2009/09/25 - 2009/09/26
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それでは、マカオ全30ヵ所の世界遺産をご覧くださ~い♪
全30世界遺産登録リスト一覧
チョイ不良オヤジの亜細亜世界遺産攻略日誌♪PART②-1
媽閣廟
バラ広場
港務局大楼
リラウ広場※(広場なので見ることは可能ですが工事中でした)
鄭家屋敷※(工事中のため、中に入れませんでした)
聖ヨセフ修道院および聖堂
聖ローレンス教会※(工事中のため聖オーガスティン広場側からのアクセスは不可)
ドン・ペドロ5世劇場※(工事中のところ、お願いして中に少しだけ入れてもらえました)
聖オーガスティン広場
チョイ不良オヤジの亜細亜世界遺産攻略日誌♪PART②-2
聖オーガスティン教会
ロバート・ホー・トン図書館
民政総署※(外装工事中でした)
セナド広場
仁慈堂
大堂
大堂広場
盧家屋敷
三衡会館
チョイ不良オヤジの亜細亜世界遺産攻略日誌♪PART②-3
聖ドミニコ広場
聖ドミニコ教会
聖ポール天主堂跡
旧城壁
ナーチャ廟
イエズス会記念広場
聖アントニオ教会
プロテスタント墓地
カーサ庭園
カモンエス広場
チョイ不良オヤジの亜細亜世界遺産攻略日誌♪PART②-4
モンテの砦
ギア灯台
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- JAL
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『セナド広場』を北に道なりに進むと『聖ドミニコ広場』が見えてきます。
聖ドミニコ教会前に広がるカルサーダスを敷き詰めたポルトガル的な広場が『聖ドミニコ広場』です。 -
ヤシの木の植栽がどこか南国を感じさせる、生活観にあふれ市民や観光客で賑わう場所です。
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メキシコのアカプルコから来たドミニコ会スペイン人修道士3人によって1587年に建てられた、木造の簡素な礼拝所が『聖ドミニコ教会』です。現在の教会は1828年に再建されたものといわれます。
コロニアル風バロック様式のファサード(正面外壁)は、クリーム色の壁に純白の漆喰で繊細な装飾が施され、マカオのファサードの中で最も美しいと評判です。 -
祭壇には「バラの聖母像」と呼ばれる聖母マリア像を祀っており、これが中国語で「バラの教会」と呼ばれる所以です。また教会左側のチャペルには、小さめの聖母像が置かれています。
これはポルトガルのファティマに出現したといわれる聖母伝説の「ファティマの聖母」で、毎年5月13日の日没時、ここからペンニャ教会まで聖母像を送る巡行「ファティマ聖母マリアの行列」が行われています。
かつて建物の裏手にあった鐘楼は1997年に聖ドミニコ教会博物館に改築され、絵画や彫刻、装飾など300点の宗教関係のコレクションが展示されています。 -
高温多湿の気候のため大きく開け放つことができる濃いグリーンの鎧戸が、鮮やかなコントラストをなしています。
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聖ポール天主堂の前の広場『イエズス会記念広場』。
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ファサードを背にした記念撮影のメッカで、絶えず観光客で賑わう場所です。
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マカオのシンポルとして圧倒的な存在感を誇る『聖ポール天主堂跡』。
教会の前面だけが残る石造りのファサード(正面壁)とその隣に建てられた聖ポール大学の総称です。
小高い丘にそびえ立つその姿はまさに荘厳で、完成当時は「ローマ以東でもっとも傑出した教会」と言われていたほど。1602年から1640年にかけ聖母教会(聖ポール教会)として建築され、施工には中国人ほか、長崎から幕府の弾圧を逃れて渡ってきた多くの日本人キリスト教徒も携わりました。
設計はイタリア人修道士スピノラで、最初の創建者は日本にも来訪したアレッサンドロ・ヴァリニャーノ司祭でした。「石に刻まれた説教」と言われるように、残されたファサードからは、様々なメッセージが発せられています。 -
1569年、ポルトガル人の居留が始まった頃に造られた古い城壁『旧城壁』。
ポルトガル人は自分達の生活圏を守るために周囲に城壁を築く習慣があり、アフリカやインドなどの植民地でもそれを実践してきました。
マカオでは土砂、ワラ、牡蠣の貝殻を混ぜ、木製の枠に流し込んで押し固めた「シュウナンボー」という材料を使い、これを何層にも重ねて城壁が作られました。
様式は西洋風なのに材料と手法は東洋的。まさに東西文化の融合で生まれた城壁です。 -
なお、シュウナンボーは時間が経つにつれ強固になり、大砲の弾を弾き返すのではなく呑み込むようにとどめ、かえって石造りの城壁よりも防御に適していたと言われています。
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1888年に建立された神童ナーチャを祀る小さな中国式寺院『ナーチャ廟』。
当時、この地域で疫病が蔓延した際、その厄払いにこの廟が建てられました。 ナーチャは西遊記にも登場するやんちゃな男の子の神様。子どもながら武芸の達人、霊感退治で中国では人気があります。
間口は5メートル程度と小さく、奥に子供の姿のナーチャが鎮座しているのが見えます。
聖ポール天主堂跡と並んで建つこのささやかな廟は、東洋と西洋が共存するマカオを象徴するという理由から世界遺産に登録されました。 -
『聖アントニオ教会』
かつては竹と木で造られていたマカオで最も古い教会の一つで、1565年に3人のイエズス会修道士がここを本拠に定めたことから、マカオでのキリスト教布教の発祥の地とされています。
後に木造教会と司祭館が建てられ、中国人子女への初等教育も行われました。 -
その後、建物は2度の火災に遭いましたが、1930年の再建でネオ・クラシック様式の石造りとなり、さらに1959年に床と祭壇が改修され現在に至っています。
また、教会の前庭には古い十字架が鎮座しており、マカオで最も古い歴史を持つ3つの教会の一つであることを今に伝えています。 -
十字架にはユダヤの王を意味する「INRI」の文字が、そして台座には1638年に建立された教会の十字架であることが刻印されています。
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石の質感が伝わる外壁は落ち着きがあり、中に入ると白壁に薄ベージュの天井、精巧な装飾が施された静寂の空間が広がります。
正面祭壇には受難のキリスト像が、その上部にはイエズス会の紋章が掲げられています。 -
『聖アントニオ教会』と『カモンエス公園』の間にある広場。
ともにマカオで最も古い教会と公園という、歴史的スポットに囲まれた場所です。
よく集まるのは中国系の人々で、老人が昼寝したり中国将棋に興じたり、のんびりとした雰囲気が漂います。 -
『カモンエス公園』の入り口です。
非常に広大な公園で、様々な風景を楽しむことができます。ただ、ここは世界遺産ではありません。 -
「カモンエス公園」と『プロテスタント墓地』の間に位置する世界遺産『カーザ庭園』。
公園と墓地を含むこの一帯の大地主だったポルトガルの豪商マヌエル・ペレイラが1770年に建てた邸宅跡。木造ネオクラシック様式の邸宅の庭には、大きな池や熱帯の木々が生い茂り、コロニアルな雰囲気が漂います。
19世紀初頭、マカオは西洋人が居留することを許された中国で唯一の場所。当時国力が強かった英国東インド会社はここを借り上げ、中国との取り引きの本部として使っていました。名前の由来は、英国東インド会社の役人にちなんだものと言われています。 -
1840年のアヘン戦争後、貿易の中心は香港に移り、この邸宅は博物館として利用されていました。
現在は東方基金會という財団の事務所となっており、正面の石段を上がった2階には、同會が集めた大航海時代の陶磁器やアジア系アーティストの絵画を展示するギャラリー(無料)になっています。なお、ギャラリーは週末・祝日は休館です。 -
カトリック施設が中心のマカオにおいて、英国東インド会社が1821年に建てられたマカオで初めてのプロテスタント墓地。
イギリスやアメリカの宣教師、貿易商人など約150人が眠っています。 -
カーサ庭園に隣接し、墓地入口の教会は英中辞典を編纂、聖書の中国語訳を行ったイギリスのプロテスタント伝道師ロバート・モリソンを記念した「モリソン礼拝堂」があります。実は、この墓地の開設を東インド会社に働きかけたのがモリソンでした。
カトリック教会と比較して質素な白い外壁、キリストや聖人の像がない祭壇正面には漢字が書かれた珍しいデザインのステンドグラスを見ることができます。 -
イギリスやアメリカの宣教師、貿易商人など約150人が眠っています。
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墓地にはロバート・モリソンや、マカオを描いたイギリス人画家ジョージ・チナリー(1774~1852)、イギリス宰相ウィンストン・チャーチルの祖先J.S.チャーチル卿など著名人も眠っています。
ただ、世界遺産といっても墓地なので、少々不気味な感じがします彡(-_-;)彡ヒュー
続きは「チョイ不良オヤジの亜細亜世界遺産攻略日誌♪PART②-4」をご覧下さ~い(^ー^*)ノ
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