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  ノイッシュバンシュタイン城から徒歩で山を下り、麓のホーエンシュバンガウからオーストリアとの国境に向った。国境では入国審査があるかと思っていたが、数ヶ月前に撤廃されていた。入国に際しては両替所でドイツマルクをオーストリアギルダーに変換をする必要があった。 <br /> 現在EU加盟国(最近の加盟国を除いて)はユーロであり、両替の必要はないが、当時はそれぞれの国の通貨が流通していた。国境のあるフェルン峠で写真タイムをとったのち、オーストリアチロル州に入った。道路は東アルプスに続く峡谷を下るが、両側には2,000mを超える急峻な山々が続く。この付近の山の峯などは真っ白で雪かと思ったが、山肌が石灰岩らしき岩肌で白く、雪のように見え、遠方からは雪との見わけが付きにくい。<br /> 道路の右側に連なる山々の斜度が緩くなると、斜面が牧草地帯に変わってきた。牧畜が行われているのか、斜面に建物も見えてきた。子供のころ、アルプスの傾斜地、谷あいで牧畜が行われている写真や、絵画等の風景からその生活、環境、そして美しい民族衣装、舞踊などチロルの文化に憬れにも近い興味をもっていた。チロルはヨーデルとともに幼いころからアルプスの代名詞だった。実際にチロルの里に入ってきて、車窓からではあるがその景色に接し、何とはなしに子供のころを思い出し、心が和んだのを覚えている。しかしチロルの人々はアルプスの氷河跡地など、峡谷に小さな集落を形成し生活をしているが、歴史的には苦難の道を経ている。第一次、第二次世界大戦においてチロルは分割された結果、南チロルはイタリアに編入、東チロルと北チロルはオーストリアのチロル州となり、その州都は向かっている北チロルの中心地、インスブルックなのである。地図で見ると東チロルはザルツブルク州の一部を挟んでチロル州の飛び地になっている。<br /> アルプスの山岳、高原地帯にはインスブルックを起点にして電車、バスが縦横にアクセスしている。いつの日か電車、バスで、子供のころから脳裏に描かれている、チロルを訪れたいと思うが、それが叶かどうか。<br /> 市内見学では最初にインスブルックは2度の冬季オリンピックが開催されたが、そのジャンプ台があるイゼルの丘に行った。街の後方にノルトケッテの美しい山々が聳え、古都インスブルックの景観に堪能した。<br /> この街のシンボル的存在である「黄金の小屋根」は街の中心部フリードリッヒ通りと呼ばれる通りの突きあたりにある。広場正面の建物にバルコニーが突き出し、その屋根に金箔が屋根瓦に施されている。時の皇帝が広場の行事を見物するための宮廷用の観覧席であったようだ。<br /> インスブルックのメインストリートはマリア・テレジア通りと呼ばれる。通りの中央にアンナ記念柱がある。スペイン継承戦争の際、バイエルン軍撃退勝利記念として建てられた記念柱で、1,706年と言うから約300年前の建造物であり、この記念柱を中心に観光客が多く集まる観光スポットになっている。<br /> 王宮については写真に残っているが、あまり記憶に残っていない。歴史的には15世紀に建造され、その後何回か拡張、改修が行われており、現在の建物はマリア・テレジアが自身の子息の結婚のため拡張、改修されている。<br />オーストリアに初めて旅行して感じることは、至る所でマリア・テレジアの話が出てくる。写真にはないが宮廷教会にはマリア・テレジアを始め、ハプスブルク家ゆかりの像28体(それぞれが実物大位の大きさであった記憶がある。)が並んでいる。このハプスブルク家による王朝は第一次世界大戦によって消滅するまで600年余ヨーロッパを支配した一大勢力で、その本拠地がオーストリアあってみれば、至極当然である。なかでも絶頂期ともいわれる、女帝マリア・テレジアの時代の遺跡等がオーストリア全土に広がる。本編に続き、ザルツブルク、ウィーン編でいやがうえにも登場するので、そちらに譲りたい。蛇足であるがマリア・テレジアはフランス革命時、断頭台で消しさられた、国王ルイ16世の妃マリー・アントワネットの実母である。<br />市内見学の後、中華料理店で食事をとり、ザルツブルクに向かった。<br /><br />

ロマンチック街道とチロル・ウィーン・ライン古城の旅 インスブルック編

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2001/10/08 - 2001/10/17

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na1430

na1430さん

  ノイッシュバンシュタイン城から徒歩で山を下り、麓のホーエンシュバンガウからオーストリアとの国境に向った。国境では入国審査があるかと思っていたが、数ヶ月前に撤廃されていた。入国に際しては両替所でドイツマルクをオーストリアギルダーに変換をする必要があった。 
 現在EU加盟国(最近の加盟国を除いて)はユーロであり、両替の必要はないが、当時はそれぞれの国の通貨が流通していた。国境のあるフェルン峠で写真タイムをとったのち、オーストリアチロル州に入った。道路は東アルプスに続く峡谷を下るが、両側には2,000mを超える急峻な山々が続く。この付近の山の峯などは真っ白で雪かと思ったが、山肌が石灰岩らしき岩肌で白く、雪のように見え、遠方からは雪との見わけが付きにくい。
 道路の右側に連なる山々の斜度が緩くなると、斜面が牧草地帯に変わってきた。牧畜が行われているのか、斜面に建物も見えてきた。子供のころ、アルプスの傾斜地、谷あいで牧畜が行われている写真や、絵画等の風景からその生活、環境、そして美しい民族衣装、舞踊などチロルの文化に憬れにも近い興味をもっていた。チロルはヨーデルとともに幼いころからアルプスの代名詞だった。実際にチロルの里に入ってきて、車窓からではあるがその景色に接し、何とはなしに子供のころを思い出し、心が和んだのを覚えている。しかしチロルの人々はアルプスの氷河跡地など、峡谷に小さな集落を形成し生活をしているが、歴史的には苦難の道を経ている。第一次、第二次世界大戦においてチロルは分割された結果、南チロルはイタリアに編入、東チロルと北チロルはオーストリアのチロル州となり、その州都は向かっている北チロルの中心地、インスブルックなのである。地図で見ると東チロルはザルツブルク州の一部を挟んでチロル州の飛び地になっている。
 アルプスの山岳、高原地帯にはインスブルックを起点にして電車、バスが縦横にアクセスしている。いつの日か電車、バスで、子供のころから脳裏に描かれている、チロルを訪れたいと思うが、それが叶かどうか。
 市内見学では最初にインスブルックは2度の冬季オリンピックが開催されたが、そのジャンプ台があるイゼルの丘に行った。街の後方にノルトケッテの美しい山々が聳え、古都インスブルックの景観に堪能した。
 この街のシンボル的存在である「黄金の小屋根」は街の中心部フリードリッヒ通りと呼ばれる通りの突きあたりにある。広場正面の建物にバルコニーが突き出し、その屋根に金箔が屋根瓦に施されている。時の皇帝が広場の行事を見物するための宮廷用の観覧席であったようだ。
 インスブルックのメインストリートはマリア・テレジア通りと呼ばれる。通りの中央にアンナ記念柱がある。スペイン継承戦争の際、バイエルン軍撃退勝利記念として建てられた記念柱で、1,706年と言うから約300年前の建造物であり、この記念柱を中心に観光客が多く集まる観光スポットになっている。
 王宮については写真に残っているが、あまり記憶に残っていない。歴史的には15世紀に建造され、その後何回か拡張、改修が行われており、現在の建物はマリア・テレジアが自身の子息の結婚のため拡張、改修されている。
オーストリアに初めて旅行して感じることは、至る所でマリア・テレジアの話が出てくる。写真にはないが宮廷教会にはマリア・テレジアを始め、ハプスブルク家ゆかりの像28体(それぞれが実物大位の大きさであった記憶がある。)が並んでいる。このハプスブルク家による王朝は第一次世界大戦によって消滅するまで600年余ヨーロッパを支配した一大勢力で、その本拠地がオーストリアあってみれば、至極当然である。なかでも絶頂期ともいわれる、女帝マリア・テレジアの時代の遺跡等がオーストリア全土に広がる。本編に続き、ザルツブルク、ウィーン編でいやがうえにも登場するので、そちらに譲りたい。蛇足であるがマリア・テレジアはフランス革命時、断頭台で消しさられた、国王ルイ16世の妃マリー・アントワネットの実母である。
市内見学の後、中華料理店で食事をとり、ザルツブルクに向かった。

  • オーストリア・チロル州に入りインスブルックに至る左右に見える東アルプスの山々<br /> いずれも2,000mを超える山々は雪がかぶっているように見える。山肌が石灰岩?のような真っ白な岩石で、雪との見分けがつかない。

    オーストリア・チロル州に入りインスブルックに至る左右に見える東アルプスの山々
     いずれも2,000mを超える山々は雪がかぶっているように見える。山肌が石灰岩?のような真っ白な岩石で、雪との見分けがつかない。

  • 2度の冬季オリンピックで使用されたジャンプ台がある、イゼルの丘の展望台からインスブルック市内を望む。

    2度の冬季オリンピックで使用されたジャンプ台がある、イゼルの丘の展望台からインスブルック市内を望む。

  • イゼルの丘からはインスブルックの市内の後方にノルトケッテの山々が聳えているのが見える。

    イゼルの丘からはインスブルックの市内の後方にノルトケッテの山々が聳えているのが見える。

  •  インスブルックのメインストリート・マリア・テレジア通り。<br /> 中央の柱はアンナ記念柱。<br /> スペイン(スペイン・ハプスブルク家)継承戦争(バイエルンを撃退)勝利記念。

     インスブルックのメインストリート・マリア・テレジア通り。
     中央の柱はアンナ記念柱。
     スペイン(スペイン・ハプスブルク家)継承戦争(バイエルンを撃退)勝利記念。

  • マリア・テレジア通り。<br />中央はアンナ記念柱 この付近は観光客などが集まる観光スポット。記念中の右側は市内電車が走っている。<br /> 後方はノルトケッテの山々<br />

    マリア・テレジア通り。
    中央はアンナ記念柱 この付近は観光客などが集まる観光スポット。記念中の右側は市内電車が走っている。
     後方はノルトケッテの山々

  •  中央建物に突き出して見えるバルコニーの「黄金の小屋根」影があって若干見えにくいが、屋根は黄金で輝いている。<br /> このバルコニーは時の皇帝が前の広場での行事を見物するための宮廷用の観覧席である。<br /> 

     中央建物に突き出して見えるバルコニーの「黄金の小屋根」影があって若干見えにくいが、屋根は黄金で輝いている。
     このバルコニーは時の皇帝が前の広場での行事を見物するための宮廷用の観覧席である。
     

  •  黄金の小屋根のバルコニー<br /> 屋根が太陽に反射し黄金色が消えてしまいました。

    黄金の小屋根のバルコニー
     屋根が太陽に反射し黄金色が消えてしまいました。

  •  フリードリッヒと呼ばれるインスブルック中心部。<br /> つきあたりが、「黄金の小屋根」<br /> 後方は、ノルトケッテの山々

     フリードリッヒと呼ばれるインスブルック中心部。
     つきあたりが、「黄金の小屋根」
     後方は、ノルトケッテの山々

  •  後方ノルトケッテの山々

     後方ノルトケッテの山々

  •  インスブルックの王宮<br /> マリア・テレージアの子息の結婚に際し、拡張、改修が行われた王宮

     インスブルックの王宮
     マリア・テレージアの子息の結婚に際し、拡張、改修が行われた王宮

  •  インスブルック市内

     インスブルック市内

  •  インスブルック市内街並み

     インスブルック市内街並み

  • 後方は東アルプスの山々

    後方は東アルプスの山々

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