2008/04/21 - 2008/04/21
612位(同エリア1514件中)
晴れ男。さん
宇治といえば、10円玉のデザインになっている鳳凰堂、そして宇治茶。JR奈良線「宇治」駅で下車し、平等院鳳凰堂を見てきました。
【平等院鳳凰堂】(世界遺産)
○(歴史)
父・藤原道長(※1)から別荘を譲られた藤原頼通(※2)は宇治に極楽浄土を再現しようと、永久7年(1052)、寺に改めて大日如来を安置し平等院とする。翌年には、平安貴族あこがれの極楽浄土を表わした鳳凰堂が建てられた。正式には阿弥陀堂という。鳳凰堂という鳥形の神獣の形をしているので、通称鳳凰堂という名で親しまれている。その後、金堂・講堂・法華堂・不動堂・経蔵・宝蔵などさまざまな堂塔が建立され、旧宇治町の大半にわたる広大な寺域をもつほどの隆盛を見せる。しかし、建武3年(1336)の足利尊氏と楠木正成(※3)の戦いなどの戦火により、鳳凰堂と観音堂、鐘楼を残して伽藍はすべて焼失。再建されることなく現在に至っている。
(※1)藤原道長(966〜1028)
平安時代中期の公卿(くぎょう)。藤原兼家の5男。後一条天皇の摂政となり、寛仁元年(1017)従一位、太政大臣。娘の彰子、姸子(けんし)、威子(いし)の立后により摂関の全盛をきずいた。
(※2)藤原頼通(992〜1074)
平安時代中期の公卿(くぎょう)。治安元年(1021)従一位、左大臣となり、康平4年(1061)太政大臣。後一条天皇以後3期の摂関をつとめる。
(※3)楠木正成(?〜1336)
鎌倉-南北朝時代の武将。河内(かわち)(大阪府)赤坂の土豪。元弘元年(1331)後醍醐天皇の呼びかけに応じて挙兵。配下の武士団を動かして奇策を駆使、赤坂城・千早城の戦いなどで幕府軍を苦しめる。建武政権下で摂津守、河内守。
○(鑑賞ポイント)
? 「鳳凰堂」。現在、屋根の上にある鳳凰は複製で本物の鳳凰は鳳翔館に保管されている。中央の中堂と左右対称にのびた翼廊と尾廊、両脇に置かれた隅楼から成る変化に富んだ構造。
? 「九品来迎図」(くほんらいごうず)。来迎図とは、阿弥陀如来が衆生(しゅじょう)(※1)を救うために、諸菩薩(聖衆(しょうじゅ))を従えて人間世界へ下降する様を描いた仏画のこと。この来迎には9つの種類があるとされ、9つに分かれた往生者を阿弥陀がそれぞれ迎えてくれるところから`九品来迎`という。これは完成された大和絵として現存する最古のものといわれる。国宝。
? 「本尊阿弥陀如来像」。藤原時代を代表する仏師、定朝(じょうちょう)の晩年の傑作で、現在のところ定朝作として確証のある唯一の作品。円満な顔と体のバランスがよくとれた美しい木像で、いかにもその時代にふさわしい貴族好みの優雅で女性的な感じをただよわせている。
? 「阿弥陀如来坐像 天蓋(てんがい)」。丸と四角を組み合わせた珍しい意匠。藤原時代最盛期工芸の枠を凝らした一品として名高い。
(※1)衆生(しゅじょう)
いのちあるもの。生きとし生けるもの。一切の生物。一切の人類や動物。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- ANAグループ JRローカル 徒歩
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JR「宇治」駅から、徒歩10分くらいで平等院鳳凰堂に着きました。阿字池周囲はほぼ平坦な砂混じりの土道で歩きやすいです。10円銅貨のデザインに会えました。池の周りをゆっくり散策します。
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ここ、平等院が創立された頃に造られた高さ199mの釣鐘は、"銘の神護寺"、"音の三井寺"とならび、
"形の平等院"として、日本三大名鐘に数えられている。 -
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貴族たちは死後の世界である「浄土」、中でも最も美しいという「極楽」に往生することを願って、「浄土式庭園」と呼ばれる極楽浄土を再現した庭園建築が数多く造られた。中でも代表的なものが平等院鳳凰堂である。
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宇治は、お茶で有名。わが国でお茶を飲むようになったのは鎌倉時代のこと。ひと口に宇治茶というが、歴史に名をとどめてから江戸時代までは、碾茶(てんちゃ)のことをさす。つまり、抹茶である。室町時代から安土・桃山時代になると、茶の湯が盛んになり、碾茶の需要が高まりを見せる。宇治は京都の郊外にあり、至便さと同時にお茶の栽培に適した気候、名水に恵まれていたのである。
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江戸時代も幕末に近づくと、いよいよ宇治茶は隆盛になり、高級茶の礎を築く。そして庶民にも定着し、お茶は宇治と広まっていく。さて、宇治では、良質の碾茶を作るための作業があった。それは茶園を覆うためのムシロかけである。ムシロで覆った茶園を覆下園(おおいしたえん)という。夏の太陽を避けるための遮光が目的で、お茶の発育を遅らせることで最上級の碾茶ができるという。茶摘みは5月10日頃になる。丁寧に摘まれた新芽は乾燥させる。このとき、揉んで乾燥させると玉露になり、揉まないと碾茶になる。
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ここで、「茶柱が立つと縁起がいい」とは・・。
なぜ、茶柱が立つと縁起がいいのだろうか。
お茶は最初に摘み取った一番茶がいちばんおいしい。
そのため、そのあとに摘んだ二番茶のお茶は売れ残ることがよくある。
その売れ残ってしまった二番茶の山を前にして、お茶の産地、静岡の商人がどうすれば売りやすくなるのか、腕組みをして考えついたのがこのフレーズ。この名文句を触れ回ったので、人々の脳裏に焼きつき、言い伝えられるようになったという。つまり、現代でいう名コピーライターの演出だったのである。
もう一説。
お茶を淹れる急須には、お茶っぱが出ないように格子状のものとか、網目とかがついている。にもかかわらず、その隙間をぬって短いお茶の茎が茶碗に紛れ込んでくる。しかも水平ではなく、垂直に立つ。
ここには偶然の重なりがある。それをポジティブにプラスの予兆として、すなわち縁起がいいとして受け止めたのだという。 -
お茶に関する言い伝えを2つほど。
○ 「朝茶を飲めば、その日の難を逃れる」。
○ 「朝茶は三里行っても飲め」。
これから、旅行の時には実行しようと思います。 -
宇治の民話から・・。
「炭の中のお地蔵さん」
むかし、小倉の子守神社のあたり一帯がお茶摘みさんで賑わい、香ばしい茶の香りに包まれておる頃の話や。
その子守神社のそばで茶作りするおじいさんがおった。おじいさんは、朝から晩まで焙炉(はいろ)(※1)の火を、燃やしながら茶をもんでおった。上等の宇治茶を作るのが、おじいさんの仕事や。あるとき
流れる汗をふきながら、焙炉に炭をいれては、炭俵に手をつっこんだ。「これは、いったい何や、石ころにしては、妙な形やで。しょうもないもん入れよって」と、おじいさんは、その黒いもんを、引っ張りだして、投げ捨てようとしたんやが、「これは何や、つるつるしたもんや」と言うて、井戸水できれいに洗い流したんや。それは、それはきれいなお顔のお地蔵さんや。「縁あって海を渡り、遠い日向から小倉へ来られたんやなあ」とおじいさんは、じっと手の中のお地蔵さんを見つめておった。それからというもの、おじいさんは、このお地蔵さんを大切にお祀りしたのや。今も、このお地蔵さんには、毎年、地蔵盆になると大勢の子どもや、お年寄りがお参りするそうや。
(※1)焙炉(はいろ)
炉火にかざして茶をほうじたり、葉茶を乾燥させるもの。
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宇治橋にある「紫式部」の記念碑。川幅が広くて心地よかったです。今回は修学旅行の生徒さんが少ないのに驚きました。京都市内とは雰囲気が違い、静かな街で見どころも多かったです。お天気にも恵まれてとても良い日でした。
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