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 今回ツアーの最終観光地、芸術の都ウィーンに到着したのは夕方7時頃。ホテルはウィーンの旧市街に接するウィーン川沿いのヒルトン・ウィーン(HILTON  VIENNA)。<br /> 近くにはウィーン川を挟んで広大な市立公園がある。<br />夕食はホテルのディナーであった。メモにはウィンナー、シュニッツエルとあるが全く記憶にない。疲れが溜まっていたのであろうか。<br /><br /> ウィーン観光の初日はシェーンブルン宮殿である。宮殿は“美しい泉”という意味のハプスブルク家夏の離宮である。女帝マリアテレジアの手によって完成したので、マリアテレジアの好む黄色に統一されているのが特徴である。<br /> 宮殿内を1時間半ほどかけガイドの説明で見歩きしたが、鏡の間といい、なんとなくこの旅行の1年前、訪れたパリのベルサイユ宮殿に規模こそ違い酷似していたように思う。後にマリアテレジアはベルサイユ宮殿に末の娘マリー・アントワネットを嫁がせたが、フランス革命によって夫ルイ16世とともに処刑され、その思惑は消え去った。<br /> 不思議だったのはこの宮殿の最上階(4階)は一般市民の住居になっていた。どのような経過でそうなったのかは聞いたような気がするが記憶にはない。宮殿の裏側は庭園になっている。そこには巨大な彫刻の泉がある。<br /><br /> 観光した順とは前後するが、夕方お好みプランで、シェーンブルン宮殿オランジェリー館のコンサート観賞をした。オランジェリー館は宮殿の左側にあり、かつては宮廷のオレンジ栽培の温室であったことからそう呼ばれている。<br /> 会場は細長く、最前列から10列ぐらいが招待者等の特別席に充てられ、続いてABCランク席が用意されていた。<br /> ツアーのお好みプランによる参加者はA席最前列であった。特別席においてはさすがにドレスアップした人々の姿が目立った。ABC席には正装姿の一団があるにはあったが、大方旅行者で埋まっていたと思われ、衣装についての気遣いはなかった。一応ジャケットにネクタイをポケットに忍ばせてはいたが・・・<br /> このコンサートのオーケストラは15人前後だったと思う。他にソプラノ、テノールなど各部門の歌手、バレリーナ男女4人位の編成だったと思う。<br /><br /> 演奏曲目はヨハン・シュトラウスの楽曲が中心でウィンナーワルツ、ポルカなどであった。かつてシェーンブルン宮殿の鏡の間の夜会、舞踏会などで、ウィナーワルツが奏でられたその情景に思いを馳せてみた。柄に似合わず・・・である。<br /><br /> シェーンブルン宮殿を後にして、ウィーンリングに向かた。 <br /> リングとはウィーン旧市街の環状道路のことで、かつてウィーンは外敵の侵入を防ぐため市壁で防護されていた。<br />        <br />   市壁は19世紀末ごろ撤去され、環状道路と、現在は路面電車も走るようになり、これがリンクと呼ばれるようになった。<br /> リンクをバスで走りながら、国会議事堂、市庁舎、美術史美術館等を車窓から見学し一周した。広大な市立公園はリンクの外側にあり、ヨハン・シュトラウス、シューベルト、モーツァルト(ブルク庭園)などウィーンゆかりの著名人の銅像がある。下車して見学したのはヨハン・シュトラウスの黄金の銅像とブルク庭園のモーツァルト、ゲーテの像で、特にヨハン・シュトラウスの黄金の像は人気の写真撮影スポットになっており、大勢の観光客が銅像の前で順番に記念写真におさまっていた。<br /><br /> 昼食までのわずかな時間であったが、ショッピングに充てられた。立ち寄った店舗は伊勢丹のウィーン店(平成15年閉店)。やはり狭いが日本語が通じる店舗がいい。ショッピングは多分これが最後なので、必要な数を揃えるつもりであったが、気が焦るばかりでなかなか買えない。ただ、数だけ揃え、中身の吟味はしてないので、何を買ったか全く記憶には残っていない。<br /><br /> 旧市街の中心部に近いところに「天満屋」という日本料理店があり、座敷で幕の内弁当の昼食をとった。店内は7〜8割が日本人以外で、外人観光客にも日本料理が広く定着していることがうかがえた。<br /> <br /> 昼食の後はフリータイム。<br /> 王宮見学とシュテファン寺院とに別れ、シュテファン寺院に興味があったので、こちらに参加した。シュテファン寺院はシュテファン広場にあるが、広場が狭いうえに、たまたま寺院の外観が工事中であり、建造物の外観の写真は撮れなかった。<br /> シュテファン寺院はハプスブルク家歴代君主の墓所として良く知られているが、説明ではハプスブルク家の心臓以外の内臓を保存しているということであったが、その意味するところは分からず仕舞いであった。豪壮な主祭壇に感動を覚えたが、マリア像の絵画とともにその祭壇があり何とはなしに心が和んだのが記憶に残っている。<br /> リンク最大の大通りを見学し地下鉄でホテルに帰った。<br /><br /> ロマンチック街道とチロル・ウィーン・ライン古城の旅という長い名前のツアーの最終日。この日は午前中自由行動で、添乗員の案内で美術史美術館へ行った。<br /><br /> 前日美術館の前を車窓から眺めたが、入館してみると中が広い。各展示室はさほど大きなものではないが、その数と言い、また絵画の大きさと言い、これまで見た美術館とは雰囲気がまるで違う。大作が壁に貼り付けられている感じで、壁画を見ているような錯覚を覚えた。<br /> 小さな額縁の絵を若干写真に収めたが、作者が分からないので、ほとんど捨ててしまった。数点覚えに残した写真があったのでUPした。<br /> <br /> 今回のツアーの添乗員は絵画の知識を持っており、得意の分野の絵画を中心に、展示室を飛ばして見て回ったが、それでも最後は飽きてしまい、歩きながら目で追っただけの絵画鑑賞になった。<br /> <br /> 博物館ではハプスブルク王室で使用した食器類が収納されていたが、銀製の食器、器具などその数と言い。豪華さには目を見張ったのを覚えている。<br /><br /> 昼食の後ウィーンの森の観光に向かった。ハイリゲンクロイツ修道院(聖なる十字架)現役の修道院であるので、決められた時間帯に限られたが、内部の見学ができた。<br /><br /> 次に訪れたのはマイヤーリンク狩猟の館である。ハプスブルク王朝末期フランツ・ヨーゼフ一世とエリザベート王妃の子ルドルフが謎の死を遂げた館である。「うたかたの恋」による心中、自殺、暗殺まで様々な説があるようだ。<br /><br /> シューベルトの生家の見学の後、“森の中のカフェ”クラインヒュッテでケーキ&コーヒータイムをとり、ツアーのすべてを終了し、ウィーン空港に向かった。夜9時オーストリア航空機は離陸した。<br /><br /><br /><br />

ロマンチック街道とチロル・ウィーン・ライン古城の旅 ウィーン編

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2001/10/08 - 2001/10/17

1404位(同エリア6456件中)

2

45

na1430

na1430さん

 今回ツアーの最終観光地、芸術の都ウィーンに到着したのは夕方7時頃。ホテルはウィーンの旧市街に接するウィーン川沿いのヒルトン・ウィーン(HILTON VIENNA)。
 近くにはウィーン川を挟んで広大な市立公園がある。
夕食はホテルのディナーであった。メモにはウィンナー、シュニッツエルとあるが全く記憶にない。疲れが溜まっていたのであろうか。

 ウィーン観光の初日はシェーンブルン宮殿である。宮殿は“美しい泉”という意味のハプスブルク家夏の離宮である。女帝マリアテレジアの手によって完成したので、マリアテレジアの好む黄色に統一されているのが特徴である。
宮殿内を1時間半ほどかけガイドの説明で見歩きしたが、鏡の間といい、なんとなくこの旅行の1年前、訪れたパリのベルサイユ宮殿に規模こそ違い酷似していたように思う。後にマリアテレジアはベルサイユ宮殿に末の娘マリー・アントワネットを嫁がせたが、フランス革命によって夫ルイ16世とともに処刑され、その思惑は消え去った。
 不思議だったのはこの宮殿の最上階(4階)は一般市民の住居になっていた。どのような経過でそうなったのかは聞いたような気がするが記憶にはない。宮殿の裏側は庭園になっている。そこには巨大な彫刻の泉がある。

 観光した順とは前後するが、夕方お好みプランで、シェーンブルン宮殿オランジェリー館のコンサート観賞をした。オランジェリー館は宮殿の左側にあり、かつては宮廷のオレンジ栽培の温室であったことからそう呼ばれている。
 会場は細長く、最前列から10列ぐらいが招待者等の特別席に充てられ、続いてABCランク席が用意されていた。
ツアーのお好みプランによる参加者はA席最前列であった。特別席においてはさすがにドレスアップした人々の姿が目立った。ABC席には正装姿の一団があるにはあったが、大方旅行者で埋まっていたと思われ、衣装についての気遣いはなかった。一応ジャケットにネクタイをポケットに忍ばせてはいたが・・・
 このコンサートのオーケストラは15人前後だったと思う。他にソプラノ、テノールなど各部門の歌手、バレリーナ男女4人位の編成だったと思う。

 演奏曲目はヨハン・シュトラウスの楽曲が中心でウィンナーワルツ、ポルカなどであった。かつてシェーンブルン宮殿の鏡の間の夜会、舞踏会などで、ウィナーワルツが奏でられたその情景に思いを馳せてみた。柄に似合わず・・・である。

 シェーンブルン宮殿を後にして、ウィーンリングに向かた。
リングとはウィーン旧市街の環状道路のことで、かつてウィーンは外敵の侵入を防ぐため市壁で防護されていた。
        
市壁は19世紀末ごろ撤去され、環状道路と、現在は路面電車も走るようになり、これがリンクと呼ばれるようになった。
 リンクをバスで走りながら、国会議事堂、市庁舎、美術史美術館等を車窓から見学し一周した。広大な市立公園はリンクの外側にあり、ヨハン・シュトラウス、シューベルト、モーツァルト(ブルク庭園)などウィーンゆかりの著名人の銅像がある。下車して見学したのはヨハン・シュトラウスの黄金の銅像とブルク庭園のモーツァルト、ゲーテの像で、特にヨハン・シュトラウスの黄金の像は人気の写真撮影スポットになっており、大勢の観光客が銅像の前で順番に記念写真におさまっていた。

 昼食までのわずかな時間であったが、ショッピングに充てられた。立ち寄った店舗は伊勢丹のウィーン店(平成15年閉店)。やはり狭いが日本語が通じる店舗がいい。ショッピングは多分これが最後なので、必要な数を揃えるつもりであったが、気が焦るばかりでなかなか買えない。ただ、数だけ揃え、中身の吟味はしてないので、何を買ったか全く記憶には残っていない。

 旧市街の中心部に近いところに「天満屋」という日本料理店があり、座敷で幕の内弁当の昼食をとった。店内は7〜8割が日本人以外で、外人観光客にも日本料理が広く定着していることがうかがえた。
 
 昼食の後はフリータイム。
 王宮見学とシュテファン寺院とに別れ、シュテファン寺院に興味があったので、こちらに参加した。シュテファン寺院はシュテファン広場にあるが、広場が狭いうえに、たまたま寺院の外観が工事中であり、建造物の外観の写真は撮れなかった。
 シュテファン寺院はハプスブルク家歴代君主の墓所として良く知られているが、説明ではハプスブルク家の心臓以外の内臓を保存しているということであったが、その意味するところは分からず仕舞いであった。豪壮な主祭壇に感動を覚えたが、マリア像の絵画とともにその祭壇があり何とはなしに心が和んだのが記憶に残っている。
 リンク最大の大通りを見学し地下鉄でホテルに帰った。

 ロマンチック街道とチロル・ウィーン・ライン古城の旅という長い名前のツアーの最終日。この日は午前中自由行動で、添乗員の案内で美術史美術館へ行った。

 前日美術館の前を車窓から眺めたが、入館してみると中が広い。各展示室はさほど大きなものではないが、その数と言い、また絵画の大きさと言い、これまで見た美術館とは雰囲気がまるで違う。大作が壁に貼り付けられている感じで、壁画を見ているような錯覚を覚えた。
小さな額縁の絵を若干写真に収めたが、作者が分からないので、ほとんど捨ててしまった。数点覚えに残した写真があったのでUPした。
 
今回のツアーの添乗員は絵画の知識を持っており、得意の分野の絵画を中心に、展示室を飛ばして見て回ったが、それでも最後は飽きてしまい、歩きながら目で追っただけの絵画鑑賞になった。
 
博物館ではハプスブルク王室で使用した食器類が収納されていたが、銀製の食器、器具などその数と言い。豪華さには目を見張ったのを覚えている。

 昼食の後ウィーンの森の観光に向かった。ハイリゲンクロイツ修道院(聖なる十字架)現役の修道院であるので、決められた時間帯に限られたが、内部の見学ができた。

 次に訪れたのはマイヤーリンク狩猟の館である。ハプスブルク王朝末期フランツ・ヨーゼフ一世とエリザベート王妃の子ルドルフが謎の死を遂げた館である。「うたかたの恋」による心中、自殺、暗殺まで様々な説があるようだ。

 シューベルトの生家の見学の後、“森の中のカフェ”クラインヒュッテでケーキ&コーヒータイムをとり、ツアーのすべてを終了し、ウィーン空港に向かった。夜9時オーストリア航空機は離陸した。



  •   後年であるが晩秋に訪れたシェーンブルン宮殿<br /> 冬の訪れを待つばかりの宮殿で寒々しい。

     後年であるが晩秋に訪れたシェーンブルン宮殿
     冬の訪れを待つばかりの宮殿で寒々しい。

  •  宮殿に向かって右側をとらえた写真

     宮殿に向かって右側をとらえた写真

  •  宮殿左側低い建物はコンサートが行われるオランジェリ館<br /> コンサートの入場は建物の反対側

     宮殿左側低い建物はコンサートが行われるオランジェリ館
     コンサートの入場は建物の反対側

  •  表紙の写真を再掲<br /> 10月の中旬は緑も映える

     表紙の写真を再掲
     10月の中旬は緑も映える

  •  晩秋の宮殿の裏側<br /> 広大な庭園から撮影<br /> 中央通路に当たる部分は芝生<br /> 見学中に雪が舞いはじめた。

     晩秋の宮殿の裏側
     広大な庭園から撮影
     中央通路に当たる部分は芝生
     見学中に雪が舞いはじめた。

  •  宮殿の広大な庭園に巨大な彫刻の泉がある。

     宮殿の広大な庭園に巨大な彫刻の泉がある。

  •  彫刻の泉

     彫刻の泉

  •  雪はたちまち積もり始め、春から夏に賑わした壮大な歌壇は雪に覆われた。

     雪はたちまち積もり始め、春から夏に賑わした壮大な歌壇は雪に覆われた。

  •  ヨハン・シュトラウスの黄金の銅像<br /> 建立当時は黄金色ではなかったらしい。

     ヨハン・シュトラウスの黄金の銅像
     建立当時は黄金色ではなかったらしい。

  •  市立公園の人気の像で、旅行者の記念写真撮影でこみ、撮影には時間を要する。

     市立公園の人気の像で、旅行者の記念写真撮影でこみ、撮影には時間を要する。

  • ブルク庭園に鎮座するゲーテの像<br />リンク内にはこのような著名人の銅像が至る所にある。

    ブルク庭園に鎮座するゲーテの像
    リンク内にはこのような著名人の銅像が至る所にある。

  • ブルク庭園にあるモーツアルトの像

    ブルク庭園にあるモーツアルトの像

  •  王宮中庭ヨーゼフ2世騎馬像

    王宮中庭ヨーゼフ2世騎馬像

  • 王宮中庭フランツ2世

    王宮中庭フランツ2世

  • 車窓から撮影

    車窓から撮影

  • 車窓からの撮影

    車窓からの撮影

  • シュテファン大聖堂<br />広場が狭いうえに、周囲が込み入っている。<br />塔が高く、建物も大きい。写真にうまく収めるのは至難の業だ。<br /> さらに残念だったのは工事中で外観を撮ったのはこの写真一枚のみ。

    シュテファン大聖堂
    広場が狭いうえに、周囲が込み入っている。
    塔が高く、建物も大きい。写真にうまく収めるのは至難の業だ。
     さらに残念だったのは工事中で外観を撮ったのはこの写真一枚のみ。

  • 大聖堂主祭壇

    大聖堂主祭壇

  • 主祭壇は豪壮でとにかく大きい。

    主祭壇は豪壮でとにかく大きい。

  • 教会内部が広く、天井が高い。<br />写真からは感じとれないが、とにかく大きい主祭壇だ。、

    教会内部が広く、天井が高い。
    写真からは感じとれないが、とにかく大きい主祭壇だ。、

  • 主祭壇右側に前段の写真の祭壇とこのマリア像の祭壇が、向き合っている。<br />旅行者だろうか大勢の参拝者があった。

    主祭壇右側に前段の写真の祭壇とこのマリア像の祭壇が、向き合っている。
    旅行者だろうか大勢の参拝者があった。

  •  ケルトナー大通りに露店、カフェが立ち並んでいた。

     ケルトナー大通りに露店、カフェが立ち並んでいた。

  • ケルトナー大通りさながら憩いの場だ。

    ケルトナー大通りさながら憩いの場だ。

  • 美術史美術館広場にはハプスブルク家女帝マリアテレジア像が建っていた。<br /> その権勢がしのばれる。

    美術史美術館広場にはハプスブルク家女帝マリアテレジア像が建っていた。
     その権勢がしのばれる。

  • 像はマリアテレジア

    像はマリアテレジア

  • 以下5点の絵画は美術史美術館に展示されている絵画。いずれも作者は記録しなかったので、わからない。

    以下5点の絵画は美術史美術館に展示されている絵画。いずれも作者は記録しなかったので、わからない。

  • ウィーンの森観光で訪れたハイリゲン修道院<br />中庭に建つ塔

    ウィーンの森観光で訪れたハイリゲン修道院
    中庭に建つ塔

  • 修道院主祭壇

    修道院主祭壇

  • 修道院内に架かる十字架

    修道院内に架かる十字架

  • ハイリゲンクロイツ修道院

    ハイリゲンクロイツ修道院

  • マイヤーリンクの狩猟館<br /> 「うたかたの恋」の舞台の場所で知られている。<br /> ハプスブルク王朝の末期、フランツ・ヨーゼフ一世とあのエリザベート王妃の子、ルドルフがなぞの死を遂げた場所。<br /> ルドルフは父ヨーゼフ一世と反目し合っていたことは文献から事実。結婚していたが、別な恋人と子の館で心中したとされる心中説、自殺説、暗殺説まであり、その真相は明らかになっていない。通説で「うたかたの恋」の場所として現在に至っている。<br /><br /> 

    マイヤーリンクの狩猟館
     「うたかたの恋」の舞台の場所で知られている。
     ハプスブルク王朝の末期、フランツ・ヨーゼフ一世とあのエリザベート王妃の子、ルドルフがなぞの死を遂げた場所。
     ルドルフは父ヨーゼフ一世と反目し合っていたことは文献から事実。結婚していたが、別な恋人と子の館で心中したとされる心中説、自殺説、暗殺説まであり、その真相は明らかになっていない。通説で「うたかたの恋」の場所として現在に至っている。

     

  • シューベルトの生家

    シューベルトの生家

  • 森の中のカフェ”クラインヒュッテ”

    森の中のカフェ”クラインヒュッテ”

  • クラインヒュッテはシューベルトの看板がかかっているが、シューベルトの生家見学の後立ち寄っている。<br /> どう言う係わりであったか失念し、思い出せない。

    クラインヒュッテはシューベルトの看板がかかっているが、シューベルトの生家見学の後立ち寄っている。
     どう言う係わりであったか失念し、思い出せない。

  • ウィーンの森車窓からの風景

    ウィーンの森車窓からの風景

  •  ウィーンで二泊したヒルトン・ウィーン

     ウィーンで二泊したヒルトン・ウィーン

  •  早朝ホテル前大通りをリンクに向かう馬車が通る。

     早朝ホテル前大通りをリンクに向かう馬車が通る。

  • 今回のツアーで、フランクフルト空港に出迎えられて以降最終ウィーンまで乗車したバス。

    今回のツアーで、フランクフルト空港に出迎えられて以降最終ウィーンまで乗車したバス。

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  • ryujiさん 2012/09/09 16:06:13
    思い出を再び。
    はじめまして、na1430さま。私はryujiと申します。
     タイトルの件、余りの懐かしさにペンをとりました。(メッセージのきっかけ) 私は昨年4月ウィーンを訪れました。楽しい有意義な旅であった事は云うまでもありませんが、na1430さんの旅行記でより1層興味あるウィーンを体験した思いです。
     私はna1430さん程芸術・歴史に精通しておりませんが、この手の事項は大好きです。特にウィーンの森(マイヤーリンク・シューベルトの家等)ツァー?は胸を熱くしました。又ウィーンへ行きたくなっちゃいました。
     na1430さん、素敵な旅行記をありがとう。これからも宜しくお願いします。
                                                 ryuji

    na1430

    na1430さん からの返信 2012/09/10 16:59:08
    RE: 思い出を再び。
    ryujiさんこんにちは。
     いつもご来訪頂きありがとうございます。
     私のつたない旅行記ご覧願い恐縮です。
     コメント頂いたウィーンは2度訪れました。南ドイツ(ライン下りほか)とオーストリアのインスブルグ、ザルツブルグ、ウィーンのツアーとハンガリー、チェコとウィーンの中欧旅行です。
     オーストリア、ハンガリー、チェコにはハクスブルグ王朝の歴史がいっぱいで、ぶつぶつと途切れた歴史の知識がつながるようで感動しました。

    > はじめまして、na1430さま。私はryujiと申します。
    >  タイトルの件、余りの懐かしさにペンをとりました。(メッセージのきっかけ) 私は昨年4月ウィーンを訪れました。楽しい有意義な旅であった事は云うまでもありませんが、na1430さんの旅行記でより1層興味あるウィーンを体験した思いです。
    >  私はna1430さん程芸術・歴史に精通しておりませんが、この手の事項は大好きです。特にウィーンの森(マイヤーリンク・シューベルトの家等)ツァー?は胸を熱くしました。又ウィーンへ行きたくなっちゃいました。
    >  na1430さん、素敵な旅行記をありがとう。これからも宜しくお願いします。
    >                                  
     
     ヨーロッパは2,000年と2,001年続けて行きましたが、2,001年のヨーロッパは、9月15日フライトのアメリカ旅行の筈でした。それがフライト3日前に中止になり、荷ほどきをする気になれず、急遽、締め切り直前の南ドイツとオーストリアツアーに潜り込みました。
     原因は2,001年の9・11あの忌まわしいニューヨークのツインタワーが崩壊するテロでした。(このいきさつはアメリカ編に詳述してありますのでご参照ください。) 
     私はヨーロッパが好きで、海外旅行とくれば、真っ先にヨロッパから検討に入ります。

     そうそうオーストリアの歴史はまずハプスブルク王朝の歴史ですが、王朝最後の王妃エリザベートは、最後暗殺という劇的な事件に遭遇しますが、これがハンガリーでは国民から親しまれ、また王妃もドナウ河畔高台に建つ王宮をこよなく愛し、ひとたびブタベストを訪れると、滞在が長かったと言われています。ハンガリーを訪れて初めて知り、歴史は事件が大きなウエイトを占めますが、隠れた一面を知ると、また歴史にのめりこみます。
     

     ところで話題は変わりますが、濃尾の花火の写真いいですねぇ。私も地元の花火を写真に収めますが、いつも思うことは難しいと云うことです。今年上田千曲川の花火を撮りましたが、また来年を期します。、
    na1430

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