2007/04/25 - 2007/05/08
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ちゃおさん
<閑話休題> 「タイ語のレッスン」
当職、タイ語を習い始めてからまだ4ヶ月に過ぎない初心者ではあるが、色々と面白いことに出くわすことがある。
文中にある「ワット(;yf)」はお寺のことで、タイの寺院には必ず最初にワットがついている。丁度日本のお寺の名前の最後に「寺」がつくようなものだ。
ワットが頭につくのはラオスも同じであるが、カンボジアになると「アンコール・ワット」と言うように後ろにつく例もある。これ等三国及びミャンマーは上座部仏教であり、日本・中国の大乗仏教とは系統が異なっていて、中国でも日本同様名前の後に「寺」がついている(尤も日本が中国を真似たものだが)。
上座部仏教はインド南部、セイロン地方で発展したが、「ワット」と「寺」の違いはサンスクリット語とインド南部パーリ語との違いにあるのかも知れない。尚タイ語でお参りする時の合掌を「ワーイ」と言うが、この「ワ」には「ワット」との宗教上の共通点があるようである。
更にタイでは、ワットに続いて「プラ(rit)」という名称の大きな寺院、由緒ある寺院が各地に存在する。「ワット・プラ・○○○○」という寺院名である。このプラは聖なるもの、高貴なるもの、僧侶・神仏等への冠詞であり、このプラの使用が許されるのは、特別の大官大寺に限られている。従って文中の王宮寺院、エメラルド寺院も正式名は「ワット・プラ・ケオ」(;yfritcdh;)と尊称されているが、寝釈迦で有名な「ワット・ポー」(;yfFrTbN)も、また三島由紀夫作「豊饒の海」で有名な「ワット・アルン(暁の寺)」(;yfvi6I)もプラの冠称は無い。なお似た言葉で魚のことをプラーと言うが、これは「Plaa(x[k」であり、「R」と「L」の違いを含め、発音も表記も全く異なるものである。
バンコクの市中を滔々と流れている「チャオ・プラ・ヤー川」も、チャオが王様、王子を意味し、プラ・ヤーも同時に高貴な人或いは貴族を意味していて、上記の「プラ」と同じであるが、この河の名称を訳すとすれば「高貴なる皇子の河」とでもなろうか。この河のほとりに「暁の寺」があり、「朝」を表現する「チャオ」と日本語韻では全く同じであり、当職も最初は「チャオ・プラヤー」を「朝の川」、或いは「朝、魚のいる川」等と誤解していたが、原語を調べるにつけ、全くの間違いであることが判明した。タイ語での表記及び声調は貴人の「チャオ」とは全く異なるものである。
奇しくも当方のブログ名が「チャオ・コモダール」であるが、「チャオ」の意味するところを「高貴」としたら不敬の念に余りあり、矢張り小生にはイタリア的発想での「朝」の方、「こんにちわ」が穏当であろう。
水量豊富なこの河はタイ国土を南北に貫いているが、この河の上流70−80キロのところにアユタヤがあり、今から400年前の御朱印船を含めて、嘗ての貿易船はこの河を遡ってアユタヤまで航行したものである。
従って当時、山田長政も軍船を率いてこの河を往来したに違いない。アユタヤに近いこの河のほとりには日本人町、オランダ人町、ポルトガル人町、中国人町、等が形成されていて、当時の長崎以上に国際化が進んでいた。時のアユタヤ政庁が英国に後押しされたビルマとの対抗上、この様な国際化を図っていたもので、外国人である長政が軍制のトップにまで上り詰めた背景にはこうした国際情勢もあったともいわれる。従って、家光が日本人の海外渡航・貿易を全面的に禁じて鎖国状態に入った元和堰武以降、日本人町及びそれを基盤とした長政の勢力は急速に減退したとも言われている。
尤も、その後アユタヤ王朝自体が壊滅し、日本人町も自然消滅して正確な資料が残っている訳ではないが、同時代、台湾に於いてオランダ人(海軍)と戦った鄭成功(国姓爺)同様、その史実は日本人の誇りとして記憶の底に伝承されてきているものである。
現在この河口付近に超高層ビルが林立するバンコクは、当時ナッパ椰子の生い茂る沼沢地に過ぎず、原住民が僅かに生活する一漁村に過ぎなかったが、アユタヤ王朝の血脈である現在のチャクリ王朝の先祖がこの地に都を開いて以降、急激な発展を遂げ、現在の大都市に変貌したものである。
処で、「バンコク」の名称について、これは国際的に認証された都市名であって、タイの人々は誰一人「バンコク」とは呼んでいない。仮にある外国人に対しタイ人が「バンコク」と表現したのであれば、それは彼が英語表現で言ったに過ぎないのである。
タイの人々はこの都市について押しなべて「クルンテープ」と呼んでいる。それも当方には一種愛情を込めた言い方のようにも聞こえる。昔の日本人が「京都」とは呼ばずに「京」ないし「都」(みやこ)と呼んでいた感覚とあい通じるものがあるのだろう。
良く旅行ガイドブックなどでバンコクのことを「天使の都」と表現して、その美しさを称えているが、当方なども、より沢山の欧米人を集めるこの街は彼等にとっては魅力的な、将に「エンジェル・シテイ」と理解していたが、これはタイ語を勉強することにより全くの誤解であることが判明した。
タイ人の呼称する「クルン・テープ」(i6:gmrO)自体が既に「天使の都」の意味であり、即ち「クルン」が「都、首都」を表し、「テープ」が「神、天人、天使」を意味している。従ってタイ語をそのまま英訳したものが、ガイドブックなどで宣伝されている「天使の都」であるが、実はこの都市の正式な名称は200数十語にも及ぶ長いもので、ジュゲム・ジュゲムか円周率同様、タイ人の誰も正確には覚えていないに違いない。概略を紹介すると以下の通りである。
「インドラ神がおつくりになった都で、・・・・・多くの大神殿を持ち・・・・王の都、最高偉大な地、・・・・・不滅の宝石のような・・・偉大な天使の都」
しかし原語の都市名と英文表記がこれ程に全く異なる例は世界でも希である。十数年前からインド・ミャンマー各都市は、例えばボンベイをムンバイと言ったり、ラングーンをヤンゴンと呼び変えたりして、原語発音に訂正されているが、このバンコクに関しては変えようがないのかも知れない。
或いは植民地政策により名称が強制的に変更させられた経緯が無いから、元の名前に変更する必要がないのかも知れない。更にはまた世界で唯一の稀有な例としてタイ人自身が密かに誇りに思っているのかも知れないが。タイの他の都市ではこの様なタイ語―英語との不一致、差異は全くないのだから。
このバンコクの地名は、クルン・テープ市内のある特定の地域を総称していたものが、外国人により街全体の名前に定着したとのことであるが、何かジャカルタとバタビヤとの関係を思わざるを得ないものがある。
ちなみにバンコク首都圏を「クルンテープ・マハー・ナコン」(di6:gmr,sko8i)と呼び、英語では「大バンコク圏(Great Bangkok Metropolitan)」と表現されているが、ここに出てくる「マハー」(,sk)は「大」を意味し、奈良の大仏(マハー・ビルシャナ)の「マハー」と同じである。
日本の「大学」は遠く奈良時代に既に唐制を参考にして設立されているが、タイでの最高学府も「マハー・ウッテイヤライ(例・,sk;bmpk[ypTii,Lkl9iN・タマサート大学」と言い、直訳すれば将に「大きな学校」=「大学」である。この点に関してはタイも日本(中国)も同じサンスクリット語を導入したに違いない。
外国語を学ぶことは色々なことが見えてきて、楽しいものである。
―― lo6d ,kd ―― (サヌーク マーク = 実に面白い)
<追伸>
尚、当方今現在は無料にて毎週木曜日夜、小金井市東センターにて「タイ語サークル」を開催しています(去年12月からスタート)。興味のある方はこのブログにご連絡下さい。
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