2002/01/14 - 2002/01/29
850位(同エリア2666件中)
ちびのぱぱさん
- ちびのぱぱさんTOP
- 旅行記273冊
- クチコミ203件
- Q&A回答37件
- 324,088アクセス
- フォロワー32人
七つの丘の都リスボンは坂の多い町で、その坂ひとつひとつに表情がありました。
日いずる国から、日の沈む西の果ての国ポルトガルの首都リスボンを訪れた、旅の思い出です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
PR
-
七つの丘の歩き方
以前リスボンに来たとき、このケーブルカーと路面電車に惚れ込みました。
愛くるしくて、思わず抱きしめたくなるフォルム。
なんてかわいらしい乗り物だろう。
写真のケーブルカーはビッカ線で、リスボン名物。
路面電車もケーブルカーも一回の乗車が0.85ユーロだから……100円くらい。
地下鉄は、一日券が1.40ユーロと安いが、なるべく乗りたくない。
町中に、似たような路面電車が、これまた狭い道路を縦横無尽に走っています。
それを活用すれば、この坂道の町もらくちんで歩ける。
グロリア線のケーブルカー、サンタジェスタのエレベーター、観光名所をぐるりと巡る28番線路面電車……。
このボディーにコカコーラのポップが描かれているものがあって、コークのトレードマークの赤が、この町によく似合うと思いました。
誰のための道路か?という問題
ただ、自動車もそこいらじゅうに停めてありますから、しばしば線路をふさいで電車は立ち往生する。
ベレン地区までの行き帰りも路面電車を利用しまして、帰りに市内に入ってきたときに、狭い曲がり角に赤いポンコツの車が停めてありました。
そんなところに車を置くこと自体、非常識きわまりないことだと思うのですが、なんとその車には運転手がいない……。
どうするんだろうと思ってみていると、我らが電車の運転士は両手を挙げて「お手上げ」のポーズをし、そのままタバコをふかし始めました。
なるほど、それしかないだろう。
やがて反対方向の路面電車もやってきて、とうぜん自動車も加わっててんやわんやの騒ぎになります。
いつ動くとも知れぬ電車に見切りを付け、大方の乗客は降りていってしまいました。
わたしらは、もう歩くのも疲れちゃいましたし、この後どうなるのかも見届けたいという好奇心もありまして、そのままガラガラになった車内に腰を下ろしておりました。
やがて、どこからか現れた自動車の運転手は悪びれるでもなく車に乗ってさっさと走り去り、何事もの無かったように電車も走り出す。
う〜ん、べつに何も変わったことは起こらなかったなあ。 -
サンタジェスタのエレベーターというのがあって、上は展望台になっています。
これも、0.85ユーロで、ケーブルカーと料金は一緒。
私たちが訪れた2002年より、ちょうど100年前に建てられている。
45mの高さをガタギシいいながら登ってゆくが少し不気味。
これも、市電と同じ料金というのは、ちょっと高いかも知れないと思う。 -
サンタジェスタのエレベーターで上にあがると
-
エレベータを下りてから、少し階段を上がらなければなりませんが、このようなカフェテラスになっていて、珈琲やビールを飲める。
-
市内を一望
-
ロシオ広場が見えている
-
ア・ブラジレイラ
リスボンには凝ったアールヌーボー調のデザインのお店が多く、町歩きに疲れたら(それほど疲れてなくても)気に入ったカフェがあったら迷わず入ります。
ビッカと呼ばれるおいしいエスプレッソコーヒーがお勧めで、1杯60円くらい。
写真は、ア・ブラジレイアという老舗カフェ。
この名前、いわれは知りませんが、かつての植民地ブラジルにちなんでのことだろうか。
1905年の創業で、多くの文人墨客にも愛されたとか。
ポルトにも、同じ名前のカフェがあります。 -
ア・ブラジレイアの内部の写真。
ぼうっと苦いビッカをすすっていると、思わず長居をしてしまう。
別に、ビッカ一杯で居座っても誰もとがめだてをするような人はいません。
良い国です。
この店で、多くの芸術家や作家などの文人たちが、きっとだらだらと時を過ごして作品を世に送り出していたんだろうと、妄想します。 -
ポルトガルの有名な詩人、フェルナンド・ペソアの像がア・ブラジレイラの前にあります。
「もうずいぶんまえから、私は私ではない」
厭世的な詩の世界が、このポルトガルの、とくにリスボンの町並みに良くマッチしているなと思いました。
けっきょく生きている内は、売れることもなく、死後に見つかったスーツケース一杯の原稿が、彼を売れっ子にした。
死んだ後に売れてどうなるのか……。
遺族が喜ぶか。
しかし、銅像の手にそっと自分の手を重ねるご婦人のうっとりとした顔。
イケメンであることと、その作品に透明感があることは、このような当然の結果を招くのだろうと思います。
もう、次の女性が写真を撮ろうと順番待ちをしているのです。
だいたい、この手の詩を書く人というのは女ったらしが多いような気がするのですが……。
ここから少し歩けばカモンエス広場。 -
28番線沿線のアルバイシン地区
少し頑張って歩いて、サン・ジョルジェの城跡に上ります。
とてもいい眺め。
ローマ時代から建つ城の城壁から、七つの丘を見渡すことが出来る。
城内には、近代作家によるいろいろなブロンズ像が展示してあって、漫画に出てくるヒデヨシという猫にそっくりの像がありました。
まだあるのかな。
それから、なぜか孔雀がその辺を歩き回っています。
インドでも見かけましたが、クジャクというのはごく普通に歩き回っているものなのだろうか。 -
城の中に置かれたアート作品。
-
サンジョルジェ城からの見晴らしです。
テージョ川がかなたに見えます。 -
アルファマ地区を見下ろす。
-
アラビアの置きみやげ
アルファ間地区はアラブ語で泉のことだそうです。
8世紀の初頭からウマイヤ朝(美味い野鳥)ペルシャの進出を受け、ムーア人が長らく町の中心にしていたという。
1147年のリスボン陥落で、ここはキリスト教徒の町に復帰した。
ヨーロッパの多くの文化は、進んだアラブからもたらされたと聞いていましたが、このあたりの人々はどんな支配を受けていたのだろうか。
日本で言えば、平安時代の後期にあたる時代か。
-
ロシオ広場のジンジャ
「地球の歩き方」によればリスボンで一番にぎやかな広場がロシオ広場だそうです。
2年前に来たときは夕方でした。
なぜか当時は広場は黒人たちで埋め尽くされていました。
大騒ぎをするでもなく、静かに夕闇にとけ込み、数人から数十人のグループになっておしゃべりをしていました。
あの方たちは、夜との相性が抜群で、闇を乱すようなことはけしてありません。
そのときは、ヨーロッパの広場を賑わす黒人たちに、不思議な感覚にとらわれましたが、きっと出稼ぎに来た方たちなのだろうと想像しました。
今回は、彼らはまったく見かけませんでしたネエ。
晩に、もう一度出直しました。
広場の一角には、前回同様、夕方になると異様ににぎわっている一角があります。
前回も黒人の人だかりがあったのはこの辺り。
この度は何があるのかと勇気を出して覗いてみたら、ア・ジンジャーニという飲み屋です。
一杯0,80ユーロ(95円)でジンジャーという甘ったるい果実主を紙コップで飲ませてくれます。
それを立ち話をしながら男たちが(女性もいます)楽しそうに飲んでいます。
私らも頂きました。
おかわりもしちゃいました。
良い国だなあ。
味?結構いけると思いましたが、前述のように甘い果実酒です。
その少し奥には私らの行きつけになった大衆食堂があります。
通り沿いの窓越しに、親父が一杯やりつつ(机の下に隠してある瓶から、マスターの目を盗んでは飲んでいます)肉を焼いています。
その匂いにつられて入ったのですが、味噌汁のような豆のスープがおいしいです。
ポルトガルの味噌汁
新田次郎の遺作『孤愁〈サウダーデ〉』のなかで、主人公のモラエスが、日本の味噌汁を飲んで、故郷ポルトガルの豆のスープのようだとサウダーデに浸る場面がありました。
狭い入口からはいると、意外と店内は広く、ポルトガル人にしては愛想の良い店主が、いろいろと気を遣ってくれました。
居心地の良さに、連チャンしました。
数日レンタカーで、ポルトガルの地方を回って日本に帰る前の晩に、思い出して久しぶりに寄ってみると、入口横の通りに面したグリルで、相変わらず飲んべえの親父が調理しているところと目が合いました。
やっぱりグリルの横にはウイスキーの小瓶が置いてある。
黙って立っていたら、
『何をしている、さっさと入れよ。』
と、あごをしゃくってウインクしました。
店内では主が、まるで旧知の友にあったように歓迎してくれました。
周遊をして、振り出しの町に戻るというのは移動の面から考えて非効率かと思いますが、このような出会いがあると、悪くないな。
いつもの、豆のスープを口に運びながらそう思いました。 -
ポルトガルで生まれ日本に骨を埋める
リベルダーデ通りからこの石段を登って来ると、明治時代に日本に来て、日本の娘と結婚し四国の徳島で暮らしたヴェンセスラウ・デ・モラエスの家があります。
30年以上前に毎日新聞に連載されていた新田次郎の遺作「弧愁」という小説の主人公でした。
当時高校生だった私は印象深く読んでいましたが、その生家にどうしても足を運んでみたかったのです。
日のあるうちに行かなければ。 -
モラエスの生家
アズレージョ(タイル)で日本語の碑文が書き込まれています。
モラエスは徳島で、生涯を終えたそうです。
日本とポルトガルには不思議なつながりがあると思える作品でどうぞポルトガルにおいでの際にはご一読お勧めします。
そういえば、お隣のスペインはまったくの明朗会計なのにポルトガルには「お通し」があるんですね。
手をつけなければ会計には乗らないんですが、日本のことを思い出して、出されただけ食べちゃいました。
なかなかいけます。
お金払いたくない人は用心してください。 -
ベレン地区
路面電車15番に乗って、人気観光地のベレン地区に足を伸ばしました。
ここは観光名所がいっぱいあるし世界遺産なんですが、そういう観光は前回したので、今回の目的はエッグタルトです。
パシュテイシュ・デ・ナタというのが正式名でして、その名もパシュテイシュ・デ・ベレンというお店が路面電車を降りてすぐ目の前あります。
入り口で注文してテーブルに着いて待っているとおじさんが持ってきてくれて、 「初めてです。」
って顔をしていると
「こうやって食べるんだ。」
といって、シナモンをがばっとぶっ掛けて、笑顔で去ってゆきます。
シナモンが苦手な人は、注意しましょう。 -
旅の終わりか始まりか
外に出て、テージョ河畔の方に少し歩くと、焼き栗の香りがします。
道端の焼き栗屋台で、とんでもない良い匂いをさせている。
道ばたでこれは、犯罪ではないでしょうか。
エッグタルトを食べたばっかりですが、たまらず一袋(100円くらい?)買って道端でほおばっていると、一人の紳士が近づいてきました。
厚手のオーバーを着て、眼鏡を掛けています。
60才くらいに見える彼は、少しためらうように会釈をしました。
こちらも、もぐもぐしながら会釈を返すと、それを確かめた後ゆっくりとした英語で言いました。
「失礼ですが、あなたにとって、ここは旅のおしまいですか?それとも、旅の始まりですか?」
オーバーのポケットに左手をつっこみ、右手でジェスチャーをするその様は、ちょっとドイツっぽい訛のある紳士です。
たぶん、先ほどから私たちの様子を見て、東洋からの旅人に何事かを尋ねてみたかったのだと思うのです。
それにしてもしばらくは、質問の意味をつかみかねてぼんやりしていましたが、思えばここは広大なユーラシア大陸の西のはずれであり、私たちの国日本は「極東」つまり、東のはずれ。
その東のはずれから訪れたであろう旅人に、彼はこの質問をぶつけてきたのだろうか。
そのことに思い至って、この紳士の言わんとしていることは何となく分かったような気がしました。
それにしても、思索的な質問をしたものです。
なんて答えようか……
彼をもう一度見ると、その紳士は、自らの思索的な質問に満足し、あごをなでながらぼんやりとこちらを眺めている。
私は買ったばかりの焼き栗を勧めながら
「Well……,we're on the way of our trip.」
と素っ気の無い返事をするのでした。
通じたか分かりませんが、「そうですね、旅の半ばかな」、ぐらいのつもりです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- churros さん 2012/08/07 17:13:23
- はじめまして
- ちびのぱぱさん、はじめましてy御投票ありがとうございます。
隣のスペインまではよく行くのですが、ポルトガルにはまだ入った事がないんですよ、2002と言うとペセタとエウロの端境期まだまだ物価も安く、滞在しやすかったですよね〜、どんどん食事代の高くなり困ったものです、今年もスペインへ行くのですが滞在費に頭を悩ましています。
写真もさることながら文章に引きこまれて最後まで拝見しました、又再訪問させて頂きます。
churros
- ちびのぱぱさん からの返信 2012/08/07 23:31:09
- RE: はじめまして
- churrosさん
こんにちわ
ちょうど、支倉常長の本を読んでいましたので、コリア・デル・リオの旅行記、興味深く読ませていただきました。
ほかの旅行記も、また、読ませてください。
スペインには二度ほど行ったことがあり、セビリアにも足を運んでいますが、慶長遣欧使節ゆかりの地にも、いつか行ってみたいと思います。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ちびのぱぱさんの関連旅行記
リスボン(ポルトガル) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
リスボン(ポルトガル) の人気ホテル
ポルトガルで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ポルトガル最安
353円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
2
19