2008/12/23 - 2009/01/07
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ちゃおさん
日本に古墳時代が幕開けする遥か以前にこの国では既に高度な文明が発達していた。紀元前後、既にインド人入植者がカンボジア南部にやってきていた、と言われている。紀元前323年、インド征服を終えたアレクサンダー大王は、33歳の若さで急逝したが、世界版図を描いていた彼の眼には、当然インドの先の未知の世界の征服、シビリゼーション化(ギリシャ化)の構想はあった筈だし、先遣隊の何人かは既にこの地にやってきていたかも知れない。
この地がインドシナ(仏印)と呼ばれるようになったのは、つい最近の19世紀、フランスがこの半島を植民地化して以降のことであるが、しかし、この名の示すとおり、この地は丁度、世界四大文明の内のインド文明と中国文明との境、接点にもなっている地域で、当時から双方の民族が漸進してきていた。
現在のインドシナはもうはっきりとアジア文化圏の範疇に入るが、今から1000数百年前の文明揺籃期には、むしろインド的な要素が強かった。
アンコール・ワット、アンコール・トムなどの壮大な石造りの神殿は、アジア的な木造文化とは異なるものであり、これ等6−7世紀に興ったクメール(カンボジア)人の王国「真臘」(チェンラ)の遥か昔の1世紀の頃、この地にあった「扶南」(フーナン)国の王は、自らを「山の王」と称し、インドから多くの文物、宗教思想を輸入し、インド化された海洋商業国家として大いに栄えたと言われている。
6世紀後半、太陽の子・カンボジア(カンプ―チャ)は「扶南」を倒し、現在のコンポントム郊外のサンボールに広大な王都を築き(現在早稲田大学で発掘調査を行っている)、その後9世紀になって現在のシェリムアップへ移り、以後400年に亙ってこのアンコールの地に壮大な石造建造物を建設したのだった。
これ等遺跡群はインド的思想、ヒンドウ教の信仰、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三主神を祀る象徴として建てられたものであり、その文字にしてもヒンドウ文字(北部サンスクリット語及び南部パーリ語)を参考にし、発展形成されたものと言われている。
今に残る数々の遺跡群は、従ってアジア的な光景とは全く異なる異空間、インド的な均斉の取れた、堅牢且つ高度な芸術性を持った静寂の中にあり、その中央の須弥山の高き盛り上がりの中へ人々を誘っていくものであった。そこには時空を超えた何物かが存在しているかのごときであった。
「石造の神殿焦がす真冬の陽」
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