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昨日、2009年3月31日付毎日新聞夕刊国際面の一番下の方の隅に小さく「大虐殺・法廷実質審議入り」との見出しが出ていた。<br /><br />記事の内容は「ポルポト政権(1975年〜79年)による大虐殺を裁く特別法廷が・・・・プノンペンのトゥールスレン政治犯収容所長を務めたカン・ケ・イウ被告(66歳)=通称ドッチ=に対する起訴状朗読・・・一般市民1万4000人以上が虐殺・・・」との内容であった。<br /><br />世界に戦争の悲劇を深く刻む場所があるとすれば広島・長崎、アウシュビッツ、それにここトゥールスレンとKilling Fieldに他なら無い。<br /><br /><br />コンポンチャムからプノンペンまではバスで3−4時間程度の近距離にあり、日に数本のバス便もあって、料金も4ドル20セントと安く、漸く大都市に近づいたなあとの感もあり、当方9時半のバス便でいよいよ目指すプノンペンへ東上することとなった。<br /><br />街のコーナーで朝飯を食べ、リュックを取りにホテルに戻る途中、ホテル近くの小さな店の前に座っている青年がニコニコしながら日本語で話しかけてくる。<br /><br />日本人と殆ど変わらない日本語に「日本語が随分上手ですね。日本に住んでいたことがあるんですか?」と挨拶したが、その人、自ら言うに「自分は日本人ですよ。カンボジア女性と結婚し、今ここで暮らしています。」との返事に、当方が面食らうと共に、随分失礼してしまった。<br /><br />カンボジアのこんな田舎町にも日本人が現地に根を下ろし、生活しているとは! 少なからぬ感動もし、余り時間の無い中、いろいろと話し、彼が以前バンコクの大きな病院で看護師をしていて、その後スリンで知り合った女性レン・テイダさんと知り合い、彼女の実家のあるこの町に2年前から移って暮らしている、とのことだったが、1歳8ヶ月の幼児(男児)を膝の上に乗せ、本当に幸せそうに話していた。<br /><br />彼の名前は長濱か濱中の様に聞いたが、ノートに書いてもらった彼のメールアドレスも名前も住所も、その後プノンペンでカメラと一緒に盗難され、この時の写真も送れず、又、お礼も言えず、<br />失礼してしまっている。<br /><br />誰かが、何かの機会にこのブログを見、又、その日本人を知っていることでもあれば、当方の残念な意向を伝えてもらいたい。又、もし機会があれば、もう一度、このコンポンチャムまで行き、メールと写真を送れなかったお詫びもしたいものである。<br /><br /><br />さて、前置きが長くなったが、この日、12月30日(火)は1時半にプノンペンのバスセンターに到着。直ぐにも客引きがやってきてホテルを紹介される。<br /><br />ホテルは王宮に近い場所にあり、「皇領大飯店」、15ドル。広くてまずまずの部屋である。<br /><br />リュックを置き、早速出向いたのがトゥールスレン収容所。元フランス統治下の高校、リセ、をポルポト時代に撤収して政治犯収容所にしたものであるが、外の雑踏を他所に校内は愁然とし、多くの外人訪問者はただ言葉もなく呆然とした表情で、教室を彷徨っていた。<br /><br />深い心の傷、人間の残虐さとどこまでも落ちることの出来る残忍さ。人は教室から発する悲鳴を心で聞いたのかも知れない。知らず涙ぐむ人。凝視できない教室内外の拷問具、写真、血塗られた壁。ある者は目の縁を赤くし、足早に去っていった。<br /><br />ここから更に10キロほど離れた郊外、周辺の米畑の中に区切られた一角があり、そこには更に又大量の虐殺が行われたKilling Fieldがあった。<br /><br />人間はどこまで残忍になることが出来るのか?それが敬虔な仏教国においておや、である。<br /><br />夕方の強い日差しの中、あちこちに残る掘り返された穴の跡には、当時、各地から送られてきた無辜の民が、到着した途端にこの穴に投げ込まれ、木の棒で頭を打ち砕かれ、僅か1−2m四方の小さな穴の中に10数人もの人間を生き埋め状態にし、ポルポトはそれを正当な行為としていた。<br /><br />人間の狂気。鬼畜以下の行い。その大半が青少年だったとは!<br /><br />狂った人間は狂った行為しか正当化できない。この悲劇が20世紀の後半に起きたことはこの先にも再び起きないとは限らない。より進化した形で起きないとも限らない。<br /><br />Killing Field に佇み、この悲劇に遭遇した人々の深い悲しみに打ち砕かれると共に、人類の将来への強い懸念も感じるものだった。<br /><br />Fieldの外の金網越しには、まだ小学生と思しき何人もの少年が、金網の隙間から手を差し出して、しきりにお金を求めていた。<br /><br />この悲劇。トゥールスレンとKilling Fieldは、言葉を絶するところでもあった。<br />

「写真の無いブログ」悲しみのカンボジア(18)トゥールスレン収容所・Killing Field.

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2008/12/25 - 2009/01/08

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ちゃお

ちゃおさん

昨日、2009年3月31日付毎日新聞夕刊国際面の一番下の方の隅に小さく「大虐殺・法廷実質審議入り」との見出しが出ていた。

記事の内容は「ポルポト政権(1975年〜79年)による大虐殺を裁く特別法廷が・・・・プノンペンのトゥールスレン政治犯収容所長を務めたカン・ケ・イウ被告(66歳)=通称ドッチ=に対する起訴状朗読・・・一般市民1万4000人以上が虐殺・・・」との内容であった。

世界に戦争の悲劇を深く刻む場所があるとすれば広島・長崎、アウシュビッツ、それにここトゥールスレンとKilling Fieldに他なら無い。


コンポンチャムからプノンペンまではバスで3−4時間程度の近距離にあり、日に数本のバス便もあって、料金も4ドル20セントと安く、漸く大都市に近づいたなあとの感もあり、当方9時半のバス便でいよいよ目指すプノンペンへ東上することとなった。

街のコーナーで朝飯を食べ、リュックを取りにホテルに戻る途中、ホテル近くの小さな店の前に座っている青年がニコニコしながら日本語で話しかけてくる。

日本人と殆ど変わらない日本語に「日本語が随分上手ですね。日本に住んでいたことがあるんですか?」と挨拶したが、その人、自ら言うに「自分は日本人ですよ。カンボジア女性と結婚し、今ここで暮らしています。」との返事に、当方が面食らうと共に、随分失礼してしまった。

カンボジアのこんな田舎町にも日本人が現地に根を下ろし、生活しているとは! 少なからぬ感動もし、余り時間の無い中、いろいろと話し、彼が以前バンコクの大きな病院で看護師をしていて、その後スリンで知り合った女性レン・テイダさんと知り合い、彼女の実家のあるこの町に2年前から移って暮らしている、とのことだったが、1歳8ヶ月の幼児(男児)を膝の上に乗せ、本当に幸せそうに話していた。

彼の名前は長濱か濱中の様に聞いたが、ノートに書いてもらった彼のメールアドレスも名前も住所も、その後プノンペンでカメラと一緒に盗難され、この時の写真も送れず、又、お礼も言えず、
失礼してしまっている。

誰かが、何かの機会にこのブログを見、又、その日本人を知っていることでもあれば、当方の残念な意向を伝えてもらいたい。又、もし機会があれば、もう一度、このコンポンチャムまで行き、メールと写真を送れなかったお詫びもしたいものである。


さて、前置きが長くなったが、この日、12月30日(火)は1時半にプノンペンのバスセンターに到着。直ぐにも客引きがやってきてホテルを紹介される。

ホテルは王宮に近い場所にあり、「皇領大飯店」、15ドル。広くてまずまずの部屋である。

リュックを置き、早速出向いたのがトゥールスレン収容所。元フランス統治下の高校、リセ、をポルポト時代に撤収して政治犯収容所にしたものであるが、外の雑踏を他所に校内は愁然とし、多くの外人訪問者はただ言葉もなく呆然とした表情で、教室を彷徨っていた。

深い心の傷、人間の残虐さとどこまでも落ちることの出来る残忍さ。人は教室から発する悲鳴を心で聞いたのかも知れない。知らず涙ぐむ人。凝視できない教室内外の拷問具、写真、血塗られた壁。ある者は目の縁を赤くし、足早に去っていった。

ここから更に10キロほど離れた郊外、周辺の米畑の中に区切られた一角があり、そこには更に又大量の虐殺が行われたKilling Fieldがあった。

人間はどこまで残忍になることが出来るのか?それが敬虔な仏教国においておや、である。

夕方の強い日差しの中、あちこちに残る掘り返された穴の跡には、当時、各地から送られてきた無辜の民が、到着した途端にこの穴に投げ込まれ、木の棒で頭を打ち砕かれ、僅か1−2m四方の小さな穴の中に10数人もの人間を生き埋め状態にし、ポルポトはそれを正当な行為としていた。

人間の狂気。鬼畜以下の行い。その大半が青少年だったとは!

狂った人間は狂った行為しか正当化できない。この悲劇が20世紀の後半に起きたことはこの先にも再び起きないとは限らない。より進化した形で起きないとも限らない。

Killing Field に佇み、この悲劇に遭遇した人々の深い悲しみに打ち砕かれると共に、人類の将来への強い懸念も感じるものだった。

Fieldの外の金網越しには、まだ小学生と思しき何人もの少年が、金網の隙間から手を差し出して、しきりにお金を求めていた。

この悲劇。トゥールスレンとKilling Fieldは、言葉を絶するところでもあった。

  • フランス植民地時代の高校「リセ」はポルポトにより政治犯収容所となり、数多くの虐殺が行われたが、現在は記念館となっている。

    フランス植民地時代の高校「リセ」はポルポトにより政治犯収容所となり、数多くの虐殺が行われたが、現在は記念館となっている。

  • 3階建て校舎は全て収容所となっていて、数千人が収容されていた。

    3階建て校舎は全て収容所となっていて、数千人が収容されていた。

  • 教室は無惨にも拷問の部屋と変わり、当時の拷問具が今でも置かれている。

    教室は無惨にも拷問の部屋と変わり、当時の拷問具が今でも置かれている。

  • 人々は1坪を半分に仕切ったような小部屋に押入れられていた。

    人々は1坪を半分に仕切ったような小部屋に押入れられていた。

  • 中にあるのはバケツのトイレだけ。人類はこの様な悲劇を二度と起こさせてはならない。

    中にあるのはバケツのトイレだけ。人類はこの様な悲劇を二度と起こさせてはならない。

  • Killing Fieldの中に立つ慰霊塔。この中には虐殺された人々の遺骨が堆く安置されている。

    Killing Fieldの中に立つ慰霊塔。この中には虐殺された人々の遺骨が堆く安置されている。

  • 外からもガラス越しに見える遺骨と遺品。

    外からもガラス越しに見える遺骨と遺品。

  • 人々は祈ることも忘れ、呆然と眺めいる。

    人々は祈ることも忘れ、呆然と眺めいる。

  • 撲殺され生き埋めにされた穴。この金網のフェンスの外では子供達が、しきりにお金をねだっている。外人は渡していないようだったが、当方は、余りのしつこさに負けてしまう。

    撲殺され生き埋めにされた穴。この金網のフェンスの外では子供達が、しきりにお金をねだっている。外人は渡していないようだったが、当方は、余りのしつこさに負けてしまう。

  • この慰霊塔が何を物語るのか自分には分らない。

    この慰霊塔が何を物語るのか自分には分らない。

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