2008/01/27 - 2008/02/13
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belleduneさん
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ガルダイアに滞在した時間の多くを銀行巡りで費やしたのですが、この町の銀行に関して詳しくなりました。
朝10時頃ホテルを出て、もう一度銀行へ立ち寄り、やっとアルジェリアン・ディナールを手にすることができました。円は換金に時間がかかるため、ユーロやドルのようにすぐにはできません。
この後、もう一度ホテルへ戻って、食事の代金を支払った後、次の目的地エル・ゴレアまで、今日は270キロの道程です。
エル・ゴレアに着いて、すぐシャルル・ド・フーコーが建てた教会、fratanite(友愛の家)を訪ねました。彼は、第1次世界大戦時に、ドイツ軍の扇動によるトゥアレグ族に襲撃され、少年の銃で亡くなります。タマンラセットで埋葬されましたが、1927年、エル・ゴレアに改めて埋葬されました。こうして、彼は大地の中に一粒の麦として埋められたのです。彼の死は、その全生涯を通して生命力に溢れた芽生えの準備だったと思われます。
パリのモンマルトルに聳える「聖心の大聖堂」入り口左側に、シャルル・ド・フーコー神父を描いたステンドグラスがあります。
この町は大手米石油会社があるので、地方出稼ぎ労働者が多く、また住民も雑多な種族なため、犯罪が非常に多いそうです。
予定していたホテルEl Boustanが改装中で閉鎖していたので、カビール人経営の小さなホテルに泊まりました。暖房のある部屋でしたが、ベッドの毛布は虫がいそうだったので、コートを掛けて寝ました。やっぱり寝袋を持ってくればよかった。
朝食前にちょっと町を散歩しましたが、すぐ傍が大砂丘なので、砂が道路にまで押し寄せてきていて、私には嬉しい!
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 航空会社
- アルジェリア航空
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ガルダイアの町を出ると、暫くこんな感じの土漠が続きます。
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30分位して砂丘が目近かに迫ってきます。
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その後は砂混じりのあまり綺麗な景色ではありません。
遠くに見えるのが、Grqand erg occidentalです。 -
小石が多く見られる辺りは、OUEDといって水がある時の川です。
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砂漠と一口に言っても、土漠、砂丘、岩だけの山など色々あります。
北極、南極も英語のdesertの仲間です。 -
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140キロ位で走って、約2時間半。
エル・ゴレアの町が見えました。
アルジェリアの人は、El Meniaa(エル・メネア)と呼んでいます。 -
ホテルEl Boustanが閉鎖だったため、このvieux Ksarに泊まりました。
右の人がカビール人の主人。
郊外に広大な塩湖がありますが、現在治安が悪いため、行けないというと、後で写真をメールで送ると言ってくれました。 -
正面奥に見えるのが、フーコーの建てた教会、友愛の家(fratanite)です。
フーコーと言っても、振り子のフーコーではありません。 -
1938年に完成した教会はローズ色の壁が美しい
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教会内の壁にCharles de Foucauldの手紙のコピーが何通か展示してありました。
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フーコーはアルジェリア総督からベニ・アベス定住許可を受け取った後、1900年10月27日到着。
彼は、「司祭としてではなく、サハラのフランス軍基地内に身を落ち着け、そこで公的資格無しで自由な司祭として、毎日病院で病人を慰め、通夜をし、彼らが望むならキリスト教徒として埋葬することだ」と書いている。 -
1938年に教会内部も完成。
彼が書いた建築計画の図も残っている。 -
ベニ・アベスに到着してフーコーは唖然としたそうです。というのも、この荒野の地に福音を伝えるべき大勢の人が存在し、自分に課せられた重要な任務を認め始めたという。
初め彼が建てたのは、アラビア語で「カウア」、フランス語で「友愛の家(fratanite)」と呼ばれていました。 -
タマンラセットアルジェリア南部、ホガール山地)のアシュクレームで、1916年12月、フーコーが殺された時の経緯を記したもの
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フーコーは度々砂漠に長旅に出ていたという。
1888年2月4日に刊行された「モロッコの認識」子爵シャルル・ド・フーコー著、は単なる旅行記ではなく、地質学、地理学、天文地理学、人類学上から見た最も正確な科学参考文献であった。
青年貴族、騎兵将校のフーコーは、アラビア語とヘブライ語を習い、ロシア生まれのユダヤ人回教徒旅行者に扮して、1883年から1年間、生命の危険を冒して、モロッコの内陸部を最初に探検した。測量、観測やスケッチなどは誰もいない時に行い、すべて秘密裏に行った。
隠し持った5cm角の手帳、2cmの短い鉛筆、羅針盤、気圧計などを使ったという。
たった一人で既に作られていた700?の行程を完全なものにし、新たに2200?を付け加えた。 -
1905年4月13日にホガールのタマンラセットに到着し、翌日から自分の小屋を作り始める。周辺には、遊牧民、トゥアレグ族が住んでいて、針、薬、少量の麦などを貰いに来るのが習慣になったと書いています。
彼は、ヨーロッパで最初の「トゥアレグ語・フランス語 − フランス語・トゥアレグ語」辞典4巻の編纂をここで成し遂げている。 -
フーコーの足取り
1901年ベニ・アベス(Beni Abbes)に着く
1905年タマンラセット(Tamanrasset)に住む
1911年アシュクレーム(Assekrem)に住む
1916年トゥアレグ族に殺される -
フーコーの学術的活動
1886年 地理学会から金メダルを授与される
1888年 「モロッコ探訪」を出版する
サハラ一帯の近代化に興味を持つ
1911年 アシュクレームに気象台を建てる -
1902年12月8日付けのマリ−・ドゥ・ボンディ−(フーコーの叔母)に宛てた手紙
フーコーの1日のスケジュールです。
朝3時に起床。
8時まで お祈り、日の出時にミサ。
8時〜10時 (A)まず聖具納室で仕事の後、庭仕事。
10時〜12時半 お祈り、読書、昼食。
12時半〜4時半 (A)
4時半〜夜8時 お祈り
8時〜 就寝
夜11時〜朝1時 お祈り
朝1時〜朝3時 就寝
その間、多くの将校、兵士、アラブ人、貧しい人達が訪問するため、彼は自分の時間があまり持てないと書いている。30〜40人の旅行者を迎え入れ、10人〜15人に薬を配り、1日に75人以上の人に大麦やナツメヤシ等の施しを与え、友愛の家で60人程の人と会っていた。
この間に福音の黙想、神学研究の読書、新・旧聖書の読書を日課としていた。を -
1911年10月19日付け アシュクレームで マリー・ド
ゥ・ボンディ−に宛てた手紙
彼女がフーコーの健康、特に食べ物を案じていることへの返事。
アシュクレームは、一面岩山だけが続いているところなので、畑が作れないため、彼は16ヶ月分の小麦粉、クスクス、ナツメヤシ、コーヒーを運んできたと書いている。
また、彼女から紅茶、ミルク、チョコレート、マギーのポタージュを送って貰ったが、若い時に料理を習っておけばよかったと後悔しているのが可笑しい。 -
祭壇方向を見る
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教会内部・祭壇上部
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中央身廊・天井部分
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左部分に見える、壁に取り付けられてあるものは、イタリア、ラヴェンナの神父から1975年にフーコーの功績を称えて送られた金属製のレリーフ
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教会の入り口に向かって見る
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このおじさんがこの教会の番をしている。以前は自由に出入り出来たたそうですが、泥棒が何度か入ったため、今は鍵が掛っている。
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周りは何もないところで、本当にぽつんと建っているという感じです。
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教会横にあるシャルル・ド・フーコーのお墓。
タマンラセットで殺され、一旦埋葬されたのだけれど、ここに1927年改めて埋葬された。
Dans l'attente du Jugement de la Sainte Eglise
Ici reposent Les restes du Serviteur de Dieu
Charles de Jesus Vicomte de Foucauld
1858 - 1916
ひと粒の麦が死ねば.... -
昔の古いクサールへ上ってみました。
この旅行中に訪れたクサールでは、一番規模が大きいものでした。 -
アルジェリアは落書きが多く、非常に残念なことです。
このクサールは、Taourirt(要塞の意味)と呼ばれ、9世紀と10世紀の間に、ベルベル人のZenet族の一派によって造られた。 -
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上に上がると、もう壊れていて建物の面影は殆どありませんでした。
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エル・ゴレアの町の至る所に、水路が整備され、灌漑用水路も畑、ナツメヤシを潤しています。
所々に無料の洗車用水場もありました。
エル・ゴレアと言えば、ミネラル・ウォ−ターで有名です。 -
向こうに見えるのは、飛行場の柵です。
ここ、エル・ゴレアには、小規模の飛行場がありますが、現在エアー・アルジェリアの定期便は飛んでいないそうです。
軍関係だけで、飛行場の写真は撮れません。 -
エル・ゴレアの町で、カフェに入り、コーヒーは不味いので、ミントティ−を注文したところ、この辺りは冬はミントが採れないため、粉のものを使っていてこれも非常に不味い。
冬でも、地中海沿岸では新鮮なミントが採れるので、例の美味しいミントティ−が飲めるのですが。 -
朝食前に散歩にでましたが、この建物右側がホテル、VIEUX KSARです。
部屋は安いので、それなりですが、中庭の窓を開けると果樹園や小さな畑があり、オレンジ、レモンが生っていました。 -
朝はやはり清々しいですね。
仕事に向かう人が車やトラック、自転車、バイクですれ違いざまに、「おはよう」と声を掛けたり、掛けられたり。
夜は流石出歩けなかったのですが、朝は良いですね。
イスラムの朝は早い。 -
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今日はティミムーンまで360キロの行程です。
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