八方尾根・岩岳旅行記(ブログ) 一覧に戻る
団体旅行で行った北信<br /> 例によってバスパックで北信地区に行く。ここのところ何故か長野県・群馬県へのバス旅行が続く。今回はいつもの格安に比べるとほんのちょっと値がはるものだったけれど、その増額分以上に満足感の高いもので、毎回提出するアンケートでも日頃採点の辛いこの私が珍しく「95点」をつけたくらいである。そのままのペースで終われば満点だったのだけれど、最後の最後にきて訪れた坂機(さかき)での薔薇のハウス栽培農家見学がなんともはやのもので、これは大きく期待を外れるものだったのだ。<br /> 実はいつまでもこのツアーは「催行決定」が出ず、どうやらダメかも知れないなぁと半分諦めてきていた。というのはここのところちょっとでもいつものツアーから割高感があると途端に人が集まらなくなることが何回もあったからである。いつまで経っても「催行有力」と表示されたままで、こちらも金を振り込むのを少し躊躇していたくらいであったけれど、どうせ中止になれば返金されるのだからと振り込んだ次の日にようやく「催行決定」と表示されてホットした。どうやらいの一番に参加申し込みをしていたらしく、行ってみると一番前の席で景観を楽しむことができた。今月この企画は3回分発表されていた様だが、そのうち一回分は催行中止になった様である。<br /> これまで阪急交通社やクラブツーリズムのバスパックで様々な温泉を訊ねてきたのだけれど、多くの場合2泊のツアーに参加するとどちらかの一泊は必ず今にも消え入りそうな宿泊施設だったりした。ホテルとは名ばかりの、もう40年ほど経っている中途半端な施設で、サービスも中途半端になってしまってもうこれは民宿だと宣言してしまった方がわかりやすいくらいのものをよくぞここまで見付けてきたなぁと云う位のものだった。<br /> 古い施設も100年ほども経っているものを必死になって守りながらここまで来たという施設であれば、古くても面白いものがあるが、中途半端なものは残念ながらこうした「安い分我慢してね」価格でないと生き残っていくことができない。<br /> こうしたツアーに初めて参加した人はこういう状況に遭遇すると「怒り心頭に発する」様である。なんてひどいツアーだ!と。慣れると「この値段なんだから我慢するしかないか」と諦観する様になる。愚にもつかない土産物を羅列している店に寄るのもそれによってツアー会社がキックバックを得ることによってこの値段が維持できているんだと理解しなくてはならない。<br /><br /> さて、今回の北信バスパックは一泊で24,000円と決して安くない。しかし、その中身は濃かった。コスト・パフォーマンスとしては高かったと思っている。勿論宿泊地が全くのオフ・シーズンであるということが大きい。<br /> 中央高速を諏訪まで走る。清里でその名前を聞いたことがある北澤美術館なる建物でパンのバフェでランチである。ガラス美術館と書かれていたけれど、私たちはチキンの照り焼き、スープ、サラダ、そしてパンのバフェという食事を取った。食べ終わって部屋を出ると、結局大きな洒落た土産物屋だった。どうやらあとで調べてみると二階に美術展示があるのだそうだ。さまざまなフルーツを刻み込んだジャム仕立てのものがあって、これは美味しかった。ベーカリーの店頭には重たいパンも提供されていたけれど、私たちのランチには軽いものばかりで、ほとんど名前の割には特徴のないものだったのは残念だった。こうしたパック・ツアーの寂しさは本当はきちんとしたものを構えているのに、「ディスカウントなんだから提供品もディスカウント・レベル」のサービスを提供しているとこの旅できた人がリピーターとして再訪することは難しいのではないだろうか。<br /> 岡谷の駅前は随分と小綺麗になっていたけれど、その代わりに全く特徴のない街造りとなっていた。どこにでもあるどこかの街のひとつだと云っても良いかも知れない。ここにツツジを見られる公園があるという話の様で、全くの話、全く期待をせずに向かう。細い道をくねくねと走ると目の前にカラフルなツツジの山が見えてきた。それが「岡谷 鶴峯公園」であった。2-3年前に羊山の芝桜の帰り道に立川へ見に行ったお寺のツツジに比べたらその地形による景観としては見劣りするけれど、ツツジそのものとして考えると優るとも劣らないと思われる。<br /><br /> その成り立ちを見てみると、この地域は現在の片倉工業(片倉キャンロンで知られ、京橋に古い社屋を大事にしている企業)の始まりだった片倉組の創始者・片倉市助、そして「シルク・エンペラー」と呼ばれた二代目・片倉兼太郎(片倉佐一)が発展させた地域だったのだそうだ。そしてあの昭和11年にこの地を地元に寄贈したが、その際に三百株のツツジを埼玉・安行に発注したところ、「あの片倉財閥の発注だから」と勝手に貨車三台分の株を送ってきたものだから、こんなにたくさんのツツジがこの山を飾る結果となったとこの公園の案内には必ず書いてある。それにしても「三百株」と「貨車三台分の株」とを読み間違えるというのはどういうことなんだろうと思うが、墨で手の立つ人にさらさらと書かれていたら読み間違える可能性がないとはいえないんだろうか。あるいは口づてで、途中で誰かが意図的に、あるいは偶々変わってしまったという「伝言ゲーム」のようなものだったのだろうか。今だから、そんな具合に楽しいエピソードと笑ってしまえばいいのかと云えば、当時は相当深刻だったかも知れない。一体、この費用を誰が出したのだろうか。片倉財閥が出したから笑い話で終われるのだろうか。ところで、何故、片倉兼太郎はなぜ、この1.6haの土地を村に寄贈したというのだろうか。<br /> 明治の企業家のあの「慈善」が欧州の「charity」と異なる大いなる点は、この公園にも見ることが出来る。それはてっぺんにものの見事に立派に立っている片倉兼太郎の銅像だろう。横浜の浅野総一郎の銅像もそうだけれど、皆さんそんなものを残したがる。<br /> 鶴峯公園の看板には「中部日本一のつつじ公園」と表示されている。「中部とは一体どの範囲を定義しているんだろう」と考えながらバスは一路安曇野に向かう。安曇野では「安曇野スイス村」というお土産屋さんに立ち寄るのだという話だ。途中では青々と風にそよぐ麦畑が見え、途中ではわさび畑の並ぶ清流を橋で越えていく。その脇では田植えの終わった直後の田圃、水を張り終わって田植えを待つ田圃と様々で、今まさに米作りに忙しい農家の様子が窺える。どんどん雪を被った山々が見えてくる。通路を挟んだ向こうの座席に座っておられる、多分私たちより一世代上と覚しきご夫妻が「あの辺の山はなんというの?」と聞かれるが、それを私が分かる訳がない。「安曇野スイス村」という名前は知らなかったけれど、ここはこれまでに多分三回ほど連れられてきたことのある単なるお土産屋である。前回は気がつかなかったのだけれど、外にあるお店がなかなか面白いものを並べていた。そこにいたおじさんが「食べてみてください」と云って出したものを口にしてみると、これまで食べたことのない食感と味。なんだと聞くとドライ・アプリコットを烏龍茶で戻したものなんだという。これが旨いんだなぁ。で、なんてことはない、気がついたらドライ・アプリコットそのものを手にしていた。<br /> ここから西を見ると常念岳、蝶ヶ岳といった山並が見えるが、地図を見るとあの向こうが上高地である。バスが147号線を一路北上すると木崎湖の東岸を辿る。この辺りはかつて何回も何回もやってきた道である。西には爺ヶ岳、鹿島槍、五竜と続き、スキー場も次々に看板が見えてくる。さすがに麓地域にはすでに全く雪はないが、上の方には残っていた様で、5月7日くらいまでは高地のリフトは動いていた様である。この辺りのスキー場は近年スキー人口の絶対数が減少しているという状況の中にはあるものの、近年外国人客がこちらも入り込んでいるそうで、別の発展系が考えられるのではないだろうか。私たちが宿泊したリゾートホテルにも台湾からの団体が遅くに到着して早くに出立していった。<br /><br /> 今日の宿は「白馬東急ホテル」で1959年にオープンした当時最先端のリゾートホテルだった。私が八方尾根スキー場にスキーに出かける様になったのは1970年前半だったけれど、当時はサービスも値段も超一流だったからとても泊まるなんて余裕はなかった。20代そこそこの新参者サラリーマンが泊まる様なところではなかった。上高地の帝国ホテルと並び称される様な高級・お大尽向けリゾートホテルだったのである。今回ここに泊まれるのであれば、多少いつものツアーより高くても良いじゃないかと思ったのはこんなところに理由がある。しかも、ネット上で調べてみると露天風呂月の温泉がある。このツアーが「催行中止」にならないことを願ったのはここにも理由がある。途中の道路状況が大変に良くて16時半頃に到着することができたのだから、いつもだったらすぐにでも温泉にどっぷり浸かりに行くところだけれども、30数年振りにやってきたスキー場は一体どんな様子なのかを見に誰もいない木立の中を行ってみる。もうすっかり分からないけれど、多分私たちがかつて泊まった民宿はこのホテルのすぐ下のあたりだったのかも知れない。国際のリフトも、花咲のリフトもそのままある様だけれど、勿論デュアルの高速リフトになっている。当時はとにかくゴンドラで早朝に上に上がってしまい、人いきれとタバコの煙でむんむんした兎平のロッジでボルシチの朝飯を喰ったものだった。今ではしたから垣間見えるそうした施設も綺麗な建物に変わっているが、それは当然のことだろう。人生はどんどん時間が経ってしまったのだということをひしひしと感じる。<br /> 白馬東急ホテルの建物は見たところ新しい感じがするし、昔の建物はもう少し低かったのではないかという気がするのだけれど、と思っていたらやはり(当然のことだろうが)1998年2月の長野冬季オリンピックのために建て直されたものだという。スキー場のゲレンデ案内を見るとかの「名木」のゲレンデの最大斜度35度に負けない最大斜度を誇る「オリンピックコース」もできている様だ。<br /> 今日の夕食はなんと17時45分からといわれていて、いつものわが家の夕食より1時間以上早くから始まるというので、慌ててひとっ風呂浴びる。それほど大きくない湯船で7m x 3m程度の室内浴槽とそれより二回りくらい小さな露天風呂で、サウナもついている。とても清潔に保たれた風呂で、ガラガラだというこの時期だからだろうけれど、実に快適で誠に云うことがない。アルカリ単純泉で無色透明。つるつるして気持ちがよい。このホテルがオフシーズンの客集めに苦労しているのは風呂の注意書きに良く現れている。ロシア語、中国語、ハングルで「下着、水着、タオルをまいての入浴はダメ、洗ってから入りましょう、タオルを湯船に入れるのは止めてね・・・」と書いてある。日本人の風呂への入り方を知らない世代が増えているから日本語も勿論書いてある。タオルは全て完備されている。浴衣で風呂に行かないと満足できない向きには裏のエレベータのみその利用が許されている。<br /><br /> 夕食は和食レストラン・万葉と洋食レストラン・シャトーに分かれていて、当初和食で申し込んでいたのだけれど、出発二日前に折角白馬東急のダイニングで食べるのだからと洋食に変えて頂いた。和食はどんなメニューだったのか知らないが、洋食は最高級とは云わないが、そこそこだった。<br /> 「海老と茸と野菜のラビオリ仕立て」から「ポテトのクリームスープ」、「サーモンのムニエル(ちょっとぱさぱさした鮭だったのがちょっと残念)」「薄切りされた牛肉のソテー」「(可愛いサイズだけれど瑞々しい)サラダ」で、デザートはマッド・ケーキの様なチョコレートケーキがあって、それに横に添えられていた生のミントリーフと生クリームを付けて食べたら、かつてよく食べた英国のチョコレート「アフター・エイト」の様で楽しいものだった。ハウスワインの赤をグラスで戴くと、軽いもので美味しかった。<br /> 今回のもうひとつの楽しみは、「全室無線LAN対応(無料)FREE SPOT」で、さんざん悩んだ挙げ句(私のラップトップは軽くない)、持ってきたパソを立ち上げてみると、一発で見付けて繋がる。いつもの温泉だったらここでテレビを見ながらいぎたなく寝てしまうところだけれど、今日は早速ブログを更新。メールをチェックして返事も書いてしまう。寝たのは多分21時頃ではないだろうか。風呂に行ってきたという連れあいに起こされたのは午前0時近くで、午前1時で一旦閉まる風呂に行かないのか、というのですぐに行く。一緒になったのはたったのお一人だった。<br /> 翌朝6時半には起きていつもの様に早朝風呂にはいる。ウグイスが鳴いているのが聞こえる。「ウグイスや 湯気の彼方に 鳴き渡り」と詠む。朝7時からの朝食にちょっとゆっくり目にダイニングに行こうとするとおとなりの部屋の同行者の方が「他の団体で溢れかえっているからゆっくり目の方が良いですよ」と仰るので散歩に出る。すぐ奥に「樅の木」というホテルがあるが、その裏の方、たくさんのペンションや別荘が建ち並んでいるあたりを歩く。勿論セーターにウィンド・ブレイカーという格好で、多分気温は遥かに10度を下回っていることだろう。朝ご飯のバフェでおかずを選び始めたのはもう8時近くになってからである。ここの朝食バフェは一人2,500円するんだと聞いていたけれど、これだけたくさんの種類を用意し、その場でオーダーのオムレツスタンドもあるくらいだからそれだけの価値はありそうだ。私は普通のお粥+茶がゆというあたかも病人食の様な選択だったけれど、これで充分だった。ゆっくりの出発はこういうところでも楽しめる。<br /><br /> バスは一旦長野市内へ向かい、飯綱から戸隠バードラインを通って結構細くて曲がりくねった道をあえぎながら宿坊に囲まれた宝光社から中社を通りぐんぐん上がる。宝光社には16の、そして中社には21の宿泊施設があるということである。天照大神が天の岩戸に隠れた時にとんでもない力を発揮してそれを開けたという、かつての大映映画では奄美大島出身のあのもみあげ・朝潮太郎が演じた天手力雄命を祀ってあるという奥社の入口でバスを降りる。<br /> 奥社の参道はこんな山の中なのに、まっすぐ直線でどこまでも上がっていく。私たちは鳥居の前で左に折れて戸隠森林植物園にはいる。まさにタイミングぴったりで水芭蕉の群生を堪能する。冴えきった冷気の中にくねくねと清流が流れ、水芭蕉が辺り一面に群生している。木道が完備していて一周して20-25分位をまわってくるとほぼ堪能することができる。長野からここには一時間に一本のバスが往復しているらしい。尤も17時45分で長野駅に向かうバスは終わるらしい。<br /> 森林植物園は全くの無料施設で、木道のあちらこちらにはバード・ウォッチングの人たちが素晴らしい性能のカメラにとてつもなく長い玉をくっつけて、三脚を拡げて鳥が巣穴に戻ってくるのを待っている。大変に高尚な趣味なんだと思うがあたかも早いものの勝ちだといわんばかりに木道の半分ほども占領して三脚を立てっぱなしにするのは如何なものかと思う。それも一人ではないのだから結構邪魔くさい。挙げ句にべちゃくちゃ喋りながらタバコをふかして鳥を待つなぞ、この人のポリシーはきっと「ここにいる自分が好き」という程度なんだと了解する。<br /> 今度はそのまま山道をまっすぐ下る。そこここの湿地に水芭蕉が咲いているのが見られる。小林一茶で知られている柏原に出る。ここにやってきたのも相当に久しぶりだ。ここから牟礼を通って豊科に出て、アップルラインに乗り、豊野で千曲川を東に渡り、小布施の街の南側を通って、北から広域農道を須坂に向かう。こっちからはいると「田中本家」裏の駐車場に入ることができる。<br /> 昨年末にはもう既に年末休暇に入っていて入れなかった「田中本家」だけに期待は大きい。すぐにこぢんまりとした食堂にはいると「本日は貸切です」と書いてある。出されたのは豪華ではないが、なかなか小綺麗に作られたもの。お澄ましはニラ玉椀でなんだか昔おふくろの実家にいくと良くこれだった。煮こごりもそして瓜の粕漬けも、鶏も、むらさき米おこわも多すぎずに丁度良かった。多分通常は千円くらいのものだろうか。食事の歳に同席させて頂いたご夫婦は旦那さんはもう既に80歳を超えておられて、奥様も70代後半だろうけれど、既に耳が遠くておられる様だったけれど、医者に「家にばかりいてはなりませぬ、外にお出かけ下さい」といわれて参加したんだと云うことだったけれど、体の大きな旦那さんが小さな奥様をかばって参加されていて、微笑ましい。<br /> 中に陳列されていたのは5月だけに田中本家伝来の数々の五月人形の数々である。田中家は代々須坂藩、あるいは飯山藩なぞの御用商人だったそうで、名字帯刀を許されたというこの辺りの豪商だったからこれでもかと飾ってある。そもそもこの屋敷そのものが三千坪あるのだそうで、それを全部蔵様の建物で囲まれている。古伊万里から着物から様々なものが飾られているが中には北原輝久監修のブリキおもちゃなんかまで飾ってある。当代の主という人は十二代にあたるのだそうだ。裏庭には「牡丹」が咲き乱れていたし、建物そのものが綺麗に保管されていて、素晴らしく、裏庭や正面の立木も実に立派である。これだけの金持ちなんだからさぞかし反発も喰らっただろうことは予想できるが、博物館入り口に飾ってあった年表によれば明治3年に百姓一揆で襲われて一部消失した様だ。隣に当代の住居も垣間見られる。<br /> これで、この旅のスケジュールもほぼ終わり。あとは上信越道を下って坂城で薔薇を見る。坂城には「びんぐしの湯」という日帰り温泉があってここは好きな場所のひとつであるが、以前にあの辺を通りかかって大規模なハウスが並んでいるところに薔薇が並んでいるのを見たことがあった。案の定この一角だった。様々な薔薇を見ることが出来るのは良かったのだけれど、付随するものが余計だった。今回の一泊バス旅行はこれで終わり。充実していた。

バスパックで白馬に泊まる

3いいね!

2008/05/09 - 2008/05/10

643位(同エリア821件中)

0

35

keithforest

keithforestさん

団体旅行で行った北信
 例によってバスパックで北信地区に行く。ここのところ何故か長野県・群馬県へのバス旅行が続く。今回はいつもの格安に比べるとほんのちょっと値がはるものだったけれど、その増額分以上に満足感の高いもので、毎回提出するアンケートでも日頃採点の辛いこの私が珍しく「95点」をつけたくらいである。そのままのペースで終われば満点だったのだけれど、最後の最後にきて訪れた坂機(さかき)での薔薇のハウス栽培農家見学がなんともはやのもので、これは大きく期待を外れるものだったのだ。
 実はいつまでもこのツアーは「催行決定」が出ず、どうやらダメかも知れないなぁと半分諦めてきていた。というのはここのところちょっとでもいつものツアーから割高感があると途端に人が集まらなくなることが何回もあったからである。いつまで経っても「催行有力」と表示されたままで、こちらも金を振り込むのを少し躊躇していたくらいであったけれど、どうせ中止になれば返金されるのだからと振り込んだ次の日にようやく「催行決定」と表示されてホットした。どうやらいの一番に参加申し込みをしていたらしく、行ってみると一番前の席で景観を楽しむことができた。今月この企画は3回分発表されていた様だが、そのうち一回分は催行中止になった様である。
 これまで阪急交通社やクラブツーリズムのバスパックで様々な温泉を訊ねてきたのだけれど、多くの場合2泊のツアーに参加するとどちらかの一泊は必ず今にも消え入りそうな宿泊施設だったりした。ホテルとは名ばかりの、もう40年ほど経っている中途半端な施設で、サービスも中途半端になってしまってもうこれは民宿だと宣言してしまった方がわかりやすいくらいのものをよくぞここまで見付けてきたなぁと云う位のものだった。
 古い施設も100年ほども経っているものを必死になって守りながらここまで来たという施設であれば、古くても面白いものがあるが、中途半端なものは残念ながらこうした「安い分我慢してね」価格でないと生き残っていくことができない。
 こうしたツアーに初めて参加した人はこういう状況に遭遇すると「怒り心頭に発する」様である。なんてひどいツアーだ!と。慣れると「この値段なんだから我慢するしかないか」と諦観する様になる。愚にもつかない土産物を羅列している店に寄るのもそれによってツアー会社がキックバックを得ることによってこの値段が維持できているんだと理解しなくてはならない。

 さて、今回の北信バスパックは一泊で24,000円と決して安くない。しかし、その中身は濃かった。コスト・パフォーマンスとしては高かったと思っている。勿論宿泊地が全くのオフ・シーズンであるということが大きい。
 中央高速を諏訪まで走る。清里でその名前を聞いたことがある北澤美術館なる建物でパンのバフェでランチである。ガラス美術館と書かれていたけれど、私たちはチキンの照り焼き、スープ、サラダ、そしてパンのバフェという食事を取った。食べ終わって部屋を出ると、結局大きな洒落た土産物屋だった。どうやらあとで調べてみると二階に美術展示があるのだそうだ。さまざまなフルーツを刻み込んだジャム仕立てのものがあって、これは美味しかった。ベーカリーの店頭には重たいパンも提供されていたけれど、私たちのランチには軽いものばかりで、ほとんど名前の割には特徴のないものだったのは残念だった。こうしたパック・ツアーの寂しさは本当はきちんとしたものを構えているのに、「ディスカウントなんだから提供品もディスカウント・レベル」のサービスを提供しているとこの旅できた人がリピーターとして再訪することは難しいのではないだろうか。
 岡谷の駅前は随分と小綺麗になっていたけれど、その代わりに全く特徴のない街造りとなっていた。どこにでもあるどこかの街のひとつだと云っても良いかも知れない。ここにツツジを見られる公園があるという話の様で、全くの話、全く期待をせずに向かう。細い道をくねくねと走ると目の前にカラフルなツツジの山が見えてきた。それが「岡谷 鶴峯公園」であった。2-3年前に羊山の芝桜の帰り道に立川へ見に行ったお寺のツツジに比べたらその地形による景観としては見劣りするけれど、ツツジそのものとして考えると優るとも劣らないと思われる。

 その成り立ちを見てみると、この地域は現在の片倉工業(片倉キャンロンで知られ、京橋に古い社屋を大事にしている企業)の始まりだった片倉組の創始者・片倉市助、そして「シルク・エンペラー」と呼ばれた二代目・片倉兼太郎(片倉佐一)が発展させた地域だったのだそうだ。そしてあの昭和11年にこの地を地元に寄贈したが、その際に三百株のツツジを埼玉・安行に発注したところ、「あの片倉財閥の発注だから」と勝手に貨車三台分の株を送ってきたものだから、こんなにたくさんのツツジがこの山を飾る結果となったとこの公園の案内には必ず書いてある。それにしても「三百株」と「貨車三台分の株」とを読み間違えるというのはどういうことなんだろうと思うが、墨で手の立つ人にさらさらと書かれていたら読み間違える可能性がないとはいえないんだろうか。あるいは口づてで、途中で誰かが意図的に、あるいは偶々変わってしまったという「伝言ゲーム」のようなものだったのだろうか。今だから、そんな具合に楽しいエピソードと笑ってしまえばいいのかと云えば、当時は相当深刻だったかも知れない。一体、この費用を誰が出したのだろうか。片倉財閥が出したから笑い話で終われるのだろうか。ところで、何故、片倉兼太郎はなぜ、この1.6haの土地を村に寄贈したというのだろうか。
 明治の企業家のあの「慈善」が欧州の「charity」と異なる大いなる点は、この公園にも見ることが出来る。それはてっぺんにものの見事に立派に立っている片倉兼太郎の銅像だろう。横浜の浅野総一郎の銅像もそうだけれど、皆さんそんなものを残したがる。
 鶴峯公園の看板には「中部日本一のつつじ公園」と表示されている。「中部とは一体どの範囲を定義しているんだろう」と考えながらバスは一路安曇野に向かう。安曇野では「安曇野スイス村」というお土産屋さんに立ち寄るのだという話だ。途中では青々と風にそよぐ麦畑が見え、途中ではわさび畑の並ぶ清流を橋で越えていく。その脇では田植えの終わった直後の田圃、水を張り終わって田植えを待つ田圃と様々で、今まさに米作りに忙しい農家の様子が窺える。どんどん雪を被った山々が見えてくる。通路を挟んだ向こうの座席に座っておられる、多分私たちより一世代上と覚しきご夫妻が「あの辺の山はなんというの?」と聞かれるが、それを私が分かる訳がない。「安曇野スイス村」という名前は知らなかったけれど、ここはこれまでに多分三回ほど連れられてきたことのある単なるお土産屋である。前回は気がつかなかったのだけれど、外にあるお店がなかなか面白いものを並べていた。そこにいたおじさんが「食べてみてください」と云って出したものを口にしてみると、これまで食べたことのない食感と味。なんだと聞くとドライ・アプリコットを烏龍茶で戻したものなんだという。これが旨いんだなぁ。で、なんてことはない、気がついたらドライ・アプリコットそのものを手にしていた。
 ここから西を見ると常念岳、蝶ヶ岳といった山並が見えるが、地図を見るとあの向こうが上高地である。バスが147号線を一路北上すると木崎湖の東岸を辿る。この辺りはかつて何回も何回もやってきた道である。西には爺ヶ岳、鹿島槍、五竜と続き、スキー場も次々に看板が見えてくる。さすがに麓地域にはすでに全く雪はないが、上の方には残っていた様で、5月7日くらいまでは高地のリフトは動いていた様である。この辺りのスキー場は近年スキー人口の絶対数が減少しているという状況の中にはあるものの、近年外国人客がこちらも入り込んでいるそうで、別の発展系が考えられるのではないだろうか。私たちが宿泊したリゾートホテルにも台湾からの団体が遅くに到着して早くに出立していった。

 今日の宿は「白馬東急ホテル」で1959年にオープンした当時最先端のリゾートホテルだった。私が八方尾根スキー場にスキーに出かける様になったのは1970年前半だったけれど、当時はサービスも値段も超一流だったからとても泊まるなんて余裕はなかった。20代そこそこの新参者サラリーマンが泊まる様なところではなかった。上高地の帝国ホテルと並び称される様な高級・お大尽向けリゾートホテルだったのである。今回ここに泊まれるのであれば、多少いつものツアーより高くても良いじゃないかと思ったのはこんなところに理由がある。しかも、ネット上で調べてみると露天風呂月の温泉がある。このツアーが「催行中止」にならないことを願ったのはここにも理由がある。途中の道路状況が大変に良くて16時半頃に到着することができたのだから、いつもだったらすぐにでも温泉にどっぷり浸かりに行くところだけれども、30数年振りにやってきたスキー場は一体どんな様子なのかを見に誰もいない木立の中を行ってみる。もうすっかり分からないけれど、多分私たちがかつて泊まった民宿はこのホテルのすぐ下のあたりだったのかも知れない。国際のリフトも、花咲のリフトもそのままある様だけれど、勿論デュアルの高速リフトになっている。当時はとにかくゴンドラで早朝に上に上がってしまい、人いきれとタバコの煙でむんむんした兎平のロッジでボルシチの朝飯を喰ったものだった。今ではしたから垣間見えるそうした施設も綺麗な建物に変わっているが、それは当然のことだろう。人生はどんどん時間が経ってしまったのだということをひしひしと感じる。
 白馬東急ホテルの建物は見たところ新しい感じがするし、昔の建物はもう少し低かったのではないかという気がするのだけれど、と思っていたらやはり(当然のことだろうが)1998年2月の長野冬季オリンピックのために建て直されたものだという。スキー場のゲレンデ案内を見るとかの「名木」のゲレンデの最大斜度35度に負けない最大斜度を誇る「オリンピックコース」もできている様だ。
 今日の夕食はなんと17時45分からといわれていて、いつものわが家の夕食より1時間以上早くから始まるというので、慌ててひとっ風呂浴びる。それほど大きくない湯船で7m x 3m程度の室内浴槽とそれより二回りくらい小さな露天風呂で、サウナもついている。とても清潔に保たれた風呂で、ガラガラだというこの時期だからだろうけれど、実に快適で誠に云うことがない。アルカリ単純泉で無色透明。つるつるして気持ちがよい。このホテルがオフシーズンの客集めに苦労しているのは風呂の注意書きに良く現れている。ロシア語、中国語、ハングルで「下着、水着、タオルをまいての入浴はダメ、洗ってから入りましょう、タオルを湯船に入れるのは止めてね・・・」と書いてある。日本人の風呂への入り方を知らない世代が増えているから日本語も勿論書いてある。タオルは全て完備されている。浴衣で風呂に行かないと満足できない向きには裏のエレベータのみその利用が許されている。

 夕食は和食レストラン・万葉と洋食レストラン・シャトーに分かれていて、当初和食で申し込んでいたのだけれど、出発二日前に折角白馬東急のダイニングで食べるのだからと洋食に変えて頂いた。和食はどんなメニューだったのか知らないが、洋食は最高級とは云わないが、そこそこだった。
 「海老と茸と野菜のラビオリ仕立て」から「ポテトのクリームスープ」、「サーモンのムニエル(ちょっとぱさぱさした鮭だったのがちょっと残念)」「薄切りされた牛肉のソテー」「(可愛いサイズだけれど瑞々しい)サラダ」で、デザートはマッド・ケーキの様なチョコレートケーキがあって、それに横に添えられていた生のミントリーフと生クリームを付けて食べたら、かつてよく食べた英国のチョコレート「アフター・エイト」の様で楽しいものだった。ハウスワインの赤をグラスで戴くと、軽いもので美味しかった。
 今回のもうひとつの楽しみは、「全室無線LAN対応(無料)FREE SPOT」で、さんざん悩んだ挙げ句(私のラップトップは軽くない)、持ってきたパソを立ち上げてみると、一発で見付けて繋がる。いつもの温泉だったらここでテレビを見ながらいぎたなく寝てしまうところだけれど、今日は早速ブログを更新。メールをチェックして返事も書いてしまう。寝たのは多分21時頃ではないだろうか。風呂に行ってきたという連れあいに起こされたのは午前0時近くで、午前1時で一旦閉まる風呂に行かないのか、というのですぐに行く。一緒になったのはたったのお一人だった。
 翌朝6時半には起きていつもの様に早朝風呂にはいる。ウグイスが鳴いているのが聞こえる。「ウグイスや 湯気の彼方に 鳴き渡り」と詠む。朝7時からの朝食にちょっとゆっくり目にダイニングに行こうとするとおとなりの部屋の同行者の方が「他の団体で溢れかえっているからゆっくり目の方が良いですよ」と仰るので散歩に出る。すぐ奥に「樅の木」というホテルがあるが、その裏の方、たくさんのペンションや別荘が建ち並んでいるあたりを歩く。勿論セーターにウィンド・ブレイカーという格好で、多分気温は遥かに10度を下回っていることだろう。朝ご飯のバフェでおかずを選び始めたのはもう8時近くになってからである。ここの朝食バフェは一人2,500円するんだと聞いていたけれど、これだけたくさんの種類を用意し、その場でオーダーのオムレツスタンドもあるくらいだからそれだけの価値はありそうだ。私は普通のお粥+茶がゆというあたかも病人食の様な選択だったけれど、これで充分だった。ゆっくりの出発はこういうところでも楽しめる。

 バスは一旦長野市内へ向かい、飯綱から戸隠バードラインを通って結構細くて曲がりくねった道をあえぎながら宿坊に囲まれた宝光社から中社を通りぐんぐん上がる。宝光社には16の、そして中社には21の宿泊施設があるということである。天照大神が天の岩戸に隠れた時にとんでもない力を発揮してそれを開けたという、かつての大映映画では奄美大島出身のあのもみあげ・朝潮太郎が演じた天手力雄命を祀ってあるという奥社の入口でバスを降りる。
 奥社の参道はこんな山の中なのに、まっすぐ直線でどこまでも上がっていく。私たちは鳥居の前で左に折れて戸隠森林植物園にはいる。まさにタイミングぴったりで水芭蕉の群生を堪能する。冴えきった冷気の中にくねくねと清流が流れ、水芭蕉が辺り一面に群生している。木道が完備していて一周して20-25分位をまわってくるとほぼ堪能することができる。長野からここには一時間に一本のバスが往復しているらしい。尤も17時45分で長野駅に向かうバスは終わるらしい。
 森林植物園は全くの無料施設で、木道のあちらこちらにはバード・ウォッチングの人たちが素晴らしい性能のカメラにとてつもなく長い玉をくっつけて、三脚を拡げて鳥が巣穴に戻ってくるのを待っている。大変に高尚な趣味なんだと思うがあたかも早いものの勝ちだといわんばかりに木道の半分ほども占領して三脚を立てっぱなしにするのは如何なものかと思う。それも一人ではないのだから結構邪魔くさい。挙げ句にべちゃくちゃ喋りながらタバコをふかして鳥を待つなぞ、この人のポリシーはきっと「ここにいる自分が好き」という程度なんだと了解する。
 今度はそのまま山道をまっすぐ下る。そこここの湿地に水芭蕉が咲いているのが見られる。小林一茶で知られている柏原に出る。ここにやってきたのも相当に久しぶりだ。ここから牟礼を通って豊科に出て、アップルラインに乗り、豊野で千曲川を東に渡り、小布施の街の南側を通って、北から広域農道を須坂に向かう。こっちからはいると「田中本家」裏の駐車場に入ることができる。
 昨年末にはもう既に年末休暇に入っていて入れなかった「田中本家」だけに期待は大きい。すぐにこぢんまりとした食堂にはいると「本日は貸切です」と書いてある。出されたのは豪華ではないが、なかなか小綺麗に作られたもの。お澄ましはニラ玉椀でなんだか昔おふくろの実家にいくと良くこれだった。煮こごりもそして瓜の粕漬けも、鶏も、むらさき米おこわも多すぎずに丁度良かった。多分通常は千円くらいのものだろうか。食事の歳に同席させて頂いたご夫婦は旦那さんはもう既に80歳を超えておられて、奥様も70代後半だろうけれど、既に耳が遠くておられる様だったけれど、医者に「家にばかりいてはなりませぬ、外にお出かけ下さい」といわれて参加したんだと云うことだったけれど、体の大きな旦那さんが小さな奥様をかばって参加されていて、微笑ましい。
 中に陳列されていたのは5月だけに田中本家伝来の数々の五月人形の数々である。田中家は代々須坂藩、あるいは飯山藩なぞの御用商人だったそうで、名字帯刀を許されたというこの辺りの豪商だったからこれでもかと飾ってある。そもそもこの屋敷そのものが三千坪あるのだそうで、それを全部蔵様の建物で囲まれている。古伊万里から着物から様々なものが飾られているが中には北原輝久監修のブリキおもちゃなんかまで飾ってある。当代の主という人は十二代にあたるのだそうだ。裏庭には「牡丹」が咲き乱れていたし、建物そのものが綺麗に保管されていて、素晴らしく、裏庭や正面の立木も実に立派である。これだけの金持ちなんだからさぞかし反発も喰らっただろうことは予想できるが、博物館入り口に飾ってあった年表によれば明治3年に百姓一揆で襲われて一部消失した様だ。隣に当代の住居も垣間見られる。
 これで、この旅のスケジュールもほぼ終わり。あとは上信越道を下って坂城で薔薇を見る。坂城には「びんぐしの湯」という日帰り温泉があってここは好きな場所のひとつであるが、以前にあの辺を通りかかって大規模なハウスが並んでいるところに薔薇が並んでいるのを見たことがあった。案の定この一角だった。様々な薔薇を見ることが出来るのは良かったのだけれど、付随するものが余計だった。今回の一泊バス旅行はこれで終わり。充実していた。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

PR

  • 戸隠森林植物園は今まさに水芭蕉が真っ盛り。こんなに密集して群生している水芭蕉を見たのは生まれて初めて。

    戸隠森林植物園は今まさに水芭蕉が真っ盛り。こんなに密集して群生している水芭蕉を見たのは生まれて初めて。

  • こうした木道が巡らしてあって、ここを散歩すると鳥も、水芭蕉も、コブシも、山桜も見ることが出来る。ウグイスが鳴き渡る。

    こうした木道が巡らしてあって、ここを散歩すると鳥も、水芭蕉も、コブシも、山桜も見ることが出来る。ウグイスが鳴き渡る。

  • 清流の中にぽつんと咲いている水芭蕉も面白い。

    清流の中にぽつんと咲いている水芭蕉も面白い。

  • 岡谷の片倉兼太郎が寄付したという鶴峯公園に咲き乱れるツツジ。

    岡谷の片倉兼太郎が寄付したという鶴峯公園に咲き乱れるツツジ。

  • 片倉財閥は戦後財閥解体で解体され、今の片倉工業に繋がっている。

    片倉財閥は戦後財閥解体で解体され、今の片倉工業に繋がっている。

  • 一日目の昼飯は諏訪湖畔にある北澤ガラス美術館の一階のパン屋さんのパン・バフェである。チキン照り焼きがおかずとしてつき、サラダとスープ、そして各種のパンは好きなだけ食べることができる。これ、なかなか良いアイディア。若い人たちにとっては食べたりないかもしれないけれど、私たちにとっては丁度良い。ちなみに出てくるパンは軽いものばかりだけれど、店頭にはずっしり重いものも売っている。

    一日目の昼飯は諏訪湖畔にある北澤ガラス美術館の一階のパン屋さんのパン・バフェである。チキン照り焼きがおかずとしてつき、サラダとスープ、そして各種のパンは好きなだけ食べることができる。これ、なかなか良いアイディア。若い人たちにとっては食べたりないかもしれないけれど、私たちにとっては丁度良い。ちなみに出てくるパンは軽いものばかりだけれど、店頭にはずっしり重いものも売っている。

  •  [夕ご飯]白馬東急ホテルで今日されたコース料理の、まず最初はオントレーが海老と茸と野菜のラビオリ仕立て。ラビオリの皮が点心の皮の様で面白い味になっている。

     [夕ご飯]白馬東急ホテルで今日されたコース料理の、まず最初はオントレーが海老と茸と野菜のラビオリ仕立て。ラビオリの皮が点心の皮の様で面白い味になっている。

  •  [夕ご飯] スープはポテトのクリームスープ。結構な手間をかけて頂いたらしくてとてもきめ細やかで好きなスープ。

     [夕ご飯] スープはポテトのクリームスープ。結構な手間をかけて頂いたらしくてとてもきめ細やかで好きなスープ。

  •  [夕ご飯] 魚はサーモンのムニエル。ちょっとぱさっとしたサーモンで、アトランティック・サーモンのジューシーな奴を知ってしまったものだから、この程度だと満足できない自分に許し難いものを感じてしまう。

     [夕ご飯] 魚はサーモンのムニエル。ちょっとぱさっとしたサーモンで、アトランティック・サーモンのジューシーな奴を知ってしまったものだから、この程度だと満足できない自分に許し難いものを感じてしまう。

  •  [夕ご飯] なるほど。この値段でコース料理を出すにあたって工夫したんだなぁと思わせるプレゼンテーションである。ま、それだけ手がかかっているといえないことはない。毎度の評価で申し訳ないが、私の様な年齢になるとこの程度の量で何も云うことはない。強いてあげれば美味しかったので、もう少しパンを戴きたかったなり。<br /> 付け合わせはマッシュポテトの上に立っているセリと、薩摩芋の極薄&パリパリ・チップス。

     [夕ご飯] なるほど。この値段でコース料理を出すにあたって工夫したんだなぁと思わせるプレゼンテーションである。ま、それだけ手がかかっているといえないことはない。毎度の評価で申し訳ないが、私の様な年齢になるとこの程度の量で何も云うことはない。強いてあげれば美味しかったので、もう少しパンを戴きたかったなり。
     付け合わせはマッシュポテトの上に立っているセリと、薩摩芋の極薄&パリパリ・チップス。

  •  [夕ご飯] 最後のデザート。チョコレートケーキに手前のクリームとミントの葉を載せて食すると、あの「アフター・エイト」のミントチョコレートになるのだった。

     [夕ご飯] 最後のデザート。チョコレートケーキに手前のクリームとミントの葉を載せて食すると、あの「アフター・エイト」のミントチョコレートになるのだった。

  •  [朝食] 翌朝の朝食は目移りしてなかなか食べるものの焦点が絞れないと云うほどの種類をこれでもか、これでもか、と並べてある朝食バフェである。私はお粥をとって和食路線。この後茶がゆをもう一杯頂く。普通の白いご飯でもう一路線行きたいくらいだ。

     [朝食] 翌朝の朝食は目移りしてなかなか食べるものの焦点が絞れないと云うほどの種類をこれでもか、これでもか、と並べてある朝食バフェである。私はお粥をとって和食路線。この後茶がゆをもう一杯頂く。普通の白いご飯でもう一路線行きたいくらいだ。

  •  [朝食] 連れあいがとってきたもうひとつの洋風路線。このパンは大したことがなかったという評価だったけれど、こっちの路線も選択肢がとてもたくさんあって、特にパンも種類が豊富。

     [朝食] 連れあいがとってきたもうひとつの洋風路線。このパンは大したことがなかったという評価だったけれど、こっちの路線も選択肢がとてもたくさんあって、特にパンも種類が豊富。

  •  [田中本家での昼食] 須坂の田中本家に到着するなりのお昼であるが、派手ではないのだけれど、ひとつひとつを味わうという雰囲気のお昼。煮こごり、瓜の粕漬け、鶏のグリル、蟹豆腐、そして白玉ぜんざい。

     [田中本家での昼食] 須坂の田中本家に到着するなりのお昼であるが、派手ではないのだけれど、ひとつひとつを味わうという雰囲気のお昼。煮こごり、瓜の粕漬け、鶏のグリル、蟹豆腐、そして白玉ぜんざい。

  •  [田中本家での昼食] そしてご飯は紫米のおこわである。これが噛むほどに味の出るもので充分お腹が持つのだ。

     [田中本家での昼食] そしてご飯は紫米のおこわである。これが噛むほどに味の出るもので充分お腹が持つのだ。

  •  [鶴峯公園のつつじ] その1

     [鶴峯公園のつつじ] その1

  •  [鶴峯公園のつつじ] その2

     [鶴峯公園のつつじ] その2

  •  [鶴峯公園のつつじ] その3

     [鶴峯公園のつつじ] その3

  •  [鶴峯公園のつつじ] その4

     [鶴峯公園のつつじ] その4

  •  [鶴峯公園のつつじ] その5

     [鶴峯公園のつつじ] その5

  •  [戸隠森林植物園] 今真っ盛りの水芭蕉。広葉樹の葉もまだ出ず、コブシの花と山桜の花がその殺風景な木々にまさに花を添えている足下は、見渡す限りの水芭蕉。この地域ではあっちの谷にも、こっちの窪地にも少しでも水気のあるところには水芭蕉が点在する。ベスト・タイミングだった。

     [戸隠森林植物園] 今真っ盛りの水芭蕉。広葉樹の葉もまだ出ず、コブシの花と山桜の花がその殺風景な木々にまさに花を添えている足下は、見渡す限りの水芭蕉。この地域ではあっちの谷にも、こっちの窪地にも少しでも水気のあるところには水芭蕉が点在する。ベスト・タイミングだった。

  •  [戸隠森林植物園] まるで、「これが水芭蕉」ですと図鑑にでも載るかの如き風情である。

     [戸隠森林植物園] まるで、「これが水芭蕉」ですと図鑑にでも載るかの如き風情である。

  •  [戸隠森林植物園] 水芭蕉

     [戸隠森林植物園] 水芭蕉

  •  [戸隠森林植物園] 

     [戸隠森林植物園] 

  •  [戸隠森林植物園] 

     [戸隠森林植物園] 

  •  [須坂・田中本家] かつてのお大尽商家(こういうのを豪商というらしいんだけれど、この「豪」の意味はどんなものなんだろうと、つい考えてしまう)のお屋敷をそのまま博物館にして、ご覧に入れてしまうという、こういう商売もあるんだなぁと頷いてしまう。英国だったらさしずめ「National Trust」やらそういう類のNGOなんかを立ち上げそうなものである。

     [須坂・田中本家] かつてのお大尽商家(こういうのを豪商というらしいんだけれど、この「豪」の意味はどんなものなんだろうと、つい考えてしまう)のお屋敷をそのまま博物館にして、ご覧に入れてしまうという、こういう商売もあるんだなぁと頷いてしまう。英国だったらさしずめ「National Trust」やらそういう類のNGOなんかを立ち上げそうなものである。

  •  [須坂・田中本家] 裏のキッチン・ヤードの様なバックヤードがなかなか気持ちがよい。

     [須坂・田中本家] 裏のキッチン・ヤードの様なバックヤードがなかなか気持ちがよい。

  •  [須坂・田中本家] ちょっと遅かったかも知れないが、この牡丹が綺麗。

     [須坂・田中本家] ちょっと遅かったかも知れないが、この牡丹が綺麗。

  •  [須坂・田中本家] こんな具合。

     [須坂・田中本家] こんな具合。

  •  [須坂・田中本家] <br /> 良く手が入っていて気持ちがよい。<br /> こちらで働いておられる方は皆さんとても気持ちの良い方ばかりで、何がこの方たちをしてこういう働き方をしようと思わせるのか、あるいは自然にそうして働こうという気持ちにさせるのか、その辺を知りたいなぁと思わせる。<br /> お大尽の派手な生活振りに思いを馳せると、つい「なんでぇ!」と云いたくなるのが私の常だけれど、ここで働いておられる皆さんのホスピタリティには感心する。

     [須坂・田中本家] 
     良く手が入っていて気持ちがよい。
     こちらで働いておられる方は皆さんとても気持ちの良い方ばかりで、何がこの方たちをしてこういう働き方をしようと思わせるのか、あるいは自然にそうして働こうという気持ちにさせるのか、その辺を知りたいなぁと思わせる。
     お大尽の派手な生活振りに思いを馳せると、つい「なんでぇ!」と云いたくなるのが私の常だけれど、ここで働いておられる皆さんのホスピタリティには感心する。

  •  [某薔薇農園] おじさんの話が自慢話ぷんぷんで、挙げ句の果てに、何やら分からぬ売店まがいのハウスに連れて行かれて、最後の最後でこのツアー最大の減点となったのだけれど、薔薇は薔薇で見てきた。

     [某薔薇農園] おじさんの話が自慢話ぷんぷんで、挙げ句の果てに、何やら分からぬ売店まがいのハウスに連れて行かれて、最後の最後でこのツアー最大の減点となったのだけれど、薔薇は薔薇で見てきた。

  •  [某薔薇農園] タイミング的にぴったりの花はなかなか見付けられない。

     [某薔薇農園] タイミング的にぴったりの花はなかなか見付けられない。

  •  [某薔薇農園] 彼は堆肥のみを使っているんだと。

     [某薔薇農園] 彼は堆肥のみを使っているんだと。

  •  [某薔薇農園] 息子が米国で農業を学んできたんだと。

     [某薔薇農園] 息子が米国で農業を学んできたんだと。

  •  [某薔薇農園] 

     [某薔薇農園] 

この旅行記のタグ

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP