2007/10/05 - 2007/10/06
3179位(同エリア3518件中)
ちゃおさん
第62座、男体山、2484m 2007.10.6.
何年か前、東北地方への仕事で何回か東北新幹線を利用したことがあったが、その時、いつも気になっていたのが、宇都宮を過ぎた辺り突然左手の窓に飛び込んでくる、大きな山の連なりであった。初夏の頃になっても頂の上の部分にはまだ白い雪を抱いていて、いつかこれ等の山に挑戦しようと心に期していた。
数年前の11月最初の連休、奥日光の紅葉狩を兼ね、中善寺湖畔に浮かぶ男体山を目指した。第二いろは坂が出来て既に20数年、馬返しからの坂は以前の交互通行から一方通行に変わっていたが、紅葉の季節、車の絶対数が多いに違いない。大渋滞に見舞われ、日光から先中禅寺湖に到着するまでに数時間も要した。
未明に小金井の自宅を出たが、登山口である二荒山神社前駐車場に着いたのは既に昼前。少し遅くなったが、日帰り登山も今ならまだ間に合う、と、さあ登山開始を始めたが、登山口である登拝門は固く閉ざされている。門脇の案内書を見たところ、当山の登拝は5月5日(開山式)より10月25日(閉山式)までの間となっている。1週間遅れてしまった。門横の藪を通り、登山道に入れないこともないが、御霊の宿る霊山、禁を犯してまで登ることもない、残念だが今回は諦めるしかない、と翌日に予定していた紅葉狩りに向った。
それから数年。直ぐにも実現できるかと思っていた登頂も自身の膝の問題とか、いつでも登れるとの気安さの為か、延び延びになってしまって、結局今日になってしまった。何でもそうだが、思い立ったときに直ぐやらないと、結局何も出来なくなるという例が多いが、男体山に関しては、そうはならなず、漸く今日の運びとなった。
沖縄地方を襲った台風15号も台湾方面に逸れ、数日来ぐずついていた天候も漸く回復の兆しが見え、金曜日夜、幕張で行われたCEATEC見学後の仲間との飲み会も断って、今日に備えた甲斐あり、天気も秋の快晴とは言えないまでも申し分ない晴れだった。
5時起床。新宿発7時10分の直通日光行き。数年前よりJRと東部線との共同運行で新宿―日光間を乗り換えなしで、2時間で運んでくれる。昨日の内に必要なものは大体リュックに詰め、玄関先に置いてあるので、今日はゆっくり出かけられる。6時、自宅を出る。1時間見ていれば充分な時間。出てから携帯電話を持ってくるのを忘れたのに気付いたが、もう既に駅まで来てしまった。又戻るのも面倒なので、そのまま新宿へ向ったが、後で痛い目に遭うのは、この時知る由もなかった。取りに戻るのに充分時間があったので、取ってくれば良かったのだが、つい面倒臭さが先に立ってしまった。
朝一番の特急のせいか車内はすいていて、ほぼ4割程度の混み具合。池袋、大宮と停車し、何人か乗車し、漸く7割程度の満席率になった。道理で昨日小金井駅で予約した際、行きも帰りもどの電車にも空き席があったが、納得できた。
車内では早速タイ語の勉強を始める。来月に迫ったタイ語検定試験、5級を受けるか4級にするかまだ決め兼ねている状態。テキストを読むたびに新たな発見があって嬉しい。なあんだそんな事かと。一度覚えてしまえば楽だが、その覚えるまでが大変。つい先日覚えていた筈の単語をすっかり忘れていて、解説を読んで頭の悪さ加減にがっくりする。途中、うたた寝をしたりと、そんなこんなで2時間は瞬く間に過ぎる。
9時8分、日光駅着。到着に合わせ東武バスの中善寺温泉〜湯元行きが出る。バスは市の突き当たりにある輪王寺への長い門前町を通り抜け、東照宮横を通り過ぎてからいよいよいろは坂の急坂を登り始める。30数年前、最初に日光に来た時は、このいろは坂は1本しかなく、登り・下りの車が38曲がりの大カーブを曲がるのに、ひやひやのしどうしだったが、今は登り専用の車線が出来ていて、前から来る車との正面衝突の危険は無くなったが、それでも少しでも目を離すと道路逸脱の危険が常にあり、とても居眠りなどできたものではない。
ほぼ満員の乗客の内、半数以上は外国人、アジア人のお客で、停留所案内も最初に日本語のテープが流れ、次に英語、中国語、韓国語と続く。バス停にしても4ヶ国語で表示されていて、この町が流石世界遺産に登録されているのが理解できる。バスの中には中国人(台湾人かも知れないが)、韓国人の若いカップルも多く、かの国の経済力の上昇、押しなべて日本人の若い人々がかの国の田舎の地まで足を伸ばすのだろうかと考えると、ここ10年での彼我の経済力の勢いの違いを考えざるを得なかった。
人々はバスが高度を増すにつれ、眼下に落ちる急崖に身を乗り出すようにして、感嘆の声を挙げ、東京から遥か離れたこの地まで足を伸ばしたことに満足しているようだった。途中何人かを明智平で降ろし、また道路も渋滞もなく、1時間もかからず中善寺温泉バスターミナルに到着。大半の乗客はここで下車し、残り数人がこの先の湯元に向う。
湖に沿った温泉街を通り抜けた最初の停留所が二荒山神社前で、下車したのは当方と中年の夫婦者。この二人は登山ではなく単に観光に来たようだ。しかし神社前の駐車場には既に数十台の車が駐車していて、多分この人達は既に山に向かっているに違いない。
二荒山神社。神仏習合の名残を留めている神社で、元々は仏教用語の補陀洛渡海から出ている言葉で、インド南部にあると信じられた想像上の山ポータラカが補陀洛と訛り、更に二荒(フタラ)になったと言われている。又この二荒を音読みするとニコーであり、ここから又日光という地名が生まれたとのことである。いずれにしても1200年以上も前の随分昔の話で、松尾芭蕉が今から300年前にこの地を訪れ、「青葉若葉の日の光」と詠んだのは、この1000年を越える長い歴史から比べると、ほんの近年のことのようにさえ思えてくる。
そう将にいまから1223年前の784年、日光開山の祖、勝道上人がこの場所より登山を開始し、山頂を極めて以来の記念すべき神社であり、山全体をご神体とする由緒正しい神社でもある。先年登山すべくこの社を訪れた折、神社の後ろの山全体がご神体になっているのが分かり、奈良の大三輪(大神)神社との類似性を思ったが、三輪山は僅か500mにも満たない小山、三諸の神奈備であるのに対し、こちらの山は2500m近くもある高山で、全く圧倒的であった。かの勝道上人ですらも、2回の失敗の後に漸く登頂を果たしたとのことである。
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