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圓徳院(えんとくいん)<br /><br />豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に<br />高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と<br />その前庭を山内に移築して移り住みました。<br /><br />それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、<br />北政所を慕って訪れたと伝えられています。ねね58歳の時のことです。<br />       <br />これが今日の圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、 <br /><br />ここは北政所の終焉の地となりました。<br /><br />そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。<br />圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に、<br />木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされました。<br />寛永9年、ねねの没後9年目のことです。<br /><br /><br /><br />      http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&amp;hl=ja&amp;msa=0&amp;msid=103182797128848996492.000479d54516cad2a6844&amp;ll=35.001356,135.779584&amp;spn=0.002764,0.005611&amp;z=18&amp;brcurrent=3,0x600108dacd1701f1:0x5f52a01eacb5a121,0<br /><br />

京都の紅葉 圓徳院 (えんとくいん) 秋の特別拝観とライトアップ ~錦秋の京、彩り纏う寺社を巡りて。。(1)~  /京都市 洛東 東山

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2009/11/27 - 2009/11/27

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kuropiso

kuropisoさん

圓徳院(えんとくいん)

豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に
高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と
その前庭を山内に移築して移り住みました。

それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、
北政所を慕って訪れたと伝えられています。ねね58歳の時のことです。
 
これが今日の圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、

ここは北政所の終焉の地となりました。

そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。
圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に、
木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされました。
寛永9年、ねねの没後9年目のことです。



http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&msid=103182797128848996492.000479d54516cad2a6844&ll=35.001356,135.779584&spn=0.002764,0.005611&z=18&brcurrent=3,0x600108dacd1701f1:0x5f52a01eacb5a121,0

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車

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  • 正門をぬけるとライトアップされた紅葉が迎えてくれた。

    正門をぬけるとライトアップされた紅葉が迎えてくれた。

  • 方丈より南庭を望む。<br />

    方丈より南庭を望む。

  • 北書院より北庭、桧垣の手水鉢側をを望む。<br />(こちら、実際には数日前の写真。<br />今旅行記は再訪のものです。紅葉はこの時、辛うじて残っていたもので、今旅行記のときには既に散っていました)

    北書院より北庭、桧垣の手水鉢側をを望む。
    (こちら、実際には数日前の写真。
    今旅行記は再訪のものです。紅葉はこの時、辛うじて残っていたもので、今旅行記のときには既に散っていました)

  • 同じく北書院より国名勝指定の北庭を。<br /><br />もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもの。<br />桃山時代の代表的庭園のひとつ。<br />賢庭作で,後に小堀遠州が手を加えた。<br />池泉回遊式庭園であるが枯山水となっている。<br /><br />このように多数の巨岩巨石がふんだんに置かれている庭園は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。<br /><br />(拝観用パンフレットより抜粋)

    同じく北書院より国名勝指定の北庭を。

    もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもの。
    桃山時代の代表的庭園のひとつ。
    賢庭作で,後に小堀遠州が手を加えた。
    池泉回遊式庭園であるが枯山水となっている。

    このように多数の巨岩巨石がふんだんに置かれている庭園は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。

    (拝観用パンフレットより抜粋)

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