2009/10/03 - 2009/10/03
1173位(同エリア1350件中)
WT信さん
会津若松駅への帰路、バスの運転手さんにお願いして、会津地域観光周遊バスの観光コース外の、会津若松城前でバスから降ろしてもらった。
通称鶴ヶ城は、国史跡での名称が若松城、江戸時代には会津若松城と呼ばれた。
1590年、伊達政宗の居城であった黒川城を、豊臣秀吉の命で会津藩の領主となった蒲生氏郷が入城、天守閣を七層建てとし、鶴ヶ城と名を改めた。
鶴ヶ城は1874年(明治7年)、明治新政府の陸軍省の命令で、取り壊わされてしまった。
現在目にする鶴ヶ城の天守閣は五層で、1965年完成をしている。
城の内部では「直江兼続と関ヶ原の合戦」と題する鶴ヶ城天守閣企画展が開催されており、NHKのドラマ「天と地」影響で場内は大勢の観光客で埋め尽くされていた。
最上階でパノラマ景観を楽しんだ後、天守閣を出て、茶室「麟閣」へ。
千の利休は秀吉の怒りを買い、切腹するが、蒲生氏郷は千の利休の茶道が絶えることを惜しみ、利休の子、少庵を匿う。
茶室「麟閣」は会津に匿われていた少庵が蒲生氏郷のために建てたものと云う。
現在の茶道の三千家(武者小路,表、裏)は少庵のひ孫達によって引き継がれたものとの事。
会津若松駅へはお城の管理事務所で教わった西出丸を出た、神明通りのバス停から定期バスで帰った。
お陰でこのオプションの鶴ヶ城観光は、予め予定した新幹線の時間内で、オプション料金も天守閣入場料(500円)とバス代(220円)で済んだ。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
WT信さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
49