2008/06/25 - 2008/07/02
373位(同エリア687件中)
Alohamahaloさん
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前回と今回のブログを読んでいただけると、フリーダムトレイル観光はほぼカンペキ!
こぼれ話も拾ってきているのできっとお役に立てると思います。(ちょっと自画自賛)
上の画像は、ノースエンドのノース・スクエア・プラザ。ポール・リヴィア・ハウスのお向かいです。
チャーミングな敷石の道の真ん中にある小さい庭という風情で、ノースエンドでもピクチャレスクな一角です。
下の画像はコンスティテューション博物館の横の部分からの画像です。
この日はお天気が良く、青い空にレンガの建物が映えます。
- 航空会社
- ユナイテッド航空
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ファニュエル・ホールからノース・ストリートを渡るとユニオン・ストリート。
ここから右手は「ブラックストーン・ブロック」と呼ばれています。
ここでは300年前のボストンがしのばれるような町並みです。
ユニオン・ストリートとブラックストーン・ストリートの間には、クリーク・スクエアとかソルト・レーンなど、この場所が水際であった名残の名前の道があります。 -
1826年創業のユニオン・オイスター・ハウスは、アメリカで最も古いレストランです。
建物自体は18世紀の初頭に建てられたもので、レストランになる前は仕立て屋でした。
週末になると、JFKが2階の18番ブースでロブスターシチューを食べながら新聞を読んでいたそうですが、もっと驚くべきは、1796年にフランス人のシャルトル侯爵 (のちのフランス王ルイ・フィリップ 在位1830-1848のフランスの王) が、生活費を稼ぐために、この家の娘さんにフランス語を教えながら2階で生活していました。(苦労人なのかしら、まっさかぁ???)
ユニオン・オイスター・ハウスは、ナショナル・レジスター番号03000645で、2003年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。
Union Oyster House
41 Union St. Boston, MA 02108
URL: http://www.unionoysterhouse.com/ -
ユニオン・オイスター・ハウスの看板です。
実はうっかり画像を撮るのをわすれていたのですが、ブラックストーン・ブロックにはヘイ・マーケットというファーマーズ・マーケットが毎週末に催されています。
たしか金曜の午後と土曜だったかな。
通りかかったのがちょうど土曜日の午後だったので、押すなへすなの状態でした。とにかく安いのです。ストローベリが2パックで1ドルとか、キーウィが6つで1ドルとか。
どの巻だったか忘れたのですが、スペンサーがスーザンとセルティックスの試合を見に行って、帰りに手をつないでヘイマーケットを通る(あるいは何か買う)というシーンがあったように思います。 -
こちらのベル・イン・ハンド・タヴァーンは1795年創業のアメリカで最古のタヴァーン、要するにレストランのカテゴリーではなく、居酒屋ですね。
現在は2フロアにバーが5種類入っていて、いろんなジャンルのライブミュージックを聴きながら1杯(maybe two or more)飲むところのようです。
Bell In Hand Tavern
45 Union St. Boston, MA 02108
URL: http://www.bellinhand.com/ -
同じくブラックストーン・ブロックにあるエベニーザ・ハンコック・ハウスは、ボストン最古のレンガ造りの家です。
独立宣言にサインしたジョン・ハンコックのおじにあたる人が1767年に建て、ジョンに引き継がれたのですが、実際に住んだのはジョンの兄弟のエベニーザでした。
Ebenezer Hancock House
10 Marshall St Boston, MA 02108 -
ハノーバー・ストリートで高速道路を渡り、ノースエンドに入りました。
教会を見るとレンズを向けずにはいられないことは前のブログで書きましたが、大きなクラッシックなビルを見てもレンズを向けてしまいます。
画像はトラフィック・トンネル・アドミニストレーション・ビルディング。クラシックリバイバル様式で、破風はイオニア式の円柱で支えられています。1931年ころに建てられたようです。
Traffic Tunnel Administration Building
128-152 North St. Boston, MA 02228 -
いよいよノースエンドに突入です。
-
ハノーバー・ストリートとパーメンター・ストリートのコーナーです。
赤いポールにフィレンツェだのサルディーニアだのシチーリアだの、まるで道路標識のようなアローの看板があり、さながらイタリアの町です。
アメリカのサイトには面白いものがあって、ストリート名と場所を打ち込むと人気の道ランキングで何位かという表示がでます。
ハノーバー・ストリートは、ボストンで堂々の2位です。
streetadvisor
URL: http://www.streetadvisor.com/ -
このあたりはイタリアンレストアンがひしめくエリア。
土曜の夕方ともあって、レストランの前のメニュを覗き込んでいく人々も多くいました。
このカーメンというお店(ピアース・ヒックボーン・ハウスの隣)はロマンティックな雰囲気でした。
Carmen
33 North Square North End, MA 02113
URL: http://www.carmenboston.com/home.html -
黒いキャノピーのカーメンとポール・リヴィア・ハウスの間にあるレンガのお宅がのが、ピアース・ヒックボーン・ハウス。
木造のポール・リヴィア・ハウスに比べると実にハンサムです。
1711年に造られた3階建てで、ノースエンドで最も古いレンガ造りのジョージアン様式の住宅です。のちにポール・リヴィアのいとこのものとなりましたが、現在はポール・リヴィア・メモリアル・アソシエーションの管理下におかれている非営利の博物館(入場料は取るけどね)となっています。
ピアース・ヒックボーン・ハウスは、ナショナル・レジスター番号68000042で、1968年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。
Pierce-Hichborn House
29 North Sq Boston, MA 02113
URL: http://www.paulreverehouse.org/about/piercehichborn.shtml -
ピアース・ヒックボーン・ハウスの壁にはめ込まれたポール・リヴィア・ハウスとピアース・ヒックボーン・ハウスのお知らせです。
入場料は別々ですが、コンビネーション・チケットもあると書いてあります。 -
そしてポール・リヴィア・ハウス。
この狭いドアから順繰りに入っていきます。
1680年頃に建てられたポール・リヴィア・ハウスは、あのポール・リヴィアの家というだけでなく、ボストン市街において現存する最も古く、フリーダム・トレイル上での唯一の木造建築です。2バイ4かしらね。
元商人の住宅だったこの家を、ポール・リヴィアは1770年に35歳で購入し、1800年まで所有していました。
築90年の家を買ったわけです。
そして、例の1775年4月18日、この家からレキシントン・コンコードの戦いのメッセンジャーに出かけたのです。
ポール・リヴィア・ハウスは、ナショナル・レジスター番号66000785で、1966年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。
Paul Revere House - Freedom Trail ?
19 N Square, Boston, MA 02113
URL: http://www.paulreverehouse.org/ -
フリーダム・トレイルは、建国の歴史の目玉が続々なのですが、ポール・リヴィア・ハウスはかなりの人気スポット。
室内の天井はあまり高くありません。
キッチンのレンガつくりのストーブ、木をくり抜いて作られたボウルか洗面器のような丸い容れ物、同じく木の幹で作られたゆりかご、マスターベッドルームはなぜかパーラーのようになっているいます。つまりブリッジ・テーブルなどが置いてあって、応接間のような機能を持たせてあるのです。不思議でしょ。
キャノピー付きのポスタード・ベッド(二人で寝るには狭そう)、などと18世紀の人々の生活を垣間見ることができます。
コートヤードには出てきた人、これから入る人がたくさんいました。
内部は撮影禁止です。 -
コートヤードにはリヴィア・ベルが展示されていました。
この900パウンドの青銅の鐘は、ポール・リヴィアとその息子によって1804年に鋳造されました。
翌年の1805年、鐘はマサチューセッツ州ブリッジウォーターのイースト・パリッシュ教会に売られました。リヴィアが最初の鐘を造ったのは、1792年(57歳の時ですね)、最後の鐘は1811年(76歳)。
リヴィアの鋳造場で作られた鐘は959個あるのですが、ポール自身が鋳造に関わった鐘はで、現存しているのは23個です。てなことが、リバティ・ベルの横に書いてありました。 -
フリーダムトレイルのレンガの道に嵌め込まれている敷石(あぁ〜石ではないので本当は何と呼ぶのでしょう)要するにマーカーですね。
外側の葉っぱと実はドングリのようにも見えます。
現在このデザインの意味については調査中です。(結果が出たら載せます) -
画像はハノーバー・ストリートとフリート・ストリートのコーナー。
ノースエンドで育ったトニー・デマルコ、伝説的なパンチャーにしてウェルター級のチャンピオン。そんなわけで、彼の名前にちなんで、フリート・ストリートはデ・マルコ・ウェイと呼ばれています。
また、デ・マルコはシカゴのOfficial National Italian American Hall of Fameの殿堂入りもしています。
ちなみにウェルター級というのは145パウンド前後だそうです。スペンサーもボクサーだったのですが、彼の体重は195パウンドでほぼヘビー級。年は5歳違い(スペンサーの方が若い)でもあるし当たったことはなさそうです。
右のレンガの建物は、ハノーバー・ワイン・アンド・スピリッツ。
Hanover Wine & Spirits
363 Hanover St. Boston, MA 02113
URL: http://www.hanoverwineandspirits.com/ -
アングルを変えて、ハノーバー・ストリートの舗道に北向きに立っての画像です。
ハノーバー・ストリートは、レストランやショップが多く立ち並び、車や人で賑やかです。ノースエンドのメインストリートといったところでしょうか。
通りの上に浮かんでいるように見えるクラウンの飾りの右側が、セント・ステファン教会です。 -
ハノーバー・ストリートをもう1枚。
クラーク・ストリートを挟んでセント・ステファン教会の手前にあるグリーン・クロス・ファーマシーです。
建物のコーナーの上に架けられている金色の乳鉢と乳棒が気になって撮ってしまいました。
もしかしたらフィナンシャル・ディストリクトにあるシアーズ・クレセント・ビルの金色のケトルにインスパイアされたのかもしれません。鉢の下には店名の緑色のクロスがぶら下がっています。
Green Cross Pharmacy
393 Hanover St. Boston, MA 02113
URL: http://www.northendboston.com/greencross/ -
ノースエンドのセント・ステファン教会。
赤いレンガに真っ白のピラスターがとても鮮やかです。
1714年にミーティングハウスとしてオープンしたのですが、あのチャールズ・ブルフィンチのデザインで1804年に建て替えられました。
ブルフィンチは、装飾的な破風や高いアーチ形の窓など、イタリアン・ルネッサンスのモチーフをたくさん取り入れています。
建てられた当初は、オールド・ノース教会と区別するために、ニュー・ノース教会と呼ばれているユニテリアン派の教会でしたが、ノース・エンドにアイリッシュが多く住むようになり、58年後に新しいカソリックのアイデンティと共に現在の名前が与えられました。
建物の上部には時計台と鐘楼があります。1年後に取り付けられた鐘楼は、あのポール・リヴィアによって掛けられました。
また、JFKのお母さんであるローズ・フィッツジェラルドはこの教会で洗礼を受けていて、亡くなった時の復活の追悼ミサもここで行われました。(と、教会の壁にプレートがありました)
St. Stephen's Church
401 Hanover St. Boston, MA 02109
URL: http://www.ststephensbos.org/ -
ブルフィンチは、内部をほぼ正方形(70X72フィート)に仕上げています。
1964年に、カッシング枢機卿が教会の修復を認可しました。そしてボストン市内で唯一の残っているブルフィンチによる教会です。
セント・ステファン教会は、ナショナル・レジスター番号75000300で、1975年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。 -
セント・ステファン教会とオールド・ノース教会を結んでいる、ポール・リヴィア・モールにあるポール・リヴィア像は、サイラス・ダリンによって制作され、1940年に公開されました。
ポール・リヴィアが、1775年レキシントン・コンコードの戦いにおけるメッセンジャーとして赴いた時の像で、そのことはロンフェローの有名な「Paul Revere's Ride 」という詩の中で Midnight Ride という言葉で表現されています。
Paul Revere's Ride (抜粋)
'Tis all very well for the children to hear
Of the midnight ride of Paul Revere;
But why should my name be quite forgot,
Who rode as boldly and well, God wot?
Why should I ask? The reason is clear—
My name was Dawes and his Revere
The Prado - Paul Revere Mall
416 Hanover St. Boston, MA 02113 -
振り返って銅像の後ろからの画像です。
ポール・リヴィア・モールは、青銅の飾り板があるレンガの壁とレンガ造りの道の両脇が菩提樹の並木になっている静かなたたずまいのモールです。
何となくヨーロッパっぽい感じもします。
振り返ったので、奥に見えるのがセント・ステファン教会。 -
ボストンで最も古いと言われているオールド・ノース教会です。
本当の名前はクライスト・エピスコパル教会(英国国教会派)と言います。
1723年12月29日にオープンしました。
トップに風見のある当時191フィートの尖塔はボストンで最も高い建造物でした。
尖塔は、1804年と1954年2度のハリケーン(1804年のは名前が付いていませんが、1954年のは8月31日で、ハリケーン・キャロル)に吹き倒されたことがあります。現在の尖塔は175フィート(53メートル)で、トップの風見はオリジナルのものが取り付けられています。
また、1775年4月18日ポール・リヴィアが伝令役を務める際、イギリス軍の進攻がどのように進むかの目印のランタンが、教会の管理人であるロバート・ニューマンによってこの尖塔に掛けられました。
とまあそのようなことが塔の中央のプレートに書かれています。
ロングフェローの『Paul Revere’s Ride』という詩に
「One if by land, and two if by sea」
とあるように、陸路なら1つ、海路なら2つのランタンを掛けることになっていて、ランタンは2つ掛かりました。 -
こちらのベルタワーのベルはポール・リヴィアではなく、1744年にイギリスのグロスターで作られたもので、翌1745年に掛けられたアメリカで最も古いベルです。
ベルは1894年にレストアされたにもかかわらず、その後は使われていませんでしたが、1975年のボストン発祥200年記念の祝賀で鳴らされ、それ以後は定期的に鳴らされています。
この画像は、ハル・ストリートから撮ったオールド・ノース教会です。
オールド・ノース教会は、ナショナル・レジスター番号66000776で、1966年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。
The Old North Church - Freedom Trail ?
193 Salem St. Boston, MA 02113
URL: http://www.oldnorth.com/ -
オールド・ノース教会からハル・ストリートの坂を上っていると、右手にあるのがコップスヒル墓地。
キングズ・チャペルの後に続き1659年に設立された、ボストンの2番目に古い墓地です。
オールド・ノース教会の管理人で、ポール・リヴィアのためにランタンを掛けたロバート・ニューマンの墓地もここにあります。
でも、フリーダムトレイル18サイトの中に、墓地が3つも含まれているというのはスゴイです。
Copp's Hill Burying Ground - Freedom Trail ?
21 Hull St. Boston, MA 02113
URL: http://www.cityofboston.gov/freedomtrail/coppshill.asp -
適当に歩いていたら、チャールズタウン・ブリッジのところに出てきました。
この橋を渡るとそこはチャールズタウン。
しかし、この橋、けっこう怖いのです。
クネクネ模様の足場の鉄板の下には海が透けて見えるのですから。 -
橋を渡って右に曲がり、すぐのところにあるのがチャールズタウンのシティ・スクエア・パークです。
公園の広さは1エーカーで、1996年に設立されたのですが、イギリスから渡って来たジョン・ウィンスロップをリーダーとするピューリタンの10家族が1629年にここセトルしたという場所に公園は造られているそうです。
公園の噴水の近くにウィンスロップの屋敷跡が象れれています。それにしてもゲートの両脇の門柱(?)のトップにある果物のヘタのような飾りには何か意味があるのでしょうか?
City Square Park
100 City Sq. Charlestown, MA 02129 -
上の画像のゲートの足元(右下)にある丸い敷石はチャールズタウンの印章をかたどったマーカーです。
バンカーヒル・モニュメント絵の廻りに、上から順にこう彫られています。
チャールズタウン
自由は子孫に伝えるべき信頼である
1628年に見出され、1847年にシティとなった
真ん中の
Liberty A Trust To Be Transmitted To Posterity
というのは、チャールズタウンのモットーでもあります。 -
シティ・スクエア・パークの中にあるミュニシパル・アート。
(調べているのですが、出自がはっきりしません) -
中央にある噴水です。トップに風見鶏がついています。
公園には、何十種類もの木や草花があり、上の画像のようなアートワークやベンチやガス燈などが配置されたミニ・オアシスといった風情です。 -
シティ・スクエア・パークを出て、メイン・ストリートを北西方向に進んでいます。
画像はメイン・ストリート44番地あたりの町並み。 -
メイン・ストリートをウィンスロップ・ストリートで右折しました。
ウォレン・ストリートとの角にあるのがセイント・メアリーズ・パリッシュ教会です。
ゴシック・チューダーという感じのデザインですね。1887年に建てられた、教会建築家のパトリック・キーリーの設計です。教会の中は覗いていないのですが、ハンマービームの天井が見事なのだそうです。
St Mary's Parish Charlestown
55 Warren St. Charlestown, MA 02129 -
左手に教会の側面を見ながら、ウィンスロップ・ストリートを歩いているところです。
-
ゆるやかな坂の右手にコモンズという公園があります。中央にあるのは、「チャールズタウンの男たち」というスカルプチャーです。
造ったのはマーティン・ミルモア(1844-1883)で、ボストン・コモンのフラッグ・スタッフ・ヒルにある「ソールジャーズ&セーラーズ」で有名な彫刻家。
19世紀後半のアイルランドからの移民です。
あ、この人もラテン・スクールの出身者ですね。
ミルモアがわずか38歳で亡くなった時、同じ彫刻家のダニエル・チェスター・フレンチ(ハーバード大学のハーハード像の作者)は、彼の墓のために「死と彫刻家」という素晴らしい彫刻を捧げています。
ちなみに彼のお墓は、マサチューセッツ州ジャメイカ・プレインのフォレストヒル・セメタリーにあるのですが、他に私の知っている人だと、詩人にして作家のe. e. カミングス、劇作家のユージーン・オニールもここに眠っています。 -
公園から出た場所、ウィンスロップ・ストリートとアダムズ・ストリートの角からウィンスロップの方向に、バンカーヒル・モニュメントが見えます。
バンカーヒル・モニュメントは、ナショナル・レジスター番号66000138で、1966年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。 -
ウィンスロップ・ストリートをさらに上がっていくと、バンカーヒルの端っこ、モニュメント・アベニューとモニュメント・スクエアのコーナーです。
-
さて、バンカーヒル・モニュメントです。
バンカーヒル・モニュメントは、独立戦争のバンカーヒルの戦いで戦死したソールジャーの記念オベリスクでクインシーで採掘された花崗岩で出来ています。
1775年6月17日、戦争経験が豊富なイギリス軍隊に対し、植民地側の軍隊はいわば寄せ集めの民兵であり、経験においてあまりに大差があったのです。
未熟だったのです。
この戦いで、植民地側は1500名のうち約600名を失いますが、イギリス軍2200名のうち約半分を打ち負かして善戦します(ま、結果としては負けたのですがね)。
それでも、訓練されたイギリス正規兵に対し、寄せ集めに近い民兵で対抗できたことがその後の自信につながったと言えるのでしょう。
実はバンカーヒルの戦いはバンカーヒルで行われたのではなく、ブリーズヒルで行われたのでした。 -
このオベリスクは、アメリカで最初に建造されたオベリスクです。
基礎となる石は1825年に置かれましたが、モニュメントのサポーターが基金を使いすぎたために、完成が遅れています。
モニュメントを含む施設のために戦場跡を広く購入していたのですが、15エーカーの土地のうち10エーカーを売ってさらなる資金を作り、オベリスクは17年後の1842年に完成し、翌年1843年7月17日に公開されました。
221フィート(67メートル)のオベリスクは、1884年にワシントン・モニュメント(DC)が出来るまで全米一の高さを誇っていました。
このオベリスクにはエレベータがなく、一番上までは294段の階段を上がらなくてはなりません。(ガンバ!)
オベリスクの前に置かれているのは、プレスコット大佐の銅像です。
Bunker Hill Monument - Freedom Trail ?
43 Monument Sq Charlestown, MA 02129
URL: http://www.thefreedomtrail.org/visitor/bunker-hill.html -
ウィルアム・プレスコット大佐は、バンカーヒルの戦いではイズラエル・パットナム将軍の副官でした。
将軍ではなく副官の銅像があるというのもヘンな気がしますが。。。
バンカーヒルの戦い当時、パットナム将軍は58歳くらい。一方プレスコット大佐は39歳。
ゆえにパットナム将軍は後ろに引っ込んでいたのでしょうか。
この像、剣を持って闘っているというより、私には風船ころがしをやっているように見えてしまいます。 -
バンカーヒル・モニュメントのエントラスにある銅版です。
銅版に彫られている
Don't fire until you see the whites of their eyes
というフレーズは、「敵の目の白い所が見えるまでは撃つな」という意味です。
弾薬の乏しかった植民地側の軍隊に、この命令を下したのがパットナム将軍なのかプレスコット大佐なのか、はたまたもう一人の副官であるスターク大佐なのかはっきりしないようです。 -
モニュメントの側から、プレスコット大佐の後ろ姿です。
そろそろ引き上げるとしましょう。 -
実は撮影は別の日なのですが、フリーダム・トレイルの仲間ということで、コンスティテューション号です。
アメリカ海軍の木造船で、3本マスト、砲数44門のフリゲートです。航行可能な艦船で最も古いのですが、アメリカ海軍の現役艦なのです。名前は合衆国憲法にちなんでいて、名付け親は ジョージ・ワシントン大統領です。
1794年に建造を承認された6隻のフリゲートのうちの1隻で、2,000本以上の木材と30万ドル以上のコストをかけて建造され、1797年に進水したのだそうですから、210歳を超えている計算になります。
愛称は「Old Ironsides 古い勇猛果敢な人」
アメリカ海軍の歴史のシンボルです。
コンスティテューション号は、ナショナル・レジスター番号66000789で、1966年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。
USS Constitution - Freedom Trail ?
URL: http://www.navy.mil/navydata/ships/constitution/sail200b.html -
何も考えなくて行ってしまったので、シップの見学がお休みの月曜日でした。
かなり残念です。 -
ボストン・ネイヴァル・シップヤードにあるコンスティテューション博物館の正面です。
ここはなかなか興味深い博物館で、わりと子供向けにコンスティテューション号のオリジンや役割など200年の歴史を紹介しています。
USS Constitution Museum - Freedom Trail ?
Charlestown Navy Yard Build 22, Charlestown, MA 02129
URL: http://www.ussconstitutionmuseum.org/index.htm -
ほぉらね、家族連れも訪れています。
-
博物館の内部です。入場料はドネーションとなっているので、払いたいだけ払います。
また、ミュージアム・ショップもあったので、セーラーさん御用達のサックを購入しました。 -
夕食はファニュエル・ホールです。
またもやお店の名前がウロウロ(この日は本当にどうかしていたらしい)なのですが、多分ソルティドッグ・シーフード・グリル。
まずはアペのクラブケーキのレムラードソース。
蟹肉を使ったコロッケみたいなものなのですが、このお店のようにフライにしたものとハンバーグのように焼いたものがあります。
下に敷いてあるのがレムラード・ソースで、基本はマヨネーズにマスタード、ピクルスまたはケイパー(あるいは両方)そしてハーブを細かく刻んだものなどを加えたちょっと酸味の効いたソース。
タルタルソースに近いものがありますが、ゆで卵が入らない分すっきりとしていてシーフードには定番です。
Salty Dog Seafood Grille & Bar
206 Faneuil Hall Market Pl Boston, MA 02109 -
もう一つのアペは、ケイジャン風スパイスを効かせたシュリンプ。
殻を剥き剥きレモンを絞っていただきます。 -
メインは、白ワインとレモンバター風味のブロイルしたシー・スキャロップ。
火の通り加減がほど良かったですね。
付け合せはコールスローと2種類のズッキーニ。 -
こちらはロブスター・キャセロール。
フレッシュ・ロブスターの他に、スキャロップやシュリンプ、白身のお魚をキャセロールに入れて焼き上げた熱々の一皿。
レモンハーブバター風味です。
チーズとパン粉で作ったクラムのちょっと焦げたところが美味しい。
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