2009/05/26 - 2009/05/26
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Weiwojingさん
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桂離宮、京都御所、ボーリズ関係の建築物を見た後は、新島襄旧宅、錦小路、祇園等を見て回りました。同時に、郊外にも足を延ばして、実相院を見学に出かけました。
実相院は女院御所とも言われ、280年前に大宮御所の一部を移したもので、大変貴重なものと言われています。しかし、檀家を持たず、また、重要文化財の指定を受けていないために、かなり老朽化しているようです。この日はあまり訪れる人もおらず、ひっそりしていて、それがまた逆にゆっくリ、落ち着いて見学することができました。
(* 表紙を含めて若干、販売されていた絵葉書を使わせていただいたことをお断りします。)
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出町柳駅から叡山鉄道で高倉駅を降りて、実相院へ向かいました。途中京都近郊らしい家々を通り過ぎて、しばらく歩くと、お地蔵さまがたくさん祀られているところに出ました。地元の人がよくお世話をしているようです。
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ある民家の屋根の上に七福人の一人大黒様が本来鬼瓦が置かれているところに鎮座しています。
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「岩倉具視幽棲旧宅」という看板が見えます。
本来はここも見学したかったのですが、普段は公開されておりません。たまたま観光案内パンフレットを見ていたら、今年は5月下旬に公開予定と書かれていたので、それならばぜひ見てみたいと思っていたところ、すでにもう終わってしまったとのことでした。大変残念です。 -
入口には「岩倉具視幽楼旧宅」と書かれた説明板が立っています。説明によると、岩倉具視は1862年(文久2)から1867年(慶応3)まで、ここに幽楼されていたとのことです。
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見学できなかったのは大変残念です。周囲を一回りし、実相院に向いました。
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旧宅の前にこんな美しい花がさいていました。清楚な花ですね。名前はわかりません。
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岩倉具視幽閉旧宅から歩いてすぐそばに「実相院」があります。
パンフレットによると、実相院は元天台宗寺門派の門跡寺院で、鎌倉時代の1229年(寛喜元年)、関白尾近衛基通の孫・静萁権僧正により創建されました。当初の柴野上野町(北区)から洛中の五辻小川へ移転し、応仁の乱の戦地となったために、現在の岩倉に寺域を構えました。再興されたのは江戸時代前期の義尊僧正の時で、寺門派三大門跡の地位を確立し、後水尾天皇と東福門院たちの岩倉御幸を通じて天皇家とゆかりを深め、王朝文化の影響を受けました。
その陰に後陽成天皇の寵愛を受けた義尊の母・三位局の支援がありました。客殿、御車寄、四脚門は1721年(享保6)、東山天皇の中宮・承秋門院の旧殿を移築したもので、貴重な女院御所の遺構となっています。 -
入口の門から実相院の内部を見てみました。中はひっそりしていますね。では、早速中に入ってみましょう。
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寺内には2つの庭があります。ひとつはこの木々がうつそうと茂る裏庭です。池泉式回遊庭園です。
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静かな園内には流れ落ちる水音だけが聞こえています。
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池のまわりは鬱蒼とした木が生い茂り、建物に覆いかぶさるような状態になっています。
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この庭には夏になると、希少動物「モリアオガエル」が見られるそうです。
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冬の裏庭の風景です。
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もう一つの庭は表に面した枯山水式の庭園です。
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春の桜の時期もなかなかよさそうです。華やかさというよりも、落ち着いた、渋みのある雰囲気を味わうことができるでしょう。
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これは春室内から外の樹木を取り入れるような形で撮った写真です。
「床(ゆか)みどり」と呼ばれています。よく磨かれた床に外の緑が映えて、大変美しいです。 -
こちらは秋の紅葉の季節に撮ったもので、「床もみじ」と呼ばれています。燃えるような赤い色が床に写し出され、美しいの一言です。
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客殿には江戸時代中期に活躍した狩野永敬をはじめとす狩野派の襖絵がめぐらされています。
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御本尊の「不動明王」です。
最後に、興味のある方は実相院に関する情報を次のURLから検索してみてください。
* http://www.jissoin.com/
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