2009/09/25 - 2009/09/26
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マンボウのお城さん
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マカオは珠海と陸続きで隣接しているため、広州からバスで珠海へ向かい、徒歩でマカオ入りするというものです。
香港/マカオの航空券が入手できない時や航空運賃が高い時に有効です!
ただ、この方法は「中国語が話せる人」でなければ少々難しいかもしれません。
詳しく知りたい方は、お問い合わせください。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- JAL
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『ドン・ペドロ5世劇場』の対面の教会が『聖オーガスティン教会』です。
イエズス会アジア布教の宣教師育成所として1728年に造られた修道院が始まりで、1758年に聖堂が併設され現在に至っています。 -
この教会は、1586年にフィリピンからやってきたスペインの聖オーガスティン修道会が、質素な木造の修道院を建てたことにはじまります。
その後ポルトガル人に引き渡され、現在位置する丘の上に移動し、1591年に付属教会が建てられました。
現在の建物は1874年に再建されたものです。 -
大理石造りの中央祭壇のそばには、十字架を背負った受難のキリスト像が祀られています。
この像を毎年一度、男性信者がかついでセナド広場に近い大堂まで移動するのが、マカオで最も有名な宗教行事「パッソス聖体行列」。数世紀も続くマカオの代表行事で、キリスト教会暦の四旬節第1日曜日(2月中旬〜3月初旬)に行われています。
何千人ものカトリック信者が巡行に参加し、教会から大堂まで夜通し練り歩く姿はマカオの早春の風物詩です。 -
『聖オーガスティン広場』の奥にある『ロバート・ホー・トン図書館』です。檸檬色の建物で、ポルトガル人ドナ・キャロリーナ・クンハの住居を、香港の大富豪ロバート・ホー・トン卿が1918年に購入して別荘として使っていました。
1894年以前の建築とされています。 -
1955年の彼の死後、建物と収集した明・清時代の書物が遺志によりマカオ政府に寄贈され、1958年に図書館となりました。
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『ロバート・ホー・トン図書館』は、観光客にも開放されていて、簡単な登録をするだけで利用することが可能です。
私は中の写真を撮るために登録しましたが、美しい庭やハイテックなデザインを堪能することができて、良かったと思いました。 -
ちなみに、マカオのカジノ王として有名なスタンレー・ホー氏も、このホー一族の出身だそうです。
日本にもあったらいいなぁ〜と思う、素晴らしい図書館でした。 -
『聖オーガスティン広場』を地図を頼りに、さらに進むと『セナド広場』が見えてきます。
道を渡る前にあるのが『民政総署』です。ここでは、様々な観光案内資料を入手することができます。 -
但し、館内の撮影は禁止されているようで、下手に撮って良いかと聞くとダメと言われます。
言われたが最後、しばらく監視されるため、撮ることが非常に難しくなります。。。知らない振りをして、注意されるまで撮る方法が・・・イケマセン(^-^; イケマセン(^^ゞ -
セナド広場に面して建つ政府機関で、清掃や文化活動、運転免許や飲食店の営業許可など市民生活に直結した行政事務を行う建物です。
16世紀末、最初に建てられた事務所は中国様式でしたが、1784年にいまの南欧スタイルに再建されました。
白を基調にした上品な外観はネオクラシック様式にポルトガルらしさを漂わせています。壁、レイアウト、内装、裏庭に至るまで当時のまま残されており、建物の2階部分には議事室と一般公開している重厚な図書館があります。
この時は、外壁工事中で足場が組まれていたため、本来の美しい外観ではなかったのが、残念です。。。 -
古くから街の中心であり、いまもイベントや祝典の開催場所として利用されているマカオを代表する『セナド広場』です。現在はここから聖ポール天主堂跡まで歩行者天国になっていますが、以前はコンクリート敷きでクルマが通り、バス路線が敷かれていました。
1990年代前半にはポルトガル本国から敷石職人を呼び、ポルトガルの石を使って現在のモザイク模様のカルサーダス(石畳)が敷設されました。 -
中央の噴水が設置されたのは1960年のことで、それ以来、地元住民からは「噴水池」の名前で呼ばれています。
2009年は中国建国60周年を記念したディスプレイとライトアップがされていたので、いつもと違う雰囲気を味わうことができました。 -
世界遺産の『仁慈堂』、『民政総署』、ビジネス・ツーリズム・センター、郵政局など、周囲をパステルカラーのネオクラシック様式の建物や文化財が取り囲む、とても華やかな雰囲気の広場です。
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セナド広場に面するこの美しい純白の建物が『仁慈堂』です。
日本や中国を管轄した初代マカオ司教ドン・ベルキオール・カルネイロが1569年にアジア初の慈善福祉施設として設立しました。西洋医療を取り入れた病院や、孤児院、養老院も備えていたとされています。
建物は何度も修復された後、1905年、ネオクラシック様式にマヌエル様式を加えた現在の姿に再建されました。
ちなみに『媽閣廟』からここ『セナド広場』まで大体3時間〜4時間かかりました。
午前8時〜9時に出発すると、ちょうどこの辺りでランチをとる時間になります。
この辺りは、美味しくて安いお店も多くて便利ですよ(^_-) -
現在は建物の正面1階が公証役場となっています。
したがって、誰でも入ることができます。
また建物正面の左手、カルネイロの胸像がある小径に面する入り口から階段で2階に上がると、そこが仁慈堂博物館です。
宗教的芸術品や建物に関する古文書に混じってカルネイロ司祭の頭骸骨と埋葬品の十字架も展示されています。 -
大堂の前に広がる石畳の広場が『大堂広場』です。
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左側のスペースにはアズレージョを張った低い塀が囲み、セナド広場と100メートルと離れてないにもかかわらず、喧騒を離れてゆったりと時間が流れる空間です。
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日本・中国や近隣諸国を含むマカオ司教区が開かれた1576年頃、その活動の中枢としてこの地に初めて教会が建てられたのが『大堂』 です。
当時はタイパという土とワラでできたレンガで築かれ、幾度となく修復・再建が繰り返されました。現在の重厚な石造りの建物は1937年のものです。
上海製の漆喰を使い、ファサード(正面)はヨーロッパの大聖堂のように両側に鐘楼がそびえ立っています。 -
また壁の一部を張り出して作ったピラスターという柱も特徴的です。
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内部は清楚な白壁で、正面奥と両脇のステンドグラスも美しく目を引きます。
毎年、復活祭に行われるキリスト受難の行進はこの教会からスタートし、大規模なミサも執り行われます。
教会の左手にある司教館は、マカオ内外の教区内のカトリック行事を管轄する管理公署で、アジア各国への伝道使節団を派遣しています。 -
『セナド広場』と『大堂広場』間の小道にある『盧家屋敷』です。
1889年に建てられたこの邸宅は、マカオにいくつもの大きな建物を所有していた中国広東省生まれの貿易商・廬華詔の屋敷。灰色レンガを使い2階建てで中庭がある伝統的な中国式住居ですが、様式や建築技術は東洋と西洋の両方が贅沢に取り入れられており、建造物としての価値と芸術性の高さから保護・保全の対象となっています。 -
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例えば、渦巻き模様の透かし彫りと欄間、ガラスの代わりにカキの貝殻を利用して作った窓などは中国広東省の建物の典型ですが、ステンドグラスがはめ込まれた窓や白く塗られた天井は西洋建築の佇まいです。
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また、外壁の青レンガは時間をかけて磨かれたもので、その滑らかさに職人の最高技術が伺えます。
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この寺院『三衡会館』は、『セナド広場』とかつての中国市場、現在の『聖ドミニコ市場』の間にある小路に建てられています。
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本来は商人たちの集まる場所でしたが、地元の中国人コミュニティーにとって重要な宗教的役割も持っていました。
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前商工会議所なども兼ねていましたが、市場の衰退と共に寺院の果たす役割が大きくなりました。
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地味な灰色の壁なので見落としてしまいそうですが、華やかな南欧風の建物の中に今も中国式寺院が残る姿に、マカオにおける2つの文化の共生を見ることができます。
続きは、「チョイ不良オヤジの亜細亜世界遺産攻略日誌♪PART②-3」をご覧下さ~い(^O^)
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