2007/04/24 - 2007/05/08
114位(同エリア131件中)
ちゃおさん
タイ語のハタ先生は学生の頃この町の近くの田舎町でフィールドワークをしていたそうであるが、この町もベトナム戦争時米軍の発進基地となり、どことなくウドンタニに似た感じもあるが、タイ政府がここを東北・イサーン地方の行政・教育センターの中心とすべき計画の下に発展した為、道路も広く直線状で町全体はすっきりした感じである。
ウドンタニからコンケーンまでは200キロに満たない移動だから今日もまた朝はゆっくり起き、ホテル近くの市場まで出て市場内の簡易食堂で朝食を取る。40年配のマスターから「アナタ日本人ですか?」とちゃんとした日本語で聞かれたのにはびっくりした。
こんな田舎町のこんな市場の中の小食堂で、日本語で話しかけられるとは思いも寄らなかった。聞くと矢張り若い頃日本に住んでいたことがあるらしい。今は日本政府もタイ人の入国を厳しく制限しているが以前は自由に行き来でき、この様な日本で生活したことのあるタイ人は全国に散らばっているのだろう。
今年は日タイ修好120年。世界が国境の垣根を低くし、自由な往来が活発になる中、アジアに於いて唯一無二の立憲君主国同士が、お互いの交流を制限するような政策は時代の逆行とも言える。日本国政府は親日派である殊タイ人に対しては、1日でも早い門戸開放、垣根の撤廃をすべきではないかと思った。
より多くの親日国家との絆を強くすることにより、国連常任理事国の座席もより近づくというもの。バランス感覚に優れているタイ政府は、スラユット首相が先月訪日したと思ったら、今月は訪中している。先般の安保理改革において、これ程親日的と思われていたタイが賛成の一票を投じなかった背景には、中国、韓国の無言の圧力があったかも知れないが、タイとの間にもっと太いパイプ、強い絆を構築しえなかった日本国政府の責任も小さいものではない。
天皇と国王。同じ皇族を尊崇する国民心情には共通のものがあるに違いない。マスターとは次から次にやってくる客捌きで、ゆっくり話も出来なかったが、この町には又来たい。昨夜の唄と踊り、岡本太郎は芸術は爆発だ、と叫んだが、原っぱのようなオープンスペースで最高の芸能を観劇し堪能できた昨夜の経験は生涯忘れえぬものになろう。
今晩のホテル、チャルーン・タニ・プリンセスはイサーン地方最大且つ最高のホテルで、短パン、サンダル履きでチェックインするには少し気の引ける思いもしたが、エメラルド寺院のような服装チェックは無かった。そうそうエメラルド寺院では服装制限があり短パンは厳禁。で、入り口で100バーツを預託して長ズボンを借り、短パンの上から履き替えたのをつい思い出したりした。
12階建てのホテルはこの町で一番高いビルで、北側にはシースルーのエレベターもあって、8階の部屋を往復する度に街の風景が眺められた。タイは広くて大きい。北から東に向け、広大な平原が地平線まで続いている。直ぐ目の下にはタラート、中央市場があり、このホテルが街の中心に位置していることが分る。
さて昼飯はどうしよう。大きなタラートはどこまでも続き、狭く入り組んだ路地などもあり、少しばかり中近東のカスバの雰囲気もあったが、店の人が皆アジア人で、ベールなども覆ってなく、安心が先に立つから売っている品揃いなどを見る余裕もある。魚を売っている店も意外と多く、大概は川魚だと思うが、売り子の少年達は自慢げに「タレー、タレー」と言って、海の魚を強調する。どうせ買うつもりは無く、冷やかしで見ているだけだが、この辺は海からは随分離れていて、当然海の魚は希少で、値段も高いのだろう。
タライの中に体長60−70cm、でっぷり肥えて長い髭もある黒ずんだ魚が身をくねらせていたが、多分「大なまず」の一種に違いない。値段を聞いたら300バーツと言っていた。料理店が買うのか大家族が1尾買いするのか知らないが、どこか日本の鮟鱇に似た感じの魚だった。
ドリアン、マンゴー、ランプータン。今が最盛期なのか、どの店にも山高く積んである。しかも安い。ドリアン一山40バーツで、それだけ食べれば結構腹の足しにはなるが、悲しいかな人間の習性、何か実のあるものを食べないとお腹が収まらない。タラートを出て暫く行った先に、ウドンタニにあったと同じ様なショッピングセンターがあり、ここはもう将にアメリカ資本のWatson’s。
ウドンタニと同じ様にアメリカナイズされていて、4階のレストラン街は一部高級店を除いてすべてセルフ店で、先にバウチャー(金券)を購入し、後は自分の好きな店に入り、好きな料理を選び、最後はそのバウチャーで精算する。まさしく米国式セルフサービスで、その中にはマクドナルド、ケンタッキー、ダンキンドーナツ等のアメリカ系の店も多くあった。タイまで来てハンバーグを食べることもないので、地元資本の店に入り、何か分らないイサーン料理らしい炒め物を食べたが、タイ料理はどこで食べても自分の舌には合っていると思った。
ウドンタニにしてもコンケーンにしても云わば新興都市。それなりに古いお寺、ワットはあるかも知れないが、別の町でもう大体の有名寺社は回っているので、今更またお寺巡りの気分にはなれない。お昼を食べてさてどこに行くか決めかねていたが、そうこの町は学術都市。タイに幾つかある国立博物館もこの町にある。市街地を横断する形で、街の北側にある博物館に向う。
学術の町だけあって、途中の道路沿いには大きな学校、専門学校が並んでいる。この先の方に国立大学もある筈だ。しかし今は博物館へ行くので、目的を違えない。ツクツクは何故か館の裏庭に入り、裏口から館内に入り込む。
裏庭にはイギリスのストーンヘンジに似た石柱の環状列石が3つ4つ屋外展示されていて、これ等は皆この近くの遺跡から運ばれたもののようである。秋田地方のストーンサークルは平べったい平面状の形状だが、ここのものは加工された御影石が石版状になっていて、人間の背の高さよりも高く地面に突っ立ち、サークル内を囲っている。何か宗教的儀式に使われたのか、或いは神聖な場所としての結界としていたのかは不明であるが、古代ケルト人にしても古代秋田人にしても又この古代タイ人にしても、又々現代人にしても、人間の考えることは似たようなものかも知れない。何か特定の場所を盤座(いわくら)、依代(よりしろ)とし、他の場所から切り離して神聖な場所としているのは神道でも見られることである。
石碑に何か碑文でも彫ってあるかと、表面を仔細になでてみたが、その様な彫り物は無く、石碑は何かの記念碑というより、純粋にサークルの結界を示すものの様だった。
館内に入ると警備員も誰もいない。のんびりした国だ。日本と違って骨董品を盗むようなドロボーもいないのだろう。裏側の展示室から順番に見て行って、正面側に回ったら女性が三人日陰でお弁当を食べている。小さなテーブルの上に大皿を置いて、三人でつついている。日本の仲の良いOLの昼食時と変わらない光景。お客さんが来たのを見て、バツの悪そうに急いで入館料を徴収する。お客さんがいないんだから、サボったって好いじゃないですか。
館内に随分大きな人骨があったので聞いてみると、この近くのバーンチェン遺跡から発掘されたもので、身長は180cmもあると言う。このバーンチェン遺跡は今から4000年も以前に栄えた文明で、紀元前200年にその地から忽然と姿を消した民族であるが、今現在は世界遺産に登録されている。
異様な長身の人骨は殆ど痛んでいない形で仰向けに横たわり、コレが4000年前の骨かと見まごう程に綺麗に保存され、時空を超えて今にある。4000年前の原始人の生活は如何ばかりか、現在にまで残され、今もなお館内に展示されている土器、土偶、壺、皿の類。泥で固められ、波型の文様に彩色された壺は縄文の波紋型土器に酷似していて、取っ手の部分の突起状態などはこれが火炎土器であっても全くおかしく無い程に類似していた。
古代にあっても文化、文明の伝播は我々現代人が想像も出来ない位に広範に且つ活発に行われていたに違いない。この地に於いては既に紀元前より青銅器、鉄器が生産されていたようであるが、中国、エジプトにあったような巨大中央集権国家にならなかったのは、それ等の利器が武器として利用されたのではなく、生活に密着した農耕、その他の生活手段として利用されたからであろう。
つい数十年前までのラオスが部族集団の集合体としての国家であったように、この地に於いては部族単位の独自性、独立性が近年まで保たれ、一時的なヒエラルキーがあったとしても、基本的には原始共同体に近い形での集落、或いはミニ国家が遥か遠い数千年の長きに渡って継続し、隣接部族との間の融和と交流を維持してきたものと思われる。
山口県土井ケ浜に大量の人骨が発見されて久しいが、それ等は皆170cmを越える長身で現在の日本人とはマッチせず、その後の足跡も何処かへ消えてしまっているが、紀元前200年前後、バーンチェンの地から忽然と姿を消した長身族の一部がこの日本の地まで来て、日本の縄文、弥生に大いなる影響を与えたことどもを想像し、誰もいない館内で一人太古のロマンを掻き立てられた。
博物館の前からは市内循環の乗り合いバス、ソンテウが間合いなく走っていて、6バーツ払いどこ行く宛てもなく乗り込む。市内をぐるっと半循し、各種学校の多さに認識を新たにし、丁度博物館とは街の反対側に位置する湖の前で下車する。広い湖で湖畔にはレストランとその横の四阿があるだけで後は何も無い。折しも小雨の煙る湖面。服部先生のような漢詩の素養がないのが悔やまれる。
天気の良い日には大勢の遊歩客と湖面に浮かぶボートに心休まる思いもあるかも知れないが、今日の小雨、人一人いないレストランで、ビールの泡と湖面に撥ねる雨滴を見比べ、遠く西湖を思い浮かべていた。何年か後、この湖もいずれ西湖のような情緒豊かな情景に変わって行くであろうことを予感した。
数年前、ここでAPECの会合が行われたらしく、その時の英文掲示板はむなしく風に煽られていたが、その近くに日本の消防車2台が停まっているのは少し驚いた。数日前、ビエンチャンで工事用トラックから流れ出した突然の日本語にはびっくりさせられたが、ここでも又日本語表示の消防車には驚かされた。
それは真っ赤な消防車の車体に、色鮮やかな金色で「伊豆市消防団、第十一分団、松ヶ瀬班」と日本語でペイントされていて、つい昨日まで伊豆市で使用されていたかの様に真新しく、何で日本の消防車がこんなところにいるのだろうと、いぶかしくさえ思った。そうかこれも援助の一つで、2年前に伊豆市が誕生し、行政・組織の統廃合でいらなくなった消防車をこんな形でタイに提供したのだろう。
日本語の読めるタイ人はごく限られていて、書いてある内容は日本語なのか中国語なのかも判別できず、単に漢字の装飾程度にしか思われないかも知らないが、異国を旅する日本人にとっては思いも寄らない場所での日本語の再会に少しばかりの感動を覚えた。どうした経緯で消防車がここにあるのか聞いてみたく、運転手の戻るのを暫く待ったが、一向に戻る気配も無く、小雨の中、再びソンテウで市街地に出てホテルに戻る。
< 望郷の 湖畔の柳 雨霞む >
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