その他の都市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2008/07/14月 トリャヴナ日帰り<br />【宿泊:Hotel Balkan(ガブロヴォ泊)】<br />・聖ゲオルゲ教会<br />・聖ミカエル教会とイコン博物館<br />・学校博物館<br />・ダスカロフ・ハウス・ミュージーアム<br />・ペトコとペンチョー・スラベイコフ父子ハウス・ミュージーアム<br />ガヴロヴォに戻って、歩行者天国のラデツキー通りからパルマ・ヴィ広場〜聖トロイツァ教会〜聖ボゴロディツア教会周辺まで散策(民族復興時代様式の家の残る地区を散策)<br /><br />午後4時だったけど、1時か2時と言われても疑わなかったでしょう。<br />時間が真昼のまま止まっているのではないかと錯覚しそうだったトリャヴナの午後。<br />ふつうなら、時間がたっぷりあるようでラッキーと思うかもしれませんが───町歩きには昼間が長いにこしたことはありませんからネ───猛暑の勢いが一向に衰えないのには閉口しました。<br /><br />私でも簡単にアクセスできて、私一人でも歩いて回れそうなトリャヴナの旧市街。<br />そう思ったので、前半のガイドと車付の旅程からは外しました。<br />実は一度、前半の旅程を組んでくれた現地旅行会社の担当者が候補に挙げたのですが、ここは1人歩きしたいから、と断ったわけです。<br /><br />トリャヴナは、イコンや木彫り制作で有名な町です。<br />イコンも木彫りも大好き!<br />なら、イコン製作博物館は、ちょっと離れたところにあるといっても、必須でしょう。<br />少なくとも「地球の歩き方」で触れられていたミュージーアムはそれだけでしたから。<br />観光案内所で買った観光マップで、イコン製作博物館への行き方は確認できました。<br />実際に歩いてみたら、たぶん地図上での予測よりも近いのではないかと思えました。<br /><br />ところが、昼食もとらず、ぶっつづけで観光していたせいでしょう───それがいつもの私の観光スタイルですし、途中、所々で休んでいるんですけどね。<br />ただでさえ少ない観光客の姿もぱったり途絶え、道が分からなくなったことも大きいです。<br />いや、やっぱり、夕方4時になっても止まぬ猛暑に、うんざりしたせいですな。<br />イコン製作博物館へ続く道が分からずイライラした挙句、今日はもうトリャヴナ観光は十分したからいいや、と、あきらめてしまいました。<br />イコン製作博物館以外にも、実際には小さいミュージーアムがいくつかあって、好きなだけちゃんと見学できたという満足感は得られたもんね。<br /><br />「トリャヴナ<br /> ガブロヴォから東へ18kmにあるトリャヴナは、コプリフシティツァやアルバナシと同様、旧市街に民族復興期の建物が並ぶ美術館都市。町は古くからイコン製作と木彫工芸で知られており、教会や一般に公開されている民族復興時代様式の建物の中で、意匠を凝らした木彫細工、秀逸なイコンなどが見られる。<br /> アフトガーラと鉄道駅は、町の北に位置しており、旧市街までは徒歩15分程度。インフォメーションは旧市街へ向かう途中、川を越えた先にある。インフォメーションからさらに南西へと進んで行くと、時計塔が印象的なディヤド・ニコラ広場にいたる。ここが旧市街の入口だ。広場の周りには、時計塔のほか、学校博物館や、16世紀創建の聖ミカエル教会など多くの見どころが集まっている。<br /> 広場からオールド・ブリッジを渡った西側は、細い通りに民家やショップ、レストランを並ぶスラベイコフ通り。この通り沿いにあるダスカロフ・ハウスはトリャヴナを代表する民族復興期の館で、美しい木彫の天井装飾が見られる。このほか町の北西、小高い丘を上がった所には、イコン製作博物館があり、多数のイコンが展示されている。」<br />(「地球の歩き方 &#39;07〜&#39;08年版」より)<br /><br />ちなみに「地球の歩き方」のトリャヴナ紹介は、この前のバージョン(&#39;05〜&#39;06年版)には全くなく、&#39;07〜&#39;08年版で初めて登場したようです。<br />それは喜ばしいことなのですが、代わりにガブロヴォの説明がかなり割愛されていました。<br />確かにどちらを薦めるかといったら、トリャヴナの方に軍配が上がりますけどね。

2008年ブルガリア旅行第9日目トリャヴナ(5)猛暑でフーフーの残りの観光

1いいね!

2008/07/14 - 2008/07/14

75位(同エリア95件中)

3

14

まみ

まみさん

2008/07/14月 トリャヴナ日帰り
【宿泊:Hotel Balkan(ガブロヴォ泊)】
・聖ゲオルゲ教会
・聖ミカエル教会とイコン博物館
・学校博物館
・ダスカロフ・ハウス・ミュージーアム
・ペトコとペンチョー・スラベイコフ父子ハウス・ミュージーアム
ガヴロヴォに戻って、歩行者天国のラデツキー通りからパルマ・ヴィ広場〜聖トロイツァ教会〜聖ボゴロディツア教会周辺まで散策(民族復興時代様式の家の残る地区を散策)

午後4時だったけど、1時か2時と言われても疑わなかったでしょう。
時間が真昼のまま止まっているのではないかと錯覚しそうだったトリャヴナの午後。
ふつうなら、時間がたっぷりあるようでラッキーと思うかもしれませんが───町歩きには昼間が長いにこしたことはありませんからネ───猛暑の勢いが一向に衰えないのには閉口しました。

私でも簡単にアクセスできて、私一人でも歩いて回れそうなトリャヴナの旧市街。
そう思ったので、前半のガイドと車付の旅程からは外しました。
実は一度、前半の旅程を組んでくれた現地旅行会社の担当者が候補に挙げたのですが、ここは1人歩きしたいから、と断ったわけです。

トリャヴナは、イコンや木彫り制作で有名な町です。
イコンも木彫りも大好き!
なら、イコン製作博物館は、ちょっと離れたところにあるといっても、必須でしょう。
少なくとも「地球の歩き方」で触れられていたミュージーアムはそれだけでしたから。
観光案内所で買った観光マップで、イコン製作博物館への行き方は確認できました。
実際に歩いてみたら、たぶん地図上での予測よりも近いのではないかと思えました。

ところが、昼食もとらず、ぶっつづけで観光していたせいでしょう───それがいつもの私の観光スタイルですし、途中、所々で休んでいるんですけどね。
ただでさえ少ない観光客の姿もぱったり途絶え、道が分からなくなったことも大きいです。
いや、やっぱり、夕方4時になっても止まぬ猛暑に、うんざりしたせいですな。
イコン製作博物館へ続く道が分からずイライラした挙句、今日はもうトリャヴナ観光は十分したからいいや、と、あきらめてしまいました。
イコン製作博物館以外にも、実際には小さいミュージーアムがいくつかあって、好きなだけちゃんと見学できたという満足感は得られたもんね。

「トリャヴナ
 ガブロヴォから東へ18kmにあるトリャヴナは、コプリフシティツァやアルバナシと同様、旧市街に民族復興期の建物が並ぶ美術館都市。町は古くからイコン製作と木彫工芸で知られており、教会や一般に公開されている民族復興時代様式の建物の中で、意匠を凝らした木彫細工、秀逸なイコンなどが見られる。
 アフトガーラと鉄道駅は、町の北に位置しており、旧市街までは徒歩15分程度。インフォメーションは旧市街へ向かう途中、川を越えた先にある。インフォメーションからさらに南西へと進んで行くと、時計塔が印象的なディヤド・ニコラ広場にいたる。ここが旧市街の入口だ。広場の周りには、時計塔のほか、学校博物館や、16世紀創建の聖ミカエル教会など多くの見どころが集まっている。
 広場からオールド・ブリッジを渡った西側は、細い通りに民家やショップ、レストランを並ぶスラベイコフ通り。この通り沿いにあるダスカロフ・ハウスはトリャヴナを代表する民族復興期の館で、美しい木彫の天井装飾が見られる。このほか町の北西、小高い丘を上がった所には、イコン製作博物館があり、多数のイコンが展示されている。」
(「地球の歩き方 '07〜'08年版」より)

ちなみに「地球の歩き方」のトリャヴナ紹介は、この前のバージョン('05〜'06年版)には全くなく、'07〜'08年版で初めて登場したようです。
それは喜ばしいことなのですが、代わりにガブロヴォの説明がかなり割愛されていました。
確かにどちらを薦めるかといったら、トリャヴナの方に軍配が上がりますけどね。

PR

  • 歩いているだけでも楽しいスラベイコフ通り<br /><br />おみやげ屋を覗くと、もっと楽しい!?<br />

    歩いているだけでも楽しいスラベイコフ通り

    おみやげ屋を覗くと、もっと楽しい!?

  • ダスカロフ・ハウス前の小さな公園の水汲み場<br /><br />1980年に作られた水汲み場(チェシメ)です。<br />ここから何度か、持参のペットボトルに水を補給しました。<br />地方都市のこういう水は飲めます。旅行前半に一緒にまわった現地ガイドのお墨付き@<br />もっとも、首都ソフィアの水汲み場はやめておきました。<br />あまりきれいではなかったし、どうも直接口をつける人が結構いるみたいなので。<br />

    ダスカロフ・ハウス前の小さな公園の水汲み場

    1980年に作られた水汲み場(チェシメ)です。
    ここから何度か、持参のペットボトルに水を補給しました。
    地方都市のこういう水は飲めます。旅行前半に一緒にまわった現地ガイドのお墨付き@
    もっとも、首都ソフィアの水汲み場はやめておきました。
    あまりきれいではなかったし、どうも直接口をつける人が結構いるみたいなので。

  • ダスカロフ・ハウス前の公園の彫刻<br /><br />ブルガリアのシンボルのライオンがある旗を縫っているようです。<br />最初の単語は、「自由」とあります(ロシア語の「スバボーダ」から連想)。<br />意味深@<br />

    ダスカロフ・ハウス前の公園の彫刻

    ブルガリアのシンボルのライオンがある旗を縫っているようです。
    最初の単語は、「自由」とあります(ロシア語の「スバボーダ」から連想)。
    意味深@

  • スラベイコフ通りの土産屋<br /><br />2階のちょっとムラのあるペイントと、トリャヴナ名物の木彫りの看板がチャームポイント@<br />カウ・ベルをあしらった民芸品が暖簾のように入口にありますね。<br /><br />※これまでに撮った、カウ・ベルをあしらった民芸品の写真<br /><br />関連の写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14764075/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14764076/<br />関連の旅行記<br />「2008年ブルガリア旅行第5日目(2):民芸品たっぷりのレストランとブルガリア第2のバチコヴォ僧院」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10282720/<br /><br />関連の写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14636401/<br />関連の旅行記<br />「2008年ブルガリア旅行第4日目(2):フォークロア色たっぷりなバンスコ」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10277031/<br />

    スラベイコフ通りの土産屋

    2階のちょっとムラのあるペイントと、トリャヴナ名物の木彫りの看板がチャームポイント@
    カウ・ベルをあしらった民芸品が暖簾のように入口にありますね。

    ※これまでに撮った、カウ・ベルをあしらった民芸品の写真

    関連の写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14764075/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14764076/
    関連の旅行記
    「2008年ブルガリア旅行第5日目(2):民芸品たっぷりのレストランとブルガリア第2のバチコヴォ僧院」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10282720/

    関連の写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14636401/
    関連の旅行記
    「2008年ブルガリア旅行第4日目(2):フォークロア色たっぷりなバンスコ」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10277031/

  • ペトコ&ペンチョ・スラベイコフ父子のハウス・ミュージーアム<br /><br />入場料は2.00レヴァ。<br />(2008年7月現在、1レヴァ=約0.5ユーロ、1ユーロ=約170円で換算)<br /><br />係員の女の子はとても愛想が良かったです。<br />ブルガリアへようこそ!───と言って、簡単な葉っぱのピンバッチのようなものを、胸につけてくれました。<br />歓迎の意を示すためにそうするそうです。<br />といっても、紙の葉っぱはすぐに破けてしまって、町を歩いている最中にどっか行ってしまいましたけどネ@<br />小学生の集団と鉢合わせてしまったので、ちょっとだけ待ちました。<br />係員の女の子が、見学前にざっと、このミュージーアムの説明をしてくれました。<br />ちょっとたどたどしかったけれど、英語で(オーラルのたどたどしさは、私も人のことは言えないんですけどネ)。<br /><br />トルコ風の雰囲気が残る家の中は興味深かったです。<br />ただし、2人に関連するドキュメントは、ブルガリア語なので、ほとんどスルー。<br />その代わりに、英語で解説されていた2人の略歴はなかなか興味深かったので、メモしてきました(次の写真コメント参考)。<br /><br />位置はこちらの観光マップの写真でご確認ください。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/15286937/<br />関連の旅行記<br />「2008年ブルガリア旅行第9日目トリャヴナ(1)1人だと、たどり着くまで時間を食う」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10304662/<br />

    ペトコ&ペンチョ・スラベイコフ父子のハウス・ミュージーアム

    入場料は2.00レヴァ。
    (2008年7月現在、1レヴァ=約0.5ユーロ、1ユーロ=約170円で換算)

    係員の女の子はとても愛想が良かったです。
    ブルガリアへようこそ!───と言って、簡単な葉っぱのピンバッチのようなものを、胸につけてくれました。
    歓迎の意を示すためにそうするそうです。
    といっても、紙の葉っぱはすぐに破けてしまって、町を歩いている最中にどっか行ってしまいましたけどネ@
    小学生の集団と鉢合わせてしまったので、ちょっとだけ待ちました。
    係員の女の子が、見学前にざっと、このミュージーアムの説明をしてくれました。
    ちょっとたどたどしかったけれど、英語で(オーラルのたどたどしさは、私も人のことは言えないんですけどネ)。

    トルコ風の雰囲気が残る家の中は興味深かったです。
    ただし、2人に関連するドキュメントは、ブルガリア語なので、ほとんどスルー。
    その代わりに、英語で解説されていた2人の略歴はなかなか興味深かったので、メモしてきました(次の写真コメント参考)。

    位置はこちらの観光マップの写真でご確認ください。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/15286937/
    関連の旅行記
    「2008年ブルガリア旅行第9日目トリャヴナ(1)1人だと、たどり着くまで時間を食う」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10304662/

  • 見学を終えて<br /><br />左側が父親のペトコで右側がその末っ子のペンチョ。<br /><br /><ペトコ・スラベイコフ(1827〜1895)><br />ブルガリア正教会のギリシャ正教会からの独立が、ひいてはオスマントルコの奴隷と化しているブルガリア人の民族意識をよみがえらせると信じて、ブルガリア正教会の復興に力を尽くしました。<br />ブルガリア文学やジャーナリズムの創設にも多大に貢献しました。<br />彼が生きた時代は、ブルガリアでジャーナリズムの力が認識された最初の時代でもありました。一番有名な新聞は「マケドニア」。<br />(注:そのころはブルガリアとマケドニアは一緒に独立を目指していて、民族や国境の違いははっきりしていませんでした。ブルガリアの独立革命活動の拠点がマケドニアにあったりしたこともあります。)<br />1849年に教師としてトリャヴナにやって来て、教育方法を確立しました。<br />彼の長男のイヴァンは、議員と教育大臣になりました。また、ブルガリアで最初にシェークスピアを翻訳しました。<br /><br /><ペンチョ・スラベイコフ(1866〜1912)><br />ペンチョはペトコの末っ子です。<br />プロヴディフに住んでいた子供の頃、スケートをしていてマリッツァ川に落ちたとき、救助されるまでしばらく氷に漬かってしまったため、足は生涯、麻痺してしまいました。<br />ドイツのライプチヒで哲学と文学を学び、西欧思想をブルガリアに持ち込みました。<br />それは当時のブルガリアにとっては前衛的思想だったため、古い世代のブルガリア文学者との衝突もありました。<br />彼自身は伝統文化を賞賛していました。<br />彼は当時、最も博識な著名人の1人でしたので、ソフィアの国立劇場と国立図書館の館長に任命されました。<br />ところが、1911年に当時の教育大臣から辞職させられてしまい、ひどくキズつき、イタリアに行ってしまいました。その2ヵ月後に病気が悪化して、コモ湖近くのホテルで亡くなりました。<br />1912年、彼は死亡する少し前にノーベル賞にノミネートされていましたが、ノーベル賞は生きている人にのみ与えられるため、受賞となりませんでした。<br />代わりに、この亡くなった詩人に敬意を表するため、この年のノーベル文学賞は誰にも与えられなかったそうです。<br />

    見学を終えて

    左側が父親のペトコで右側がその末っ子のペンチョ。

    <ペトコ・スラベイコフ(1827〜1895)>
    ブルガリア正教会のギリシャ正教会からの独立が、ひいてはオスマントルコの奴隷と化しているブルガリア人の民族意識をよみがえらせると信じて、ブルガリア正教会の復興に力を尽くしました。
    ブルガリア文学やジャーナリズムの創設にも多大に貢献しました。
    彼が生きた時代は、ブルガリアでジャーナリズムの力が認識された最初の時代でもありました。一番有名な新聞は「マケドニア」。
    (注:そのころはブルガリアとマケドニアは一緒に独立を目指していて、民族や国境の違いははっきりしていませんでした。ブルガリアの独立革命活動の拠点がマケドニアにあったりしたこともあります。)
    1849年に教師としてトリャヴナにやって来て、教育方法を確立しました。
    彼の長男のイヴァンは、議員と教育大臣になりました。また、ブルガリアで最初にシェークスピアを翻訳しました。

    <ペンチョ・スラベイコフ(1866〜1912)>
    ペンチョはペトコの末っ子です。
    プロヴディフに住んでいた子供の頃、スケートをしていてマリッツァ川に落ちたとき、救助されるまでしばらく氷に漬かってしまったため、足は生涯、麻痺してしまいました。
    ドイツのライプチヒで哲学と文学を学び、西欧思想をブルガリアに持ち込みました。
    それは当時のブルガリアにとっては前衛的思想だったため、古い世代のブルガリア文学者との衝突もありました。
    彼自身は伝統文化を賞賛していました。
    彼は当時、最も博識な著名人の1人でしたので、ソフィアの国立劇場と国立図書館の館長に任命されました。
    ところが、1911年に当時の教育大臣から辞職させられてしまい、ひどくキズつき、イタリアに行ってしまいました。その2ヵ月後に病気が悪化して、コモ湖近くのホテルで亡くなりました。
    1912年、彼は死亡する少し前にノーベル賞にノミネートされていましたが、ノーベル賞は生きている人にのみ与えられるため、受賞となりませんでした。
    代わりに、この亡くなった詩人に敬意を表するため、この年のノーベル文学賞は誰にも与えられなかったそうです。

  • スラベイコフ・ハウス・ミュージーアムの前のペンションの建物<br /><br />これが、観光マップにあった「カリンチェフ・ハウス」だと思うのですが。<br />てっきりハウス・ミュージーアムかと思って中に入ろうとしたら、なんだかカフェとペンションのようでした。<br />お店のおばさん(おばあさん?)に、「ここはミュージーアムですか」と英語で話しかけようとしたら、おばさんは「待って、待って」と大慌て。<br />急いで、「ほらっ、外国人だよ、英語だよっ!」といわんばかりに、孫を呼び出しました。<br />でも、せっかく英語を勉強しているという孫が出てきても、「ここはミュージーアムですか」「ノー」───会話はたったコレだけですんでしまいました(苦笑)。<br /><br />※ここでは他にも、こんな写真を撮っています。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357863/<br />関連の旅行記<br />「2008年ブルガリア・ハイライトその10:花と実り豊かな夏のブルガリア・その2」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10264147/<br />

    スラベイコフ・ハウス・ミュージーアムの前のペンションの建物

    これが、観光マップにあった「カリンチェフ・ハウス」だと思うのですが。
    てっきりハウス・ミュージーアムかと思って中に入ろうとしたら、なんだかカフェとペンションのようでした。
    お店のおばさん(おばあさん?)に、「ここはミュージーアムですか」と英語で話しかけようとしたら、おばさんは「待って、待って」と大慌て。
    急いで、「ほらっ、外国人だよ、英語だよっ!」といわんばかりに、孫を呼び出しました。
    でも、せっかく英語を勉強しているという孫が出てきても、「ここはミュージーアムですか」「ノー」───会話はたったコレだけですんでしまいました(苦笑)。

    ※ここでは他にも、こんな写真を撮っています。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357863/
    関連の旅行記
    「2008年ブルガリア・ハイライトその10:花と実り豊かな夏のブルガリア・その2」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10264147/

  • スラベイコフ通りの味のある家並み<br /><br />でもこの写真を撮っていた頃には、イコン制作博物館への道が分からなくて、同じところをウロウロ、猛暑でヘロヘロ、気力ダウン。<br />まだまだ時間があるけれどガブロヴォに帰ることにしました。<br />といっても、16時でした。<br /><br />暑くて行くのを挫折したイコン博物館について<br />「トリャヴナ・イコン制作博物館は、昔のイコン画職人による160以上のイコン、東方正教会のミサに必要な品々(オリジナル)、そしてイコン製作の一式が保管されています。」<br />(観光案内所で買った観光マップより私訳)<br />

    スラベイコフ通りの味のある家並み

    でもこの写真を撮っていた頃には、イコン制作博物館への道が分からなくて、同じところをウロウロ、猛暑でヘロヘロ、気力ダウン。
    まだまだ時間があるけれどガブロヴォに帰ることにしました。
    といっても、16時でした。

    暑くて行くのを挫折したイコン博物館について
    「トリャヴナ・イコン制作博物館は、昔のイコン画職人による160以上のイコン、東方正教会のミサに必要な品々(オリジナル)、そしてイコン製作の一式が保管されています。」
    (観光案内所で買った観光マップより私訳)

  • 年季がある家だなぁと思いつつ、行きはスルーした、アンゲル・クンチェフ・ハウス・ミュージーアム<br /><br />行きにスルーしてしまったのは、このソフトドリンクの屋台(屋台というか、テーブルとイスとパラソル)のせいで、建物はカフェかと勘違いしたのです。<br /><br />あいにく月曜日と火曜日は休館でした。<br />トリャヴナの中では一番古そうな家だったのに、ホントに残念!<br /><br />「アンゲル・クンチェフ・ミュージーアム・ハウス(ANGEL KUNCHEV MUSEUM-HOUSE)<br /> 1805年建築。ドキュメントや家の中の生活ぶりの展示により、アンゲル・クンチェフの生涯と偉業、町の人々のトルコ支配を打ち破るための闘争、そして露土戦争(1877-1878)への町の参加を辿ることができます。」<br />(トリャヴナの公式サイト(英語版)(http://www.tryavna.bg/en/)より私訳)<br /><br />位置はこちらの観光マップの写真でご確認ください。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/15286937/<br />関連の旅行記<br />「2008年ブルガリア旅行第9日目トリャヴナ(1)1人だと、たどり着くまで時間を食う」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10304662/<br />

    年季がある家だなぁと思いつつ、行きはスルーした、アンゲル・クンチェフ・ハウス・ミュージーアム

    行きにスルーしてしまったのは、このソフトドリンクの屋台(屋台というか、テーブルとイスとパラソル)のせいで、建物はカフェかと勘違いしたのです。

    あいにく月曜日と火曜日は休館でした。
    トリャヴナの中では一番古そうな家だったのに、ホントに残念!

    「アンゲル・クンチェフ・ミュージーアム・ハウス(ANGEL KUNCHEV MUSEUM-HOUSE)
     1805年建築。ドキュメントや家の中の生活ぶりの展示により、アンゲル・クンチェフの生涯と偉業、町の人々のトルコ支配を打ち破るための闘争、そして露土戦争(1877-1878)への町の参加を辿ることができます。」
    (トリャヴナの公式サイト(英語版)(http://www.tryavna.bg/en/)より私訳)

    位置はこちらの観光マップの写真でご確認ください。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/15286937/
    関連の旅行記
    「2008年ブルガリア旅行第9日目トリャヴナ(1)1人だと、たどり着くまで時間を食う」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10304662/

  • 古い美しい木造のアンゲル・クンチェフ・ハウス

    古い美しい木造のアンゲル・クンチェフ・ハウス

  • アンゲル・クンチェフ・ハウスの2階のテラスを見上げて<br /><br />このあと、アウトガラ(バスターミナル)に着いたのが16時50分。<br />17時発のバスでガブロヴォに帰りました。<br />ガブロヴォ着は、ホテル・バルカンの前で途中下車したので、17時35分。<br />

    アンゲル・クンチェフ・ハウスの2階のテラスを見上げて

    このあと、アウトガラ(バスターミナル)に着いたのが16時50分。
    17時発のバスでガブロヴォに帰りました。
    ガブロヴォ着は、ホテル・バルカンの前で途中下車したので、17時35分。

  • おまけ:イラスト・ポストカードより<br />トレヴネンスカ川にかかる石橋と、デャド・ニコラ広場の時計塔が見える風景<br /><br />アウトガラ(バスターミナル)に戻る帰り道に、途中のおみやげ屋で買いました。<br />周りにチョコッとちりばめたのは、ムーンストーンのルースです@<br /><br />いまは手前に家があるので、こういう景色は見られないと思います。<br />あるいは、このように見えるアングルが、ひょっとしたらあったのかも!?<br /><br />関連の写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/15297293/<br />関連の旅行記<br />「2008年ブルガリア旅行第9日目トリャヴナ(2)メインのデャド・ニコラ広場近辺」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10304664/<br />

    おまけ:イラスト・ポストカードより
    トレヴネンスカ川にかかる石橋と、デャド・ニコラ広場の時計塔が見える風景

    アウトガラ(バスターミナル)に戻る帰り道に、途中のおみやげ屋で買いました。
    周りにチョコッとちりばめたのは、ムーンストーンのルースです@

    いまは手前に家があるので、こういう景色は見られないと思います。
    あるいは、このように見えるアングルが、ひょっとしたらあったのかも!?

    関連の写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/15297293/
    関連の旅行記
    「2008年ブルガリア旅行第9日目トリャヴナ(2)メインのデャド・ニコラ広場近辺」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10304664/

  • おまけ:イラスト・ポストカードより<br />トレヴネンスカ川にかかる石橋<br />

    おまけ:イラスト・ポストカードより
    トレヴネンスカ川にかかる石橋

  • おまけ:イラスト・ポストカードより<br />トリャヴナの、おそらくスラベイコフ通り<br />

    おまけ:イラスト・ポストカードより
    トリャヴナの、おそらくスラベイコフ通り

この旅行記のタグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (3)

開く

閉じる

  • bloom3476さん 2014/02/26 16:52:34
    トリャヴァナについて
     まみ様  はじめまして! イコンと申します。

     ビザンチンの巡礼をした、ついでにイコンを見たり買ったりするのが旅の目的で歩いている者です。

     今度のGWにブルガリアへの旅を計画していてトリャヴァナを調べる内に、4トラでは唯一のまみさんのページに辿り着きました。 

     それで読んで、行った気になるほど、追体験しました。 そして

    全貌は、目で見ればよろしい。
    でも、写真は、写真だけで楽しめるものを撮らなくてはどうするの?
    そう思ったので、作品の全部を撮らず、一部分だけを強調する写真を撮り始めました。全部を撮るよりも、構図に頭を使います(私なりに)。
    ───やっぱり、ミュージーアムに写真を撮りに来たも同然じゃん!

       とのお言葉にちょっと感動しました、自戒もこめて、、

     さて私はここに泊まるなのでイコン三昧をして来ますが、まみさんに出来たら教えて頂きたいのですが、町に骨董屋は有りましたでしょうか? 古いイコンや額縁等が見つけられればと期待しております。

     お手すきの折があれば、アドバイス頂ければ幸いです。

        イコン 拝

    まみ

    まみさん からの返信 2014/02/27 12:48:28
    RE: トリャヴァナについて
    イコンさん、はじめまして。ブルガリア旅行記を見てくださってありがとうございます。
    少し前のことですが、書き込みをきっかけに記憶を甦らせることができましGた@
    GWの頃なら、私のときのように暑くて閉口することもなさそうですね。
    あと一か月くらい後なら、カザンクラのバラの時期は満開かもしれません。
    でもイコン目当てだとしたら、カザンクラは足を伸ばさないですか。

    表紙の引用してくださった言葉は私も自戒と開き直りなのですが、、、いやはや、いまの私なら、もっとたくさん写真を撮ってきただろうな〜と思ったりしながら旅行記をひっくりかえしました。

    ご質問の件ですが、あいにくアンティークショップにアンテナを張っていなかったので、あるかどうか分からないんです。お役に立てなくてすみません。
    なんかあってもおかしくなさそうな街並みでしたけど。
    トリャヴナでおみやげを買うなら革製品、というのは覚えていました。
    学校博物館のそばにはいくつか職人の店があって写真も撮りましたが、うーん、そこにアンティークはなかったです。
    しかし古い街並みのあちこちに店があったのは確かです。
    ただ、木製の額縁を作っているところはその広場にあったと思います。
    でも買うつもりがなかったのでうろ覚えなの。ごめんなさい。

    ビザンチンのイコンの旅、すてきですね!
    私はいままでたくさんイコンを見て来ましたが、地域差がいまひとつ把握しきれていません。
    とりあえず、そのときの自分の気分と好みのままに、あ、これいいな、と思ったりしながら鑑賞してまわっています。
    去年ロシア旅行をして博物館でたくさんイコンを見てきましたが、ロシアなので、ビザンチンのイコンは少なかったですね。

    まみ

    bloom3476

    bloom3476さん からの返信 2014/02/27 13:08:11
    RE: RE: トリャヴァナについて
    まみ様

     うわー 早速のご返事ありがとうございました。

     骨董店 無くても、おばちゃん これなんぼ? って非売品を今まで
     買ってきましたので、まあなんとかなるでしょう、、税関までは。

     あの博物館にあった木彫の像も魅力的ですね。まみさんの旅行記は
     一つ一つの 「はじめて」がじっくりと撮ってるのに感心しました。

     私は数年前から旅行記を書くのが面倒になりFacebookの方に旅の出来事を
     書いていますが、こうやって丹念に書くと、何年たっても自分だけでなく
     他の人まで 旅のしあわせを贈るからいいですよね。

     昨年のエチオピア巡礼が一番、エキゾチックだったのですが、転記してないので ロシアや東欧の旅行記 私も書いているので、お暇な時にご笑覧ください。

     今後共、どうぞよろしく、お願い致します。

            やしましゅうじ

まみさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ブルガリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ブルガリア最安 487円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ブルガリアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP