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 会津若松の奥座敷・東山温泉に行ってきました。東山温泉は竹久夢二や与謝野晶子に愛された湯の街です。<br /> 湯川の畔に建ち並ぶ温泉宿は何処も歴史を秘めた趣の有る佇まいです。

*会津 東山温泉・湯けむり紀行*

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2009/09/21 - 2009/09/21

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ナオ

ナオさん

 会津若松の奥座敷・東山温泉に行ってきました。東山温泉は竹久夢二や与謝野晶子に愛された湯の街です。
 湯川の畔に建ち並ぶ温泉宿は何処も歴史を秘めた趣の有る佇まいです。

同行者
友人
交通手段
自家用車 徒歩
  •  会津若松の奥座敷、東山温泉にやって来ました。<br /><br /> これは東山温泉の案内図です。

     会津若松の奥座敷、東山温泉にやって来ました。

     これは東山温泉の案内図です。

  •  ここは「庄助の宿 滝の湯」です。<br /> 「庄助の宿 滝の湯」の庄助とは、民謡「会津磐梯山」に出てくる小原庄助さんのことだそうで、つまり、「庄助の宿 滝の湯」とは、小原庄助さんの愛した宿ということらしいです。<br /> 「庄助の宿 滝の湯」は庄助さんばかりでなく、多くの人に愛されており、プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選にも選ばれています。

     ここは「庄助の宿 滝の湯」です。
     「庄助の宿 滝の湯」の庄助とは、民謡「会津磐梯山」に出てくる小原庄助さんのことだそうで、つまり、「庄助の宿 滝の湯」とは、小原庄助さんの愛した宿ということらしいです。
     「庄助の宿 滝の湯」は庄助さんばかりでなく、多くの人に愛されており、プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選にも選ばれています。

  •  これは、東山温泉「庄助の宿 滝の湯」の所に建つ伏見ヶ滝の説明です。

     これは、東山温泉「庄助の宿 滝の湯」の所に建つ伏見ヶ滝の説明です。

  •  これが東山温泉の中を流れる湯川にかかる伏見ヶ滝です。<br /> 奥東山渓谷(湯の入湖)から流れ出した湯川には、小さな滝がいくつもかかっています。雨降り滝、原滝、向滝、伏見ヶ滝などです。<br /> これらの滝に由来したのか東山温泉の旅館には滝の名前が付く宿が多く、「原滝」、「くつろぎ宿 新滝」、「くつろぎ宿 不動滝」、「くつろぎ宿 千代滝」、「向滝」、「庄助の宿 滝の湯」などの宿があります。

     これが東山温泉の中を流れる湯川にかかる伏見ヶ滝です。
     奥東山渓谷(湯の入湖)から流れ出した湯川には、小さな滝がいくつもかかっています。雨降り滝、原滝、向滝、伏見ヶ滝などです。
     これらの滝に由来したのか東山温泉の旅館には滝の名前が付く宿が多く、「原滝」、「くつろぎ宿 新滝」、「くつろぎ宿 不動滝」、「くつろぎ宿 千代滝」、「向滝」、「庄助の宿 滝の湯」などの宿があります。

  •  これは東山温泉の「庄助の宿 滝の湯」の所から望んだ風景で、東山ハイマートホテルと湯川が見えています。

     これは東山温泉の「庄助の宿 滝の湯」の所から望んだ風景で、東山ハイマートホテルと湯川が見えています。

  •  ぶらぶらと歩いてくると、「黒川の小径」と「からり妓の小径」の分岐にやってきました。私達は「黒川の小径」を行きます。

     ぶらぶらと歩いてくると、「黒川の小径」と「からり妓の小径」の分岐にやってきました。私達は「黒川の小径」を行きます。

  •  見えているのは詠観橋と国の登録有形文化財の宿「向滝」です。

     見えているのは詠観橋と国の登録有形文化財の宿「向滝」です。

  •  これも国の登録有形文化財の宿「向滝」です。

     これも国の登録有形文化財の宿「向滝」です。

  •  これも国の登録有形文化財の宿「向滝」です。手前の橋が詠観橋です。

     これも国の登録有形文化財の宿「向滝」です。手前の橋が詠観橋です。

  •  湯川にかかる芳袖橋を渡った先には、「くつろぎ宿 不動滝」があります。<br /> ここには東山温泉発祥の源泉があり、新撰組の土方歳三が戦傷湯治をしたとうい岩風呂のある土方歳三ゆかりの宿です。<br /><br /><br /> 

     湯川にかかる芳袖橋を渡った先には、「くつろぎ宿 不動滝」があります。
     ここには東山温泉発祥の源泉があり、新撰組の土方歳三が戦傷湯治をしたとうい岩風呂のある土方歳三ゆかりの宿です。


     

  •  足湯を見つけました。

     足湯を見つけました。

  •  ここには二つの足湯が隣り合ってあります。私達が入っているのは木をくり抜いて丸木舟のような感じに作ったものです。

     ここには二つの足湯が隣り合ってあります。私達が入っているのは木をくり抜いて丸木舟のような感じに作ったものです。

  •  これは東山温泉足湯処の由来と楽しみ方を書いてあるものです。

     これは東山温泉足湯処の由来と楽しみ方を書いてあるものです。

  •  足湯の建物の外壁に掲げてある東山温泉の案内(説明)文で、それによると、東山温泉は八咫烏ガラスに導かれた行基が発見、三社権現を奉り、羽黒山と称し東光寺を開いたのが始まりだそうです。

     足湯の建物の外壁に掲げてある東山温泉の案内(説明)文で、それによると、東山温泉は八咫烏ガラスに導かれた行基が発見、三社権現を奉り、羽黒山と称し東光寺を開いたのが始まりだそうです。

  •  これは同じく足湯の外壁に掲げられているもので、東山温泉ゆかりの文化人 その壱 として、竹久夢二が載っています。<br /> 夢二は明治42年、大正10年、昭和5年と3度会津を訪れ、2度目と3度目に訪れた時は、東山温泉の新滝旅館に逗留しています。

     これは同じく足湯の外壁に掲げられているもので、東山温泉ゆかりの文化人 その壱 として、竹久夢二が載っています。
     夢二は明治42年、大正10年、昭和5年と3度会津を訪れ、2度目と3度目に訪れた時は、東山温泉の新滝旅館に逗留しています。

  • 足湯の所の説明で、竹久夢二と東山温泉のつながりを知ったので、洗心橋近くにある竹久夢二の「宵待ち草」の歌碑を尋ねました。<br /> この碑は夢二が「宵待草」の詩想を得たという大川の川岸に建てられていたそうですが、土地問題で雨降り滝前に移転、その後ケーブルカーの駅前に移転、ケーブルカーの廃止で、現在地に移されたのだそうです。碑までが放浪したのだそうです。

    足湯の所の説明で、竹久夢二と東山温泉のつながりを知ったので、洗心橋近くにある竹久夢二の「宵待ち草」の歌碑を尋ねました。
     この碑は夢二が「宵待草」の詩想を得たという大川の川岸に建てられていたそうですが、土地問題で雨降り滝前に移転、その後ケーブルカーの駅前に移転、ケーブルカーの廃止で、現在地に移されたのだそうです。碑までが放浪したのだそうです。

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