2009/12/06 - 2009/12/06
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akkiy363672さん
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京都の紅葉ももう終わりかと思っていたのですが、ネットで見ると嵐山の紅葉が残っているとの情報が載っていました。
12月初めの日曜日、往く秋の余韻を求めて、嵐山から嵯峨野を歩いてきました。
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
-
午前6時、自宅を出発。 津ICから伊勢自動車道に乗り、亀山JCTで新名神へ…。
6時25分、滋賀県との県境である土山トンネルを抜けました。
まだ,夜は明けていません。 -
6時30分、土山SAで朝食をとりました。
ようやく空が白んできましたが、この早朝にもかかわらず、駐車場はいっぱいでした。
僕たちも、その中の一台ですが…(笑)。
6時55分、出発しました。
-
京都東ICで降りて、五条バイパスから四条大宮を経て、嵐山へ向いました。
← 東山一帯の山々も、きれいに色づいています。 -
7時35分、嵐山に着きました。
市営駐車場が開くのは8時。しばらく車の中で待っていたら、7時50分に開場してくれて、駐車することができました。
貸自転車を借りて(一日800円)、嵐山・嵯峨野探訪に出発です。 -
桂川に水鳥が羽を休めていました。
後ろの嵐山は、美しく色づいています。 -
竹林を抜けて野宮神社へ参拝し、JR山陰線を渡って、常寂光寺を訪ねました。
受付のおばさんが、「もう、紅葉はありませんが…」と申し訳なさそうに言ってくれました。
境内の木々はすっかり葉を落とし、地面には紅い絨毯が敷かれたようでした。 -
境内の高台からは、東山までが一望されます。
色づいた木の向こう、ひときわ高い山が比叡山です。 -
常寂光寺の前…。道をおおう紅葉が見事です。
-
京野菜の畑の向こうに、「落柿舎」が見えています。
庭の柿の木は、その実をほとんど落としていました。 -
次に訪れた「二尊院」では、秘仏の大日如来像がご開帳されていました。
とてもふくよかで、愛らしいお顔をされている、御仏でした。 -
納経所の前の庭は、盛りを過ぎているとはいえ、やはり見事な色合いです。
-
さらに自転車を駆って5分、壇林寺の前の坂道をあえぎながら登って、「祇王寺」に着きました。
← 垣根の上にも、塀の上にも、散り落ちた落葉が積もっていました。
-
庭園内の多くの木は葉を落としていました。
左下に、白い猫がいるのがわかりますか。観光客に大人気で、ほとんどの人がカメラを向けていました。 -
祇王寺のマスコットの猫ちゃんです。
観光客のおばちゃんは、「たまちゃん」とか、「みーちゃん」とか、定番の名前を呼んで、「こっち向いて」と呼びかけていました。
ホントの名前はわかりませんが、おそらく「祇王ちゃん」というのだと思います。 -
祇王寺は、もと往生院といい、法然上人の門弟良鎮によって創められたと伝えられています。
明治の頃には、一時、廃寺となりましたが、山岡て鉄舟などの尽力で再興されました。
ささやかな尼寺として現在に至り、平家物語に伝えられる祇王ゆかりの寺として、後に祇王寺と呼ばれるようになりました。 -
「祇王寺」を出たあと、北嵯峨野の畑地のなかを橋って、「直指庵」を目指しました。
← 途中、一面に花をつけたコスモス畑がありました。
大覚寺の西北部一帯は、田畑が広がるのどかな風景が広がります。
北へ進むにつれて、道は廻りくねった緩やかな登りとなり、家々の間を縫っていく道が竹林の中に入ると、茅葺き屋根の直指庵の山門が見えます。 -
「直指庵」の前庭です。
直指庵は、南禅寺で臨斉禅を学んでいた独照性円(どくしょうしょうえん)が正保3年(1646)に営んだ草庵「没蹤(ぼつしょう)庵」が起源です。
その後、独照が明(中国)の日本黄檗宗の禅開僧・隠元(いんげん)禅師をこの地に招請し、教えを受けてから帰依者も増え、次々と伽藍が建ちならび大寺院となりました。
黄檗宗の正統を「直指人心」するという意味から直指庵と称され寺名を定めなかったといいます。
-
本堂へと登っていく道です。
江戸時代中期、寺は荒廃していました。それを、幕末の頃、尊王攘夷(じょうい)派の公家近衛家に仕えていた村岡局(津崎矩子・つざきのりこ)が再建して、浄土宗の庵寺となりました。
村岡局は、NHK大河ドラマ「篤姫」で、星由里子が演じていた女性です。
村岡局は、晩年をこの寺で過ごしました。
なお、諸堂は明治13(1880)年に焼失…。現在の堂宇は、その後、有志によって再建されたものです。 -
修験道場の前庭です。
この道場内の棚には何十年にも渡る訪問者の思いを綴った、「思い出草」と表題されたノートが保管されていました。
積もり積もったノートは、5000冊になるといいます。 -
修験道場の入り口です。
「想い出草」は、本堂内に書き込み用のノートが置かれています。
今日の心境を綴って、何年か…何十年か後に訪れたとき、読み返してみるというのも、なかなかに良いものかもしれません。
道場の右奥の山には「想い出観音像」もあります。 -
本堂の縁台から見下ろした、前庭です。
京都の寺にしては珍しく、人の手をほとんど加えていない庭だということです。 -
『 契りおきし させもが露を 命にて
あはれ今年の 秋もいぬめり 』
( 藤原基俊 小倉百人一首より)
意味 … お約束が果たされぬままに、今年の
秋もむなしくすぎていくようです。
約束の何たるかは世俗的なことなのですが、むなしく過ぎ行く秋の哀れを感じざる歌です。
散り残った、この紅葉のように…。 -
風に舞う散りモミジの風情もまた格別です。
-
山門横から、本堂を振り返りました。
直指庵に別れを告げ、嵐山「渡月橋」へと戻ります。
帰りは下りですから、自転車は楽チンです。 -
渡月橋へ戻る途中、嵯峨釈迦堂「清涼寺」に寄りました。
ご本尊の釈迦像は、中国・宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した然(ちょうねん、938−1016)という東大寺出身の僧がいた持ち帰ったもの。 -
その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれています。
釈迦の在世中に造った釈迦像ですから、実物をそのまま表現しているのではないでしょうか…。
← 本堂裏手の「方丈庭園」です。小堀遠州の作と伝えられています。 -
← 仁王門と法然上人24才のときの像
道を求める法然上人のお姿です。 -
清涼寺の隣、「宝筐院(ほうきょういん)」をのぞいてみました。
毎年の秋、園内は燃えるような紅葉でいっぱいになります。 -
宝筐院は、京都嵯峨野にある臨済宗の寺院です。
創建は古く、平安時代に白河天皇(1053〜1129)の勅願寺として建てられました。
勅願寺とは、勅願によって鎮護国家・玉体安穏のために建立された寺のことをいい、東大寺・大安寺・薬師寺などがこれに当たります。 -
貞治五年(1367)、中興開山である黙庵禅師に師事し、伽藍の整備に尽力した足利義詮が没する(38歳)と、善入寺はその菩提寺となりました。
そして、八代将軍義政の代になって義詮の院号の宝筐院にちなみ、寺名が宝筐院と改められました。 -
幕末から明治期にかけて荒廃し、一時は廃寺とされましたが、京都の有志によって再興が図られました。
伽藍は大正五年に完工し、古仏の木造十一面千手観世音菩薩立像を本尊に迎え、主な什物類も回収され、宝筐院の復興がなりました。
現在の宝筐院は、臨済宗の単立寺院です。 -
この寺の紅葉の見事さは、テレビや写真集などで紹介され、知られています。
僕も2006年の秋に訪れ、その美しさに目を見張ったものです。
そのときの様子は、http://homepage3.nifty.com/akira-i/monomiyusan/107%20kyoto2006-2.htm の中段に示しています。 -
渡月橋まで戻ってきました。
橋の上から、上流の風景を写しました。 -
嵐山「渡月亭」で、お昼を食べました。
湯豆腐御膳(3675円)は、湯豆腐のほか2箱5皿の惣菜とデザートがついている、とてもお値打ちな御膳でした。 -
食事を終えたのが、午後2時30分。
3時、車に乗り込んで、「東福寺」へ向いました。
9月半ばに訪れたとき、境内のモミジの木の多さに、紅葉の頃に再訪しようと決めていたのです。
← 東福寺の外周道路にかかる「臥雲橋」です。
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「臥雲橋」から見た、東福寺「通天橋」です。
上のほう、枝先は葉を落としていましたが、下のほうはまだまだ紅葉が楽しめました。 -
足元の木々も、まだ色づいた葉を残していました。
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「通天橋」を渡りました。
← 橋の途中から
紅葉の上に、東司の屋根が霞んでいます。 -
← 通天橋の途中から
紅葉の向こうに、方丈の大屋根が見えています。 -
← 通天橋の途中
鮮やかな紅葉が残っていました。 -
庭のモミジは、多くが葉を落としていて、足元は紅い絨毯を敷いたような美しさでした。
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折からの西日を受けて、散り残った紅葉が輝いていました。
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さすがはモミジの東福寺…!
見とれるばかりです。 -
時刻はすでに4時25分…。
残照に照らされる、境内の紅葉です。
「午後4時30分に、庭園が閉鎖されます」と係員が呼んでいます。 -
日本最大最古の三門(国宝)。
夕日に照り映えていました。 -
帰り道、「臥雲橋」から振り返った「通天橋」。
今年の紅葉の見納めでしょうか。 -
午後6時30分、五条バイパスの車の波です。
昼間の嵐山や東福寺の人出を見て、覚悟していたことですが、帰り道はやはり渋滞しました。
京都市内もこの通りでしたが、新名神も亀山から北へ四日市までの15kmが渋滞…。
でも、僕たちは亀山JCTから南下して、津へ向かいますから、渋滞知らず…。
午後8時には、津の中華料理店に座っていました。
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