2008/08/28 - 2008/08/29
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フロッガーさん
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まず二荒山神社と輪王寺(三仏堂・護摩堂)の写真から。東照宮が一番後に成立しているので後に回します(笑)。
【二荒山神社】(ふたらさんじんじゃ)
奈良時代末の延暦九年(790)勝道上人が創建しました。日光山岳信仰の中心地となっています。これは霊峰とされる「男体山(二荒山)標高2486m」を御神体山と仰ぐ神社であり、日光の氏神様とされることからになり、男体山の御神霊である「大己貴命(オオナムチノミコト)」を祀ります。
東照宮ができる以前は、この二荒山神社が日光山内の中心で、現在の建物は元和五年(1619)に徳川幕府二代将軍・徳川秀忠の寄進によって桃山調社殿に建て替えられました。日光山内で最古に当たる建物です。
日光三社権現の一つとして長く崇拝されてきましたが、明治四年(1871年)の神仏分離令と神仏混淆の禁止によって二荒山神社の本社と称するようになりました。
太郎山の御神霊、味耜高彦根命(アジスキタカヒコネノミコト)を祀る本宮神社と女峰山の御神霊、田心姫命(タゴリヒメノミコト)を祀る滝尾神社を別宮とします。
三神あわせて「二荒山大神(フタラヤマノオオカミ)」とします。
基本構造は、
男体山山頂→奥宮
中禅寺湖畔→中宮祠
山内(市内)→御本社
神域とされる境内領域は3400ヘクタールにもおよび、いろは坂を参道として後ろに連なる日光連山までもが入ります。この領域は伊勢神宮に次ぐ広さになります。
【輪王寺】
天台宗の寺院です。輪王寺は一つのお寺を指すものではありません。日光山内のお堂などの仏教に属する支院の総称で輪王寺と呼ばれています。
創建は奈良時代に、こちらも勝道上人によって開かれました。天平神護二年(766)、勝道上人によって滝尾神社近くに草庵(四本龍寺)が建てられました。
平安時代には真言宗の空海や天台宗の高僧・円仁らが来山していたと伝えられます。円仁は嘉祥元年(848)に来山し、三仏堂・常行堂・法華堂を創建したとされていてこの頃から輪王寺は天台宗寺院としての歩みを始めたと思われます。
鎌倉時代には山岳修行修験道が盛んになり、室町時代になると所領は十八万石、500以上のに僧坊が建ち、四本龍寺を中心寺院として関東の一大霊山として隆盛を極めたと言われています。豊臣秀吉には小田原攻めの際に北条氏に加担したとされて寺領を奪われ、一時は衰退の道を歩みます。
その後、徳川家の庇護を受けて繁栄を極めることになりました。徳川家光を祀る大猷院霊廟も輪王寺の中にあります。
戊辰戦争の後には明治政府によって輪王寺の称号を奪われます。明治二年(1869)に旧称である「満願寺」へ。明治十五年(1883)になって栃木県のとりなしにより、輪王寺を正式の寺号とすることが許されることになったのです。
前記した二荒山の三神は、
男体山=大己貴命=千手観音
女峯山=田心姫命=阿弥陀如来
太郎山=味耜高彦根命=馬頭観音
となります。日光山では山・神・仏が一体の物として信仰されていて、輪王寺本堂(三仏堂)には本尊として千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音を安置します。
TOP画像は勝道上人像。晴れていれば後ろに日光連山が見えるはずです。次は、東照宮から大猷院へと続きます。
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正面の神門です。右手に縁結びの神木があります。
神門をくぐって右側が夫婦杉、左側が親子杉です。 -
普通は、東照宮からの上新道を左手へ。この楼門があります。
上新道は馬にひかれて往復もできます(^◇^) -
拝殿。内部は自由に参拝できます。
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神楽殿。奥が神苑です。
別料金\200。 -
神苑に入ると、まずは「神輿舎(しんよしゃ)」。
日光山内で現存する最古の建物で、入母屋造り。
例大祭のときに担がれる神輿(御輿)三基が安置されます。
元々は、元和3年(1617)東照宮内に建てられましたが、寛永年間(1624〜1644)に、現在の場所に移されました。
安置されている金色の神輿は中央が徳川家康・左が源頼朝・右が豊臣秀吉とされていて、弥生祭で担がれます。 -
大国殿。社殿右側には運試しの投げ輪があります。3回投げて一回入れば運気良好です。
6氏は2つ入りましたが、私は全滅したので運気は最悪と(爆)
確か、以前に訪れた時には社殿前に小さい太鼓橋がかかっていましたが修復でしょうか?この日はありませんでした。 -
大国殿内部にある宝刀「太郎丸」。
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社殿前の丸石。
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神苑からの本殿です。
手前の赤い囲いの中に化け燈籠があります(写真だとつぶれて見えません)本称は唐銅燈篭。
化け灯篭とは、この灯篭に灯りをともすと不自然に揺れる事からその名がつきました。そのほかにも昔は、この周辺を警護していた武士たちに霊的現象をたびたび起こしており、多数の刀傷があります。
この灯篭は、一年に一回献灯式に灯がともされます。 -
その右側。本殿・拝殿は二代将軍・徳川秀忠が寄進したものです。
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奥には二荒霊泉があります。
恒霊山の山中にある洞窟から湧き出る「薬師の霊水」と滝尾神社の霊水「酒の泉」を引いているそうです。 -
左手にお店があって休憩所(東屋)になっています。
二荒霊泉の霊水を使っているコーヒーなどが出されます。 -
そのまた左には、比庵歌碑。
清水比庵は清水秀の俳号です。
清水秀は岡山県の出身で、昭和5年に日光町(当時)の町長となって観光行政の基礎を作りあげた人物です。
昭和33年に名誉市民になっている清水比庵ですが、昭和14年に部下の不祥事によって町長の職は引責辞任。それからは創作活動を中心とする生活を送りました。 -
親子杉。3本杉です。
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上新道。輪王寺に戻ります。
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黒門。
三仏堂から西側の門です。柱から瓦-かわら-まで、すべて黒で塗られていることからこう呼ばれているそうです。 -
本堂(三仏堂)。
輪王寺の中心を担う三仏堂は、創建されてから移築が繰り返されました。創建は滝尾神社の近くでしたが、鎌倉三代将軍・源実朝によって現在の東照宮の地に移されます。
その後元和参年、東照宮創建の頃に今の日光二荒山神社・社務所の地に存在します。
そして、明治四年(1871)の神仏分離令に際して、今の場所に移されましたが、当時の輪王寺は財政が苦しく解体して運んだだけだったそうです。それを嘆いた明治天皇の配慮によって再建できたということです。
三仏堂の堂内に拝観できる本尊は江戸時代初期のものと言われています。木彫の座像仏で、三体とも金色の寄木造り。約8m。 -
外回廊。
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相輪塔。
天台宗独特の塔婆です。
寛永二十年(1643)に天海僧正により奥院に建てられましたが、慶安三年(1650)に三仏堂旧地の近くに移され、その後明治八年(1875)に今の三仏堂・北西隅に移されました。
塔の内部には千巻の経典があり、天下泰平・国土安穏を祈願する場所です。 -
大護摩堂。
一般参加の写経や日光山随一の護摩祈願所です。
内陣には、平安中期の作といわれる本尊「五大明王」や「七福神」・「十二天」など30体の仏様や祖師像が祀られています。
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