
2008/03/09 - 2008/03/12
485位(同エリア689件中)
MechaGodzillaⅢ&703さん
- MechaGodzillaⅢ&703さんTOP
- 旅行記1805冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 3,955,895アクセス
- フォロワー325人
<<九州縦断2200Kmの車旅>>
【巡航県経路】
広島→山口→福岡→大分→宮崎→熊本→鹿児島→宮崎→熊本→大分→福岡→山口→広島
●貴婦人橋
大分県宇佐市院内町
鳥居橋は院内町75基の石橋を代表する5連アーチの石橋で、細く長い橋脚から「石橋の貴婦人」とも呼ばれています。
名工松田新之助により大正5年7月に完成し、これまで多くの大洪水にも耐えたのは設計と技術の正確さを証明しています。
●下市磨崖仏・下市百穴
大分県宇佐市安心院町下市
室町時代初期の作。崖の東側に7体、崖が南側へ曲がる角に2体、南側の崖の上部に1体の仏像が彫られています。南側の崖の先には、下市百穴という横穴古墳群があります。
●楢本磨崖仏
大分県宇佐市安心院町楢本
室町時代の磨崖仏の特色を代表する史跡といわれています。縦4.5m幅40mの岩に、2段に彫られています。
3月9日:早朝5時20分旅立。
3月12日:深夜11時20分帰宅。
3泊4日:車中泊2日・Bホテル1泊。
総走行距離数:車移動2197Km。
今回の訪問観光地:40箇所くらいでしょうか。
写真枚数:1207枚。
※旅行記を仕上げるのも相当疲れそうです・・・σ(^_^;)アセアセ...
【手記】
55歳、かってのように平気で長距離走…って訳にはいかなくなっております。
1日500キロ走行の運転疲れのみならず、行った先々で歩く歩くの連続、ほんとチカレました。
古いアルバムを捲って…想い出さがしのひとり旅をつづけております。
かって家族で訪れたことのある場所を目的地として、愛車でのんびりゆっくりと巡航しながら「ひとり旅・旅行記」を作成しています。
妻との想い出がある場所へ行き、そこに立ちたい気持ち、元気なうちに自分の足跡を残しておきたいと言う気持ちでいっぱいです。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
-
大分県宇佐市<風土記の丘>
宇佐風土記の丘は、駅館川東岸の台地に広がる17万6千平方メートルの史跡公園で、3世紀から6世紀に造られた6基の前方後円墳を中心にした公園です。 -
大分県宇佐市<風土記の丘>
国の史跡である川部、高森古墳群を中心として遊歩道が整備されており、公園中心施設として「大分県立歴史博物館」があります。
-
大分県宇佐市<風土記の丘>
「大分県立歴史博物館」には宇佐、国東、大分県の歴史と文化を体系的に見ることができ、熊野磨崖仏の復刻や富貴寺大堂内部の復刻模型、臼杵磨崖仏の復刻模型などとともに、仏像や絵画が展示されています。 -
大分県宇佐市<風土記の丘>
駅館川右岸の川部・高森地区に19.2haの面積を誇る史跡公園。
赤塚古墳をはじめ3〜6世紀頃に築造された6基の前方後円墳など多数の遺跡が散在しています。 -
大分県宇佐市<風土記の丘>
●赤塚古墳
全長57.5m。3世紀末、大正10年(1921)発掘され、副葬品は、中国製三角縁神竜虎鏡1面、管玉3・鉄刀片3・鉄斧1 最古の前方後円墳の一つ。箱式石棺を持つ。
古墳の形に沿って10mほどの空濠。 -
大分県宇佐市<風土記の丘>
「大分県歴史博物館」
昭和56年秋に開館。博物館の周囲が宇佐風土記の丘として公園化されています。
★残念ながら館内は撮影禁止です。 -
大分県宇佐市院内町<貴婦人橋>
大分県宇佐市院内町院内ICのすぐ傍にある『鳥居橋』です。妻と二人で訪れた想い出のある橋です。 -
大分県宇佐市院内町<貴婦人橋>
日本一の石橋の町と言われる院内町には、江戸時代末期から昭和初期にかけて、74基もの石橋が架けられました。
鳥居橋もその一つで、橋脚の優美さから「石橋の貴婦人」と呼ばれています。 -
大分県宇佐市院内町<貴婦人橋>
この5連アーチ橋は大正5年7月に完成しましたが、地盤や水流に応じて、スパン長や橋の厚みが異なった設計となっているのだそうです。 -
大分県宇佐市院内町<貴婦人橋>
石橋の貴婦人とも呼ばれ、深い谷に点在する集落を5連のアーチがリズミカルに結んでいます。
橋長55・15メートル、橋高14・05メートル。 -
大分県宇佐市院内町<貴婦人橋>
すらっと伸びた優美な橋脚、気品さえ感じる「石橋の貴婦人」は人気がある代表的な石橋です。 -
大分県宇佐市院内町<貴婦人橋>
名工松田新之助により築造され、大正5年7月に完成し、これまで多くの大洪水にも耐えてきました。
このことは、当時の設計と技術の正確さを証明しています。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏・下市百穴>
●下市(しもいち)磨崖仏
下市(しもいち)磨崖仏は、安心院盆地の北端、三女神社参道入り口の熔結凝灰岩の懸崖にあります。
北東壁に7躯、南東壁に4躯、溥肉彫り、あるいは半肉彫りの尊像が11躯あります。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏・下市百穴>
●下市(しもいち)磨崖仏
半肉彫りという彫り方は楢本磨(ならもと)崖仏とよく似ているので室町期磨崖仏と考えられますが、南東壁の4躯の阿弥陀像は彫りが深く並びが平安後期以来の阿弥陀浄土への信仰を表しています。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏・下市百穴>
●下市(しもいち)磨崖仏
後世の信仰対象は、不動明王が中心で、乳が授かる生不動とも言われています。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏>
●下市(しもいち)磨崖仏
左から、不動明王、薬師如来。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏・下市百穴>
●下市(しもいち)磨崖仏
左から、阿弥陀如来、観音。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏・下市百穴>
●下市(しもいち)磨崖仏
妻と訪れたのは31年前のことです。2年前も訪れました。調べて、尋ねて、やっとのことで見つけた場所です。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏・下市百穴>
●下市百穴
下市の下市百穴は6世紀末から7世紀の横穴古墳といわれ、安心院盆地の北端、深見川に沿う不動山にあります。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏・下市百穴>
●下市百穴
大正時代の道路造成の時、かなりの数の古墳が掘り壊されましたが、市道の南下側から馬場橋の北側の川沿いに60基余が残っています。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏・下市百穴>
●下市百穴
古墳は,簡素なものですが、横穴の入口、いわゆる墓門が2段式・3段式に形よく作られています。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏・下市百穴>
●下市磨崖仏前の旧道
かってはこの道がメイン道路でした。31年前、道路脇に車を停めて、雑草におおわれた湿地を歩いて行き、妻と磨崖仏を観光したことを記憶しています。 -
大分県宇佐市院内町<下市磨崖仏・下市百穴>
●安心院観光協会
今回も立ち寄らせていただきました。 -
大分県宇佐市安心院町楢本<楢本磨崖仏>
●楢本磨崖仏
室町時代の磨崖仏の特色(かまぼこ型、半肉彫り)を代表する史跡といわれています。 -
大分県宇佐市安心院町楢本<楢本磨崖仏>
●楢本磨崖仏
不動明王。応永35年(1428)室町時代の墨書銘が不動明王の右上の方にあり、昭和32年県指定文化財となりました。
ここには写っていませんが、下段に十二神将があります。 -
大分県宇佐市安心院町楢本<楢本磨崖仏>
●楢本磨崖仏
左は仁王、右は多聞天。 -
大分県宇佐市安心院町楢本<楢本磨崖仏>
●楢本磨崖仏
縦4.5m幅40mの岩に、2段に彫られています。 -
大分県宇佐市安心院町楢本<楢本磨崖仏>
●楢本磨崖仏
不動三尊(不動明王、コンガラ童子、セイタカ童子)、薬師三尊(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)の他十二神将や仁王、地蔵菩薩等、仏の世界を表現した曼荼羅となっています。 -
大分県宇佐市安心院町楢本<楢本磨崖仏>
●楢本磨崖仏
国道500号より新しい道路が通じており、入口から2分ほどで行けるようになっています。
【手記】
よく頑張っている平成3年9月式の愛車。新車から乗って16年半が経ちました。
いまだに好調ですが、なにぶん古い、ブレーキも甘い、しかしながら妻との想い出がぎっしり詰まっています。
いつまでも元気であってほしいものです。 -
大分県宇佐市安心院町東椎屋<東椎屋の滝>
楢本磨崖仏をあとにして、東椎屋の滝へ行ってみました。旅行記はまだまだ続きます。
●東椎屋の滝
宇佐市院内町からアフリカンサファリを通り、別府に続く国道500号線の途中にある東椎屋の滝です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
MechaGodzillaⅢ&703さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
30