2009/09/25 - 2009/09/26
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マンボウのお城さん
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今年の夏休みにフィリピンの世界遺産観光の予定を立てましたが、4Travelの質問/回答で治安が良くないということを知り、断念しました。
そんな時、たまたまTV番組で「マカオの世界遺産30ヵ所を全て観て周る」という企画があり、面白そう(*'-')/ってことで、突然マカオに行きたくなったわけです。
マカオには以前一度だけ行ったことがあったのですが、世界遺産の記憶もなく&デジカメ自体もない時代に行ったため、シルバーウィークに行くことにしました。
ところが・・・。
夏休みも終わる頃に動き始めたため、「安・近・早」のマカオは大人気!! 香港行きの航空券が全く取れません!
そこで、マカオ行きのいろいろな方法を調べてみたところ、
広州経由でマカオに行く方法を発見r(-◎_◎-)! トライしてみることにしました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- JAL
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最初に訪れたのは、『媽閣廟』です。
宿泊した「ホテル・ロイヤル」程近くのバス停からバスで10分程の距離でした。
バスの停留所は『媽閣廟』の程近くにあります。 -
中国南部や台湾などで広く信仰されている航海の女神「阿媽(アマ)」を祀ったマカオ最古の中国寺院です。
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正門、中国式鳥居と、4つのお堂から成り、一つのお寺に異なる神々を祀っていることから、多様な信仰に支えられた中国文化の代表例とされています。
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正門をくぐると、丘を登る階段に沿って、正殿、正覚禅林殿、弘仁殿、観音閣の4つのお堂が建っており、正殿、正覚禅林殿、弘仁殿には阿媽と道教の神が、一番上の観音閣は仏教の観音が祀られています。
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正殿が建てられたのが1605年といわれ、現在の4つのお社の構成は1800年代に出来上がったものです。「媽閣廟」は中国語で発音すると「マァコッミュウ」となることから、マカオの地名の起源とも言われています。
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2つめの世界遺産『バラ広場』です。
「媽閣廟」前にある広場です。かつて背後の丘に、バラ要塞と呼ばれる砦があったことからそう呼ばれています。 -
広場はカルサーダス(波模様の石畳)が敷き詰められ、目の前には珠江が広がり、街路樹やベンチもあって観光客や市民にとって憩いの場となっています。
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『バラ広場』に隣接して「海事博物館」があります。
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この辺りはもともと水辺で、媽閣廟の間近まで水際が迫っていたのを埋め立てて広場ができました。
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『港務局大楼』はバラ広場にあるグレーグリーンの建物の「港務局」と間違える方がきっと多いと思います。また、バラ広場前の大通りを渡ったところにある奇抜なブルーの「港務局」のどちらも世界遺産ではありません。
世界遺産の『港務局大楼』は、「媽閣廟」の脇の小道に入り、坂を登ったところにある黄色い大きな建物です。
ちなみに、その『港務局大楼』の受付をしていた女性ですら、そこが世界遺産であることを知りませんでした^_^;
バラ広場前のグレーグリーンの建物まで戻り、そこに勤めている人に聞いて、この写真の建物が『港務局大楼』だということがわかりました。
多分、ここで30分近くロスしたと思います(T_T) -
1874年、ヨーロッパ列強国が中国の植民地化政策を進めていた時代に、ポルトガルがマカオの治安維持のためインド・ゴアから派遣した、ムーア人兵士の寄宿舎として建てられました。
花崗岩の強固な石組みの基盤にレンガを積み重ね、淡いクリーム色と白を基調とした漆喰壁が美しい大きな建物です。
ゴアは当時イスラム教圏であり、現地から派遣されたムーア人兵士約200を収容していました。このため、シンプルなネオクラシック様式の中にイスラムの影響が見られるのが特徴で、2階部分、通りに面した幅4メートルの広い回廊(バルコニー)と外壁のアーチはイスラムのモスクを思わせる仕様。ライトアップされた夜の佇まいもとてもムードがあります。 -
現在もマカオ港務局事務所と海上警察本部として使われています。
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『港務局大楼』の前の道をそのまま真直ぐ上っていくと自然に『リラウ広場』に着きます。
周囲は坂あり路地あり、中国や南欧風のこじんまりした家ありで、どこか懐かしい雰囲気が漂います。 -
この写真の風景を観てから行かれると迷うことはないと思います。
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初期にマカオを訪れたポルトガル人たちは、ペンニャの丘から湧き出る貴重な天然の泉があるこの地を定住地に選びました。
現在は整備され昔の面影はありませんが、広場右奥にある壁の2つの口からは水が流れ続け、かつての水源の存在を今に伝えています(今回は工事中で、見ることはできなかったのですが・・・)。 -
その『リラウ広場』は、進行方向の右側に見えるので、その角を左側に曲がると左手に見えるのが『鄭家屋敷』です。
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中国近代初期の維新派を代表する資産家で、孫文や毛沢東に影響を与えた19世紀の文豪・鄭観應。その父親によって1881年建てられた屋敷跡です。
総面積は約4000平方メートル、港務局から続く通りの媽閣街に沿って東西120メートルの奥行きを持つ堂々たる邸宅です。母屋のほか使用人部屋や人力車庫などの長屋が中庭を取り囲む伝統的な中国家屋でありながら、インドや西洋のデザインを取り入れた建築や装飾が特徴です。
例えば、外壁はヨーロッパ風の灰色レンガ、インド式の真珠貝の窓枠に中国式の格子窓が取り付けられたりしています。 -
マカオの中国建築が西洋の内装手法や装飾を取り入れた極めて初期の住居建築物であり、こののちマカオをはじめ、上海、広東、香港でも、アールデコの装飾コンセプトとともに、同様の建築様式が流行していきました。
現在は修復中のため路地から外壁しか見ることができません(2009年9月25日現在)。 -
『リラウ広場』の道に戻り、さらに進むと『聖ヨセフ修道院および聖堂』が左側に見えてきます。
『聖ヨセフ修道院および聖堂』は、黄色っぽい聖堂で目立つため、迷うことはないと思います。
イエズス会アジア布教の宣教師育成所として1728年に造られた修道院が始まりで、1758年に聖堂が併設され現在に至っています。
ユネスコ2001年発行の「バロック建築世界地図」にも掲載される、聖ポール天主堂跡と並ぶ中国バロック建築の代表例。その独特のドーム型の屋根は、かつてマカオ半島のランドマークの一つでした。また音響効果が素晴らしく、マカオ有数のコンサート会場としても知られています。 -
聖堂の内部に足を踏み入れると、バロック様式の特徴を備えるうねり柱がそびえ立ち、ドームの天井やステンドグラス越しに柔らかい光が祭壇を照らします。
聖堂右手には聖フランシスコ・ザビエルの右上腕骨の一部が安置されており、ガラスケース越しに見ることができます。
一方の修道院には、かつて日本人キリシタン画家の作品など多くの宗教美術品が収蔵されていましたが、そのいくつかは現在、聖ポール天主堂内の天主教芸術博物館で見ることができます。なお、修道院は一般には非公開です。 -
『聖ローレンス教会』は、地図上では『聖ヨセフ修道院および聖堂』の南側(リラウ広場から来た場合、手前)に見えますが、実際は最初に見えるのが『聖ヨセフ修道院および聖堂』のため、間違えられるのではないかと思います。
『聖ローレンス教会』は、『聖ヨセフ修道院および聖堂』を先に進んだ『聖オーガスティン広場』側からアクセス可能ですが、2009年9月末時点で工事中のため迂回する必要があります。
迂回路は曲がりくねっているため、アクセスは非常に難しいように思います。
わかりやすいアクセス方法は以下の通りです(^ー^)ノ
『聖ヨセフ修道院および聖堂』の聖堂を正面に見て聖堂の右側面を通り抜けて、階段を下ります。
道なりに進むと『聖ローレンス教会』が右側に見えます。
私は悩みに悩んで、時間をロスしましたが、この方法なら迷わず到着できると思います。 -
聖アントニオ教会、聖ラザロ教会と同じ時期に建てられたマカオ初期の教会のひとつで、1569年頃にイエズス会によって建立されました。
当初は木造でしたが、1846年、マカオ生まれのポルトガル人ホセ・トーマス・アキノの設計により、幅29メートル奥行き37メートル、石造りで威厳のある現在の規模で再建されました。
当時ヨーロッパで流行っていたネオクラシック様式に、わずかにバロック調の香りを残しています。
周囲にはヤシの木が植えられ、中国製タイルを使った屋根と高さ21メートルの左右対称の鐘楼などが特徴的です。
教会に一歩足を踏み入れると、その瀟洒なインテリアに息を呑みます。教会としては珍しいターコイズブルーの天井、左右のステンドグラスから注ぐ光、贅沢なシャンデリア、クリーム色の壁面に赤い絨毯。さすがマカオで最もお洒落な教会と言われるだけあり、カトリック信者に人気の結婚式場にもなっています。 -
『聖ローレンス教会』から『聖ヨセフ修道院および聖堂』に戻り、もと来た道を進み、二叉路を左側に上っていくと、『ドン・ペドロ5世劇場』や『聖オーガスティン教会』がある『聖オーガスティン広場』に着きます。
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1860年、マカオ在住のポルトガル人による東洋初の男性専用社交クラブ「マカオ・クラブ」が開設した娯楽施設で、中国初のヨーロッパ式劇場(オペラハウス)です。
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建物はネオクラシック様式で、正面から見るとイオニア式の円柱が印象的です。座席数は300、記念行事やセレモニーなどポルトガル人社会を象徴する活動場所であり、コンサートやオペラも上演されていました。劇場の名称「ドン・ペドロ5世」は、当時のポルトガル国王にあやかって名付けられました。
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1993年に修復され、現在も公共の催事や祝賀会の会場として利用されることがあります。
残念ながら通常は入場できませんが、外観からでも当時の優雅な社交の世界をご想像いただけるはずです。 -
先述の通り、通常は中に入ることはできないのですが、たまたま工事中だったため、工事をしている人にお願いして、少しだけ見せてもらうことができました。
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遠くからわざわざ来たことを伝え、笑顔でお願いすると、「少しだけならいいよ」って言ってくれました。
ダメもとでお願いしてみるって大切ですね(o^-^o)♪ -
世界遺産の『聖オーガスティン教会』、『ドン・ペドロ5世劇場』、『聖ヨセフ修道院及び聖堂』、『ロバート・ホー・トン図書館』が立ち並ぶエリアの中心にある"歴史の交差点"と言われる『聖オーガスティン広場』です。
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セナド広場と同じく、コントラストのはっきりした模様を描く石畳(カルサーダス)が敷き詰められ、南国らしいガジュマルの木や、可愛らしいレトロな街灯、コロニアルな色彩の建物が広場のまわりに並びます。その光景は、まるでヨーロッパの街の小径に迷い込んだかのような気分にさせてくれます。
広場木陰のベンチで、しばし世界遺産めぐりの休憩をお過ごしください。
「チョイ不良オヤジの亜細亜世界遺産攻略日誌♪PART②-2」に続きます。
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