2008/04/03 - 2008/04/03
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早島 潮さん
酬恩寺を後にして京都駅まで戻り大徳寺へ向かった。今日は一休禅師の史跡を探訪することに決めている。
京都駅から市バスに乗ったがこの時期京都は観光客が溢れており道路の渋滞も激しく1時間もかかってしまった。時間を有効に活用するためには地下鉄とバスを組み合わせて利用する知恵が必要である。
大徳寺には境内の中に塔頭が沢山あるので予め訪問する塔頭を決めてから下調べもしておかないと訳が判らなくなってしまう。
一休禅師の史跡は残念ながらこの大徳寺の塔頭内ではお目にかかることができなかった。
以下は大徳寺のホームページからの転載である。
http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/#01
臨済宗大徳寺派の大本山で龍寶山と号する。
鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。
勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話は有名。本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)がある。方丈内の襖うれて絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆である。什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、絹本着色大燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。(10月第二日曜日公開)現在境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、それぞれに貴重な、建築、庭園、美術工芸品が多数残されている。
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