2007/04/24 - 2007/05/08
1038位(同エリア1133件中)
ちゃおさん
<閑話休題> 「ラオスという国−純な人々へ」
この国の人々は自国通貨よりもタイバーツ、USドルにより信頼を置いているようだ。ラオスの通過「キップ」は極端なインフレ通貨で、ちなみに1万キップスが日本円で僅かに100円。
タイではいつも1万円札をタイバーツに交換していたが、ここで1万円を出したら一体どの位の量のキップスが渡されるか想像もつかず、交換はいつもタイの1000バーツか20ドル紙幣で行っていた。街でもバーツとドルの併記で、むしろバーツを出した方が喜ばれる。流通量もむしろキップよりは多いと思われる。
ゲストハウスでの精算の際も、Faxで予約したとおり二日分の宿泊費32ドルはドルで徴収され、二日分のサイクル代約200円は60バーツで徴収された。
いつ政変で国体が変わり、昨日まで使っていたお金が明日から使えなくなる、との国家に対する信用の無さが心の底に蓄積されているのかも知れない。
実際、つい数年前まで国は戦乱状態で、政体はしばしば変わり、国に対する信頼性は全く欠如していた。人々は国家よりも仏教により多くの信を置いていた。現状を救ってくれるのは政府ではなく、親子代々帰依してきた仏の外には無い。国民の心情は金ぴかのタートルアンによく現れているように思えた。
恒心恒産と言うが、この国も戦争から解放されて二十数年、漸く人々は平和の中で、今や国家建設、資産形成に目が向いてきたように思える。街のあちこちでの道路建設、凱旋門及びタートルアン周辺の都市整備等がその例であり、市内のあちこちの施設に、日本国政府の援助で建設されたという日の丸プレートの表示は、日本としても更なる援助が期待されるところである。
物価の安いこの国で、僅かな金額の援助で、多くのラオス人から喜ばれ感謝されるのであれば、こんな効果的な援助もない。1億円がこの国では100億円に当たり、この国での100億円の事業がどんな途方も無い大きなものかを想像した場合、昨日、今日会った街の人、僧侶、店員、その他の人々の日本人を見る目に好意的な暖かさが宿っているのが漠然と理解できるものだった。
社会整備が遅れていて、衛生面でのハエの多さには辟易とするが、人間、意外と慣れっこになって、多少ハエが食べ物にたかった位ではそれ程気にならなくなる。他人の痛みとか残虐さなど心の問題も同じ様に繰り返し行われることで不感症になるのかも知れない。
ラオス国民の多くもこの様に、いつまで経っても貧しさから抜け出せない、貧しさの中での不感症に陥っているのかも知れない。これが当然の状態であると錯覚しているのかも知れない。
空港に近いバス・ターミナルでトイレに入ったところ、料金収受所の大人に混じって4−5人の少女が屯している。トイレを出ると向うから日本人か、と聞いてくる。そう、イープン、日本人だ、と答えると、数語分らない言葉を話したと思ったら、次に隣にいる少女を差し、買わないか、と言ってくる。100バーツで良いと言う。隣でトイレ料金を徴収している小母さんは知らんぷり。まさかこの小母さんの娘とは思えないが、日本で言えばまだ中学に上がるかどうかの年齢。これが今アジア最貧国で問題になっている少女売春の実態なのか。
生活の貧しさ抜け出るため、僅か300円程度で身体を売る少女。親から言われてやっているのかどうかは知らないが、この国の産業は何だ、と問われ、セックス産業だ、身体を売るしか収入の道はない、との答えを聞くとすれば、この国のこんな悲惨な話もない。
明治の日本がそうであったように、150年遅れの開国を迎えた今、ラオスの殖産興業は何か、観光以外に収入の方途はあるかを考えた場合、内陸国の、しかも主だった鉱物資源も無いこの国の将来は暗澹とならざるを得ない。しかし一方で、先進国が失いつつある自然が豊富に残され、人々のトライバルな生き様、自然との共棲、何も経済だけが生きる価値の尺度ではない、生きることの喜びは経済とはかけ離れたところにあることを近代社会に示すことにより、米欧人にとっての一つの生き方の見本ともなり、今現在多くの西欧若人を惹きつけている理由になっているのかも知れない。
川沿いの貧しげな集落で、或いは川原で昼間から酒盛りしていた車座の真ん中には、空になったビールの大瓶が何本か転がっていたが、それ程生活に余裕があるとは思えない人々は、明日への希望を無くし、現状からの逃避としての一時的なトランス状態になっているとすれば、あながち彼等のうたかたの饗宴を批難すべきではないと思う。
いや、将来を考えない又は考えても意味のない彼等からすれば、将来の不可知な問題に思い悩むよりは、今ここにあることの有り難さ、今身近にある現実に最大の喜びを表す行為とすれば、その行為を誰が批難できようか。小生には彼等の生き様を見ていると、これは将に道元禅師の言う「而今」ではないかとすら思えた。
「而今」の本当の意味はもっと別の少し違った意味かも知れないが、単純に今だけに捕らわれている享楽者では片付けられない、彼等の自然との共棲の中での「人間万歳」を謳歌する豊かな感性、それが道元の言う「而今」の本髄ではないか、と見た。
貧しき者に幸あれ、貧しき者純なるかな、は聖書の中の言葉としても、人類共通の真理でもあり、この国の貧しさが、この国の国民の心を純化している、と言っても言い過ぎにはならない程の純朴さであり、逆に我々先進国人は余りにも貨幣経済に漬かりすぎ、飾りすぎ、虚飾に堕ち、彼等の真の心の平和、身近にある自然の豊かさ、明日を煩わない今日の喜び、人間の最もプリミテヴな行為と是認、その他諸々の人間の本質、からはかなり離れた位置にあり、我々はここで改めて自然の中に生きることの意味を再認識すべきかも知れない。
ラオスは貧しい。貧しいが故に心豊かだ。人間の豊かさがそのまま表現されている国だ。だからより多くの現代人を惹きつけている。
ラオスの人々よ、いつまでもその純朴さを失わないでいて欲しい・・・・
しかし一方で又その貧困さに暗澹悄然とせざるを得ないものだが・・・・だが何であれ戦乱の無い平和な国はそれ自体で美しいものなのだ。
がんばれラオス人。
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