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11月21日の午後7時広島を出発し名塩サービスエリアで仮眠休憩をして、早朝5時に出発し、東福寺に到着したのが7時前、開門が8;30なので、急遽下賀茂神社を参拝して東福寺へ行ったのですが、<br />1時間前にも関わらず、もうすでに長蛇の列!<br /><br /><寺巡り><br />下賀茂神社〜東福寺(方丈園)〜即宗院〜龍吟庵〜妙心寺〜化野念仏寺〜鳥居本〜広隆寺〜大覚寺<br /><br />東福寺<br />http://www.kadode.com/toufukuji.htm

錦繍の古都・寺巡り!<下賀茂神社・東福寺>

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2009/11/21 - 2009/11/23

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風遊

風遊さん

11月21日の午後7時広島を出発し名塩サービスエリアで仮眠休憩をして、早朝5時に出発し、東福寺に到着したのが7時前、開門が8;30なので、急遽下賀茂神社を参拝して東福寺へ行ったのですが、
1時間前にも関わらず、もうすでに長蛇の列!

<寺巡り>
下賀茂神社〜東福寺(方丈園)〜即宗院〜龍吟庵〜妙心寺〜化野念仏寺〜鳥居本〜広隆寺〜大覚寺

東福寺
http://www.kadode.com/toufukuji.htm

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  • 下賀茂神社<br />http://www7a.biglobe.ne.jp/~giver39/simogamo.html

    下賀茂神社
    http://www7a.biglobe.ne.jp/~giver39/simogamo.html

  • 境内略図

    境内略図

  • 参道は鬱蒼とした樹木!<br />紅葉はあまり見かけられません。<br />早朝のせいか、人影はありません。<br />落ち葉を踏みしめ社殿へ!

    参道は鬱蒼とした樹木!
    紅葉はあまり見かけられません。
    早朝のせいか、人影はありません。
    落ち葉を踏みしめ社殿へ!

  • 京都市左京区下鴨泉川町59番地<br />  <br />御祭神 玉依姫命 (たまよりひめのみこと)      東殿 <br />加茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) 西殿 <br /><br />史跡 賀茂御祖神社境内(かもみおや)<br />              (昭和五十八年三月二十九日指定)<br />賀茂御祖神社(通称 下鴨神社)は、「山城国風土記」逸文に祭神の賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、玉依姫命の神話伝承が、そして「続日本紀」に賀茂祭のこと、さらに「社記』には崇神天皇時代の記録などが記されているように、古くからの大社であった。また、玉依姫命の御子神は、賀茂別雷神社(通称 上賀茂神社)に祀られている。<br />境内の糺の森(ただすのもり)は、鴨川と高野川の合流する三角州に山背盆地の植生を残す貴重な森林でその美しさは、古くから物語や詩歌にうたわれてきた。<br />社殿の造営は、「社記」に天武天皇六年(六七七)のこととされ、長元九年(一○三六)には、二十一年ごとの式年遷宮が定められた。現在の社殿は、江戸時代の造営で、両本殿が国宝、他の社殿五十三棟は重要文化財である。<br />平安遷都以降は、皇城鎮護の神、賀茂皇大神宮と称され、全国に六十以上の荘園を持ち、山城国の一の宮、全国賀茂神社一三○○社の総本社として広く崇拝されてきた。弘仁元年(八一○)には、賀茂齋院の制が定められ、皇女を斎王として三十五代約四○○年間賀茂社の神事に仕えさせられた。齋院御所は、この糺の森の北西に、常の御所は、紫野大宮に設けられていた。<br />また、桓武天皇が延暦十三年(七九四)平安遷都祈願の行幸をされて以来、歴代天皇、上皇、関白などの賀茂詣でも盛んであった。<br />さらに、毎年五月十五日に賀茂祭(葵祭)が行われ、この祭は、「源氏物語」をはじめ王朝の文学、詩歌にその華やかな行列の様子が描かれ、単に祭と言えばこの葵祭を指すほどの盛儀で、その起元は、欽明天皇五年(五四五)にさかのぼる。また、御影祭、騎射(流鏑馬)、蹴鞠、歌舞など千数百年伝承されている神事も多い。<br />このたびこのような賀茂御祖神社の歴史的意義を重視し、境内全域を国の史跡に指定して保存することになった。(資料参照)<br />

    京都市左京区下鴨泉川町59番地
     
    御祭神 玉依姫命 (たまよりひめのみこと)      東殿
    加茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) 西殿

    史跡 賀茂御祖神社境内(かもみおや)
    (昭和五十八年三月二十九日指定)
    賀茂御祖神社(通称 下鴨神社)は、「山城国風土記」逸文に祭神の賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、玉依姫命の神話伝承が、そして「続日本紀」に賀茂祭のこと、さらに「社記』には崇神天皇時代の記録などが記されているように、古くからの大社であった。また、玉依姫命の御子神は、賀茂別雷神社(通称 上賀茂神社)に祀られている。
    境内の糺の森(ただすのもり)は、鴨川と高野川の合流する三角州に山背盆地の植生を残す貴重な森林でその美しさは、古くから物語や詩歌にうたわれてきた。
    社殿の造営は、「社記」に天武天皇六年(六七七)のこととされ、長元九年(一○三六)には、二十一年ごとの式年遷宮が定められた。現在の社殿は、江戸時代の造営で、両本殿が国宝、他の社殿五十三棟は重要文化財である。
    平安遷都以降は、皇城鎮護の神、賀茂皇大神宮と称され、全国に六十以上の荘園を持ち、山城国の一の宮、全国賀茂神社一三○○社の総本社として広く崇拝されてきた。弘仁元年(八一○)には、賀茂齋院の制が定められ、皇女を斎王として三十五代約四○○年間賀茂社の神事に仕えさせられた。齋院御所は、この糺の森の北西に、常の御所は、紫野大宮に設けられていた。
    また、桓武天皇が延暦十三年(七九四)平安遷都祈願の行幸をされて以来、歴代天皇、上皇、関白などの賀茂詣でも盛んであった。
    さらに、毎年五月十五日に賀茂祭(葵祭)が行われ、この祭は、「源氏物語」をはじめ王朝の文学、詩歌にその華やかな行列の様子が描かれ、単に祭と言えばこの葵祭を指すほどの盛儀で、その起元は、欽明天皇五年(五四五)にさかのぼる。また、御影祭、騎射(流鏑馬)、蹴鞠、歌舞など千数百年伝承されている神事も多い。
    このたびこのような賀茂御祖神社の歴史的意義を重視し、境内全域を国の史跡に指定して保存することになった。(資料参照)

  • さざれ石

    さざれ石

  • 舞殿(重要文化財)

    舞殿(重要文化財)

  • 朝日がさしてきました。<br /><br />今日の京都の天気は昼から雨模様!<br />一日もってくれればいいのに!

    朝日がさしてきました。

    今日の京都の天気は昼から雨模様!
    一日もってくれればいいのに!

  • これから東福寺に向かいます。

    これから東福寺に向かいます。

  • 東福寺駅近くの駐車場に入れ、東福寺へ向かう途中の<br />お寺。

    東福寺駅近くの駐車場に入れ、東福寺へ向かう途中の
    お寺。

  • 東福寺開門を1時間前にして長蛇の列!

    東福寺開門を1時間前にして長蛇の列!

  • 寒桜が寒そうに咲いていました。

    寒桜が寒そうに咲いていました。

  • 紅葉のモミジに埋もれる通天橋<br />

    紅葉のモミジに埋もれる通天橋

  • 東福寺<br />http://www.tofukuji.jp/home.html<br /><br />東福寺は京都市東山区の東南端、伏見区と境を接するあたりにある。この地には延長2年(924年)に藤原忠平によって建てられた藤原氏の氏寺・

    東福寺
    http://www.tofukuji.jp/home.html

    東福寺は京都市東山区の東南端、伏見区と境を接するあたりにある。この地には延長2年(924年)に藤原忠平によって建てられた藤原氏の氏寺・

  • 8:30開門風景<br /><br />東福寺(とうふくじ)は、京都市東山区本町にある臨済宗東福寺派大本山の寺院。山号を慧日山(えにちさん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は、九条道家、開山(初代住職)は聖一国師円爾(しょういちこくしえんに)である。京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えた。明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(たっちゅう、山内寺院)を有する大寺院である。(資料参照)

    8:30開門風景

    東福寺(とうふくじ)は、京都市東山区本町にある臨済宗東福寺派大本山の寺院。山号を慧日山(えにちさん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は、九条道家、開山(初代住職)は聖一国師円爾(しょういちこくしえんに)である。京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えた。明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(たっちゅう、山内寺院)を有する大寺院である。(資料参照)

  • 禅堂<br />貞和3年(1347年)に再建された豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂である。

    禅堂
    貞和3年(1347年)に再建された豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂である。

  • 東福寺の名前の由来!<br /><br />奈良の東大寺、興福寺の一字を頂き、両寺のように栄えるように付けられた名前だそうです。

    東福寺の名前の由来!

    奈良の東大寺、興福寺の一字を頂き、両寺のように栄えるように付けられた名前だそうです。

  • 三門(国宝)<br /> <br />応永32年(1425年)の再建で、現存する禅寺の三門としては日本最古のものである。上層には釈迦如来と十六羅漢を安置する。五間三戸二重門である。「五間三戸」とは正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味、「二重門」は2階建ての門だが、「楼門」と違い、1階と2階の境目にも軒の出を作るものを言う。(資料参照)

    三門(国宝)

    応永32年(1425年)の再建で、現存する禅寺の三門としては日本最古のものである。上層には釈迦如来と十六羅漢を安置する。五間三戸二重門である。「五間三戸」とは正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味、「二重門」は2階建ての門だが、「楼門」と違い、1階と2階の境目にも軒の出を作るものを言う。(資料参照)

  • 通潤橋待ちの人の多さに、私は仲間と離れ一人方丈へ行きました。<br /><br />2007”⑨月東福寺の旅行記で通潤橋・<br />http://4travel.jp/traveler/abc619/album/10220549/

    通潤橋待ちの人の多さに、私は仲間と離れ一人方丈へ行きました。

    2007”⑨月東福寺の旅行記で通潤橋・
    http://4travel.jp/traveler/abc619/album/10220549/

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 野宿さん 2009/11/26 21:45:57
    京都
    私も去年の大みそか知恩院の除夜の鐘を家族4人で行き、元日は上賀茂神社に行きました。
    2月の平日には東福寺も夫婦で行きました。

    写真をかなり撮って旅行記UPしようと思ってたのですが、時間が無くてUPしてません。上賀茂神社では干支毎の小さい社、東福寺は通天橋が一番印象に残ってます。

    キャンプ旅行記 潮岬編 聖湖編 準備してるのですがUPする暇がないのでどうなる事やら・・・

    風遊

    風遊さん からの返信 2009/11/27 08:18:56
    RE: 京都
    > 私も去年の大みそか知恩院の除夜の鐘を家族4人で行き、元日は上賀茂神社に行きました。
    > 2月の平日には東福寺も夫婦で行きました。
    >
    > 写真をかなり撮って旅行記UPしようと思ってたのですが、時間が無くてUPしてません。上賀茂神社では干支毎の小さい社、東福寺は通天橋が一番印象に残ってます。
    >
    > キャンプ旅行記 潮岬編 聖湖編 準備してるのですがUPする暇がないのでどうなる事やら・・・

    >おはようございます

    >お仕事お忙しそうで何よりです。

    >最近は「ミドリイ」さんもあまり来ません。

    >野宿・ミドリイさんも4トラと疎遠のようですね!

    >私は、仕事も暇で4トラが生きがいのようです。

    >京都のブログ待ってます。

    >風遊

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