中央に水槽が見える。
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ポンペイの復元された住居。天窓とその下の水槽が特徴。
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住居の壁の漆喰。「ポンペイの赤」として名高い。
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住居の光る白い石。月明かりで光り通路を教えた。
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住居の中庭。庭には草花を植え、壁にはフレスコ画を施し、屋外の雰囲気を味わっていたことが分かる。
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中庭の壁のフレスコ画。
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屋根の水を流す雨水管が見える。
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ポンペイの水飲み場。水が出る柱には、動物などの絵が浮き彫りされており、ここがどこか場所が分かるようになっていた。
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ポンペイのピストリヌム。パン屋で粉挽き機と竃がある。粉挽き機はロバが回していたらしい。炭になったパンが大量に発掘されており、その外形も分かっている。
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道路の水を流す下水管。
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悲劇詩人の家の「猛犬注意」のモザイク。
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ポンペイから発掘された彫刻。
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蹲る石膏像。口に手をあて苦しそうな様子が痛々しい。
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うつ伏せの石膏像。
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仰向けの石膏像。
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もがき苦しむ犬の石膏像。
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ポンペイのアポロ神殿。建設は紀元前6世紀に遡るが、現在の形に整備されたのは紀元前2世紀である。聖域は囲いの壁で遮断され、三方を回廊が巡り、そこにはイオニア式の柱の上にドーリス式の帯状装飾とトリグラフの飾りがあった。
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アポロ神殿の弓を射るアポロ神の銅像。
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ポンペイ遺跡の直ぐ下はかって船着き場だった。
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ローマのコロッセオ。ティトゥス帝は、完成時100日間の連続闘技会を催し、ローマ市民を熱狂の渦に巻き込んだという。
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約5万人を収容する巨大闘技場。皇帝は市民の人気取りと政治への関心を削ぐために、無料でパンを配布し、連日連夜の闘技会や演劇を催した。
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コロッセオは3重構造になっていた。
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コロッセオの内部。コロッセオの入場券を買うのに20分並びました。
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コロッセオの地下。地下は大道具倉庫や猛獣の檻、出番待ちの奴隷の牢などがあった。
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いかに頑丈な作りだったか分かる。
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コンスタンティヌスの凱旋門。315年、ミルヴィオ橋の勝利を記念して、ローマの元老院と市民により建てられた。
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高さ28mの堂々たる凱旋門である。
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コロッセオからフォロ・ロマーノを望む。約1000年に渡り栄え続けた古代ローマの中心地。
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フォロ・ロマーノの聖なる道とティトゥス帝の凱旋門。
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ローマの共和国広場。正面右の建物にローマ三越が入っている。
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広場の中心には、4人の妖精たちが水を噴き上げる「ナイアディの噴水」がある。
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共和国広場に面したサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会。
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古代ローマ時代の遺跡である、ディオクレティアヌス帝の大浴場跡を生かして、ミケランジェロが最晩年にデザインした教会で、1564年に亡くなったミケランジェロは、その完成を見ることは無かったという。
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サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の礼拝堂。高い天井とギリシャ十字型(縦と横の長さが同じ十字)が特徴的な礼拝堂は、18世紀に大改修されている。
教会の外観はローマ遺跡を活かして武骨であり、内部の礼拝堂は大改修により遺跡の面影は無くエレガントそのものある。 -
教会の祭壇。
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教会のクーポラ。落ち着いた色合いが美しい。
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教会のパイプオルガン。
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教会の中庭から空を眺めると、古代ローマ時代の遺跡だと実感できる。
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