2008/06/25 - 2008/07/02
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Alohamahaloさん
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ボストン観光では外せないフリーダムトレイル。
表紙の画像は町のところどころにあるフリーダム・トレイルの案内図です。
ボストンコモンからチャールズタウンのバンカーヒル記念塔までのヒストリック・サイトを含んでいるお散歩コース。
約2.5マイル(4キロメートル)で、ほとんどが赤レンガの道に沿う経路となっているし、道路にマークが入っているので、地図を見なくてもなんとなく歩けてしまいました。
1951年、ボストンの歴史の重要な目印を舗道にリンクさせるという、地元のジャーナリストであるウィリアム・スコーフィールドのアイディアによってプロモートされました。
1958年にフリーダムトレイルはオリジナルのプランを完成させ、以来ボストンを訪れる世界中からの旅行者の人気のアトラクションとなっています。
オフィシャルサイトを見ると、次の18箇所が見所となっています。
?ボストンコモン Boston Common
?マサチューセッツ州会議事堂 Massachusetts State House
?パークストリート教会 Park Street Church
?グラナリー墓地 Granary Burying Ground
?キングス・チャペル King's Chapel
?キングス・チャペル墓地 King's Chapel Burying Ground
?ベンジャミン・フランクリンの銅像 Benjamin Franklin statue/Boston Latin School
?オールドコーナー書店 Old Corner Bookstore
?オールドサウス集会場 Old South Meeting House
?旧州会議事堂 Old State House
?ボストン虐殺地跡 Site of the Boston Massacre
?ファニエル・ホールとクインシー・マーケット Faneuil Hall/Quincy Market
?ポール・リビアの家 Paul Revere House
?オールドノース教会 Old North Church
?コップスヒル墓地 Copp's Hill Burying Ground
?コンスティテューション号 USS Constitution
?コンスティテューション博物館 Constitution Museum
?バンカーヒル記念塔 Bunker Hill Monument
The The Freedom Trail
URL: http://www.thefreedomtrail.org/
- 航空会社
- ユナイテッド航空
-
6月28日
チャイナタウンで飲茶のブランチなのです。
ところが私としたことがお店の名前を覚えていません。
珍しくも建物や看板の写真も撮らず、メニュやカードすらもらって来なかったようです。
ワシントン・ストリートのEmpire Gardenだったような気がしないでもないのですが、確証が持てません。憶えているのは2階だったということくらい。
そんなわけで店内のご様子。
どなたか店内のインテリアで店名のお心当たりがある方はご一報ください。 -
右の蒸篭は、たしか蟹シュウマイか、フカひれシュウマイ。
左はチマキです。 -
チマキを割ってみましょう。
海老や鶏肉、フクロ茸が見えます。大きな黄色い銀杏も入っていたと思います。蒸篭に入っているときはさほど大きく見えないのですが、もち米なのでボリュームがあります。 -
これは海老餃子。
私の飲茶で絶対に外せない定番です。
中がキレイに透けて見えます。 -
お野菜でビタミン補給。
これはカイランのオイスターソース掛けですね。
油炒めではなく茹でてあります。
カイランは、中国野菜でキャベツのチームです。
英語名はチャイニーズ・ケールですが、チャイニーズ・ブロッコリと言う方が通りがよいようです。
カイランとカンコンは、時々名前がごっちゃになってしまいますが、カンコンは空芯菜のことです。 -
スチュアート・ストリートからトレモント・ストリートに右折してボストンコモンです。
アメリカで最も古い公園とされるボストンコモンは、共同放牧地として始まり、その後軍事目的や公開絞首刑の場として使用されてきました。絞首台は1817年に廃止され、牛の放牧も禁止された1830年以降は、リクレーション施設として開放されています。
Boston Common - Freedom Trail ? -
ボストンコモンのフロッグ・ポンドの近く、フラッグスタッフ・ヒルに建つ The Soldiers and Sailors Monument。南北戦争時の兵士と水兵を記念する塔で、1877年に建てられました。
台座の部分には、
To the men of Boston who died for their country on land and sea in then war which kept the union whole destroyed slavery and maintained the constitution the grateful city has built this monument that their example may speak to coming generations.
と書かれています。
ボストンコモンは、1972年にパブリックガーデンと共に、ナショナル・レジスター番号72000144でアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されていましたが、1987年にパブリックガーデンと分けられ、新しい登録番号は87000760 です。 -
コモンを突っ切って、チャールズ・ストリートを北に取り、マウントバーノン・ストリートにやってきました。
これからビーコンヒルの散策です。
この、ナショナル・ヒストリック・ディストリクトは保存状態が良く、チャーミングな家が立ち並ぶ高級住宅街です。
このエリアにフラットを持つということは、ボストニアンの憧れでもあります。
もちろんボストンのギャングだって憧れちゃいます。
スペンサーシリーズで、ボストンの黒人社会の裏家業を取り仕切っているトニィ・マーカスの元夫人ナタリーは、マウントバーノン・ストリートから3本くらい北のリヴィア・ストリートにタウンハウスを持っていることになっています。
きっとトニィからの慰謝料の一部なのでしょう。 -
マウントバーノン・ストリートの脇のシーダー・レーンをのぞいてみます。
ガス灯の照明がロマンチック。 -
お目当てのルイスバーグ・スクエア。
ルイスバーグ・スクエアは、1830年代に開発されたボストンのプレステイジアス、ビーコンヒルの中でも屈指の富裕層のためのタウンハウスが並びます。
昔から多くのお金持ちが、交通量の少ない閑静なエリアを求め、ルイスバーグ・スクエアに居を構えてきました。
例えば『初夏のボストン Boston -3-』でもふれた建築家のチャールズ・ブルフィンチ、コープリープラザやコープリー・スクエアの名前の由来でもある画家のジョン・シングルトン・コープリー、『若草物語』のオールコットも住人でした。
タウンハウスはコンドミニアムやアパートメントに改装され、ヤング・プロフェッショナルにも人気です。
最近の住人ではGE社のCEOだったジャック・ウェルチや2004年の大統領候補ジョン・ケリー(民主党)がいるそうです。
また、手持ちにないのですが、スペンサーシリーズの『笑う未亡人』の殺された銀行家はここに住んでいたような気がします。
それともう一つ。
私の愛読書にスタンリィ・エリンの『カードの館』というのがあるのです。
そのヒロイン、サファイアブルーの瞳と漆黒の髪のアン・ド・ヴィルモンは、交通事故で両親を亡くした後にルイスバーグ・スクエアの叔母夫婦の元で育つという設定でした。
私のイメージだとアン・ド・ヴィルモンは、ジェニファー・コネリーとアンディ・マクダウェルを足して2で割ったような感じです。
そして、ヒーローのリノは、佳人を救う正義の陣営の騎士という役どころ。スペンサーとダブるところがあってハマッてしまいました。 -
ルイスバーグ・スクエアの中央にある広場は、まわりの住人が所有するプライベートな公園で、中には銅像が2つ建っています。
一つは画像のクリストファー・コロンバス、
もう一つはAristides だそうで、マウントヴァーノン側にあったようです。 -
玉石で舗装されている小道は馬車が似合いそうです。
-
マサチューセッツ州議会議事堂を目指して、ジョイ・ストリートをコモンの方に下っています。
この建物のバルコニー(人が立つのは危うそうに見えますが)のアイアンワークはマーライオンちっく。 -
ジョイ・ストリートの住宅をもう一枚。
もう少しでビーコン・ストリート。 -
金色のドームを持つマサチューセッツ州議会議事堂。
1795〜1797にかけて建てられたチャールズ・ブルフィンチの設計、クラシックリバイバル様式です。ベースになっているのはロンドンのサマセット・ハウス。
赤レンガのファサードは、白いコリント式の円柱と良いコントラストを出していますが、1825年から1928年までの約100年間はレンガの部分が白く塗られていたそうです。
ドームはマサチューセッツ州の森のシンボルであるところの松ぼっくりの形です。オリジナルのドームは木で造られていましたが、1802年に銅製に取り替えられ(何とポール・リヴィアのところで請け負ったそうな)、さらに1874年に金メッキ(何と23金!)が施されました。第二次世界大戦中は爆撃を避けるために黒く塗られていたそうです。
また、建物のオリジナルは赤レンガの部分だけで、左右に見える白い部分のウィングは大理石で、1917年に増設されました。
セルティックがNBAチャンピオンになったのですね。お祝いの幕が張ってありました。
マサチューセッツ州議会議事堂は、ナショナル・レジスター番号66000771で、1966年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。
Massachusetts State House - Freedom Trail ?
Ste 195 24 Beacon St, Boston, MA 02133
URL: http://www.cityofboston.gov/freedomtrail/Massachusettshouse.asp -
庁舎の入り口にあるジョン・F・ケネディの像。
-
州議会議事堂から右手にザ・コモンを見ながらパーク・ストリートを下ると、トレモント・ストリートとのコーナーにあるのがパーク・ストリート教会。
217フィート(65メートル)のジョージアン様式の尖塔を持っています。
パークストリート教会は、1809年にオールドサウス集会場に集まったメンバーを中心とする26名によって設立された会衆派教会保守派の教会で、フリーダムトレイル沿いの名所のひとつでもあります。
1819年にハワイに送られた最初の宣教師はこの教会から出された人です。
また、サミュエル・フランシス・スミスの賛美歌、
「My Country‘Tis of Thee」が、1831年7月4日に子供たちによるコーラス初めて歌われた教会でもあります。
「My Country‘Tis of Thee」は、先ごろのオバマ大統領就任時に、アレッサ・フランクリンによって歌われたのは記憶に新しいところです。
アレッサの歌は、なかなか感動的でしたが、あの曲ってイギリスの国家のパクリだと思うのですけど。。。クリソツですよね。
子供の頃に『紅はこべ』が愛読書だったおかげで、なぜかイギリス国家が歌えてしまうワタシです。(有難いことに歌詞がカタカナで載っていたんですねぇ。)
Park Street Church - Freedom Trail ?
1 Park St. Boston, MA 02108
http://www.parkstreet.org/ -
フリーダム・トレイルのガイド付きツアーの人々です。
ガイドさんは建国当時の服装で案内しています。
歩むペースが同じくらいなので、まるでついて歩いているかのごとくになってしまいました。ツアーに参加しているわけではないので、聞いちゃ悪いなぁと思いながら一緒に移動していました。 -
パーク・ストリート教会の向かいのボストンコモン側だったと思うのですが、ザ・コモンの歴史についてのグレイのプレートがありました。
簡単に言うと、1634年ころにジョン・ウィンスロップ(マサチューセッツ湾植民地初代知事)がボストンと呼ばれている地域を、ウィリアム・ブラックストーン氏(かなり早い時期の入植者)の土地とその権利を購入することに合意したってことですね。 -
ゆるやかに湾曲した壁面が美しいサフォーク大学のロースクールです。
いい立地条件ですね。
1906年にロースクールとして設立されました。
ダイヴィッド・サージェントとは、現在の学長の名前から取られています。
Suffolk University Law School, David J. Sargent Hall
120 Tremont St. Boston, MA 02108
URL: http://www.suffolk.edu/ -
サフォーク大学のロースクールの向かいでパーク・ストリート教会の隣はグラナリー墓地。
1660年に設立され、ボストンでも3番目に古い墓地です。
1737年にグラナリーという名前がつけられました。
また、アメリカのウェストミンスター・アビーとも言われています。
1776年7月4日に独立宣言の署名をした3人、サミュエル・アダムス、ジョンハンコック、ロバート・トリート・ペインなど、独立戦争時代の愛国者の墓を多く含んでいます。また、墓石数は2345ですが、約5000人の人々が埋葬されていて、一家に一墓石というところなのでしょう。
Old Granary Burying Ground - Freedom Trail ?
Bromfield St./Tremont St. Boston, MA 02108
URL: http://www.cityofboston.gov/freedomtrail/granary.asp -
この墓地に眠るのは、ポール・リヴィア、サミュエル・アダムズ、ジョン・ハンコックなど。
入り口のゲートのところに「ポール・リヴィアここに眠る」サインボードが掲げてありました。
入り口のところで、説明書きを渡してくれます。出るときには返すのですが、ドネーションもお忘れなく。 -
1770年のボストン虐殺事件で死亡した5人の犠牲者の墓碑。
上から順に、
ロープ製造業のサミュエル・グレイ(即死)
わずか17歳のサミュエル・メイブリック(跳ね返り弾を受けて翌日死亡)
水夫ジェームズ・コールドウェル(即死)
アフリカ系アメリカ人の水夫のクリスパス・アタックス(即死)
アイルランド移民パトリック・カー(2週間後に死亡) -
こちらはサミュエル・アダムズのお墓。
アメリカ独立の礎となったボストン虐殺事件を、独立派のサミュエル・アダムズは、反イギリスのプロパガンダとして用いていますし、1776年の独立宣言書に署名しています。
第2代アメリカ合衆国大統領ジョン・アダムズは又従兄弟。
ボストニアンなのよね。
ビールも美味い!
ボストン・ビール・カンパニーが1985年に「サミュエル・アダムズ」と命名した地ビールを発売しています。
10種類くらい展開していますが、主流なのはボストン・ラガー。
Samuel Adams(1722年9月16日- 1803年10月2日) -
ポール・リヴィアのお墓です。
裕福な銀細工師であり、アメリカ独立戦争中は愛国者として活動していました。
1775年、レキシントン・コンコードの戦いにおけるメッセンジャー(イギリス軍の動きをジョン・ハンコックとサミュエル・アダムズに警告する)という役割を担ったがために愛国者のシンボルとされ、死後も賛美されています。
それにしても、ボストンから別のルートで向かったウィリアム・ドーズ・ジュニアは気の毒なような気がします。レキシントンに到着したのが30分遅れで、不朽の名声を逃してしまったのです。もしもドーズの方が先に着いていたら、フリーダムトレイルに入っているのは、ポール・リヴィアの家ではなく、ウィリアム・ドーズの家だったのでしょうか。
Paul Revere(1735年1月1日 - 1818年5月10日) -
オベリスクの形のジョン・ハンコック・メモリアル。
ジョン・ハンコック17歳の時にハーバード大学で経営学の学位を受け、育ての親である叔父の事業と遺産をを引き継ぐことになり、当時のニューイングランドで最も富裕なでした。
独立宣言書(the Declaration of Independence)に署名されたサインの中では、ジョン・ハンコックのサインが一番大きいのだそうです。 -
墓地の中央にドドンとあるのは、ベンジャミン・フランクリンの両親のオベリスク。
本人じゃなく、両親というところがイマ一つです。
バンカーヒル・モニュメントと同じ石切り場で採掘された花崗岩だそうです。 -
スペンサーブックスでもお馴染みのパーカーハウス。
ただしリッツやフォーシーズンズのように依頼人や事件関係者が泊まったことはないようです。
パーカーハウスは、ボストン・クリーム・パイ誕生の地でもあります(1855年)。スポンジケーキなのですが、パイ皿を使って焼いたことからこの名前になっています。
スポンジの間にカスタードクリームをたっぷりはさみ、チョコレートのガナッシュを掛けてあるのです。ホテルのホームページにレシピが載っています。
また、パーカーハウスで働いたことがある人物で、後年まったく違ったキャリアを歩む有名人がいます。
それは、ベトナムの革命のリーダーであるホー・チ・ミンで、1915年頃にキッチンで働いていました。
さらに、黒人の権利擁護運動の活動家マルコム・Xは、1940年代にレストランのバスボーイ(ウェイターの下でお皿を下げたりする係り)をしていました。
Omni Parker House
60 School St. Boston, MA 02108
URL: http://www.omnihotels.com/FindAHotel/BostonParkerHouse.aspx -
フリーダムトレイルの5番目は1688年に建てられたキングス・チャペル。
この「キング」は、イギリスのジェームズ二世のことです。
建てられた当時は木造でしたが、1754年に5年の歳月をかけて現在の花崗岩のチャペルに建て替えられました。様式はネオクラシカルかリージェントというところでしょうか。
取り壊された木は、カナダのノヴァ・スコシャのルーネンバーグにあるSt. John's Anglican Churchに使われていたのですが、2001年のハロウィンの夜に破壊され、現在修復中だそうです。
キングス・チャペルの鐘はイギリスで製造され、1772年に取り付けられましたが、その後割れてしまい、1814年にポール・リヴィアの鋳造場で作りなおされました。それは、リヴィアによる最後の鋳造作業であり、それ以来は存命中は鐘を鳴らしたのはリヴィアでした。リヴィアさん、大活躍ですね。
リヴィアはこの鐘を「the sweetest bell we ever made.」と言っていたそうです。
キングズ・チャペルは、ナショナル・レジスター番号74002045で、1974年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。
King's Chapel - Freedom Trail ?
64 Beacon St. Boston, MA 02108
URL: http://www.kings-chapel.org/ -
キングス・チャペルの墓地は、ボストンでも最も古い墓地で、作られてから30年間はボストン唯一の墓地でした。
ここに葬られているのは、コロニーの初代知事ジョン・ウィンスロップ、コロニーで初めて印刷した本を売り出したアッシャー、メイフラワー号から降りた最初の女性 メアリ・チルトンや、ポール・リヴィアと共にイギリスの軍隊の到着の警告をしたウィリアム・ドーズなど。
King's Chapel Burying Ground - Freedom Trail ? -
この場所は1810年にサフォーク郡の裁判所となり、1841年に市庁舎を含みました。
そして現在の建物は、1865に建てられたセカンド・エンパイア様式のオールド・シティ・ホールです。
1968年に市庁舎の機能が新しいシティホールに移転してからは、オフィスビルとして活用されています。(テナントはちょっとエスタブリッシュっぽい感じですが)
Old City Hall
45 School St. Boston, MA 02108-3204
URL: http://www.oldcityhall.com/
オールド・シティ・ホールは、ナショナル・レジスター番号70000687で、1970年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。 -
また、この場所には、ボストンの最初の公立学校であるところの、ボストン・パブリック・ラテン・スクールが建設されていました。
メイフラワー号から15年後の1635年で、ハーバード大学に1年先行しています。ここの卒業生のためにハーバードが創立されたのだと卒業生は言っています。
それが本当であるかどうかはともかく、ラテン学校からハーバードに進む人数は多く、このところは1学年25名平均だそうです。
学校があったことから、この前の通りはスクール・ストリートと名付けられました。
卒業生はサミュエル・アダムズ、ジョン・ハンコック、JFKのお父さんであるジョセフ・ケネディ、建築家のチャールズ・ブルフィンチ、ソヴィエトのスパイのローゼンバーグ、指揮者のレナード・バーンスタイン等等。
現在学校はロックスベリー(フェンウェイの南)に移転しています。
Boston Latin School
URL: 78 Avenue Louis Pasteur, Boston 02115
URL: https://www.bls.org/podium/default.aspx?t=113760&rc=1 -
庭にあるベンジャミン・フランクリン(1706-1790)の銅像です。
発明者、科学者にして政治家のフランクリンは、少年時代にこのラテン学校に通っていました。ただし卒業はしていません。
この銅像の台座の部分には、フランクリンの業績の絵が浮き彫りにされています。また、庭にはボストンの2代目市長であり、1823年から6年連続で任期を務めたジョサイア・クインシーの銅像もあります。
Benjamin Franklin statue - Freedom Trail ? -
オールド・シティ・ホールの庭にはロバの像があります。
これはボストンに市庁舎が置かれて以来、38人の市長のうち20人の民主党員市長がロバを党のシンボルとして採用したためです。
ちなみに共和党のシンボルは象です。 -
オールドサウス・ミーティングハウス、ジョージアン様式ですかね。
1729年に建てられたピュ−リタン教会で、当時のボストンではもっとも大きい建物でした。建物の中でも大きなことが行われていて、植民地時代には独立についての集会や討論の場であることは本国イギリスにも知られていました。
そして例のボストン茶会事件(1773年)の決起集会が行われたのもここであり、ボストン茶会事件が独立戦争のきっかけになったことを思うと、ここで歴史が作られたと言っても過言ではありません。
Old South Meeting House - Freedom Trail ?
310 Washington St. Boston, MA 02121
URL: http://www.oldsouthmeetinghouse.org/default.aspx
オールドサウス・ミーティングハウスは、ナショナル・レジスター番号66000778で、1966年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。
下の画像は、オールドサウス・ミーティングハウスの前のレンガの道に描かれていたサイドウォーク・ペインティング。
おそらく茶箱を海に投げ捨てているシーンを描いたものと思われます。
サイドウォーク・サムと彼のアーティスト・チームは、オールドサウス・ミーティングハウスの前の舗道に、ボストン茶会事件の様子をテーマにしたペインティングをしています。
今年(2009年)は3隻の紅茶運搬船と海に浮かんでいる紅茶籠をフィーチャーした題材だそうです。
大きく「Salada」と描かれているのは、スポンサーがSalada Teaという紅茶の会社だからです。サラダ社は現在ボストンにはなく、以前会社があったバークレーとスチュアート・ストリートの角の建物は「Grill 23」というレストランになっています。
ふふふ、「Grill 23」は、スペンサーが『ペーパードール』の第28章でビールにチキンサンドウィッチを食べています。
Salada Tea
URL: http://www.greentea.com/bostonteaparty.aspx -
ろくすっぽガイドブックを見ていなかったのが災いして、オールドコーナー・ブックストアの画像は取りこぼしていたのだろうと思っていました。
あの界隈は何度も何度も通っているので、丹念に探していたら、わずかにギャンブレル・ルーフの部分のみですが、画像が見つかりました。(一番低いところ)
ブックストアが出来たのは1718年、ボストンでもかなり古い方のストラクチャーです。建てられた当初、この建物の1階は薬局で、2階部分が住居でした。
1829年にブックセラーのティモシー・ハリントン・カーターにリースされたのがきっかけですが、特に1832年から1864年までここで出版業を営んでいた Ticknor & Fields社は大成功の口で、19世紀の半ばには作家達の会合場所であり一種の文学センターとして大盛況でした。
ホーソーン、ロングフェロー、ストウ夫人、オールコット、テニスン、ディケンズ、マーク・トウェインなどの出版を手がけています。現在は宝石店になっています。
実は「ティクナー」という名前には心あたりが。。。
スペンサーシリーズの『レイチェル・ウォレスを捜せ』で、レイチェルの本を出版している会社の担当者の名前がティクナーなのです。著者のパーカーはここから名前を引用したのでしょうか。
Old Corner Bookstore Building - Freedom Trail ?
Washington Street at School St. Boston, 02111
レンガ造りのパブリックパーキングの後ろの高いビルは、ワン・ボストン・プレイス。1969年完成、601フィート(183,2メートル)41階建てオフィスビル。
何の変哲もなさそうに見えるボックス型のビルディングですが、ツリー型のブレーシングがユニークです。これって絶対にクリスマスシーズン向きだと思います。
One Boston Place
1 Boston Pl. Boston, MA 02108
URL: http://www.onebostonplace.com/ -
1711年の火事による消失のため(木造)、1713年に建て替えられた(レンガ)オールド・ステート・ハウス。
まるでブーフーウーのようですね。
オールド・ステート・ハウスは、居留地の政治生命と考えられており、植民地時代(マサチューセッツ・ベイ・コロニー)には、経済やローカルのニュースの交換のための自然な会合場所でした。フリーメーソンの宿泊所も兼ねていたし、1階は商人のための交易所であり、地下はジョン・ハンコックなどが倉庫として使っていました。
それがために植民地時代のアメリカで最も重要な公共建築の1つと呼ばれていました。また、当時のワインセラーは、現在は地下鉄の駅になっています。
画像は東側のファサードです。
赤白青の三色のリボンに飾られているバルコニーが、1776年に独立宣言書が読み上げられた場所で、バルコニーの下のキング・ストリート(現在はステート・ストリート)は、植民地独立のきっかけになった事件の一つであるボストン虐殺事件が起きた場所でもあります。
建物の上部の左右に金色のユニコーン(右)とライオン(左)が見て取れます。言わずと知れたイギリスのシンボルです。オリジナルは独立宣言当時の1776年に引きずりおろされて燃やされましたが、ボストン・ヒストリカル・ソサエティが建物をリストアする際の1882年に、再び置かれました。
Old State House - Freedom Trail ?
206 Washington St. Boston, MA 02109
URL: http://www.bostonhistory.org/ -
こちらはオールド・ステート・ハウス西側のファサードです。
中央に飾られている金色のイーグルはアメリカのシンボル。 -
ズームインしてみましょう。イーグルの上にあるレリーフの周りはラテン語で碑文が書かれています。
「sigillum cum et societe de massachuset bay in nova anglia」かな?
ラテン語はまったくわからないのですが、レリーフの中央にはネイティブアメリカンが描いてあります。 -
ちょいとピントが外れてしまったのですが、オールド・ステート・ハウスの階段です。
エントランスを入ってすぐのところにある螺旋階段には、18世紀の職人によって作られた美しい木製の手すりが左右に付けてあります。このような見事な手すりはなかなか見ることができません。 -
ステート・ストリートを渡って、ファニュエル・ホールにやってきました。
レンガ造りのジョージアン・スタイルで、裕福なフランス人の商人、ピーターファニュエルによってボストンに寄贈されました。建物のサイズは間口24メートル、奥行き30メートル。
ホールの1階は、マーケットプレイスとして、2階は会議所になっていました。ここはサミュエル・アダムスと仲間達が移住民が、代表権の無い課税について異議を申し立てたところです。
1764年から1774年の間で、アメリカ人の愛国者によって多くののミーティングが行われたことから、「リバティの揺りかご」というあだ名をファニュエルホールに与えました。
19世紀の初めには、建物は手狭になったため、チャ−ルズ・ブルフィンチによってビルの幅が倍にされ、さらに3階が付け加えられました。
ホールの前の銅像はサミュエル・アダムスで、台座の部分には、「愛国者 - 革命を組織し、独立宣言書にサインした」と書かれています。
ファニュエル・ホールは、ナショナル・レジスター番号 66000368で、1966年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。
Faneuil Hall - Freedom Trail ?
1 Faneuil Hall Sq # 1, Boston, MA 02109
URL: http://www.faneuilhallmarketplace.com/ -
クインシー・マーケットの画像は『スペンサーのボストン』に載せたのとかぶってしまうのですが、1枚しかないのでご容赦。
ファニュエル・ホールに隣接してクインシー・マーケットが建設されたのは1824-1826年。名前の由来は当時の市長であるジョサイア・クインシー3世です。彼は特別な課税などしないでこの建物を建てたことでも評価されています。
初期のクインシー・マーケットは生産物、卵やチーズパンなどが販売され、のちに食肉業者が加わりました。屠殺はしばしばこの場所で行われていたそうです。
すっきりとしたドリス式円柱を持つファサードは、ニューイングランド花崗岩で造られていて、長さ163メートルの内部はレストランやファーストフード店のほかに、100店舗ものお店が入っています。
クインシー・マーケットは、ナショナル・レジスター番号 66000784で、1966年にアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されています。
Faneuil Hall Market Place - Freedom Trail ?
URL: http://www.faneuilhallmarketplace.com/ -
ファニュエル・ホールとクインシー・マーケットの周りでは大道芸人が多数出ていて拍手を浴びていました。
コーヒーとチョコレートチップクッキーでちょっと休憩しました。 -
ファニュエル・ホールのすぐ近くにあるニューイングランド・ホロコースト・メモリアルは、ボストンにおける第二次世界大戦の間にホロコーストで命を落としたユダヤ人に捧げられたメモリアルです。
1995年に建設され、訪問者が歩くことができる6つのガラスの塔から成っています。6つの塔は6つ収容所( Majdanek, Chelmno, Sobibor, Treblinka, Belzec, Auschwitz-Birkenau )を意味し、塔に刻まれているのは、ホロコーストで殺された人600万を象徴する600万の番号です。また石碑には年号別に亡くなった方々の名前が刻まれていました。
New England Holocaust Memorial
126 High St Boston, MA 02110
URL: http://www.ushmm.org/ -
クインシー・マーケットから撮影した、オフィシャルネームが「60 State Street」というオフィスビル。
高さ509フィート(155,1メートル)、1977年に赤色花崗岩で造られた38階建て、ボストンで13番目に高いビルです。
33階にボストン大学のクラブが置かれているそうです。
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