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鹿児島に行ってきました。画像は鹿児島市内にある城山から桜島を眺めたものです。ここ数日は11月とは思えないような天候で少し歩くと、汗がでてくるような日でした。

鹿児島あるき?

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2008/11/14 - 2008/11/14

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晴れ男。

晴れ男。さん

鹿児島に行ってきました。画像は鹿児島市内にある城山から桜島を眺めたものです。ここ数日は11月とは思えないような天候で少し歩くと、汗がでてくるような日でした。

交通手段
高速・路線バス ANAグループ

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  • ここは、最初の見学地である城山です。鹿児島中央駅前から、カゴシマシティビューという市内観光周遊バスに乗り、城山バス停で下車。ここまで登るのにかなり汗をかいてしまいました。

    ここは、最初の見学地である城山です。鹿児島中央駅前から、カゴシマシティビューという市内観光周遊バスに乗り、城山バス停で下車。ここまで登るのにかなり汗をかいてしまいました。

  • 【城山】<br /><br />鹿児島県鹿児島市。<br />高さ、108(m)。<br />鹿児島本線鹿児島駅の西2km。鹿児島中央駅前からカゴシマシティビューのバスに乗り約20分、?番目、城山、下車。<br />城山公園は、「鹿児島県森林浴の森70選」に数えられている。<br /><br /> シラス台地の先端で、鹿児島本線がトンネルで抜ける。古くは上山氏の居城地、近世に島津氏が山麓に築城。西南戦争の激戦地。裏の岩崎谷には西郷隆盛が最後に5日間起居したという洞窟がある。山頂には展望台・観光ホテル・テレビ塔などがあり、鹿児島湾を一望できる。<br /> また、城山は、全山樹木におおわれており、植物の宝庫としても有名。シイノキ・クスノキ・クロマツ・タブノキなど、亜熱帯常緑樹の大木がうっそうと茂り合い、これにフウトウカズラ・イタビカズラ・オオイタビといった植物がからみつき、樹林下には、ヒノキシダ・ホウライシダなどのシダ類が密生している。自生する植物は600種以上といわれ、しかも自然景観をよくとどめており、植物学的にも貴重な山として国の天然記念物に指定されている。

    【城山】

    鹿児島県鹿児島市。
    高さ、108(m)。
    鹿児島本線鹿児島駅の西2km。鹿児島中央駅前からカゴシマシティビューのバスに乗り約20分、?番目、城山、下車。
    城山公園は、「鹿児島県森林浴の森70選」に数えられている。

     シラス台地の先端で、鹿児島本線がトンネルで抜ける。古くは上山氏の居城地、近世に島津氏が山麓に築城。西南戦争の激戦地。裏の岩崎谷には西郷隆盛が最後に5日間起居したという洞窟がある。山頂には展望台・観光ホテル・テレビ塔などがあり、鹿児島湾を一望できる。
     また、城山は、全山樹木におおわれており、植物の宝庫としても有名。シイノキ・クスノキ・クロマツ・タブノキなど、亜熱帯常緑樹の大木がうっそうと茂り合い、これにフウトウカズラ・イタビカズラ・オオイタビといった植物がからみつき、樹林下には、ヒノキシダ・ホウライシダなどのシダ類が密生している。自生する植物は600種以上といわれ、しかも自然景観をよくとどめており、植物学的にも貴重な山として国の天然記念物に指定されている。

  • 鹿児島市街地を望む。<br /><br />鹿児島市内の繁華街を天文館通りというが・・。<br /><br />安永8年(1779)、25代藩主島津重豪(しまづ<br />しげひで)がこの地を建設、天文館と名づけて藩内の暦を分布したのが地名の起こりという。<br /><br />島津重豪は、たいへんな借金王であったという。

    鹿児島市街地を望む。

    鹿児島市内の繁華街を天文館通りというが・・。

    安永8年(1779)、25代藩主島津重豪(しまづ
    しげひで)がこの地を建設、天文館と名づけて藩内の暦を分布したのが地名の起こりという。

    島津重豪は、たいへんな借金王であったという。

  • この周囲には人がたくさんいて写真を撮るにもひと苦労。やっと桜島全景を狙えるところを確保。すると遠足か校外授業なのか、小学生の頭が撮ろうとする風景の中にちらほらと・・。それでもこちらの写真撮影の熱心さに心打たれ(?)、「すみません、どうぞ」とありがたいお言葉をいただき、撮影に成功。小学生の皆さま、ご協力ありがとうございました。これから先、お元気で見学してくださいね!!。

    この周囲には人がたくさんいて写真を撮るにもひと苦労。やっと桜島全景を狙えるところを確保。すると遠足か校外授業なのか、小学生の頭が撮ろうとする風景の中にちらほらと・・。それでもこちらの写真撮影の熱心さに心打たれ(?)、「すみません、どうぞ」とありがたいお言葉をいただき、撮影に成功。小学生の皆さま、ご協力ありがとうございました。これから先、お元気で見学してくださいね!!。

  • 桜島がきれいに見えました。<br /><br />【桜島】<br /><br /> 鹿児島湾(錦江湾)(きんこうわん)に浮かぶ、コニーデ型の複式火山。有史以来30数回の噴火をくり返し、大規模な溶岩原が広がることでも世界に名高い。鹿児島のシンボルであり、霧島・開門岳(かいもんだけ)と並ぶ鹿児島三山のひとつで、県の名勝に指定されている。<br /><br /> 島は周囲約52(km)、面積80(k?)余りの活火山島で、北岳(御岳、1117m)・中岳(1060m)・南岳(1040m)が南北に連なり、その中腹には10座近い寄生火山が噴出して、複雑な山容をなしている。<br /><br /> 爆発の記録は多いが、ことに文明8年(1476)・安永8年(1779)・大正3年の爆発は大規模であった。大正3年の噴火のときは、噴煙は8000(m)にも達し、カムチャッカにまで降灰があったという。

    桜島がきれいに見えました。

    【桜島】

     鹿児島湾(錦江湾)(きんこうわん)に浮かぶ、コニーデ型の複式火山。有史以来30数回の噴火をくり返し、大規模な溶岩原が広がることでも世界に名高い。鹿児島のシンボルであり、霧島・開門岳(かいもんだけ)と並ぶ鹿児島三山のひとつで、県の名勝に指定されている。

     島は周囲約52(km)、面積80(k?)余りの活火山島で、北岳(御岳、1117m)・中岳(1060m)・南岳(1040m)が南北に連なり、その中腹には10座近い寄生火山が噴出して、複雑な山容をなしている。

     爆発の記録は多いが、ことに文明8年(1476)・安永8年(1779)・大正3年の爆発は大規模であった。大正3年の噴火のときは、噴煙は8000(m)にも達し、カムチャッカにまで降灰があったという。

  • 西郷隆盛は、三回も結婚していた。<br /><br />大きな体で人に接した西郷は、まさに謹厳実直(きんげんじっちょく)を絵に描いたような人柄だったのだろう。<br /><br />○1回目の結婚<br /><br /> 嘉永5年(1852)ごろで、伊集院直五郎(いじゅういん なおごろう)の娘を娶った(めとった)。夫婦仲は悪くなかったようだが、隆盛は参勤交代に従って江戸へ出てしまう。留守を任された妻は、特に西郷の三人の妹との折り合いが悪かったといわれ、その留守中に実家へ帰ってしまったが、それを無理からぬことと思った西郷は、江戸から離婚を申し送った。<br />結婚生活は3年にも満たなかった。<br /><br />○2回目の結婚<br /><br /> 安政5年(1858)、西郷は奄美大島へ向けて出発する。島民に深い愛情を示し、藩の苛政(かせい)を批判する西郷に、島の豪農龍家(りゅうけ)一族は嫁取りをすすめ、安政6年(1859)に愛加那(あいかな)が選ばれて妻となった。西郷33歳、愛加那23歳のときだった。2年後には菊次郎が誕生したが、その年の暮れには藩に召還(しょうかん)され西郷は奄美大島を去った。その翌年の分久2年(1862)に愛加那は菊子を出産した。愛加那は西郷がその年に徳之島へ再び流されると、二児を連れて会いに行っている。維新後、二児は鹿児島の西郷家に引き取られたものの、愛加那は一人奄美大島に取り残される。<br />愛加那にとって、西郷は「島だけの夫」だった。<br />

    西郷隆盛は、三回も結婚していた。

    大きな体で人に接した西郷は、まさに謹厳実直(きんげんじっちょく)を絵に描いたような人柄だったのだろう。

    ○1回目の結婚

     嘉永5年(1852)ごろで、伊集院直五郎(いじゅういん なおごろう)の娘を娶った(めとった)。夫婦仲は悪くなかったようだが、隆盛は参勤交代に従って江戸へ出てしまう。留守を任された妻は、特に西郷の三人の妹との折り合いが悪かったといわれ、その留守中に実家へ帰ってしまったが、それを無理からぬことと思った西郷は、江戸から離婚を申し送った。
    結婚生活は3年にも満たなかった。

    ○2回目の結婚

     安政5年(1858)、西郷は奄美大島へ向けて出発する。島民に深い愛情を示し、藩の苛政(かせい)を批判する西郷に、島の豪農龍家(りゅうけ)一族は嫁取りをすすめ、安政6年(1859)に愛加那(あいかな)が選ばれて妻となった。西郷33歳、愛加那23歳のときだった。2年後には菊次郎が誕生したが、その年の暮れには藩に召還(しょうかん)され西郷は奄美大島を去った。その翌年の分久2年(1862)に愛加那は菊子を出産した。愛加那は西郷がその年に徳之島へ再び流されると、二児を連れて会いに行っている。維新後、二児は鹿児島の西郷家に引き取られたものの、愛加那は一人奄美大島に取り残される。
    愛加那にとって、西郷は「島だけの夫」だった。

  • ○3回目の結婚<br /><br /> 徳之島から帰った西郷。国事に奔走する多忙な日々が続く慶応元年(1865)正月に、家老座書役岩山八朗太の次女イトと結婚をした。西郷は39歳、イトは24歳だった。しかしながら戊辰戦争が終結するまでの約3年間、西郷は鹿児島にいることはごくわずかだった。それでもイトは3人の男児を産み、菊次郎と菊子もともに育てるのだが、平穏な家庭生活は明治10年の西南戦争で崩れ去った。西郷の名誉が回復されたのは明治22年(1889)である。イトははたして幸福な妻だったのだろうか。

    ○3回目の結婚

     徳之島から帰った西郷。国事に奔走する多忙な日々が続く慶応元年(1865)正月に、家老座書役岩山八朗太の次女イトと結婚をした。西郷は39歳、イトは24歳だった。しかしながら戊辰戦争が終結するまでの約3年間、西郷は鹿児島にいることはごくわずかだった。それでもイトは3人の男児を産み、菊次郎と菊子もともに育てるのだが、平穏な家庭生活は明治10年の西南戦争で崩れ去った。西郷の名誉が回復されたのは明治22年(1889)である。イトははたして幸福な妻だったのだろうか。

  • この時期、こんなに気温が高くて、きれいに桜島が見られてよかったです。想像以上に観光客のみなさんがたくさんきていたので驚きました。篤姫の効果でしょうか。小学生のみなさんが一緒にバスに乗ってきて、そんな子供たちの笑顔と元気いっぱいな姿に惚れました。バスに乗らず、歩いている子どもたちもいました。城山、いいところですね。夜景もとてもきれいだろうな。今度は夜景でも見にこようかな。

    この時期、こんなに気温が高くて、きれいに桜島が見られてよかったです。想像以上に観光客のみなさんがたくさんきていたので驚きました。篤姫の効果でしょうか。小学生のみなさんが一緒にバスに乗ってきて、そんな子供たちの笑顔と元気いっぱいな姿に惚れました。バスに乗らず、歩いている子どもたちもいました。城山、いいところですね。夜景もとてもきれいだろうな。今度は夜景でも見にこようかな。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • こざくらさん 2009/01/08 22:23:21
    桜島がくっきり
    晴れ男さん、

    おめでとうございます。
    桜島はよく噴煙を撒き散らしているようですが、
    ?でも、美しい姿を見せていただき、見入ってしまいました。
    奇麗な桜島に1票で〜す。

    西郷さんは3度も結婚していたんですね。

    やはり、篤姫ブームで盛り上がっていましたか。
    私は殆んどTVを見なかったのですが、
    夫のルーツが鹿児島なので、夫は毎週見ていました。

    私と言えば、さつま揚げと焼酎、薩摩切り子、黒豚には興味深々です。

    では、またお邪魔します。
    こざくら

    晴れ男。

    晴れ男。さん からの返信 2009/01/10 00:04:38
    今年もよろしくお願いします。
    こざくらさん

    新年、明けましておめでとうございます。

    > 桜島はよく噴煙を撒き散らしているようですが、
    > ?でも、美しい姿を見せていただき、見入ってしまいました。
    > 奇麗な桜島に1票で〜す。

    桜島に投票、ありがとうございます。
    当日は、この時期とは思えない天候だったとの地元の人の話できれいに桜島を見ることができました。この日もなんだか頂上から噴煙らしきものが上がっていました。

    > 西郷さんは3度も結婚していたんですね。

    そうなんですよ。西郷さんも結構やるな〜なんて思っちゃいました。
    当時の人はどのように感じたのか知りたいものです。

    > やはり、篤姫ブームで盛り上がっていましたか。
    > 私は殆んどTVを見なかったのですが、
    > 夫のルーツが鹿児島なので、夫は毎週見ていました。

    至る所に篤姫を感じることができました。観光客の皆さまの会話、ポスターなどですね。鹿児島港近くに期間限定で建てられた「篤姫館」には、ドラマ出演者のサイン入り色紙、出演者の役柄、関係図などが展示されていました。私もドラマをほとんど見ておらず、「尚古集成館」で購入した篤姫の本を読んでみました。

    > 私と言えば、さつま揚げと焼酎、薩摩切り子、黒豚には興味深々です。

    グルメですね。焼酎、結構きついけどやはりおいしい。さつま揚げにはあうんですよ、これが・・。私は、鹿児島ラーメン食べました。こってりとしたおいしかったです。薩摩切り子、黒豚、はまた今度になりました。

    これからもよろしくお願いします。

           晴れ男。

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