2008/04/03 - 2008/04/03
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早島 潮さん
大仙院へ初めて行ったのは1958年だからもう50年前のことになる。
田舎の高校から京都の大学へ入学し初めて訪問したのが大徳寺であり拝観料を払って入場したのが大仙院であった。その後大学の学生部厚生課で主催した名刹の見学会でも大仙院は訪問したし
弧蓬庵、真珠庵もその庭を拝観した。弧蓬庵、真珠庵の庭は一般公開されておらず大学主催の見学会であったからこそ拝観することができたのである。今でも弧蓬庵、真珠庵の一般公開は行われていないのであろう。その後も大仙院へは足繁く通ったことを思い出す。
今回は一休さんの事跡を尋ねる目的で大徳寺へきたのだが懐かしくもあり大仙院は入場した。しかし一休さんの事跡はなかった。
生憎方丈は屋根の吹き替え中であったが庭園は拝観することができた。しかし写真の撮影は禁止されていた。以下のURLで
庭園の写真を見ることができる。
http://www.webtown-kyoto.com/cgi/websys.cgi?SM=spot&ID=91
以下は大仙院の案内パンフからの引用である。
大仙院は永正6年(1509)に大徳寺76世住職大聖国師と古岳宗陳禅師によって創建されました。
古岳宗陳和尚は、後柏原天皇や一条房冬、三条公兄らの公家、六角貞頼、小原定保らの武家の帰依を受け、大永2年(1522)に後柏原天皇から仏心正統禅師の名を賜り、天文5年(1536)には後奈良天皇から正法大聖国師の号を請けておられます。
大仙院では開祖古岳宗亘禅師のあと、大林宗套、笑嶺宗訴、春屋宗園、古渓宗陳といった名僧が続きました。
また大仙院は、茶の湯を大成された利休居士が,生前から親しく詣られたところとして有名です。
利休居士を中心とする茶人の系譜からは、歴代和尚がたと密接なつながりがあったことがわかります。
大仙院には、室町時代随一といわれる庭園、方丈建築、襖絵など、高い評価を受けている貴重な文化財があります。
襖絵は相阿弥、狩野元信、狩野之信といった室町時代の巨匠が手がけた作品で、室町時代の雰囲気を今日まで見事に伝承しています。
三世古渓宗陳和尚は、豊臣秀吉が醍醐の三宝院に庭園を築くに当たって、大聖国師作庭の枯山水庭園の庭石を没収しようとした時、身を投じて防がれたという逸話があります。
沢庵漬けで広く知られた七世沢庵宗彭和尚は、紫衣事件で徳川幕府に抗弁した人であり、また書院「拾雲軒」で宮本武蔵に剣の極意を授けたともいわれています。
このように大仙院の歴代和尚方には、多くの意気の推進者が居られます。
大仙院方丈(国宝)
日本最古の「床の間」と「玄関」を持つ室町時代の方丈建築。
枯山水庭園(特別名勝史跡)
蓬莱山から落ちる滝、堰を切って大海に流れ込む水をすべて砂で表し、宝船や長寿の鶴亀を岩組で表した開祖古岳宗亘禅師による室町時代の代表的な枯山水庭園。
襖絵(重要文化財)
室町期の名作障壁画で、フランスのルーブル美術館にも出展された相阿弥の山水画、狩野元信の花鳥図、狩野之信の四季耕作図などがあります。
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