![<<九州縦断2200Kmの車旅>><br /><br />■熊本城?<br /> 本丸の最高所、標高50mの茶臼山の頂上に位置する天守閣は、「一の天守」と呼ばれる大天守と、「二の天守」と呼ばれる小天守から成っています。<br /> ・大天守(3層6階地下1階約30m)<br /> ・小天守(2層4階地下1階約19m)<br /> 天守閣の内部は現在、熊本市立熊本博物館の分館となっており、肥後歴代藩主の武具や調度品のほか、西南戦争の資料などを見ることができます。 <br /><br />▼旅行記<熊本城?>は↓です。<br /> http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10230864/<br />▼旅行記<熊本城?>は↓です。<br /> http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10231148/<br /><br />【巡航県経路】<br /> 広島→山口→福岡→大分→宮崎→熊本→鹿児島→宮崎→熊本→大分→福岡→山口→広島<br /><br />【手記】<br /> 今日は九州縦断2200Kmの車旅4日目、最終日です。<br /> 昨日は、熊本県玉名郡和水町「道の駅きくすい」で車中泊しました。翌朝、熊本城へ向かう前に、遠い昔の想い出がある長洲港フェリー発着場へ寄ってみました。<br /> 九州自動車道の南関インターへ約1キロの地点、南関インターと大牟田市内を結ぶ「主要地方道南関大牟田北線」沿いにある「道の駅おおむた」へ進路をとり、少し遠回りになりましたが、熊本城へ向けて愛車を走らせました。<br /><br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/23/13/650x_10231340.jpg?updated_at=1207740929)
2008/03/09 - 2008/03/12
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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<<九州縦断2200Kmの車旅>>
■熊本城?
本丸の最高所、標高50mの茶臼山の頂上に位置する天守閣は、「一の天守」と呼ばれる大天守と、「二の天守」と呼ばれる小天守から成っています。
・大天守(3層6階地下1階約30m)
・小天守(2層4階地下1階約19m)
天守閣の内部は現在、熊本市立熊本博物館の分館となっており、肥後歴代藩主の武具や調度品のほか、西南戦争の資料などを見ることができます。
▼旅行記<熊本城?>は↓です。
http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10230864/
▼旅行記<熊本城?>は↓です。
http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10231148/
【巡航県経路】
広島→山口→福岡→大分→宮崎→熊本→鹿児島→宮崎→熊本→大分→福岡→山口→広島
【手記】
今日は九州縦断2200Kmの車旅4日目、最終日です。
昨日は、熊本県玉名郡和水町「道の駅きくすい」で車中泊しました。翌朝、熊本城へ向かう前に、遠い昔の想い出がある長洲港フェリー発着場へ寄ってみました。
九州自動車道の南関インターへ約1キロの地点、南関インターと大牟田市内を結ぶ「主要地方道南関大牟田北線」沿いにある「道の駅おおむた」へ進路をとり、少し遠回りになりましたが、熊本城へ向けて愛車を走らせました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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-
熊本県熊本市<熊本城?>
これまでに熊本市へは何度か来たことがありますが、熊本城入場はなんと!小学校の修学旅行以来、43年ぶりなんですね。
■天守閣内部
入り口。
天守閣の内部は現在、熊本市立熊本博物館の分館となっており、肥後歴代藩主の武具や調度品のほか、西南戦争の資料などを見ることができます。 -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部
日本三名城のひとつ熊本城は、名将加藤清正が幾多の実戦の経験を生かし、慶長6年(1601年)から7年の歳月と、心血を注いで築城したものです。
「1階 展示室」
・海御座船波奈之丸船屋形(国指定重要文化財)
・熊本城・城下町復元模型
・加藤清正と熊本城 -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部
「谷村計介銅像」
谷村計介(たにむらけいすけ)は西南戦争で籠城中に鎮台司令官谷干城(たにたてき)の命を受け、城を抜け出し何度も敵に捕まりながらも逃げ出し、官軍本隊に籠城軍の窮状を伝えた宮崎県出身の陸軍伍長で、後に自ら進んで田原坂戦に加わり戦死しました。
この話は戦前の修身の教科書に載り、広く国民に親しまれました。戦前は今の行幸橋際に銅像がありましたが、現在は天守閣の入口あります。 -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部
現在の天守閣は昭和35年(1960年)に、一市民の5,000万円もの浄財を基に、約1億8,000万円をかけて、鉄筋コンクリート造で外観復元されたものです。 -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部
「御座船 波奈之丸(なみなしまる)」
波奈之丸は、細川家の参勤交代用の御座船で、天保10年(1839)に建造されたものです。 -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部
「御座船 波奈之丸(なみなしまる)」
豊後国(大分県)鶴崎の港から播磨国(兵庫県)室の津、または大坂までの瀬戸内海の船旅に用いられていました。(国指定重要文化財) -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部
「熊本城全域と城下町の絵図と模型」
この模型は、熊本城全域と城下町の一部を含む、江戸時代後期頃の熊本城が最も整備された時期のものです。
縮尺は500分の1で、東西1.8km、南北1.3kmの範囲におさめています。
この当時の熊本城は、現在の熊本市本丸・二の丸・古城町・千葉城町・古京町などにわたり、面積にしておよそ98万ヘクタールありました。 -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部
「熊本城断面復元図」
本丸中央の大・小天守を中心に多層櫓、平櫓、堀等の建築群が高石垣上にびっしりと並んでいた様子を再現しています。 -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部
「熊本城の模型」
宇土櫓にもこれと同じような模型が置いてありました。 -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部
「加藤清正肖像画」(油絵)
加藤清正は、退治した虎の上に股がり、長烏帽子形兜を被り、槍を持った姿で描かれています。
兜や鎧には,加藤家の家紋である蛇の目の紋が見られます。 -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部
「石垣」
石積みの工法から完成時期の違いがわかります。
大小天守の石垣の境目をよく見ると、小天守石垣は大天守石垣に寄りかかっているのがわかります。
つまり大天守の石垣が完成したあとに小天守の石垣が積まれているのです。 -
熊本市<熊本城?>
■天守閣内部WEBサイトより
現在の天守閣は、古い写真や絵地図などを基に、昭和35年(1960年)に復元されたものですが、瓦の列や数まで細部にわたって忠実に再現しており、見ごたえがあります。 -
熊本市<熊本城?>
おっ。城のスケッチをされてます。
■天守閣石垣
熊本城の石垣は「清正流石垣」「扇の勾配」「武者返し)の石垣」などと称されます。 -
熊本市<熊本城?>
■熊本城天守閣
お城の石段を歩いてみると、とても歩きにくいことに気付きます。段の高さと奥行きが少しずつ変えてあるのです。
これは意図的に配置されたもので、歩幅をわざと変えさせ、スムーズな進軍を阻止するためです。 -
熊本市<熊本城?>
■数寄屋丸近くの登城路 -
熊本市<熊本城?>
■梅園より天守を望む -
熊本市<熊本城?>
■城内に咲く梅
春ですねえ。 -
熊本市<熊本城?>
■二様の石垣(にようのいしがき)
石垣の傾斜の違いが一目瞭然、隅石(すみいし)の積み方の違いを比較できる場所です。 -
熊本市<熊本城?>
■二様の石垣
熊本城の石垣は全て「打ち込みハギ」という工法で積まれています。
この二様の石垣は同じ打ち込みハギでも隅石(石垣の角)の積み方に違いがあり、傾斜の緩い方は同じような大きさの隅石を使っています。 -
熊本市<熊本城?>
■二様の石垣
築城初期のものと思われ、傾斜が急な外側の石垣は、長方体の石の長辺と短辺を交互に組み合わせることにより、より急な角度を出すことができる「算木積み(さんぎづみ)」という工法が開発された後のものです。 -
熊本市<熊本城?>
ずいぶんと見学しましたので、そろそろ退城します。もと来た宇土櫓下の路を戻っていきます。
■宇土櫓
本丸の西北隅、20mの高石垣の上に建つ3層5階地下1階、地上約19mの櫓で、天守並みの構造と大きさを誇ります。 -
熊本市<熊本城?>
正面入口まで戻ってきました。
■宇土櫓と頬当御門(ほほあてごもん)
この門はお城を顔に見立てたとき、ちょうど顔の前に当てる甲冑(かっちゅう)の部品の頬当てに見えることから、頬当御門と呼ばれるようになったと言われています。 -
熊本市<熊本城?>
頬当御門から退城して、加藤神社前の外堀から宇土櫓を写。石垣が美しく立派です。
■宇土櫓
国指定重要文化財。
加藤清正によって1607年に完成。唯一の多層櫓で「三の天守」とも呼ばれています。 -
熊本市<熊本城?>
■加藤神社
熊本城本丸敷地内にある加藤清正公をまつる由緒ある神社です。 -
熊本市<熊本城?>
■加藤神社
明治4年(1871年)、現在の熊本城本丸と宇土櫓の間に「錦山神社」として建立され、その後、明治7年(1874年)熊本市京町へ、昭和37年(1962年)に現在の熊本市本丸に移りました。 -
熊本市<熊本城?>
■加藤神社
清正公の五十年の人生は、実に至誠にして高潔なる人格者であり、いつの時代に於ても尊崇敬慕されるにふさわしい理想的日本人でした。 -
熊本市<熊本城?>
■加藤神社
家内安全・商売繁盛・交通安全・必勝祈願・身体健全・神棚祓・転宅方災除・良縁成就・開運・除災招福・病気平癒・月参りなど なんでもあります。 -
熊本市<熊本城?>
あっ!巫女さんだ。
■加藤神社
毎年7月第4日曜日に開催される清正公(せいしょこ)まつりは、熊本の夏の代表的な祭りで、子ども等の「千人清正」などが街中を練り歩く神輿行列で賑わいます。 -
熊本市<熊本城?>
■加藤神社
境内からの熊本城の静観は、近望の名所として雑誌等に掲載される程に有名だそうです。が、この写真はブーです。 -
熊本市<熊本城?>
■加藤神社
木の股に祠が。開運とある。 -
熊本市<熊本城?>
■最後に春らしい熊本城の風景を写して
以上、熊本城旅行記?〜?を終了します。 -
熊本県阿蘇郡<阿蘇山>
■阿蘇遊覧ヘリコプター
熊本城をあとにして、次は絶景の観光地「阿蘇」へ向かいました。遠い昔の想い出がたくさんある地です。
絵は阿蘇山遊覧ヘリコプターが離陸した瞬間の1コマです。 -
熊本県阿蘇郡<阿蘇山>
■世界一の阿蘇
阿蘇山の雄大な景色を堪能してきました。
▼旅行記は、次ファイルへ続きます。
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