2008/12/09 - 2008/12/09
95位(同エリア172件中)
WT信さん
フェルメールは1632年10月30日、マルクト広場に面する、両親が宿屋兼画商を営んでいた家で生まれ、直ぐ前の新教会で洗礼を受けている。
フェルメールは絵の修行の為と思われる1時期を除いて、殆ど一生をデルフトで過ごした。
フェルメールの修行中の学んだ絵は、恐らく当時の倣いとして、カルバッチョ風の宗教画、物語画であったであろう。
しかし時代はカソリックからプロテスタントへ変わっており、教会からの絵の注文は期待できず、貴族達の要請も途絶え、景気も思わしくなく、市民の注文も期待し難い状況だった。
絵の修行から帰ったフェルメールは、マルクト広場の反対側に住むカタリーナ・ボルネスと結婚、親方画家として家の裏隣に有った聖ルカ組合に登録し、画家として生活を始めたが、宗教画家、物語画家として見切りをつけ、急速に風俗画家に転向する。
その過度的作品と云われているのが「取り持ち女」。
フェルメールの旅01:序奏「フェルメール展」in 東京都美術館
http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10320002/
フェルメールは間もなく頭角を現し、聖ルカ組合の最年少の理事に推薦されるが、生活は苦しかったらしく、聖ルカ組合の入会金を完済するのに3年要している。
又財産家だったカタリーナの母親の援助もあり、カタリーナ一家と同居してもいる。
フェルメールはカタリーナとの間に14人の子供をもうけ、内10人が成人した。
フェルメールは元々寡作だったこともあり、彼の絵が大家族の生活を潤すに至らぬまま、1875年12月15日カタリーナの実家で死去。
享年43才。
墓はカソリック教徒だったカタリーナの母親の配慮により、旧教会に埋葬された。
カタリーナはフェルメールが没した5ヵ月後、自己破産宣告をしている。
*フェルメールの生涯の詳細は、小林頼子著「フェルメール・生涯と作品」をご覧下さい。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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