2009/10/20 - 2009/10/27
163位(同エリア199件中)
明石DSさん
5:26:32
5時のモーニングコールの前に起きて準備完了
456号室の窓の外
///////////////////////////////////////////////////
2009.平成21年10月27日(火)
■サラバ哈爾濱、サラバ満洲
モーニングコールがなるよりとっくに先に眼が覚め、まだまだ真っ暗な外だが一応の準備をして5時の電話を切り、まだ迎えの6時には、30分くらいあったが散歩をしようと退房する。
リュックを担ぎホテルを出たら、朝早くから道路掃除の人が仕事をしていた。そして、朝の冷やりした冷気に頭もスッキリ、西大直街の方に向かい適当に歩いた。そして5時50分くらいにホテルに戻って来たが、“楊○○”はまだ来ていない。
もう一度ホテルに入り、一階ロビーのソファーに坐ってドア越しに、外を見ながら待った。ちょうど定刻6時ころ彼女はやって来た。昨日ホンノ短い間の出会いであり、運転手は左座席、私は右座席で横顔しかあまり見ていないし、瞬間的に互いに躊躇があったがすぐに互いに分かった。
そして、互いに約束を守った人と人の何とも言えない喜びがそこにある。これも旅の醍醐味の一つだ。 “楊○○”は、あまり話がはずまないタイプの女性だったが、こちらが話しかければ誠意を持って答えてくれる。一見すればお高く澄ました感じだが、趣味なく暇なく休みなく運転手稼業に明け暮れているようだった。
年齢は聞かなかったが30代後半から40代のはじめくらいだと思う。中学校の一人娘と主人の三人家族、朝から晩まで仕事をしているのだが、主人が食事などを作っているようだ。主人の方が上手で自分が作るより全然美味しいと言っていた。海を見たことなく、黒龍江省から外には行ったことのない“楊○○”。
空港へは高速代が10元掛かる。その費用を請求してくる運転手もいる。5月の時は高速代込みで¥140元だった。今回は¥120元、 “楊○○”が良心的なのか前回がぼったくられたのか?分からないが、¥150元をわたし、互いに満面の笑みで別れた。一期一会の旅の一つである。
-
5:37:50
退房し早朝の散歩
右の建物は国際飯店
http://www.youtube.com/watch?v=1E5Yu8A8aiI&feature=player_embedded -
5:45:46
散歩から戻り6時に迎えのタクシーを待つ
誰もいない華僑飯店のフロント -
6:27:46
空港へ向う朝
後ろを振り返り日の出を撮影す -
6:37:30
これから搭乗するまで
あっちこっちと振り回され
中国のお粗末さを再度認識さされる嵌めに
最初の内は面白くもありながら
ホンマ疲れた
/////////////////////////////////////////
■うんざりの瀋陽経由
哈爾濱→関空:中国南方航空 CZ695便の直行便が客が少ないらしく、旅の途中で変更になり瀋陽経由で関空(着)が1時間遅れることが分かっていた。
CZ695便→CZ631便への変更は事前に分かっていたから仕方がないと諦めて空港にいった。だが、空港では大混乱で8時10分(発)で30分前の7:40分の搭乗時間になっても大阪行きの客は、搭乗口に行けず不手際な空港職員に苛立つばかりだった。
来る時と同じで、総勢30名ほど、そのほとんどが中国人であり、日本人と結婚し里帰りしていた母娘や、親か祖父母が残留孤児の子供のような人もいた。
62歳の中国人男性は両親のどっちかが残留孤児で家族で日本に行って十年以上経つと言っていた。今回久しぶりに里帰りし一ヶ月余りをこっちで過ごしていたそうだ。日本では仕事もなく日本語も未だ片言に近い。国籍も中国のままだが永住権を持っていた。パスポートの記載を見せてくれた。仕事なく日本語も出来ず、どうやって日本で生活しているのだろう?
日本人男性と結婚し2歳の男の子を連れた母親は、2歳の子供は日本語しか話さないと言っていたが、搭乗に手間取っている時、係員にペットボトルを要求し、みんなの前で子供にそれに小便をさせていた。こういう光景を目の当たりにすると気分はうかない。
残留日本人孤児の物語もそのほとんどが中国人の美談として伝えられているが、私はそうとばかりとは思っていない。今でも子供の誘拐、いや嫁不足の村では大人の女性でも誘拐してくる国だ。10年前くらいには、中国のインターネット上で子供の値段と売買のことが公然と掲示板のようなものに書き込まれていた。
そして、小学校の下校時の校門を見れば、子供の誘拐に関しての親の心配が良く分かる。そりゃあ一人っ子政策になってから余計顕著になったのかも知れないが、何でも売買の対象になり、それは人間にも当て嵌まる。引揚げ時の日本人の子供を、善意で育てたケースが無いとは言わない。
そして、それを中国人が言うなら、それも仕方がない。しかし、中国は被害者で満洲で日本人のしたことは全てが“悪”のような言い方をする引揚げ日本人は同じ同胞として軽蔑しかない。因果応報、やがて歴史が正当に裁き子孫が片身の狭い思いをすることだろう。そうでなければ世の中あまりに不公平だ。
混乱の顛末の末に無事、関空へ
大阪行きの一団を、あっちに行ってくれ、こっちに行ってくれと振り回し、右往左往する空港職員を見ているとバカバカしくなって来る。その中に十数年前から中国と商売をし、行き来をしている中年の男性が事情を解説してくれた。
『こんなことはしょっちゅうですよ。中国の航空会社は一応民間企業として株式の上場もしていますが、首脳部は全部天下りで、都合の悪い事は隠蔽し、形だけ繕っているからこんなことになるんです。
今回のことも、関空⇔ハルピン直行便に客が少ないから、瀋陽経由に変更したのですが、肝心の現場サイドには徹底していなからこんなことになるんです。おまけに外部に宣伝していないし、だから瀋陽からも客がいない。余計経費が掛かってマイナスです。それでも形として努力している風を装えば良しとし、誰も結果において責任は取りません。』
すったもんだでハルピンを離陸し、瀋陽で一旦飛行機を降り、そこで出国手続きをして別の飛行機で関空へと思っていたら、待っていたのはさっき降りた同じ飛行機だった。なるほどそれで座席は同じだったのか・・と、納得。客はそのまま同じ数、客室乗務員も同じ、これが中国なのだ。
結局、瀋陽で誰も乗って来なかったと思う。乗って来ていたとしても数人だろう。段取りの悪さ現場での客への対応の悪さ、つくづく疲れた。
関空には結局、2時間遅れの午後2時前に到着。ホッとする。 -
8:08:06
やっと搭乗した
乗客30名ほど
ガラガラ故に瀋陽経由になったはずが・・・ -
8:16:54
離陸時間を過ぎ、翼を洗う
今頃何すんねん、ええ加減にせえよ -
8:40:58
8時10分(発)が30分遅れで離陸
瀋陽に向う、サラバ哈爾濱又来るまでは -
8:54:40
瀋陽までの機内サービス
ホットドックと水 -
9:23:00
雲海 -
9:50:52
初めての瀋陽空港 -
9:53:00
乗り換えようの切符をもらい
またあっちにこっちに
瀋陽で出国手続きをする -
9:57:50
最早惰性で付いていくのみ
何処に行くのかも分からず -
10:49:34
瀋陽空港をやっと離陸
笑ってしまったが
同じ飛行機・同じスタッフ
増えもせず同じ数の乗客、瀋陽からの乗客の姿確認出来ず -
11:12:48
鶏か魚か?と聞かれ
鶏にする -
13:08:42
ガラガラ也
燃料の無駄遣いの為の
瀋陽経由となる -
13:29:06
中国南方航空
ここにあり -
13:50:38
関空連絡橋見ゆ
無事故国日本に戻る -
14:10:50
ちょうど三ノ宮行きリムジンバスが停まっていた
ラッキーなり -
15:17:52
三ノ宮に戻る
////////////////////////////////////////
■我が家に
リムジンに乗り、三ノ宮(着)は3時20分頃、そして新快速で西明石(着)は3時42分、一度も日本料理を食べなかったので駅で立ち食い“きつねうどん”を食べて帰宅する。
いつも元気で帰国するが、帰国後に体調がおかしくなる。旅行記を必死に書こうとして、パソコンにかじりつき運動不足になって調子が狂う。それが帰国後のいつものパターンだ。
でも、いつもそうだし、今回もそうなっている。これも趣味の内だから仕方がない。無事に帰国できた事を神棚と仏壇の前に坐って報告した。いつも見えざる何かに助けてもらっていることを強く感じている。見えざる何かとは、ご先祖様であり、英霊の方々であり、今は亡き私たちを見守ってくれている先人の方々だ。
後に続く者として謝罪と感謝の気持ちしかない。 -
15:42:18
西明石に到着
“立ち食いうどん屋”で“きつねうどん”を食う -
15:50:06
住めば都の西明石
この地に暮らして、早や30年になるのか・・・。 -
15:53:34
マックスバリューに戻って来た
無事帰国
//////////////////////////////////////////
旅を終え
私は、超我まま人間で、誰かや何かに束縛されるのは嫌だ。だから一人旅を好むというより、それしか出来ない。自営業も一人でやっている。そんな私には、今まで心の何処かに一人で十分だという傲慢さがあった。
でも今回の旅で、思い知らされた事がある。
それは、旅の最終に差し掛かった帰国前日の26日、朝から人との係わりで連続して嫌な思いをした。それでハタと気付いた。25日まで楽しかったのは?充実し、有意義な旅を感じていたのは何故なのか?
それは、思い通りの遺跡探訪が実現出来たからなのか?思っていた場所ばかりではなく、予期せぬ場所にも行けたからなのか?
確かにそんな一面もないとは言えない。しかし、それ以上に、そこを巡った際に係わった人たちとの関係が楽しかったからだ。ようするに一期一会ではあるが、出会った人たちが良かったから、旅の楽しさ、充実感を得る事が出来た。
幾ら同じ場所を訪ねても、人との係わりのなかで嫌な思いをしていたら、感動も半減どころか嫌な思いしか残らなかった可能性すらある。
そうか、人生でも何でも同じなのだろう。大金持ちになろうが、何になろうが、どんな結果を残そうが、そのこと自体にどれほどの価値があろうか?そのことにどれほどの感動や喜びを得られようか?
感動とか充実感とか、人として楽しいとか、幸福だとかを感じるか否かは、その全てに関係する人間関係が大きな比重を占める。それを強く感じた旅だった。何か又一つ「目から鱗が落ちた」思いがする。
良き人との係わりの中で、その人の人生の豊かさは大きく左右される。
貧しくとも、地位も名誉もなくとも、自分を理解し認めてくれたり、或いは必要とされたり、ようは良き人と数多く接することが出来れば、楽しい日々もそれだけ多くなり人生はより豊かで幸福を感じる。
ならば人と人の良き係わりを持つためにはどうすれば良いのか?
そりゃあ自分が、より良き人に成れば良い。それしかない。自分が嫌な人間なら、そんな人間に係わる人は誰だって気分は良くないはずだ。
私が旅先で一期一会で出会った人が、みんな良い人ばかりだと思えたのは、逆に言えば、自慢ではないが自分もそれなりに相手から見れば良き人だったからだ。ムムム自慢かも・・・。
ならば更に人生を豊かにするには「良き人」をあてにするのは厚かましいというもので、「自分を磨く」しかない。やっぱし。
今回の旅でそんなことを感じる事が出来た。
60歳を目前にした私のそれが、この旅一番の成果だったと思っている。
最後に
先の戦争を否定し先人を悪く言う日本人を私は誰であろうが軽蔑する。先人が成した戦争は子孫にとって「宝」であり、子孫がそれを賛美せずして何を賛美する。
それくらい戦争に突き進む当事者は、「自己犠牲」「勇気・気概・志」等々の確固たる精神力を必要とし、普通の人間、並みの国家に出来ることではない。
普通の人間、普通の国家は、誤魔化し、我慢し、妥協し、強い者に巻かれ、或いは強い者に寄り添いゴマをすりながら我が身の安全を図る。
それでも構わない。それが普通だからだ。
しかし、その普通を殊更美化し、それこそが立派な人間、立派な国家と称し、敗れたとは言え艱難辛苦を恐れず戦った先人の行為を否定し辱める今の日本人の卑怯さには反吐が出る。
これからも、機会あれば一つでも多くの戦場を訪ね、先人の方々の戦死の様を知りたい。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
明石DSさんの関連旅行記
中国 の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
22