2009/12/28 - 2010/01/05
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ちゃおさん
戦国時代までの日本では、領主の住まいを単に「館」と呼んだり、戦いの拠点は「砦」とか「曲輪(郭)」と呼んでいて、末期頃になってようやく「デジロ」などの言葉も見えてきたが、堂々とした天守閣を備える「お城」が生まれてきたのは、漸く天下泰平になった信長以降のことと思われる。
信長の軍勢が武田の本拠とする「甲府屋形(館)」を落とし、落ち延びた甲府勢は近くの丘の上に「新城」などを作ったが、どこから見ても本当の「お城」、五層の天守閣を備えたのは信長が琵琶湖畔に建てた「安土城」で、残念ながらそれは信長の死と共に、焼け落ちてしまった。
この「お城」という言葉、戦国末期になってから初めて文献に出るようになり、それ以前の日本にもはたまた中国でも城郭を意味しての「城」という言葉はなかった。沖縄では「ぐすく」のことを「城」と当て字しているが、この「ぐすく」は別の語源からきていると思う。
僕はこの「ハイデルベルグ城」、ドイツ語で言うと「Heidelberger Schloss」に来て、日本語の「お城」とは案外、このドイツ語「シュロス」が元になっているのではないか、と思ったりした。
戦国時代、ポルトガル、スペインに続いて、オランダなども日本へやって来て通商していたが、オランダとドイツ語は兄弟語、江戸時代に活躍したシーボルトなど国籍はオランダだが書かれたものは全てドイツ語で、今でもベルリン大学の教材となっている。
このハイデルベルグ城、元々は「Prince Elector」と言って、ハイデルベルグ市民により選ばれた「選帝侯」の居城であったが、13世紀から17世紀に掛けて、居住した城主(選帝侯)により拡張、拡大されたものである。
半地下の酒蔵に入り、その巨大なワイン貯留槽を見るにつけ、この自由都市の豊か財力、October Festoで歌い騒いだであろう皇帝と市民の饗宴を思うものだった。
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