2002/01/24 - 2002/02/06
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ちびのぱぱさん
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1月の良く晴れた日に、ポルトを歩きました。
ポルトは、古い町並みと新しい町並みとが融和した活気に満ちた街でした。。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 航空会社
- KLMオランダ航空
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大西洋岸の白砂青松
ポルトガル北部の大西洋岸を「コスタ・デ・プラタ」というらしいです。
その意味は、「銀の海岸」だという。
朝コインブラのホテルを車に乗って出て、リスボンのEuropCarでもらった地図を頼りに一路大西洋岸を目指しました。
やがて両側に背の高い松林が続くようになって、海の近いことを感じさせます。
道路はいつしか石畳になりました。
そして銀の海岸は、突然松林の向こうに現れる。
白砂青松……
銀とは砂の色なのでした。
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コスタノバ
大西洋岸を北に進むと、コスタノバという小さな町に至ります。
コスタノバは近年陶器メーカーの名前として知られ、その製品はミルク色の肌と呉須(?)の青が切ないほど美しい。
町のほうの写真をどこで見たのか忘れましたが、たぶん何かの雑誌でしょう。
冬のリゾートは、少し寂しい…… -
コスタノヴァで女ののど自慢
「レストランコスタノバ」の店内に入ると、二人のおばさんがテレビに見入っていました。
片方は店主らしく、私らに気付くと適当に座ってくれとがらがらの店内に目をやりました。
テレビでは女の人ばかりが次から次にマイクを握って自慢の歌声を披露していました。
服装からすると、みんな素人のようです。
「女ののど自慢だな。」と妻。
きょとんとする私に妻が説明するに、みのもんたさんの昼の番組でそういうのをやっている(当時)らしい。
ユーラシア大陸の東のはずれとヨーロッパの西の果てで期せずして同じ企画がテレビで打たれている。
つまらないことに感動していると、店のおばさんが注文したビン入りのアイスティーをめんどくさそうに持ってきて無造作に置いてゆきました。
外に目をやると眩しいほどに明るいのに、店の照明がほの暗く、テーブルもどことなく古臭い感じがして寛げず、早々に退散しました。 -
外に出れば、再びこの景色。
抜けるような青空ですが、人々の笑い声や物売りの呼び込みの声があればなお良いかなあ。 -
コスタノバからアヴェイロには、車で30分程。
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ポルトガル料理に「突き出し」の不思議
アヴェイロのクルーベ・ドス・ガリトス通りを運河に沿って進むと、夢のように美しいモリセイロ(運搬船)が鏡のような水面に浮ぶ光景が見られます。
昼時でして、その「夢のように美しい」景色の向こうで、中華料理屋の親父が「おいでおいで」している。
どうせならこの地方の料理を食べさせるレストランは‥‥と、川の反対側に渡って目に付いたのはその名も Miranda & Morais。
ちょうどあの中華レストランの裏側にある。
ミランダとモラエスの店か……、ご夫婦でやっているんだな。
モラエスというのは明治初期の日本にゆかりの、軍人で文筆家だった人と同じ名前。
それはともかく、中に入ると中年のご夫婦が温かく迎えてくれました。
ファミレスのような店内のテーブルに座るとまず、いろいろな突き出しを出してくれます。
外で飲む習慣の無かったわたしは、日本の居酒屋で突き出しを出され、後から一悶着起こしたことがあります。
ポルトガル料理にもこの「突き出し」があるのを知って、一瞬、この奇妙な習慣がザビエルと共に戦国日本に持ち込まれたのではとの疑いを持ちました。
ただしポルトガルの場合、酒を注文しなくても出される。
これは手をつけなければ請求されることはありません(ここが日本と違う!)が、見たこと無いような珍しい小皿もありますし、何よりおなかが空いている。
全部平らげた(大した値段でない)頃、豚肉の煮込んだ料理にほうれん草や人参を添えたものが出されました。
そのボリュームのすごさに圧倒されましたが、味の方は……。
ポルトガルに来てから、口に合うものばかりだったのですが、今回のはタレが甘ったるく、ちょっとはずした感じ。
店内に置かれたテレビ、何の番組か、さっきからずーっと外科手術の様子を写してる。
なるべく見ないようにしてるんだけど、どうしても目に入ってしまう。
メインディッシュは、結局半分くらいしか食べられませんでした。 -
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モリセイロ
モリセイロと呼ばれる小船は、この町の運河を使って酪農用の肥料にする海草(モリーソ)を運んでくるのだそうです。
今では、すっかり観光用になっている。
いつしか風がすっかり止んで、鏡のような中央運河に町並みが映えています。
黙ってそれを見ていると、時間まで静止したような錯覚にとらわれます。
モリセイロは美しく塗り上げられて係留されていました。 -
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ポルトは鉄橋を渡って
ドウロ峡谷に掛かったドン・ルイス一世橋という鉄橋の古橋を渡り、ポルトの町に入ります。
鉄橋からは、渓にへばりつくように造られた赤い屋根の市街が目に入る。
この橋は、エッフェル塔で有名なエッフェルの弟子が設計したということです。
そういうわけで、鉄骨の権化のような橋が1886年の昔から建っている。
つまり、明治19年。
120年も風雨にさらされて、いまだ健在ということ。
橋を渡ると、狭い迷路のような道を通って谷の上のホテルに達します。
ホテルビラガレポルトにチェックインをしてポルトの町を見晴らしてみました。
比較的新しくて、12階の1101号室をあてがわれたので、町全体を見渡すことが出来る。
しばしガイドブックと見比べつつ町歩きの計画を練ります。
眼下にはドウロ川がとうとうと流れている。
この川は、上流のブドウの産地ドウロ渓谷へと続く。
写真は、ボルサ宮近くからの展望 -
ポルトの街歩き
ホテルから15分ほど歩いて「バターリャ広場」に来ました。
ポルトは、旧市街全体に植民地経営で潤っていた時代の古い建物や、アールデコというのかな、凝った造りの建物がちりばめられて、旅情をかき立てる。
その中には、ヨーロッパにしては保存状態が悪く、ブラジルという栄光と富を失ったポルトガルの落日の残照のごとき建物が、人をサウダーデの世界に引き込んでゆく。
ポルトは夕日の似合う街だと思いました。
バターリャ広場の中央には、1739年に完成したサント・イルデフォンソ教会が立ち、外壁を1万枚のアズレージョが飾っている。
ただ、周囲を見回すとどことなくすすけた印象を受ける。
教会の向かいに建つ、それ自身歴史的建造物と思われる廃業した映画館が、いけないのかもしれない。
夏の観光シーズンに来たら、また違った印象を受けるのだろうか。 -
バターリャ広場に近い、サン・ベント駅にも行ってみました。
ポルトの中央駅で、終着駅になっている。
広いホームには、ヨーロッパ各地に向かう列車が入っていました。
汽車旅も良いな、と思わせる情緒があります。 -
構内のアズレージョも綺麗です。
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さらに歩いてリベルダーデ広場を抜け、
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クレリゴス教会の所まで来ました。
ずいぶん歩いたなあ。
クレリゴス教会は18世紀バロック洋式だそうで、高さはなんと76mもある。 -
干しタラ
クレリゴス教会のある広場の一角に、乾物屋がありました。
お茶に珈琲、チョコレートと書かれているけど、天井から無数の干しタラがつり下げられている。
タラの干し肉は、いろいろな料理に用いられて重宝されています。
鰯は、ポルトガル人の大好きな魚であるようだけど、タラもよく食べられている。
生鱈は、切り身にしてポルトガルの美味しい塩とオリーブオイルにニンニクを入れて調理し、ローズマリーが振ってある。
アローシュデポルボというたこ飯もおいしい。
なぜ通じない?ポルトガル語に苦戦
もどって、サン・ベント駅の北のサー・ダ・バンデイラ通りというところにア・ブラジレイラというカフェを見つけて一休みしました。
ブラジレイラはリスボンのが有名だけど、こちらも凝ったアールデコ調の建物で、落ち着いた雰囲気です。
系列店なのだろうか。
そこで、カフェオレを注文しようと思うのですが、なかなか通じない。
ガイドブックにはガラオンと書いてありましたので、いろいろアクセントを変えたりして何とか注文しようとしましたが、いっこうに通じない。
かわいい顔の女性店員が、「ガ」とか「ラ」とか、いろいろアクセントを変え訴える私の顔を不思議そうに見ているんです。
カフェに入って何もお好み焼きを注文しようっていうんじゃない、カフェオレを注文したいだけなんだけど。
他でも感じましたが、ポルトガル語というのはどうも通じにくい。 -
ポルト一賑わっているというサンタ・カタリーナ通りに来ました。
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サンタ・カタリーナ通りにあるアルマス聖堂。
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カテドラル
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ポルトガルの名前の由来
その昔ローマ時代に、ここはCaleカレと呼ばれるローマの属州だったといいます。
天然の良港として栄え、ポルトゥスカレ(カレの港)という表現がポルトガルの国名の由来になったとか。
やがてイスラム教徒がイベリア半島に進出しましたが、11世紀にイスラム教徒からここを奪い返したフランス貴族こそ、その後のポルトガルの王朝の始祖となったわけです。
スペインもそうですが、ポルトガルにもあちこちにアラブの残り香がふと鼻をくすぐることがあります。
ボルサ宮から坂を下って川縁に降りてきました。
このあたり、カイス・ダ・リベイラといって涼しい川風を受けながら美味しい料理をいただけるレストランが並んでいます。
川のあちらは、有名なワイン倉が立ち並んだヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアです。 -
ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアにきました。
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ポルトのワイン、ポートワイン
ポルトといえば、もちろんポートワインが有名です。
ところが、日本ではポートワインというものはあまり流通していない。
それどころか、ポルトガルワインそのものがそれほど品揃えがないのです。
自分として、まず思い浮かんだのが赤玉ポートワイン。
ところが、気がつけばこの赤玉、スイートワインと名称を変えていたのでした。
ポートワインという呼称にはポルトガルは相当神経をとがらせていますから、めったにこの名前を名乗るのははばかれるのでしょう。
ほんもののポートワインは、もちろん飲んだことはありませんでした。 -
織田信長が飲んでいたワイン?
15世紀の終わり頃から、日本の文献にワインと思しきものが登場し始めます。
「後法興院記」という1483年の文書に「チンタ」を飲んだことが出てくるという。
「後法興院記」は、室町末期から戦国時代に掛けて関白を務めた近衛政家の日記だそうですが、この人がワインを最初に飲んだ人かもと考えられているようです。
チンタとは漢字で珍蛇酒と書いたようです。
このチンタは赤葡萄酒のことと考えられているようで、赤葡萄酒は、ポルトガル語でティントというのだから、これはかなり確かなように思います。
信長が飲んでいたのはもちろん、この珍蛇酒。
で、この珍蛇酒は、どんなワインだったかというと、長期間の航海に耐えるポートワインだったという説があります。
そもそも、ポートワインとは、発酵途上の糖度が高いときに度数の高いブランデーを加えて発酵を止め、そのまま貯蔵熟成させたものだという。
そして、ポートワインが造られるようになったのは、大航海時代前の14世紀中頃といいますから、なるほど、そうかもしれません。
つまり織田信長は、ここポルトのポートワインを飲んでいたのか。
へえ〜、そうなのか。
これはひとつ、是非ともポートワイン藏を見学せねばなりませんな。 -
カーレムとサンデマン
ところで、ポートワインについて少し調べてみると、日本の酒屋で売られているポートワインは、ほとんどがサンデマンのものでした。
ところが、ポルトの酒屋で売られているのはカレムという銘柄が多く、それも高価なプレミアものが大切そうに陳列されている。
どうやら、ご当地においてはカレムが圧倒的な人気を誇っているということなのか。
調べてみると、1859年から続く老舗の蔵元のようです。
信長の時代には届きませんが、そんなことはどうだっていい。
美味しければどうだっていいのです。 -
酒蔵というのは、やはりこういう感じですね。
期待どおりです。 -
ボトル詰めの工場も見学した後、当然のごとく試飲の時間。
一緒にツアーに参加したドイツ人旅行者と共に、何種類かの試飲を行いました。
カーレム最高!
信長のことはとっくにどうでも良くなっていました。 -
晩に、ドン・ルイス1世橋を渡ってヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアに来てみました。
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ドウロ川に映し出されたポルトの街の明かり。
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ポルトと日本の関係について、少しだけ、思いをはせてみる……
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