2008/04/21 - 2008/04/21
2655位(同エリア6992件中)
晴れ男。さん
JR奈良線「東福寺」駅で下車。歩いて東福寺に向かいました。
お寺の名前が駅名になっているので降りてすぐと思いきや、結構距離がありました。途中、道が間違っているのではないかと幾度となく思いましたが、それほど遠回りすることなく着くことができました。
【東福寺】
○(歴史)
都で一番の権力を手にした、時の関白・九条道家(※1)は、すぐに夢の実現にとりかかった。それが、嘉禎2年(1236)に建立された東福寺である。寺名も奈良の三大寺院である東大寺と興福寺から1字ずつもらって命名されたものだ。開山には円爾弁円(えんにべんねん)(※2)を迎えた。寺が完成したのは建長7年(1255)のこと。計画を立ててから20年もの歳月を費やして建立されただけあって、伽藍はどれも壮観なものだ。東福寺は完成するとすぐに臨済宗東福寺派の大本山となる。京都五山のひとつに数えられ、名実ともに京都有数の大寺院となった。
(※1)九条道家(くじょうみちいえ)(1193〜1252)
鎌倉時代の公卿。九条良経(よしつね)の子。元久2年従三位。左大臣にすすみ、承久3年摂政、氏長者となるが、承久の乱で辞任。子の頼経(よりつね)が4代将軍となり、岳父西園寺公経(さいおんじきんつね)の引き立てで復権。安貞2年関白、ついで摂政。出家後も実権をにぎるが、頼経、孫の頼嗣(よりつぐ)(5代将軍)が執権北条時頼により鎌倉からおわれ、失脚。従一位。
(※2)円爾弁円(えんにべんねん)(1202〜1280)
鎌倉時代の僧。臨済宗聖一派の祖。はじめ天台をまなび、のち臨済の釈円栄朝と退耕行勇に師事。嘉元年宋(中国)にわたり、無準師範の法をつぎ、仁治2年帰国。
○(鑑賞ポイント)
山裾にまで広がる広大な境内に植えられているのは、楓などの紅葉する樹木。秋には、朱に染まる美しい境内を眺めることができる。広大な東福寺のなかでも、一番の眺望のポイントは本堂と開山堂を結ぶ通天橋。屋根付きで橋そのものが東福寺の名所のひとつ。橋の上に立って眼下を見れば、約2000本もの木々が繁る渓谷・洗玉澗(せんぎょうくかん)が広がっている。橋には谷に向って張り出した展望台のようになっている部分があって、渓谷鑑賞には最適。方丈庭園の眺めもすばらしい。昭和になってから、重森三玲(しげもりみれい)(※3)によって造られたもの
だ。角石と苔によって描かれた市松模様が見事。じっくり鑑賞したい。その他、方丈、本堂、禅堂など、どれを見てもその模様の壮大さは京都市内の寺々のなかでも群を抜いた存在。周辺には25もの塔頭寺院が建ちならぶ。
(※3)重森三玲(しげもりみれい)(1896〜1975)
大正ー昭和時代の作庭家、生け花研究家。全国の有名な庭園を実測調査し、「日本庭園史図鑑」をあらわす。前衛生け花を提言し、また創作的茶道を実践した。岡山県出身。日本美術学校卒。
本名は計夫。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- ANAグループ JRローカル 徒歩
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通天橋からの眺めです。こんもりとした山、木々がいい色、だしています。紅葉もすばらしいとのことですが新緑も美しいです。
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「通天橋」です。渓谷の吊り橋を渡っている感覚がします。でも安定しているので大丈夫。周囲の景色をゆっくりと眺められます。
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「開山堂」へと続く道。立派ですね。庭園がよく整備されていて、きれいです。
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「愛染堂」です。赤い建物がなんで、と思いましたが、昭和12年、「万寿寺」から移されたものでした。愛染明王が祀られています。
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「方丈庭園」です。「八相の庭」と命名され、近代庭園の傑作とされています。無造作に配置かれている石、無造作ゆえにすばらしいんですね。なにげなさをすばらしいものに見せること、感じさせること、こんな技術に驚きです。
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ここで・・。
方丈が後世、大きな建物になった訳は・・。
禅宗の寺院で住持(住職)が住まう部屋を「方丈」という。その名はインドの唯摩居士(ゆいまこじ)という在家の優れた仏教者が一丈四方(約5.5畳)の簡素な部屋に住んでいたという故事に基づく。鎌倉時代の鴨長明は方丈の庵に住んで清貧の生活に甘んじ、名随筆『方丈記』を書き記した。
つまり、方丈とは文字どおり雨露をしのぐに足るだけの質素な建物だったのだ。そして、後世、寺の住持のことを「方丈さん」と呼ぶようになった。これは質素な方丈に住んで、清貧のうちに純粋な信仰生活をする人に対する尊称だったのである。
ところが時代が下ると、方丈がしだいに大掛かりな建物になってくる。とくに戦国時代以降は、大名が自分の私淑する名僧に寄進したため、客室や書院などをそなえた方丈が登場した。たとえば、東福寺、竜吟庵(りょうぎんあん)や大徳寺、大仙院などが、この時代の方丈としては有名である。また、方丈という呼び名はもともと禅宗の寺院で使われたものだが、後世は他宗でも住持の居室を方丈と呼び、江戸時代には庭園を設けた大方丈が各地の大寺に建てられた。 -
白砂と苔の緑。ああ〜、眺めるほどに美しい。極楽浄土はこんな風景・・。
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「本堂」と「三門」が並んで建っている。
「山門」と「三門」があるがその違いは・・。
飛鳥・奈良時代に建立された初期の寺院は、都の平坦地に建てられた。これが、平安時代になると、比叡山や高野山などの山岳地帯に寺院が建てられるようになった。それにともなって、寺院に「何々山」という山号がつけられ寺院の門も「山門」と呼ばれるようになったのである。そして時代が下ると、平地に建てられた寺院にも山号がつけられ、その門も山門と呼ばれるようになった。
また、禅宗寺院などでは「山門」の字を使わず、「三門」と書く場合もある。これは「三解脱門」(さんげだつもん)の略で、迷いから解放されるための三つの道を門にたとえたものだ。やはり寺院の正門を指す。三つの道とは空(くう)・無相(むそう)・無願(むがん)でどれも物事にとらわれないことを意味する。そこから、三門は五間三戸(ごけんさんこ)(柱の間が五つで、入口が三つ)に造るのが基本だが、実際には三間一戸(さんけんいっこ)のものもある。
(下に続く。) -
このように「山門」と「三門」は、どちらも寺院の正門を表わすが、前者が門のある場所を表わすのに対し、後者は仏教の教えを象徴するネーミングである。たとえば、知恩院や東福寺の三門は、つねに入口を開放してある。三つの解脱の道に、いつでも自由に入っていくことができることを表わしている。また、三門の両側には築地塀(ついじべい)などがない。これは、三門が大門や総門のごとく、みだりに部外者が入らないようにする防犯上のものではなく、仏教の教理を表わす象徴的な門であることを示している。いずれにしても、重層(二階建)の堂々たる門を「三門」、こぢんまりした門を「山門」と書くのは、それぞれにふさわしい。
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あまりにもお日柄がよすぎて、境内までの少しの坂道を歩いただけで、汗がでてきました。でも「通天橋」からの眺めは最高でした。見学しようと思ったのは「平等院鳳凰堂」見学後の宇治駅でのこと。ガイドブックを開き、交通アクセスのところを読むとJR奈良線「東福寺」駅下車。という文章が・・。
世界遺産には指定されていないので、こんなに広いとは・・。
でも絶景に出会えてよかったです!。
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