2009/04/18 - 2009/04/19
474位(同エリア1068件中)
熱帯魚さん
大連には1泊のみの滞在で時間が限られていたこともあり、旅順半日観光バスに乗って旅順観光をすることにしました。利用したのは、大連エクスプレス観光バス(JHCバス)です。ネット(http://www.dlachikochi.com/html_273.html)であらかじめ予約して行きました。
観光バスということだったので、日本人が沢山参加するのかと思いきや、まだオフシーズンのようで参加したのは私たち2人だけ。車をチャーター状態で、旅順に向かいました。
◎ 日露戦争の激戦地「203高地」
◎ 乃木将軍とロシアのステッセル中将が会見した「水師営会見所」
【旅の日程】
1日目:7時45分上海発のフライトで大連へ。大連には9時25分着。空港バスに乗って市内へ、ホテルにチェックイン。午後は観光バスに乗って旅順半日観光。夜は中山広場にある日本統治時代の建築巡り。
2日目:中山広場と人民広場周辺、七七路周辺の日本統治時代の建築巡り。夜7時半大連発のフライトで上海へ。
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス
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大連市の中心から車で走ること1時間。日露戦争の激戦地である旅順に到着しました。一番初めに向かったのは203高地です。
1895年日露戦争が始まると、もともとロシア海軍の基地があったこの土地に、日本軍が攻め込んできました。
ボードに書かれていた日本語
「二〇三高地は1904年日露戦争時の主要戦場の一つであった。日露両軍はこの高地を争奪するため、殺しあっていた。その結果、ロシア軍は5000人以上、日本軍は1万人以上死傷した。戦後、旧日本第三軍司令官である乃木希典は死亡将士を記念するため、砲弾の残片から10.3mの高さの銃弾のような形の塔を鋳造し、自らが璽霊山という名を書いた。これは日本軍国主義が外国を侵略した犯罪の証拠と恥辱柱となっている」 -
この場所で日本軍とロシア軍が激しい争奪戦を繰り広げました。1904年12月5日、日本陸軍はこの地を占領、1905年1月1日、ロシア側が降伏しました。
激しい戦いで、多くの犠牲者が出ました。戦後、乃木将軍は犠牲者を弔うため璽霊山と記した記念碑を建てました。写真がその記念碑です。丘の上に立っています。
入り口からこの丘まで急な坂道を登らなければならないので、大変でした。 -
203高地からの眺めです。旅順港が見えます。
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ロシア式150ミリメートルカノン砲
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日本式280ミリメートル榴弾砲
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砲台からの眺めです。
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旅順港方面の逆方向には、蛇島と鳥島という山がありました。
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重砲兵用探り所(観測所)です。ここから旅順港が一望できます。
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203高地には、ロシア軍の塹壕が残されています。中国人の子どもが、銃のおもちゃを持って、塹壕で写真を撮っていました。「ポーズとって!」と子どもに指示していた親の心理が、私には理解できませんでした。かわいい子でしたし、子どもには罪はないんですが複雑な気分です。
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乃木将軍の息子、乃木保典が戦死した場所です。203高地のロシア塹壕の脇にある階段をずーっと下っていったところにあります。
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二〇三高地の周辺は細い木が沢山立っていました。戦時中はこのあたりは激しい爆撃で木が全く生えていなかったそうです。
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再び車に乗り込み、次に向かった場所は水師営会見所です。
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会見所の脇に石碑を見つけました。大正5年満州戦績保存会によって建てられた石碑です。
「明治38年1月2日日露両軍の委員この家において旅順口開城規約を議定し越えて5日我攻囲軍司令官乃木大将露国関東軍司令官ステッセリ中将と会見せり…」
と書かれていました。 -
この場所はもともとは民家でした。その後、日本軍が医療施設として利用し、会見所は当時手術室として使われていました。
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こちらが水師営会見所です。乃木将軍とロシアのステッセル中将が1905年1月5日、この場所で会談を行いました。
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会見所の中に入ってすぐ、中にいたおばさんが日本語で説明を始めました。最後に旅順関係の日本語の本やハガキをしつこくすすめられ、かなり疲れました…
それはともかく。
会見所の内部に入って左側の部屋が会見が行われた場所です。 -
1905年1月5日に乃木将軍とステッセル中将の会見が行われた際の写真です。
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このテーブルで会見が行われました。このテーブル、日本軍によって手術台として使われていたテーブルです。
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食器が展示されていました。ロシアとの会談後、日本側はロシア側を食事に招待し、もてなしたそうです。
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会見が行われた部屋の窓です。味があります。
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もうひとつの部屋は日露戦争に関するパネルが展示されています。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ナーザさん 2009/04/21 22:30:10
- 投げかけられた課題に1票です!
- 熱帯魚さん、こんばんは!
中国人の少年が銃を持っている写真とコメント。
心にぐさりときた一コマでした。
重い歴史のある場所は、沈痛な思いをかみしめてほしいですよね。
しかし、平和を享受している世代の無邪気さには罪はない。・・・
その複雑な気持ち、共感です!
歴史の教訓を後世に伝えていくのか、
観光資源の獲得を優先するのか、
遺産を残していく側も頭を抱える問題でしょうね。
- 熱帯魚さん からの返信 2009/04/23 14:35:54
- RE: 投げかけられた課題に1票です!
- ナーザさん、こんにちは。
コメント有難うございました。
そうですよね、あの場所でどれ位の人が亡くなったのか、
悲惨な歴史のある場所では、それなりのふるまいをしてほしいなと思いました。
子供自体はあの場所がどういった意味を持つのか全く理解していないはず。
だから無邪気に遊んでいたとしても、それは仕方のないことなのですが、
一緒にいた保護者がちゃんと歴史の重みを感じていないというのが、
残念に思いました…
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