2007/12/28 - 2008/01/04
191位(同エリア262件中)
きっちーさん
霧都賓館の小姐に教えてもらった通り、タクシーのお兄さんに『到 徳意大(?)炸遺跡』のメモをみせます。
「だいじょぶかなー。知ってるかなー」
コンシェルジェがネットで調べているぐらいだから、観光地としてはマイナーなのかも?
事前にほかのトラベラーさんから、教えてもらった場所とコンシェルジェが地図にマルしてくれた場所が同じなので、位置関係は問題ないようです。
「能不能?(大丈夫?ダメ?)」
ドッキドキですが、「行けるよ」と運転手さんがうなずいてくれるので、乗り込みます。
どんなトコなんだろう?
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- 中国国際航空
-
タクシーは河川沿いを軽快に飛ばし、どんどん市内中心部へむかって行きます。
新宿の高層ビル街のような一角で車をとめて、運転手のお兄さんが巨大なオフィスビルを指さします。
「あそこだよ、小姐」
ええ〜!
下町じゃないの?!
さすがに、67年もたっちゃうと雰囲気が変わっているとは思っていましたが・・。
ビルばっか。
どこに防空洞があるの??
「小姐あれだよ、ホラ」
目を凝らすと、ビルの下にぽつんとメトロの入口のような小さなかたまりが見えます。
あ!あ!
アレ知ってる。
ネットで見たよ。
重慶市が建てたっていう、記念碑じゃん。
あーそか、十八梯に建ててたのか。
運転手さんにお礼を言って、タクシーを降ります。 -
『6・5隧道惨案旧跡』
プレートを読むと、2002年1月20日に建てられたようです。 -
1938〜1943年“陪都”重慶に、日本軍による空爆が行なわれました。
『行了五年野蛮空襲』・・重い言葉です。
1941年6月5日の晩、5時間にわたる『“疲労”爆撃』。
この空襲によって、防空洞に避難した住民のうち、約2500人が窒息死します。
『6・5大隧道惨案』と呼ばれる事件です。
注)“陪都”とは、国都に準ずる扱いを受ける都市のコト。 -
この小さな記念碑というか、記念館は、エントランスがガラス張りで、シリアスな外装にくらべると、あかるい内装でわりと入りやすいかも。
開館時間は、9:00−12:00、14:00−17:30とあります。 -
なかは本当に小さいスペースで、休憩できるように壁の下部が突き出しています。
入場は無料。
受付で英語雑誌を読んでいた、大学生くらいの小姐が、「你好」と声をかけてくれます。 -
英語が通じるようなので、
「你好。キャナアイ、テイク、フォトグラフ?オーケー?」
例によって中学生が赤面しそうな英語でたずねると、ニッコリ笑ってうなずいてくれます。 -
三峡博物館に展示されていた写真もあるのですが、初見のもありました。
町が燃えあがっている写真は、背筋がぞっとします。
空爆っていうのは、まさに「無差別殺戮」なんだなあ、とため息がでます。
どこを狙っていようが、人が生活する都市に爆弾を落とせば、人が死にます。
直撃だけじゃなくて、火事や、倒壊した建物の下敷きになったり、運よく助かっても家族を失って貧困から亡くなる方もいるでしょう。
「誤爆だから」とか「工場があるから」で、人を殺すことが果たして許されるのか。
「差別」や「選別」すれば、いいですよってわけじゃなくて、そういう「誰であれ、そこにいる人間は殺してもかまわない」っていう考え方そのものが、サイコパス的というか、なにか決定的な隔絶を感じます。
以前、東京大空襲を経験された年配の方のお話で、「町が火につつまれたとき、煙だけじゃなくて、空気もうすくなって苦しかった」とうかがった事があります。
火の燃焼は酸素を消費するから、「なるほど」と。
経験した人じゃないとわからない臨場感だなあと、そのときは思ったのですが、実際にそんな現場には立ちたくないし、誰かを立たせたいとも思いません。
この煙の下に立つという事がどういう体験なのか、写真を見ながらじっと考えていました。 -
中国で「ウーサン(5・3)・ウースー(5・4)」と呼ばれる、1939年5月3〜4日の日本軍機襲来後の重慶。
-
そしてこれが、私がいま立っている場所。
十八梯です。
1941年6月5日の窒息事件『6・5大隧道惨案』の写真です。 -
おっかない映像もメディアも、フィクションだってわかってるぶんには全然余裕ですが、実際に亡くなった方の写真は、見ているのがつらくなります。
北京の『中国人民抗日戦争記念館』にも、言葉を失うような写真が多くありましたが、ここでも直視するのは、勇気がいりました。
こんなことがあって、いまこの場所に自分が掴みかかられたり、ののしられたりせずに、立っていることが信じられません。
もちろん、私自身が彼・彼女達を殺した当人ではありませんし、同じ時代を生きて、この侵略戦争を支持したわけでもありません。
ですが、こういった写真を前にしたとき、二重の罪悪感を感じずにはいられません。
過去にこの事態を引き起こした日本に、生活基盤があり国籍を持っていること。
そして、被害やその家族の戦争が「戦後」になったと、感じられないこと。
「生まれてもいない過去の出来事」というのは簡単ですが、この写真に写っている人々の家族にとって、いまここに立つ自分は、ひとしく、親や姉妹や友人を殺した「日本人」に違いないのかもしれない。
そう考えるとつらくなります。
それでもつらいからといって、相手との対話を無視しあり拒絶することは、ちがうと思うし、どこに住んでいたって、生きてる時間が違ったって、やっぱりこんな非道は許せないと思う。
そんなことが、ぐるぐる頭をまわります。 -
いっぽうで、『日本軍の残虐さをいうなら、元寇はどうなんだ。あれだって侵略じゃないか』みたいな、『中国だってやったじゃないか』系の主張があります。
これは、酒井直樹さんが、「歴史を国と国とで貸し借りなしの『貸借対照表』」(『死産される日本語・日本人』)と、絶妙な表現をされていますが、まさにその通りで、誤りだと思います。
『かつて中国は日本列島にやってきて、残虐行為をした』→『だから、日本が中国へ侵略したって仕方ないじゃないか』といった相対的な表わし方は、一見フェアに感じますが、よく考えるとおかしなたとえです。
元寇と重慶爆撃を考えれば、ここで殺される人たちは、時間的にも地理的にも行政的にも、まったく関係のない人々です。(元の兵隊が重慶にいることは、ありません)
『いま、中国の領土に含まれる地域の連中の先祖が、いま自分の国籍がある、日本の領土になっている地域で、むかし侵略をしかけてきたから、やりかえすのはフェアなことだ。自分の直系の先祖が、かつてそこに住んでいたか、殺されたかは、定かではないが』という奇妙な主張です。
上記は、『やられたから、やりかえす』という当事者同士の「復讐の論理」ですらありません。
私にとって侵略戦争や残虐行為は、地域や国を越えて、ひとしく非難されるべきものなんじゃないかなと、考えます。
アウシュヴィッツ、チベット、パレスチナ、イラク、アフガニスタン、北朝鮮での人権侵害を非難する基準は、日本にも適応されて然るべきだと思います。
つねに例外アリの基準なんて、だれも相手にしてくれないと思うから。 -
にしても、自分は日本に対してゆるいよなと、思うことがよくあります。
「ウチのことだからいいんだ」と、ほかの国の人に対して同じ基準を使わない、そのゆるさがまんま、相手に対する「差別」なんだと思います。
この小さな展示室には、かなり生々しい写真もあり、私はそれを小姐の好意で、すべてカメラにおさめさせて貰いながら、しかし、アップすることが出来ませんでした。
むごい写真でも、それが自分にとって大切な人ならば、それは『残酷な写真』というだけでは、ないでしょう。
空爆を受けた側の気持ちを共有したいと願い、出来ないことを知っていながらも、少しでも近い位置にいたいと思います。
救助活動の写真でしょうか。
担架にのせられている人の中には、すでに亡くなっている方もいるかも知れません。
空爆がなければ、もしかしたら孫にかこまれていたかも知れない人たちです。
私は宗教を信じないので、信仰の対象への平和の祈りが物事の解決につながる、という考え方は、できません。
なにか、自分できる行動を探そうと、自分を囲む無数の写真を前に思いました。 -
受付では、先ほどと変わらず、小姐が英文雑誌を静かにめくっています。
「解説パンフレットないかなー」
のぞき込むと、パンフレットや書籍などは一切おいていませんが、訪れた人たち向けに小さな雑記ノートが、広げてあります。
三峡博物館ノートのように、『日本死ね』とか『この屈辱を忘れない』みたいな文章もあるのですが、同時に、ここでも『日本が好き』や『中日友好』という意見が書き込まれています。
どちらも、中国の人の『言葉』です。
その『言葉』に答えたくて、とまどいます。
三峡博物館ノートには、書き込みをしてきたのですが・・。
「こっちも書こうかどうしようか」
まよっていると、気づいた小姐が顔をあげます。
「あ、えーと・・」
なにか言おうと口を開きますが、言葉が出てきません。
笑顔をうかべて言葉を待つ、優しい雰囲気にはげまされ、ようやく、場渡り的に「アンダーグラウンドは、どこから入れるのですか?」とたずねます。
「そこの階段の下です」
私の文法として成り立っていない英語にも、落ち着いた様子で、彼女が答えます。
入口の左側に看板があり、その下に地下へ続く小さな階段があります。 -
これが、十八梯防空洞の入口。
写真ではわかりませんが、きちんと整備されたようで、むかしの写真とは全然かわっています。
そして、ふつうの玄関と同じくらいで、とても小さい。
(イヤ、うちの玄関が小さいだけで、大きいおうちもあります)
事件当時のかたちと違うんだというのは、頭ではわかっているのですが、
「入口に、酸欠を起こした大勢が押し寄せて、パニックがおきた・・・」
そのようすが、三峡博物館のあの彫刻とダブって、涙がでそうになります。
「どうして、防空洞の人たちは出られなかったんですか?」
首をかしげる小姐に問いかけて、その質問の馬鹿馬鹿しさに、顔が赤くなります。
あたりまえです。
外では、日本軍の空爆が行なわれているのですから。
出られるわけがありません。
中にいれば酸欠で死に、外に出れば無差別空爆にさらされる。
なんてバカな質問をしているんだろう。
しかし、小姐は少し違う意味にとったようです。
「地下はとても広く、たくさんの人が避難できました。
けれど、入口がとても小さかったので、酸素がなくなって、外に出ようとしても、できなかったのです」
すらすらと英語で解説してくれる、彼女のわだかまりのない様子に、不思議な感覚をおぼえます。
ここの仕事をしてるのって、どんな感じなんだろう?
彼女は日本を、日本人をどう思うんだろう?
彼女の祖父母が幼い時代の、出来事だと思うけど、重慶爆撃をどう考えているんだろう?
きいてみたい事がたくさんあります。
けれど、中国語にしても英語にしても、私は満足のできる彼女との『共通の言語』をまだ持っていません。
私が口にできたのは、たった一言です。
「Thank you」
小姐が、ニッコリ笑います。
ガラス戸を押して、おもてへ出るとき、入れ違いに大声で会話しながら、地元のおばさん達が、なかへ入っていきます。
小姐は、先ほどと同じように、受付で英文雑誌に目を落としています。 -
記念館を出て大通りを渡ると、巨大なビルのした。
コンクリート色の壁は、周囲にとけ込み、何も主張していないかのようです。
その姿はあまりに小さく、行きかう人はだれひとり、気にとめるようすもありません。
けれど、ここが記憶の場所なのです。
空爆の記憶をとどめ、私の記憶に刻みつけられた場所。
来て良かったなあと、ホッと息をつきます。 -
戦争というのは、『国家』の外側と、協力しない内側にもふるわれる、暴力だと思います。
日本の侵略戦争は、中国については『宣戦布告をしていないから、事変であって戦争ではない』という意見もあります。
しかし、国家ぐるみで軍隊を送り込み、地元の人達を殺戮し、「敵兵がいるから」「軍事工場があるから」と地域をまるごと空爆する、これのどこが「戦争でない」のでしょうか。
むしろ、宣戦布告(もしくは開戦宣言)をせずに他国の領土へ侵攻し、市民を殺傷する行為こそ、重大な国際犯罪だと思います。
「戦争でないから、事変であるのだから。民間人や、まして兵士相手なら武装解除していたって、いつ抵抗にあって、こっちがやられるか分からない。だから殺しても問題ない」という主張なら、相容れないものを感じます。
ところで、『宣戦布告をしていないから、戦争ではない』っていうのは、リクツ的にも無理があって、日本はポツダム宣言を受諾したとき、『無条件降伏』の相手として、中国を入れています。
敗戦処理にあたった首相、東久邇稔彦も、『帝国ハ米英(ソ)支四国ノ共同宣言ヲ受諾シ、大東亜戦争ハ非常の措置ヲ以テ其ノ局ヲ結ブ』と明言しています。
つまり、『宣戦布告』をしていなくても、『戦争に負けた相手国』に中国が入っているのは、日本政府の国際的な公式見解なのです。
そこを無視して、「戦争じゃないんだー。事変なんだー」というのは、やっぱ無理があるかな。 -
お正月の中国旅行を終えて、こうして旅行記をつれづれなるままに書いています。
旅は終わっても、いや終わったからこそ、中国関連のニュースが気になってしまいます。
ここ連日、チベットでのニュースが流れています。
チベットと中国の関係について、本格的に勉強したわけではないので、歴史的な経過については簡単な概要しか知りません。
けれども、三峡博物館の展示にあったように、いろいろな『民族』が集まってひとつの中国を作っているんだ、という前提にたつならば、チベットの人たちのデモに、危害が加えられることは許されないと思います。
情報が飛び交っているので、デマと真実の区別がつけにくいですが、たしかなことは法を犯していない市民を拘束したり、人権が侵害されるようなことは、許されません。
『日本人』に対して、アイヌ・ウィルタ・ニヴフ・琉球・小笠原諸島の欧米系島民など、「少数民族」がいるように、圧倒的多数の「漢民族」に対して、少数の「チベット族」が『中国人』として暮らしています。
チベットの人々を国民国家の構成員とするならば、その人たちの権利は、中国のどこに住んでいる人たちとも同等に、保障されなければならないと思います。
「少数者(かれら)」として、国家の周辺部に置かれる人たちに対して行使される、「多数者(われわれ)」の暴力。
マイノリティーへの抑圧の問題は、いつも考えさせられます。
どうやったらなくす事が出来るのか。
すくなくとも、物事を暴力で解決することを容認しているうちは、決して終わらないと思います。
『言論や表現を弾圧する』という意味では、日本でもドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』が、国会議員の圧力によって、上映中止になるという、とんでもないことが起こっています。
右翼の街宣行動や上映館側の問題が問われますが、いちばんの問題は公開前の映画を検閲した、国会議員の責任が大きいと思います。
国民によって、日本国憲法を守ることを義務付けられている国会議員が(第99条【憲法尊重擁護の義務】 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ)、日中合作で合法的に制作された作品を、検閲し、上映中止に追い込むという、まさに『表現の自由』(第21条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する 2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない)を侵害したわけですから、これは裁判しちゃったほうがいいんじゃないかな、と思ったりします。
『日本は表現の自由が保障されている、ほかの国なんかよりよっぽど自由だ』と、楽天的にいう人もいますが、政治的発言をタブー視したり、気に入らない立場をとる相手に、嫌がらせや脅迫が行なわれる現状があります。
いつの時代にも「力で黙らせる」ことを主張したり、実行したりする人はいます。
けれど、どんな問題でも誰か傷ついたり、死んだりしない方法で、対立に着地点をつくること。そして、不正であるなら、それを突き詰め、正していくこと。
考えるのも行動するのも大変ですが、あきらめずに模索するモチベーションは、案外たやすく維持できます。
-
十八梯を背にして、真っ直ぐ伸びるストリートを、歩きます。
いや、タクシーで来ちゃったものだから、すでに帰り道が分からなくなっています。←いつもだろ
「と、とりあえず、大きそうな道を行こう。地図によると解放碑のすぐそばみたいだし・・」
あたりは、大きなビルばかりで、『下町の十八梯』なんて雰囲気ではありません。
どっちかといえば、新宿副都心あたりとか、ニューヨークとか(行った事ないけど)、ムダにビルが高いぞ、みたいな風景です。
三峡博物館でおみや購入した、重慶の古い情景をあつめたポストカードに、この地区のむかし写真がありましたが、全然変わっちゃってます。
そもそも、どっちに行けばいいのサ〜。 -
だてに方向オンチ歴を、誇ってはおりません!
十八梯を背に、ただまっすぐ進み、ひとつめの大通りを渡り、ふたつめを渡ったところで、見知った道を歩いていると、気づきます。
「おお、これガイドブックにも出ている、解放碑付近の飲食街じゃん」 -
きのう、散々ご飯を食べられる店を探しまわったのが、情けなくなります。
こんな近くにあったんじゃんっ。
買い食いできる屋台から、フードコート、ファーストフード店まで、何でも揃っている飲食街です。
銅像まで!
どうして見つけられなかったのかしら!
しくしく・・。 -
はい!
この『重慶好吃街』を、ま〜っすぐ行くだけで、『十八梯』に行けます。
『解放碑』のある十字路の、一本となりの道が、『重慶好吃街』になります。
あとは、、『重慶好吃街』を真っ直ぐなので、迷うこともないと思います。
大きい道路を2つ渡って、T字路についたら、そこが『十八梯』。
重慶におこしのさいは、ぜひ足を運んでみてください。 -
『重慶好吃街』を左におれると、解放碑が間近にみえてきます。
お正月飾りが心を沸き立たせる、歩行者天国。
解放碑のまわりには、ショッピングビルが立ち並び、いまはもう、老重慶の気配はありません。
この空を、戦闘機が鳥の群れのように並んで進み、そこからバラまかれる爆弾に、街が黒い煙をあげて燃えていくさまは、きっと地獄の蓋が開いたような世界だったんだろうな、と空を見上げます。
広島、長崎、チベット、アウシュビッツ、ベトナム、カンボジア、ルワンダ、パレスチナ・・。
たまたま居合わせた地域を生きる人々。
そこで過去に起きた、そして現在に起きつつある、非人道的な体験になんらかの気持ちを寄せることが、できるなら。
南京、重慶、朝鮮半島、沖縄、東南アジアの人々の苦しみにも、想像力を持つことができるはずです。
こうして、敵対することなく、中国の人たちと同じ路上で、すれ違うことができるのは、幸運だと思います。
とはいえ、ささやかな時代の運を、あてにしていてもしょうがないので、そこはやっぱり努力していく必要を感じます。
すべて前提となる、「どんな問題も、暴力で解決しない」という共通認識を、全力で作り上げていくことが、重要なのでしょう。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- okuyanさん 2008/05/19 12:26:52
- 大変興味深く読ませていただきました。
- はじめまして。okuyanと申します。
重慶大空襲のブログをとても興味深くじっくりと読ませていただきました。
すごく充実したご旅行だったようでうらやましい限りです。
私めもアジアやミクロネシアを旅行しているといろいろと戦跡を目にする機会がありますが、
そのたびに悲しいような心苦しいような複雑な心境になります。
そんなとき、現地の人々が笑顔で接してくれると少し癒されると同時にますます申し訳なく感じてしまいます。
もちろん、私めは戦争の当事者ではありませんが、今日の平和を享受する者としてそういう負の歴史も事実として知っておくべきだと思っております。
きっちーさんの旅の記録を読んで私めも重慶へ行きたいと感じました。
今後もちょくちょく寄らせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
謝謝!
- きっちーさん からの返信 2008/05/19 13:35:13
- RE: 大変興味深く読ませていただきました。
- okuyanさん、こんにちは。
書き込みをありがとうございます。
へたくそな文章でお恥ずかしい限りですが、読んでいただけて嬉しいです。
まだ書き終わりそうにないずるずる旅行記になっていますが、お正月を過ごした四川省であんな大地震が起こってしまい、自分の旅行に手を貸してくれた人たちが、大丈夫なのかどうかもわからず、なんとなく落ち着かない気分です。
重慶爆撃をテーマに行ってきましたが、今回の旅で成都も含め四川省全体が爆撃されていたことを行った後で知り、「うおっ、成都もかよ!」と非常にへこみました。
『癒されると同時にますます申し訳なく感じる』という、okuyanさんの言葉にとても共感をおぼえます。
知らないというのは恐ろしいです。
「やっぱ中国はいいよな〜。どこ行ってもみんな親切だし」なんてお気楽に旅したあとで、行ったさきの歴史を調べてみると、日本の侵略戦争の被害地があまりに多くて、接してくれた人たちが「日本人」であるわたしにどんな感情を持っていたかと考えると、何もできなくても、なにかひとこと謝れたのではないか、とふさいでしまうことも多いです。
戦後世代ですので当時のリアルな感情はわかりませんが、戦争の実態をみる事はこれからの戦争をさせないための原動力だと感じますので、また行きたいなと思います。
なんといっても、旅は楽しいですし。
ブログ、是非お邪魔したいと思います。
また宜しかったらおいでください。
失礼します。
きっちー
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