1972/04/13 - 1972/04/16
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Berg Heilさん
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外貨が自由に使える様になり、取引先の社長が中心となって、私を含む同業零細企業の親爺達11人ほどで香港 澳門 台湾旅行に行くことになった。 何せはじめての海外旅行というわけで、我々のグループも中部地区から集められた大きな団体に組み込まれた。ただ我々グループに一人の専属添乗員が付いて、世話をしてくれた。おそらく数人の添乗員がそれぞれ分担したと思われる。ちゃちな企業の親爺達ばかりだから、英語はおろかローマ字で自分の名前も書けない御仁もいて、事前説明会にはパスポート取得の為、添乗員がアイウエオとローマ字の対照表を持ってくる有様であった。
まずは典型的な大騒ぎの田舎者の「おのぼりさん」ご一行である。
飛行機は「マレーシア・シンガポール航空」で未だ2社に分離していなかった。
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?羽田ー台北(乗換)ー香港
?香港ー澳門ー香港
?香港ー台北
?台北ー羽田
これが当時の搭乗券 手書き・手仕事である。
何せ皆始めての海外旅行、飛行機に乗り、高級ホテルに泊るとあってどんな服装で行ったら良いのか判断できず、スーツにネクタイの人がほとんど、カジュアルなんて言葉もあまり無かったと思うが??
そういう私もブレザー・ネクタイの服装であった。 -
お仕着せのバスでの観光案内 カメラも確か コニカAuto S. カラー写真も変色してうまく出ていない。
地図も無くアチコチ観光バスで廻ったから道の名前は申すに及ばず、どこがどこやら全く説明不能。 -
初めて英国式二階建バスを目にしてシャッターを押す。
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おそらく現在の発展した香港の町並みは大変貌しているであろう。
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大学の卒業が1959年(S34)だったが、卒業当時は海外旅行に気軽に行けるとか、マイカーを持つなんて全く考えられなかった。
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夕食後、我々のグループだけ現地ガイドの案内で有名な魔窟「九竜城」を見学することになった。本来野次馬だから怖いもの見たさに参加。何でもガイドが言うには「裏社会のボスに話をつけたから安全は保障するが、くれぐれもガイドについてくるように、万が一迷ったら出られないから」と脅かされ、ガイドの尻についてぞろぞろと迷路入り組むクーロン城に入っていった。
案内されたのは妖しげにも怪しげなストリップ小屋。
スッポンポンの女が大蛇を絡ませ、雑音入りのレコードで踊っていた、というよりものたくっていた。。客席は皆立ち見、女のももや二の腕には注射の跡が無数、エロティックどころか正にグロテスクそのもの、ヘドが出そうであった。
なんともいえない悪いものを見た不快な気分でクーロン城を後にしたが、口直しの為、ガイドに高級ナイトクラブに案内させ、金髪6人組のセミ・ヌードのショウを堪能して、やっと外国のナイトライフ気分に浸った。 -
香港も建設中の建物が多かった記憶がある。
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今は亡き岳父が今次大戦開始早々、砲兵大尉として香港攻略に参戦、占領した邸宅の映画に出てくるようなカーテンの付いたベットに寝た事と、砂糖の袋を土嚢にした事を話し、さすがは英国の植民地、なんと物資が豊富と感心した事をよく話していた。
但し、攻撃に際し、日本軍が真っ先に水道を止めてしまったので、自分達が占領した時には水が出ず、しゃれた洋式トイレで出した物を流すことが出来ず往生したそうだ。 -
当時は当然英国領、英国の植民地政策は、仏蘭西、白耳義、葡萄牙なんどと違って一番うまく統治したようだ。戦後の独立したアフリカを始めとする諸国の現況を見るに付け、そう思う。
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当時の港風景 三菱やナショナルの広告が見える。
その後香港は訪れていないが、おそらくこの付近は近代的な高層ビルが立ち並んでいる事であろう。 -
こんな妙な船で港に浮かぶ水上レストランへ、船頭は女で、連れている赤ん坊をあやし、笑わせ、チップをよこせというのにはあきれ返ったと同時にこんな生活があるのかとあらためて妙な感心。
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水上レストランで海鮮料理、初めて中国の長い箸を使っての食事に少々戸惑った。
別室はマージャン・ルーム、嫌いではないからしばし、邪魔にならないよう少し離れた背後から見物。
現地の女性プレイヤーのしなやかな手さばきに感心、ただ捨てパイは並べずにどんどん前へ放っていく。「振りてん」などは無いのかも? -
連れられて来たのは「タイガー・バウム・ガーデン」何でもメンソレタームみたいな塗り薬で財を成した御仁が作ったものとか。 それにしても日本人には悪趣味に見えるのは国民性お違いか? これと同じものがシンガポールにもある。
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タイガー・バウム・ガーデン
なにやら飾り物も悪趣味である。 -
タイガー・バウム・ガーデン
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オーナーの邸宅、現地ガイドの話によれば、何でもオーナーの妾が4人この家に住んでいて、毎日仲良くマージャンに明け暮れしているとか。ウーン ・・・・うらやましい!!
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免税店やみやげ物屋の押し込められ、危険だから外には出るなと脅かされ、しかし、ソレはこっちの自己責任(こんな言葉が当時あったか?)と帰宿時間だけき聞いてしばし街を勝手に散歩。これが異国の楽しみなんだ。
今でもみやげ物屋や免税店にご案内のツアーがあるらしい。何でもバックマージンがガイドの懐に入るとか?
当時の皆んながそうであったように、ご他聞にもれず、空港の免税店で当時日本では一万円していたジョニ黒を3本とゲルベ・ゾルテという独逸の香りの強い、チョット平たい両切りの紙巻タバコを1カートン購入、自慢で土産にした。ジョニ黒はたしかここでは1600円だった記憶がある。
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