2007/04/25 - 2007/05/08
1040位(同エリア1135件中)
ちゃおさん
5月2日(火)、ラオス([k;)、ビエンチャン(g;up:0yomoN)
国境を歩いて渡るのは少しばかり心ときめくものがある。メコン川にかかるタイとラオスを結ぶ橋、「友好橋」は今から12年前にオーストラリアの援助で建設された全長約1キロの橋で、この橋の中央が両国の国境になっている。
しかし実際には橋の手前にタイ側のカスタムがあり、反対側にラオスの通関があるので、この1キロ程は中立帯のような感じである。橋の上は徒歩での通行が禁止されているので、タイでの出国手続きを取ると、橋の間を結ぶシャトルバスにてラオスに入国することになる。
ラオスへの入国に際し、欧米人はビザが必要のようであるが、日本人はノービザで、通関窓口で長蛇の列を作っている欧米人を尻目にさっさと入国手続きを済ます。
ラオス語はタイ語に似た言葉で、当方の「l;ylfu 8iy@」(サワデー・クラップ=こんにちは)には税関の職員も怪訝な顔をして「サワデー・クラップ」と返してくる。変なタイ語をしゃべる日本人が何をしにラオスに来たんだろう、という顔つきだ。それともベトナム戦争以来の内戦を生き抜いてきた民族の屈折した警戒心の表れかどうかは知らない。いづれにしても一般の人はタイ語が理解できるようだ。
タイとラオスで変わったところと言ったら、交通が右側通行になったことと、通貨がバーツからキップに代わったこと位で、他は言葉にしても、宗教にしても、生活習慣にしてもタイとはそれ程変わらない。
いや、貧しさは大きく変わっているが。中進国から先進国に仲間入りしつつあるタイに比べ、ラオスはまだまだ低開発国の域を出ておらず、これからの開発が待たれるところ。
友好橋からビエンチャン市内までの約20キロの国道は、道路幅は4車線あるものの、至るところ道路工事中で、乾燥した空気に土埃が舞っている。工事していないところも簡易舗装で穴ぼこだらけ。ツクツクも穴に入り込まないように運転も匠だ。とある交差点で突然日本人の若い女性の声が聞こえてくる。
よく聞くと、「右に曲がりますので、気をつけて下さい」を繰り返している。何のことは無い、工事用トラックの側板に漢字で○○組と大書された、今ちょうど交差点を通り過ぎるトラックからのテープ音だ。
こんなビエンチャンの郊外で日本語を聞くとは、驚きと共におかしさもこみ上げてきた。日本のどこかの建設現場で使用されていたトラックが、正規輸出でラオスまで運ばれたのか、密輸で持ち込まれたかは知らず、テープを取り外す時間も技術も無かったのだろう。日本人にとっては日本語のPRになるから悪い気持ちはしないが、果たして何人のラオス人がこれを日本語と認識し、スピーカーの言葉を理解しているか。
しかし、こんなところにも日本の行政のおせっかいさが現れていると思った。
トラックが右左折するのに警告テープの取り付けを義務つけたり、運転手から良く見えるようにと、ドアの鉄板をガラス板にしたりと、細かいところに配慮しているが、このような細かい法律(省令・細則)があるのは日本くらいのものだろう。
交通被害者を減少させることは最大課題には違いなく、運転側を厳しく罰するのは当然としても、歩行側にも事故の危険認識、自己責任の原則をより強く認識させるべきで、バンコク市内の幹線道上を車両の間を縫って、身を翻し、泳ぐようにして横断しているタイ人の姿を見ていると、彼らは自から危険に対処する方法を自然に身につけているかのようだった。
日本も、自分の身を守るのは自分以外には無い、との認識を子供の頃から植えつける必要があるように思えた。歩行者に優しいのは良いが、余りにも優し過ぎるのは過保護になりかねないが、思わず突然の日本語を耳にし、つい考えが脇道にそれてしまった。
友好橋から市内のメコン河に面するオーキッド・ゲストハウスまで大枚の300バーツを支払った(これも当初は500バーツを吹っかけられ、300まで値引いた結果だが)ツクツクではあるが、途中何人かの客をピックアップし、ちゃっかり料金をダブル徴収し、やや貧しげな感じのするビエンチャン市内を通り過ぎ、今晩の宿泊先ゲストハウスに到着する。
ゲストハウスの前はメコン河に面して河川敷状の広々とした空き地及び駐車場があり、早速宿の自転車を借り、河のほとり、市内散策に出る。街の第一印象は非衛生的で埃っぽく、随所に欧米人が所在なく屯している。バンコクにいるファラン(欧米人)よりも多い感じだ。まだ近代化には遠く及ばない国の首都で、経済格差はタイとは格段の違いがあった。
ゲストハウス前の通りがメーン通りの一つで、食堂なども幾つか並んでいるが、その内の一軒に入り、外人が食べている料理を指して、同じものをもらう。
この街ではハエと仲良しにならなければ生きては行けない。医学保険衛生が進歩する以前は、人間とハエは共棲していたに違いなく、未開発国で生活する以上は又前世紀の世界を想像し、ハエと共棲しなければならない。
ハエのたかるのを厭わず食べている外人を見習い、それでも一生懸命手で追い払うが、味覚はそっちのけでハエの襲撃を受ける前に早々と食べ終える。
人口60万の町にしては中心の市域自体はごく狭く、自転車で10分も走ればぐるっと回ってしまえる位の狭さである。街全体が古めかしく、今にも崩れ落ちそうな建物も各所に見られ、一体人々はどんな生活をしているのだろうと不審に思うが、これが貧しさというものだろう。取り敢えずは街の中心にある国立博物館に入り、この国の歴史を学ぶ。
この国の政体が共産主義であることは、博物館に入るまでは忘れていた。街のどこにも共産主義を標榜する赤旗等のシンボルは無く、欧米人の数の多さに、タイの延長線上の、もっと生活レベルの低い、自由主義圏の一国との錯覚があった。税関前での客引きなど、タイと寸分違わない状況であった。実のところ、ベトナムもカンボジアもまだ共産主義国家だったのだ。
ラオス人民民主共和国に現在もどの程度共産主義者が浸透しているのか、或いは既に残滓としてのみ残っているかは知らず、博物館の半分近くは第二次大戦後のフランスからの独立以降の内戦状況の資料であり、戦後60年、内、三分の二以上の期間は内戦の歴史であり、それは共産党が国を統一する経過の一大ページェントでもあった。
そう言えば嘗てベトナム戦争時に新聞紙上を賑わしたパテット・ラオの名前を思い出し、その歴史的位置付けを捜してみたが、今は人民革命党に発展吸収されてしまったのか、それらしき名前を見つける事は出来なかった。当時の新聞等の印象では隣のクメール・ルージュ同様、共産主義革命の血塗られた内戦史そのものであるように見えた。
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