2008/12/09 - 2008/12/09
120位(同エリア197件中)
WT信さん
デン・ハーグは朝から雨。
その雨の中を10k南東にある、フェルメールの故郷・デルフトへ向う。
1588年オランダ(当時はネーデルランド)はデルフト出身のオラニエ公指揮の下、スペインのハプスブルグ家から独立を果たし、オランダ共和国となり、カソリックからプロテスタントに宗旨替えをする。
オランダの貿易立国のとしての発展に伴い、オラニエ公の出身地であるデルフトも、富を得た市民が中心となり街は発展した。
フェルメールが生まれた1632年の頃はまだその繁栄の最中にあったが、彼が画家としての活動を開始した17世紀中頃は第一次英蘭戦争が始まり、不況に陥っていた。
その最中の1654年、デルフトの街は火薬庫の大爆発で、街の4分の1が壊滅してしまい、デルフトは忘れられた存在となって行く。
今目にするデルフトの街は17世紀以降に整備されたものだそうだが、それでも忘れられたお陰で、街のあちこちに中世の面影が残る。
デルフトで最初に訪問したのが、デルフトの景観を最も良く表現しているという、フェルメールが「デルフトの眺望」を描いたと思われるスポットへ。
新旧2つの教会の尖塔と、定期船の乗船を待つ人達のいる港の朝の様子を描いたフェルメールの「デルフトの眺望」は、大爆発の前の景観なのだろうか。
我々も朝早かった所為か、他の観光客も居らず静かな朝であったが、雨だけが恨めしい。
15世紀に女子修道院として建てられ、後にウイレム1世の住居だった、市立プリンセンホフ博物館前を過ぎ、元牢獄が有っ名残りの搭を持つ市庁舎と、オラニエ公が眠る新教会が相対して建つマクルト広場へ。
広場の両脇に中世そのものの街並みが広がっていた。
デン・ハーグに戻る前に、デルフトの新市街の公園の一角のにあるレストランで昼食。
モダンなビル群が公園の向こうに林立していた。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10319998/
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