2009/07/04 - 2009/07/13
240位(同エリア882件中)
アルデバランさん
- アルデバランさんTOP
- 旅行記551冊
- クチコミ8件
- Q&A回答7件
- 998,289アクセス
- フォロワー69人
<聞きしに勝るメスキータの柱、柱、柱>
紛れもなく、スペインにおけるイスラムを代表する象徴を上げるとすれば時代を遡る順に
グラナダのナスル朝のアルハンブラ、セビリアのムラビト朝のヒラルダの塔、そしてコルドバは後ウマイア朝のメスキータであろう。
ちょうど、この順に見ることになって最後はメスキータだ。
物の本とかテレビで見るのとその場に立つのはやはり違う。
訪れたタイミングがよかったのか、それとも日頃の行ないが良いのか、
メスキータのヒンヤリとした内部は静寂に包まれ、1000年の昔にタイムスリップしてきました。
自分をその空間に置くことがいかに大切であるか身にしみた貴重な1時間半をタダで味わえました。
-
6日目の朝6時。
恒例により1時間ほど散歩の為の自由時間をもらったのでグアダルキビル川に行ってみることにした。
出発前のユースホステルの部屋。
非常に簡素ながらツインの部屋でバス・トイレ付だ。
テレビも何もないけど… -
ユースホステルの見取り図
真ん中が先ほどの大きな庭で部屋は右側の建物だ。
中庭の周りに部屋が配置され各部屋からは中庭が眺められる。
廊下を通ると面倒なので矢印のように庭を横ぎって、2日間行き来した。 -
ついでながらコルドバのユースホステルの内部を若干紹介。
一見、学校の中か役所の中のような廊下… -
フロント入口から部屋までは迷路のような廊下を通るより、中庭を横切ったほうが分かりやすい…
-
その中庭の一角には屋外ステージのような所もありました。
いずれにしても宿泊客はあまり居ない。 -
社員食堂のような食堂。
-
さあ散歩に出発しよう!
時間は1時間あるのでグアダルキビル川に行く前に、中世の面影を色濃く残す旧市街を
ちょっとだけ歩くことに… -
メスキータの周りをウロウロしてみたが、結構安宿のオスタルの看板を見かける…
まだ7時10分で静かなオシオ通り。 -
旧市街の路地はオスタルだが、メスキータ沿いの一等地は地の利でホテルが連なる。
窓を開けるとメスキータなんていいねェ… -
道案内もアスレホで洒落ています。
-
朝のこの雰囲気がいいんだよね…
-
ローマ橋たもとの名前もそのまま、プエンテ門(The bridge gateway)に出た。
イスラム時代の城壁の門を1571年にフェリペ2世の命で、
建築一家のエルナン・ルイス家、孫ルイスによってルネサンス様式に改修された。
1571年といえばあのセルバンテスも参加したドン・ファン・デ・アウストリア将軍のレパントの戦いだよね。 -
反対側というか正面はこちらだろう…
ご心配なく、前の二人は別に喧嘩してるわけではありません。
知り合いらしく抱き合った後です… -
プエンテ門のすぐ横にあるトリウンフォ・デ・サン・ラファエルの塔。
土台部分のバロック様式はローマのナボナ広場の噴水をまねたというが… -
それでは、グアダルキビル川にかかるローマ橋を渡ってみましょう。
正面に見えるのはカラオラの塔
7時30分なのに誰もいない… -
流域を見ると、100キロほど下流のセビリアとは様子がだいぶ違っており、中州が沢山あるし流れも早い。
中州には水車小屋が見える。 -
左岸にあるサン・アントニオ水車小屋。
いまでも粉挽いてんのかな? -
対岸にやって来た。
正面はカラオラの塔
橋の袂に鎮座するカラオラの塔は塔というより、
あたかも、ローマ橋と市街の前に立ちはだかる関所か要塞のようだ。
ここを通過しないと橋を渡って市内には入れない。 -
今は内部は博物館になっているようだが…
周りは堀で囲まれている。
その昔、コルドバがキリスト教国に奪還された後、セビリアのペドロ残酷王とエンリケの兄弟争い時にコルドバはエンリケ側について、この塔を要塞化してペドロ残酷王に備えたという。 -
カラオラの塔とグアダルキビル川そして対岸にメスキータ。
-
グアダルキビル川対岸から見たメスキータ。
建物の真ん中の高層部分がモスク内を改修した大聖堂部分だ。
遠くから見てもモスクと大聖堂が混在してるのが分かる。
ローマ橋の橋脚部分は下流部分なんで丸くなってる。 -
上流はというと尖ってる。
コルドバは古くローマ時代からあった街。
この橋を渡って遥かローマに向かったんだ。
全ての道はローマに続いていたからね…
今の橋は新しそうだが。 -
ローマ橋のちょうど真ん中に立つ、コルドバの守護聖人大天使サン・ラファエル
日本にも八百万の神というのが有るけどカトリックもいろいろ居るんですなあ… -
又メスキータのところまで戻ってきた。
一見古い賃貸マンションのようなメスキータ南面ファサード -
エピスコバル宮殿(Palacio Episcopal)
このメスキータの横隣はイスラム時代にはカリフのアルカサルがあったが、15世紀には司教館、参事会。
いまは美術館になっているようだ。 -
メスキータの数ある門で西側にある門の一つ。
アル・ハカム2世が拡張した部分の扉口
正方形とその中の様々なアーチ…
イスラム装飾の原点。 -
その横の門をもう1つ紹介すると…
-
hospital de san sebastian
サン・セバスティアン病院の入口にビジターセンターがある。
昨日、メディナ・アサーラ行きのチケット売り場を聞いた所だ。
ゴシック様式の立派なファサードはエルナン・ルイス親父の設計だ。 -
hospital de san sebastian
内部のパティオ。
サン・セバスティアン病院は今は国際会議場とかになってる。
幕張メッセとか東京国際フォーラムみたいなもんだね… -
宿に戻って、食堂で朝食です。
ユースホステルなんで朝食はこんなもんですが沢山食べました。
さあさ、メスキータ行きましょう! -
まずは北面のエレロ枢機卿通りから免罪の門(Puerta del Perdon)、
右側に鐘楼(ミナレット)を伴う、アブド・アッ・ラフマーン3世時代に設けられた門を入る。 -
免罪の門(Puerta del Perdon)の扉
-
敷地内に入るとオレンジの中庭(かつての禊の中庭だ。)
整然と植えられたオレンジに混じって棕櫚、糸杉なども見える。
右側に大きく開かれているのがメスキータ入口の門、シュロの門だ。 -
中庭から入ってきた方向の鐘楼を振返ると…
アブド・アッ・ラフマーン時代にモスク拡張に伴いこの場所に建てられたミナレットはキリスト教時代に鐘楼として作り変えられた。 -
したがって、ミナレットと言うより鐘楼という表現の方が適切であろう。
鐘楼の天辺の像はローマ橋にあった守護聖人サン・ラフェエルだ -
ムデハル様式のシュロの門は現在のメスキータの北面でも右側にあるが、
左側に拡張する前から真ん中のメインの入口としていたのだろう。
かつては中庭に対して全面的に開かれて、時間に遅刻した人は中庭でお祈りをした。
それをキリスト教時代に改修して壁でふさいだ。 -
メスキータに一歩踏み込んだ途端、薄暗がりの中に円柱の森が目に入ってくる…
ちょいとお!
柱の仕様が不揃いでっせ。 -
それもそのはず。
メスキータは何度も増改築を繰り返してるが、
シュロの門を入ってすぐのこの辺りは一番古い。
アブド・アッ・ラフマーン1世が785年に西ゴートの教会を買収して建てた最初の礼拝室の柱はリビルト品で彼方此方から大理石の柱を集めたらしい。
よく見ると長さもまちまち、台座もまちまちだ。
長すぎるのは深く埋めて、短いのは台座をおいて調節したのだ。
ギリシア式のすじの入ったのもある。おおらかだね -
二度の増築を経て更に拡張するには奥はグアダルキビル川、右側は当時アルカサルがあったので
10世紀末あの宰相アルマンスールは左側を全面的に拡張。ただし、ミフラーブはそのままにしたので左右対称でなくなった。
従って、従来部分だけで見ると開放していた北面の11間、11身廊でもメインのシュロの門の正面奥、中心線にミフラーブがある。
キブラも、厳密には15度もずれており、西ゴートの教会の基礎を利用した結果だろうが、ここにも後ウマイヤ朝の現実的な面が見受けられる。 -
この辺りが拡張した境だろうか、段差になってる。
当時はエキスパンション・ジョイントはなかったんだろうね… -
赤いレンガと白い石を交互に合わせてアーチを組む。しかも二重に。
イスラムの建築は梁の上の平天井を基本とするので、
ある程度高さを確保する為の工夫がこの二重アーチで、これでかさ上げというわけだ。 -
ミフラーブの前のアーチは特に素晴らしい!
焦点が定まらない、赤白の二重アーチの円柱の森も凄いがこの多弁アーチ…
言葉になりません。
アル・ハカム2世は有り余った財を投入してモスクをグアダルキビル川ぎりぎりまで拡張、ミフラーブの前にカリフとその家族専用の特別席のマスクラを作り、赤白の二重アーチでなく多弁アーチとモザイクでメスキータ内で最も密度の高い空間を作りだした。
「でも、イスラムの世界って平等主義でなかったんかい、ハカムの兄ちゃん…」
なに?柱の配置は同じで特別なことはしていない?
「でも、この区画は特別でっせ、証拠は上にあるで…」 -
上を見上げると!
星型リヴだ。
よく見ると正方形の上に八角形の立ち上がり。
その頂点から一つ置いた頂点にリヴがかかる。
結果的に正方形のリヴを45度ずらした組み合わせ。
別な見方では平行リヴの組み合わせで、真ん中の中空にクーポラを上げている。
この天蓋を支えるのが多弁アーチだ。
そして、外光も巧みに取り入れ二重アーチが連続する柱の森とは明らかに違う明るさを演出している。
世に数あるイスラムのアーチ・ネットの中で、最も古い例だ。
このリヴを後にフランス十字軍が見て帰り、ゴシックのリヴ・ヴォールトを生み出したという説もあるが真偽の程は… -
そして、正面のミフラーブ。
偶像崇拝を禁止するイスラムなので何の像もなく、キブラという象徴だけがある。
ただ鉄柵に囲まれたこの一角は、アル・ハカム2世によって特別な装飾が施されている。
アル・ハカム2世の時代は後ウマイヤ朝の最盛期だが、東ローマのビザンツ帝国もこの時代最盛期を迎えていた。
このミフラーブ装飾のため、ビザンツ帝国から多勢の職人と装飾用のモザイクガラス何十トンもが船で運びこまれたという。 -
アル・ハカムのミフラーブは単なる壁龕でなく、馬蹄形アーチの奥に八角形の小部屋がある珍しいものだ。
キブラの象徴のほかにこの小部屋において礼拝時にカリフの権威を演出したようだ。
礼拝の時、一般の人が早く来たからと言ってこの辺りをウロウロしたら、怒られたんだろう… -
メインドームの側面にもリヴを持つクーポラがありました。
これも星型リヴだが、同じ八角形の頂点から二つ置いた頂点にリヴがかかり八点星になる。
こちらは、京都の菓子職人が見て帰り、京菓子を生み出したとか…
まさにそんな感じの、なにやら貝とかモミジのような模様が施されてる。 -
アル・ハカム2世の拡張部分。ミフラブの方向を見る。
二重アーチの方向に梁が載り、装飾を施した天井がかかる。 -
奥の隅には資料コーナーもありました。
-
隅にあるトイレもオールタイルでちょっと落ち着きませんでした。
邪念を捨てて用を足すには豪華すぎます。
それとも、貧乏性なだけでしょうか… -
こう見ると柱の部分が意外と短いのがよく分かります。
その分赤白の二重アーチが空間のかなりの部分を占め視界を遮られしかも焦点が定まらない。
この空間をコーランを唱える音が響いていったのか。
ベートーベンの第九とかやったらどうなんだろ… -
向かって左側部分は宰相アルマンスールが拡張した部分で、色彩もちょっと異なる。
赤白の縞模様はレンガと石の組み合わせでなく塗装だそうだ。
そう聞くと急に格が下がったように思える… -
アルマンソールは宰相としてより将軍として名をはせキリスト教徒に一泡も、二泡も吹かせた。
強盗さながらサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の鐘を戦利品として強奪。
このメスキータの増築部分の天井に吊るして悦にいったというから、美的センスはイマイチだったんだね。 -
このアルマンソール増築部分は天井も曲面架構を上げてる…
-
そして、ここまで来るとリヴ・ヴォールト。
メスキータはウマイヤ朝の忘れ形見にして後ウマイヤ朝の創始者、アブド・アッ・ラフマーン1世の785年の西ゴートの教会を解体、建て直し以来数々の増改築を受けてきた。
その中で最大の物議をかもしているのが、1523年のお騒がせカルロス5世の改築だ。
尤もカルロス5世はめくら判の決裁をしただけのようだが…
真犯人はコルドバ司教アロンソ・マンリーケ。可哀相に後の世でまるで犯罪者扱いだ。 -
なんせ、この西欧世界で最大のモスク、イスラムの遺物とはいえコルドバ市民の自慢の種。
このど真ん中に周囲の大反対を無視して、大聖堂を入れてしまったんだから…
請け負ったエルナン・ルイス組が天才的なプランと施工で、貴重な柱の森を何とか最小限の改築ですませ、柱は1012本から156本取り除かれ856本が残ったおかげでこうして観光が出来る。 -
キリスト教徒のコルドバ奪回の後、あのフェルナンド3世とか長男で戦は弱かったが賢明王と呼ばれたアルフォンソ10世は、このように建物の端に控えめな改修で礼拝堂を造ったのに、コルドバ司教のアロンソ・マンリーケはよほど気に入らなかったんだね端のほうにあるのが…
-
大聖堂の中で最も価値があるのはこの聖歌隊席だろう
カルロス5世はあのセビリアでのイザベル・デ・ポルトガルとの結婚式の後、有給休暇と結婚休暇を組み合わせた1ヶ月の新婚旅行でグラナダに向かう途中、このメスキータにも寄ったそうだ。今とあんまし変わらんね…
そこで、このメスキータで言った言葉、
「し、知らなかった! どこにでも造れる建物のために、世界で一つしかない建物を壊してしまった…」
言い訳の天才!
そして、アルハンブラのカルロス5世宮殿に向かう… -
二段になった聖歌隊席の椅子の背もたれには旧約聖書、新約聖書の色んな場面が刻まれている。
恐れ多くて寄りかかれませんなあ…
作者は、あのセビリアの大聖堂にあった「砲丸投げのフェルナンド3世」の作者ペトロ・ロルダンの後継者ペトロ・ドウーケ・コルネホだ。 -
大聖堂交差廊、見上げ。
ステンドグラスのバラ窓でなく光をふんだんに入れる大きな窓ですね。 -
同じく大聖堂交差廊の天井。
中央には外光を取り入れる採光窓が開けられたドーム。
そして交差リヴ・ヴォールト
豪華といえば豪華です。 -
中央祭壇。17世紀の造りで大理石を使ったなかなかの作品です。
-
メスキータの内部壁面はご多分にもれず幾つもの礼拝堂が名店街のようにズラリと並ぶ。
-
その礼拝堂の一室。こーんな風です…
-
入場してからはや1時間半になる…
さあ、この二重アーチと柱を目に焼き付けてそろそろ退場しましょう。 -
オレンジの中庭に出てその回廊部分の壁になにやら木の板を干してました。
床は大理石なんで床板ではなさそうだし、天井板か?
模様も入っている… -
その回廊部分からオレンジの中庭を通して鐘楼を見上げる。
-
真ん中辺りに大きな水槽が…
金魚でもいるのかと覗いたが、これがバロック様式の聖母マリアの噴水か?
この泉から中庭を縦横に走る水路を伝わり水が流れる方式はセビリアの大聖堂と同じだ。 -
噴水越しにオレンジの中庭とメスキータの外観。
785年に着手という事はヨーロッパのアラビア庭園の中では最も古いと言う事だが、そうは見えませんね。
大聖堂の交差廊中央のドームの採光窓、さらには大きな窓が見えます。 -
鐘楼と回廊部。
この回廊部にチケット売り場があって、入場者が購入している。
オレンジの中庭には自由に入れるけど、
シュロの門からメスキータ内部にはチケットが必要のようだ。
そういえば、我々は9時にチケットも買わずいつの間にか入場していた。
一体どうなってるんだろ?
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
アルデバランさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
69