2008/03/13 - 2008/03/13
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こまちゃんさん
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天壇にある五組建築のうち、最後の壇廟「神楽署(別名:天壇道院)」へやって来ました。
ここは音楽堂ですが、当時の皇帝音楽家育成所的な場所でした。
北京にある他の壇廟で演奏する楽団員も、全てここで養成され勉強したそうです。
では、どんな所か入ってみましょう!
-
この楊樹の植えられている公園エリアには、2人のご老人が、それぞれお孫さんを連れて来ています。
こちらでは、殆どの夫婦が、自分の親に子供を預けて共稼ぎですから、こう言う家庭環境は本当に多いようです。
爺ぃの息子は、子供を面倒見て貰うための家政婦を雇ったのですが、乳幼児の場合「3500元/月」も取られていました。(@@; -
なので、出産後の1ヶ月だけにして、後は奥さんに休みを取らせ、実家へ帰って面倒見る事に。
この家政婦費用、奥さんの給料より高いんです…。(^^;ゞ
ここで見た2人はかなりの高齢の方ですが、家で面倒を見るより、外の方が良いのでしょうか?
来るだけでも大変だと感じますが…。 -
などと考えているウチに、到着しました「神楽署」。
当時の皇室御用達音楽訓練校の様な所です。
シンプルな門構え。
他の壇廟とは、ちょっと別格という所でしょうか。
ただ、「楽」の文字は、当時の文字でお願いしたかったですね(当時、簡体字で有る訳無し!)。
この辺りのセンス、ほんの一寸頭使って欲しいものです。
こんな事くらい考えないのかなぁ・・・ -
チケットは共通チケットでスルー。
でも、ここからはいる場合もチケットは買えます。
やはり単独というのはなくて、斎宮との共通チケットになります。
説明書き。
やはり広州の企業からの寄付で出来ています。 -
説明を見ていると、後に何やら目立つ説明書きが見えました。
早速来てみると、
「侵華日軍細菌部隊遺址」
と書かれてあります。
嫌な予感がしながらも読んでみると、
日本侵略軍は中国に大規模な細菌部隊を形成。
総数は2万人を超えるモノ。
1938-1945年、華北を占領した日本軍は、その北部を納めるべく、1855部隊、又の名を細菌兵器研究所を設け、対外的には「華北軍防疫給水総本部」とし、場所は天壇の外苑に設立し、野戦用給水と伝染病の予防と称して看板を掲げ、細菌を持つ鼠と同じく蚤(ノミ)を培養し、細菌兵器の研究を進行した。侵華日本軍は、その試験で同時に、中国戦線にて実際に用いたり、甚だしくは、民間和平区に細菌を放ち、罪もない一般人に害を及ぼした。更に誰しもが指摘する事では、日本軍は殺人用細菌兵器の研究過程に於いて、執拗に中国人を「生体実験」に用いると言う冷酷な事をした。
大量の中国兵士外一般人民は、実験の対象として残酷な殺し方をされた。
過去は忘れず、その後の糧とす。
中国人民は永遠にこの日本軍の暴挙を忘れないと共に、永遠に日中両国の人民に友好をもたらす努力を
しよう!
中国人民の反日戦争と世界反ファシズム戦争の犠牲者の英雄達よ、永遠に焦る事なかれ!
(この説明を書いた人、漢文が余り上手くないですね…文節の区切り方が諄い割りには言葉足らず) -
こんな所に造ろうと考えついた当時の責任者の頭を疑います。
戦争は、当時としては避けられなかった事は歴史上の事実で仕方ないでしょう。しかし、世界でみても、地球上の歴史的建造物近辺で、戦渦を誘発することも考えずに行う事は卑劣です。日本人としてではなく、地球の歴史から見ても、財産を無くしかねない事には、極力手を架けない事が、戦争の条件だったと思います。
何はともあれ、争う事には何の意味もありません。
天皇を敬い、その命で戦っていると言うのであれば、尚更です。
最後に下した戦争放棄も、天皇は知らずに戦渦が低迷していた。そう言った中でどんな事が起こるか、遅ればせながら知った当時の天皇の判断は正しかったでしょうね。
でも、彼自身、自国の人材がそこまで体たらくしていたとは思わなかったと思います。
昭和天皇のドキュメントを見ましたが、彼が一生ああ言う生活を強いたのは、生きながらえながら罪に服せぬ苦労を感じました。
コロされれば報復する、占領されれば取り返す。
同じ事です。
こんな事していたら永遠に終わらない。
中国武道家の「霍元甲」、彼も争う事に意味がない事を悟り、精武門を建てました。力を誇示知らしめる事に何の意味もない事を、若かりし頃過度の暴挙を通じ、自分の罪、心の弱さに気付き、力を封じ込める事の大切さを知りました。
欲も怨みも、個人の手に置かない事が一番でしょうね。 -
立ち去ろうとした時、1人の若い女性が来たので、こまは足を止め振り返って見ていました。
ジッと読みふける彼女。
若い世代は、これを見てどう感じるでしょうか。
中国の教育環境からは、多分「反感」しか生まれないと感じます。
前事不忘,后事之師。
この部分を、心して読んで受け取って貰いたいですけどね… -
思いがけない事に遭遇し、少々意気消沈しながら広い広場を少し進み、更にあった楼閣をくぐります。
これはその内側。 -
そしてその園内を少し進めば、目的の音楽教育のお堂「凝禧殿」に到着。
http://www.bjd.com.cn/tpxw/200606/t20060612_26898.htm
北京の魂と言われる程、崇高な場所なんですね。 -
両方には、2体ずつ置かれた石碑。
その2つが折れ、内ひとつは半分が失われています。
文革でなったと思いたいです。
日軍の仕業ではない事を祈ります。
これはちょっと聞けませんでした。
ショックでしどろもどろになり、日本人と判ってしまう事を恐れてしまいました。
こう言う点は押しが弱いんです。 -
中和韶楽。
「韶楽」とは、古代中国の宮廷に伝わる音楽の事。
その調べが崇高に調和することを意味している。 -
その中のステージ側には、その韶楽演奏用の楽器が沢山並んでいました。
午前中、9時、10時、11時からそれぞれ20分間程、演奏が聞けるそうです。
午後は無し。
神楽署開放時間は、8時−17時。
シーズン中は18時まで。
でも、この時4時前なんですが、こまがここを見終えて出て行ったら、速攻でドアを閉めて鍵してました・・・
係員の態度は凄く良かったんですけどね。 -
向かい側の客席。
田舎の学校の集会堂みたいです。 -
この薄暗い部屋で木洩れ日を感じながら、当時の韶楽を聞いたら、気分は全然違うんでしょうね。
-
年代物の椅子のように見えますが、レプリカでしょうね…
演奏会でお客さんが使いますからね。
座席の小さなマットがかわいいです。 -
何故か、何かに緊張してて、スローシャッター撮影が上手く行きませんでした。
1/15位なので、自分1人しか居ませんし、本来なら余裕なんですけどね。
日軍の行為を知ったので、気持ちが動揺している感じ…
しかも、その現場で読みましたし。 -
玉振金聲、金玉生輝、色彩絢麗など、色々な形容がされているようです。
日本語読みでの理解は威厳さを欠きますね…(^^; -
綺麗な屏風。
韶楽に関しての歴史が書かれています。 -
入り口サイド、客席側の奥に並んでいた鐘。
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凝禧殿を出て、両側の展示堂へ。
楽器に関する展示が沢山ありました。 -
大正琴の大判のような琴。
実際に奏でる事が出来ます。
出来る人が居たら、この堂の中の気分を増す事でしょうね。
残念ながら、こまは打楽器出身です。 -
こちらにも琴。
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こちらにも。
部屋が違うのですが、琴の多いこと。。。
あ、オヤジギャグになってしまった・・・
無意識です。 -
琴の部屋全景。
奥の通路は、今通ってきた所です。 -
こちらには琵琶。
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楽器展示堂の外観。
右側は凝禧殿。 -
最初の楼閣門から楽器堂を見る。
園内はブロック敷きになって居るんですね。
中国では珍しいものではありませんが、何時も凄いなぁと思います。 -
凝禧殿の入り口の楼閣門。
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楼閣門の前に立ちはばかる壁碑。
何も書かれていませんし、何の彫刻もありません。
玄関側からの屏風状態になっています。
風水に関係するんでしょうね。 -
屏風壁碑から玄関門。
小堂はチケット売り場です。 -
だいぶんと日が傾いてきましたね。
夕焼けまでにはここを出ますが、6時半日没なのでまだまだ時間はあります。 -
玄関楼門の隅棟飾り。
あれ?「2個」ですね。
天辺のも含めて3個でしょうか?
ならば、他の楼閣のモノでそれらを足せば、偶数になってしまいます。?? -
では、東門経由で、夕陽を見るために紅橋市場の屋上へ出かけますが、そのに出口の東門周辺も見てみます。
-
意外だった神楽署、今度は演奏がある時間帯に寄せて貰います。
では、次の公園篇「東門周辺」へ続きます。
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