2009/06/27 - 2009/06/27
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ソフィさん
2009年6月27日(土)
1961年、生まれて初めて飛行機に乗ったのは、エール・フランスのB−707機だった。
東京−パリ間を、南周りでいくつもの空港に降りながら、楽しい旅を提供してくれた。
寄港地を数えれば、香港、バンコク、カルカッタ(現コルカタ)、カラチ、ベイルート、アテネ、ローマ、パリと記憶している。
当時のジェット機には、今より信頼感が少なかった。
世界の人を悲しがらせた「コメット号事故」の印象が、強く脳裏に残っていたからだろう。
世界の旅客飛行機に、最初にジェット時代の到来を告げたのは、イギリス、デハヴィランド製の「コメット」である。
世界の戦勝国間の旅客ジェット機開発競争の荒波の中で、1952年世界に先駆けてイギリスBOAC(イギリス航空)は、自国産の「コメット」号を、ロンドン・ヨハネスブール間に就航させた。
「コメット」は、東京からロンドンまで、従来88時間だった飛行時間を33時間へと飛躍的に短縮し、とにかく早い。
おまけに成層圏飛行の滑らかな乗り心地は、これまで体験したことのない快適さだった。
人気上々のコメット機は、イギリスのエリザベス女王の家族がヨーロッパ旅行に使うなど、世界に派手にアピールする。
しかしコメット時代は、長くなかった。
間もなく、操縦の不慣れやエンジンの力不足などの要因で事故が始まり、就業の翌年63年から翌々年1964年にかけて、空中爆発事故が続く。
当時のイギリス首相「ウィンストン・チャーチル」は、「原因究明のためには、イングランド銀行の金庫が空になっても良い」と語るほど、世界の注目を浴び、国の命運を背負う大問題だった。
イギリス技術陣の努力で、空中爆発の原因は次第に解明され、コメット?、コメット?、コメット?と次々に改良型がでるが、いったん落ちた信頼は回復できず、1958年ころから次々に売り出されたアメリカやフランスの新鋭機に、市場を奪われてしまった。
もともとコメット機は、開発のごく初期色の段階で、デハヴィランド社の社長の息子が事故に巻き込まれ一命を落とすという悲劇に会っており、なにかしら一種の緊張を背負った宿命にあったように感じる。
しかし、数々の事故調査過程で世界にもたらした知恵は、実に大きい。
写真はhttp://4travel.jp/traveler/katase/
をご覧ください。
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