2007/04/25 - 2007/05/08
1040位(同エリア1135件中)
ちゃおさん
この国の歴史は比較的新しく、有史以前の石器時代には見るべきものは少なく、これはタイでの博物館でも見られたことでもあるが、性器のシンボル、日本でも長野県に多い男根同祖神の巨大な石柱、即ちリンガが数多く見られる位だ。
長野の祖先は安曇族。秦河勝を祖とする秦氏一族が始皇帝の末裔とすれば、彼らラオス、タイの祖としての雲南・潮州族との関連はあるのだろうか。
倭人も又文化人類学的には有史以前に雲南辺りから渡来したと言われている。数千年にわたる民族の大移動に何等かの共通項はあるのだろうか。或いは全く関係なくトーテムポール同様の単にそれは人種、民族を問わないプリミテイブな擬似宗教の表現形式だったのか。
いずれにしてもこの国は近世に至るまで部族集団の集まりで国家を形成しており、フランス統治以前の記録文書はごく僅かの石碑を除いて皆無であって、500−600年以前の史実を検証するのは困難な状況である。
近い将来DNA,ミトコンドリアなどの科学的方法により、民族の大移動を跡付ける事も可能になり、その時倭族は潮州族と隣り合わせだったことが実証されるかも知れない、そんな大きな歴史のロマンを夢想しながら、閑散とした博物館を後にした。
自転車で幾つかのお寺を回っていると、とある大きなお寺、多分それはワット・シー・サケオかワット・ホー・タケオのどちらかと思うが、ほとんど観光客、参詣者のいない広大な境内で、その境内の中には僧侶の宿舎もあったが、今しもその宿舎から裸姿で出てきた50年配の僧侶に話しかけられ、英語でどこから来たのか、と聞かれたので、当方「Pujx6jo、Pujx6jo、gxHo 8oPujx6jo」(イーブン、イープン、ペンコンイーブン=日本から、日本から、日本人)と答えたところ、「ほー、イーブン、イープン、日本からですか、」と珍しいものを見るような感じの好奇な眼差しで、当方の頭から足までをすらっと観察し日本を繰り返した。
余程日本に興味を持っているのか好意的な態度が顔にも表れていたが、傍から見ると如何にも抹香くさい上座部仏教の僧侶が、意外に人間くさい一面を持っているのを発見した当方の方が返ってより新奇な感をもって眺めた。
考えてみれば、世界の中で未だ仏教が命脈を保っているのは、このアジアのごく一部の地域で、国教としているのはほんの数カ国である。流派は違うとしても我々日本人に対しては同じ仏教徒として彼等は特別の思い入れをしているのだろうか。僧侶は話しながらも慣れた手つきで1枚のこげ茶色の更紗を右手に持って、器用にくるくるっと身体に巻きつけて、例の修行僧姿に変身すると、又どこかへ立ち去って行った。同じ上座部でもラオスのお坊さんの方がタイのお坊さんよりはより人間的臭さ、と言うか庶民的な物を感じた。
ここから程近い場所にパリの凱旋門に似せて作られた「パトウーサイ」が建っていて、多くの観光客を集めている。それ程高い建物ではないが、周囲にビルもなく、周辺は綺麗に整備された公園状になっているので、遠くからでも良く目立ち、近づくと本当にミニパリ、ミニ凱旋門の趣である。
4階の階段を登って展望台に立つと、この門を中心にして五つの道路が放射線状に延びている。西の方に延びる4車線の道路は街の中心部に消えているが、その先にはメコンが幅広の川面を見せている。ここからは2キロ以上離れているが、途中に高いビルがないで、河も良く見える。河どころかビエンチャン全体が360度の展望だ。
ひょっとしてこの建物が街で一番高いのかも知れない。富士山と同じで、遠くから眺めるとゴミゴミした汚れが目立たなくなり、この街も門上から眺めると反って美しく見える。内戦が終わって何年になるか、漸く国民の間にも平和の意識が定着してきているに違いない。
凱旋門内側の各階は土産物店になっていて、2階の衣料品売り場で、斬新なデザインの半袖ジャケットが売っていて、値段を聞くと2000円もしない。袖を通すと少し大き目、少し小さいサイズもあるが、どうもぴったりしない・・・。今買うと又荷物になし・・・。
一旦店を出て近くの公園内のキオスクでビールを飲みながら思案したが、矢張りデザインが気に入った。日本では売っていないような変わった感じのジャケットだ。もう一度店に戻り、大きい方を吉田さんに、ぴったりサイズを当方用に買うことにする。店の小母さんも売り方も上手い。後1枚つけて5000円にするとの店側の提案で、よしそれじゃともう少し値引させ、星野さんにもと合計3枚5000円で買う。
今年は3人揃って還暦の歳。いま時分は赤いチャンチャンコも流行らないので、パリのファッションかと見間違うようなこの垢抜けたジャケットを着て真夏の東京を歩けば、気分一新にもなろうというもの。
これからまだ旅行が続き、荷物にはなるが、ラオスでしか買えないものは今買っておくに限る。二人もきっと喜ぶに違いない。この先この3着はリュックの一番底に仕舞われたまま日本まで運ばれるが、先日その内の1枚を吉田さんに贈ったところ、大変喜ばれた。値段を聞いて喜び半減にならなかったことが良かった。次は星野さんの喜ぶ顔が楽しみだ。
ビエンチャンに来たら一度はフランスパンを食べなさい、とガイドブックにも書いてある。フランス植民地時代の伝統で、ここのフランスパンは美味しいらしい。又町のあちこちでサンドイッチを売っている。夕方で中途半端な時間ではあるが、再び河岸まで戻り、先刻めぼしをつけておいたサンドイッチスタンドまで行き、試しに食べてみる。
20cmもある細長いフランスパンを半分に切って、トースターで温め、パンの間を開いて、中にペーストから始まって、幾種類かのベーコン、野菜を盛りだくさんに挟み込み、パンパンに膨らんだサンドイッチが出来上がる。
これがフランス流というものか。食べてみると洋風の味で、栄養満点。ここがラオスのビエンチャンであることを忘れてしまう。
植民地時代の名残。フランス文化の継留。人々はこの作り方、食べ方が遠い昔からラオスにあったものとして、自然に受け入れ、食生活の中の一つの洋風変り種として日々の生活の中に溶け込んでいる。これが僅かに8500キップス、即ち85円。日本ではフランスパン1個も買えない位に安い値段だ。
サンドイッチをほお張りながら、河岸通りをゲストハウスまで戻り、夕方までの一時一休みする。この3階の部屋からはメコン河が真正面に見え、日本からFaxで予約したものだが、窓から河が見えるのはこのゲストハウスのこの部屋と後ひとつしか無かった。
しかし今こうして河を眺めてみて、昨日ノーンカイから眺めたものと変わるものではなく、新たな感動が沸くこともなかった。むしろ初めて訪問した国、町の雑駁とした、予想外に整備の遅れている町の状態にこの国の遅れ、歴史の悲しさを感じたものだった。
大きな街ではないので、夜どこかに繁華街があるとか、賑やかなスポットがあるとかいうことは無く、河岸通りの何箇所かにライブハウス風の飲食店が数店あり、大きく開放された入り口から中のデイスコ調音楽が溢れ出ている程度。
少し中を覗くと、客のほぼ全員は欧米人で、とても当職のようなイエローが入る雰囲気にはない。そこで場所を換え、河岸に幾つかあるテラスのレストランで、河を眺めながら食事する。ラオスのウイスキーが珍しく、飲んだら意外と美味しく何杯かお代わりしたが、精算の際に1000円ほどかかり少し驚く。精々高くても500円位にしか想像していなかったが、この物価の安いラオスにおいておやの感あり。
河岸を散歩中にスコールがあり、皆クモの子を散ったように居なくなり、店もパラソル、テーブル等をたたみ店仕舞い。この国では雨が終業の合図らしい。
当方も濡れながらゲストハウスまで戻り、又何人かに絵葉書を書く。タイ語サークルには面白半分にラオス文字を書いて送ったが、果たして帰国前に到着するだろうか。
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