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 川越に蔵造りの町並みができるきっかけとなったのは、明治26年の大火です。川越におけるこの未曾有の大火災は、川越商人たちの防火対策への意識の変革をもたらすのです。川越商人は江戸時代以来、新河岸川の舟運などによる江戸との商いで富の蓄積があり、復興のための財力は十分にあったようですが、同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることを考えました。 <br />大火の際に焼け残った建物が伝統的な工法による蔵造り建物であったことに着目し、商人たちは競って蔵造り建築による店舗(店蔵)を建てました。<br /><br />この頃、東京では既に耐火建築として、レンガ造りや石積みの近代的な建物が造られていましたが、川越商人たちは伝統的な蔵造り建物を選択しました。しかし、伝統工法だけにこだわるわけでなく、レンガや大谷石、御影石などの新しい建築資材も柔軟に取り入れています。こうしていわば「川越的蔵造り建物」による町並みが出来上がっていきました。(下記より引用)<br /><br />川越一番街商店街については・・<br />http://www.kawagoe.com/ichibangai/<br /><br />http://www.koedo.or.jp/0_japanese/site-spot/ichibangai/index.html<br />

川越-1 一番街・蔵造りの町並み ☆大沢家住宅・服部民俗資料館など

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2009/09/24 - 2009/09/24

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マキタン2

マキタン2さん

川越に蔵造りの町並みができるきっかけとなったのは、明治26年の大火です。川越におけるこの未曾有の大火災は、川越商人たちの防火対策への意識の変革をもたらすのです。川越商人は江戸時代以来、新河岸川の舟運などによる江戸との商いで富の蓄積があり、復興のための財力は十分にあったようですが、同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることを考えました。
大火の際に焼け残った建物が伝統的な工法による蔵造り建物であったことに着目し、商人たちは競って蔵造り建築による店舗(店蔵)を建てました。

この頃、東京では既に耐火建築として、レンガ造りや石積みの近代的な建物が造られていましたが、川越商人たちは伝統的な蔵造り建物を選択しました。しかし、伝統工法だけにこだわるわけでなく、レンガや大谷石、御影石などの新しい建築資材も柔軟に取り入れています。こうしていわば「川越的蔵造り建物」による町並みが出来上がっていきました。(下記より引用)

川越一番街商店街については・・
http://www.kawagoe.com/ichibangai/

http://www.koedo.or.jp/0_japanese/site-spot/ichibangai/index.html

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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