2010/03/14 - 2010/03/14
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akkiy363672さん
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京都の早春の催し「東山花灯路」が始まりました。
国立京都博物館で開催されている「ハプスブルク展」も、今日が最終日…。その見学も予定に入れて、午前7時に自宅を出発しました。
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
-
7時30分、新名神 三重−滋賀県境のトンネルをくぐりました。
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京都南ICまで走っていって、午前8時20分、西大路平野の「平野神社」に寄ってみました。
先年に訪れたときには、他所の桜が見ごろだったのにすっかり葉桜だったので、ここの桜は早いのかなと思って、寄ってみたのです。
← 改修されて、朱色も鮮やかな大鳥居の前の桜が満開。
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見事な咲きっぷりです。
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でも、境内の他の桜はこの通り、まだまだ…。
例年、たくさんの屋台が軒を並べる桟敷も、丸木が組まれて建設中でした。 -
「北野天満宮」を東に抜けて、上七軒通りを歩いてみました。
京都五花街のうちでも最も古く、由緒格式が高いとされている上七軒では、今、軒を並べるお茶屋の軒先に提灯を吊るし、「北野をどり」のポスターがあちこちに貼られていて、華やいだ雰囲気でした。 -
車へ戻る途中、「北野天満宮」へ寄ってみました。
境内の梅は見ごろを少し過ぎたところ…。
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← 数多い木々のうちの多くは、いっぱいに花をつけていました。
車に戻り、北山通りを東へ走る途中、「進々堂北山店」があったので、焼き立てパンのモーニングを食べました。 -
← 11時、銀閣寺を拝観しました。
正式な寺名は慈照寺、足利義政の建立により、教科書でもなじみが深い「観音堂」(写真中央右)は銀閣と呼ばれ、国宝に指定されています。
手前の砂地は「銀沙灘」の名称で月の光を反射させ、円錐台に形づくられた砂台はこの上に座って東山に上る月を待ったとして、「向月台」と名づけられています。ただ、室町期には、この砂の造形物は無かったらしく、近世以降の着想であるとか。 -
← 東山中腹の展望台から見た銀閣寺
左手に観音堂が、右手には方丈とその手前に義政の持仏堂である「東求堂」(国宝、現存する最古の書院造り建造物)が見えます。 -
← 銀閣寺道。山門から参道を振り返りました。
道の両脇にはみやげ物店や食堂が並び、坂の下からは南禅寺まで、疎水沿いに「哲学の道」が続いています。
その一角の茶房で、栗ぜんざいを食べました。これが今日の昼食です。
この後、銀閣寺前駐車場から車を出して、岡崎公園駐車場へ移動…。
ハプスブルグ展を見に京都美術館へ行くためですが、美術館はなんか閑散とした雰囲気です。受付の女の子に聞くと、「ハプスブルグ展は博物館です」と教えてくれて、また、車に乗って円山公園駐車場へと移動しました。 -
円山公園の駐車場に車を置いて、八坂神社へお参りしていたら、結婚式に出会いました。
春の佳き日、たくさんの人に祝福されて、幸せそうでした。 -
円山公園から博物館までは徒歩30分ほど…。町並みやお店屋さんをのぞきながら歩きました。
清水寺に通じる緩やかな石畳の坂道を登っていくと、法観寺の五重塔(八坂の塔)が見えてきました。
← 八坂の塔。清水界隈のランドマークです。
592年に聖徳太子が如意輪観音の夢告により建てたとされ、その際、仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したと伝えられています。
聖徳太子創建との伝承は文字通りに受け取ることはできないとしても、平安京遷都以前から存在した古い寺院であることは確かであって、朝鮮半島系の渡来氏族の八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力です。 -
やがて道は三年坂へ…。
← この枝垂れも、あと10日もすれば…。 -
さらに、清水坂を下りて東大路を5分ほど下れば、「国立京都博物館」です。
ハプスブルグ展最終日の今日はたいへんな混雑で、駐車場は満車…。入場待ちの列ができていました。 -
← 中央室右手の壁面いっぱいに展示されている
「オーストリア皇妃エリザベート」の大肖像画。
(フランツ・ヴィンターハルター 作)
その美貌と気品に、立ちすくんでしまいました。
ハプスブルグ家は、中世から20世紀初頭まで、オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国(などの国王・皇帝を代々輩出した、ヨーロッパを代表する名門貴族です。
この肖像画のエリーザベトは、オーストリア皇帝フランツヨーゼフ公の皇妃で、ヨーロッパ宮廷随一といわれた美貌の持ち主…。身長172cmと背が高かったのですが、ウエスト50センチで体重は50キロという驚異の体形だったそうです。
堅苦しいオーストリアでの宮廷生活を嫌い、自由奔放な暮らしを求めてハンガリーに出かけることが多かったといいます。
1898年9月、旅行中のスイス「レマン湖」のほとりで、イタリア人の無政府主義者に鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺されて殺害され、61年の生涯を閉じました。 -
← エリザベートと正対する壁に架けられていた
「11歳の女帝マリア・テレジア」(メラー 作)
その美貌は母親譲りとのことですが、少女の清純さの
中に、隠せない品位と、初恋の夫君と添い遂げた情熱を
秘めています。
ハプスブルグ家の娘として政治上も実質的な権力を保持し、のちに神聖ローマ皇后・オーストリア女大公・ハンガリー女王・ボヘミア女王となった彼女は、ハプスブルグの隆盛期を築きました。
フランス革命でギロチンの露と消えたフランス王妃マリー・アントワネットは、彼女の末娘です。
中世ヨーロッパに君臨したハプスブルグ家に関わる展示だったのですが、肖像画がほとんどで、工芸品は、「ラピスラズリの鉢」「貴石の象眼の小箱」など数点が並べられているだけで、煌びやかな王冠・宝石・装飾品などを期待した章くん、ちょっとがっかりでした。
日本の鎌倉時代にスイスの片田貴族に過ぎなかったハプスブルク家は、その後600年間、オーストリアのウイーンを帝都にして、近代ヨーロッパの国家形成に大きな役割を果たしました。大正時代、世界を大戦に引きずり込んだサラエボでの銃声は、ハプスブルグ家の崩壊をも告げる号砲でした。多民族帝国であったハプスブルグ家は、第一次世界大戦のあと、自らが作り上げてきた国家体制や民族自治のうねりの中に瓦解していくことになります。 -
ハプスブルグ展のあとは、祇園に戻って夕食です。
先ほどの道を戻るのも退屈ですから、博物館のすぐ横の「東山七条」から市バスに乗って「祇園」まで戻りました。
東大路を北上する市バスは、すべて「祇園」を通りますから、どのバスに乗ってもオーケーです。
バス停「祇園」は、この八坂神社のすぐ前にあります。 -
「美濃幸」の予約は5時…。ちょっと早かったので、祇園界隈や建仁寺・円徳院などを歩いてみました。
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午後4時45分、「ちょっと早いけれど、いいですか」と玄関をのぞくと、「夜は花灯路をお歩きてっしゃろ。なら、早いお食事のほうがよろしおすわな」と何もかもお見通しで、2階の個室へ案内してくれました。
「お飲み物は…?」「えーっと、ウーロン茶の温かいのを…」と頼むと、「呑みはらへんのどすか。なら、温かいお茶にしはったら…。うちのお茶はおいしいおすえ」とご配慮いただくひと幕があって、早速に食事が始まりました。
← 見た目にも美しい「篭盛り」です。 -
土瓶蒸しの暖かさがありがたかったのは、良い天気に恵まれて、暖かい日だったとはいえ、京都はやっぱり冷えるということなのでしょうか。
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蒸し物は、桜餅です。
季節感に溢れ、ほんのりとした桜葉の香りが、これから歩く花灯路と、やがて訪れる都の春への期待を膨らませてくれます。 -
表へ出ると、あたりはすでに夜の帳(とばり)が下りて、足元に路地灯篭が淡い光を点していました。
清水に向かって歩き出すと、昼間に見た「八坂の塔(法観寺)」がライトアップされてたたずんでいました。 -
お昼に見ると(上の12枚目の写真)、下町の塔として親しみの持てるいでたちですが、ライトアップされた姿は、なかなかに荘厳です。
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今年は清水寺へ向かうのをやめて、二年坂への階段を下(くだ)り、高台寺の下へ降りていきました。
← 夜になっても、二年坂の賑わいは一向に衰えま
せん。
今夜は、京都にしては暖かいのでしょうか。地元のご婦人は、和服の上にコートも羽織っていません。
余所者の章くんは、ダウンコートを着込んでいましたが…。 -
← 高台寺の下「春光院」の門前に置かれていた
生け花プロムナード
巨大な生け花が、通りのあちこちに活けられていました。 -
春光院の北隣にある「円徳院」に入ってみました。
← 北庭のライトアップです。
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円徳院を出ると、そこは円山公園へと続く「ねねの道」。結構、広い道なのですが、どこからこれほどの人が沸いてくるのか…というほどたくさんの人の波でした。
← 織田信長由佳里の寺、大雲院の塔「祇園閣」 -
この写真は、円山公園の南隅にある「長楽館」(明治42年、タバコ事業で財を成した村井某が建てた洋館。現在はホテル・レストランとして営業しています)の前庭のモニュメントを、ケイタイ写真で撮ったものです。
綺麗なモニュメントで、人が集まっていたのですが、あまりの人の多さにか、「門内に入るには入場料が要ります。勝手に写真を撮らないで下さい」と叫んでいる、係のご婦人の声に、『花灯路』という光のページェントに集まる人々の思いを拒絶するようなあさましさがあって、ちょっと残念でした。
「成金の館らしい下品さだな」と思いつつ、わざわざ制止を振り切って入って行き、写真を撮ってきた章くんは、決して上品とはいえませんね(苦笑)。 -
← 円山公園の枝垂桜
まだ花をつけていませんが、それでも優雅で艶(つや)やかな立ち姿です。
もう10日もすれば、ピンクの花びらをまとって、いっそう艶(あで)やかな姿になることでしょう。 -
← 道端の巨大生け花をケイタイでパチリ。
あちこちの道端に、このような大きな生け花が据えられていました。 -
←ライトアップされた知恩院三門
知恩院の門は山門とは書かず、三門と記します。三門は空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門、三解脱門(さんげだつもん)を表すとされています。
知恩院三門は、法隆寺南大門、東福寺三門とともに、日本三大三門に挙げられるとか。(京都三大三門として、法隆寺の替わりに南禅寺三門を入れる挙げ方もあるようです。) -
← 知恩院の境内。
初めて拝観しましたが、築山・庭木が整えられ、池が配されて、とても立派なお庭がありました。
庭の一角にある茶亭では、抹茶をいただけます。 -
境内の枝垂桜は、つぼみがパンパンにふくらいでいて、もうすぐ花開きそうでした。
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三門の拝観に、裏から回っていくと、門の下でこちらを睨む人がいました。
法然上人の張りぼてが三門の下に置かれて、電灯が点されているのです。 -
時刻は8時過ぎ…。まだまだ人の波は途切れないようですが、朝の早かった章くんはこのあたりで切り上げることにして、車に戻りました。
「東山花灯路」が終わると、京都は桜の花が開き始め、本格的な春を迎えます。
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