2007/08/09 - 2007/08/19
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sol0116さん
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セラ寺はチベット仏教ゲルク派の教祖ツォン・カパの弟子が1419年に作ったもの。
チベット第2の寺院でかつて仏教大学でもあった。
日本人にも縁の深いお寺で、
明治から大正にかけては2人の日本人僧の
河口慧海・多田等観が滞在して修行に励んでいたという。
河口慧海というと・・・
私、大阪人で大和川に程近い地域に幼少時から住んでいたので、
堺は近所だったおで馴染み深い街なんです。
「東洋のベニス」謳われた堺。
「偉大な堺の出身者」として「千利休」は超有名ですが、
以外に「与謝野晶子」「河口慧海」の名前が挙がるんです。
その河口慧海は慶応2年に堺に生まれる。
「釈迦一代記」の本を読み、今後の彼の一生の運命を左右する
ことになったらしく、
漢学・英語・聖書など勉強、
堺の小学校の教員なども経験し、
その後は23歳で上京し哲学館(現:東洋大学)入学。
そうして五百羅漢寺住職になったが僧籍を返還。
その後、仏教をもっとよく理解するのには、
既存の漢訳経典の他に、サンスクリット語の原典もしくは原典に最も近く忠実に翻訳されているチベット語訳経典が必要と感じ、ネパール・チベット入りを思い立ったらしいです。
下準備としてパーリ語を習び、32歳の時に神戸を出帆。
インドのダージリンへ行きチベット語を習得、
カルカッタからネパールを経由して、
日本を出て3年後の明治33年チベットに潜入できたらしです。
チベットの時は、他国と鎖国をしていたので、
中国の僧侶に変装し、6〜7千メートル級の山が連なるヒマラヤの道なき道を苦心の末えチベット北西原に入った後、
明治34年にラサに到達を果たしたそうです。
一時期セラ寺において学んでいたけど、
素性がばれそうになり明治35年に脱出。
なので、実は多田等観のほうが長く(約10年)チベットに留まっていたことになるんですよね。
(ダライラマ13世が派遣したチベットの高僧・留学生3人に日本語を教える事で反対にチベット語を習得してしまった等観は、
その後に動乱で帰国する留学生達と一緒にインドへ渡り、
そこで謁見した13世に気に入られて、
そのままラサへインドから変装1ヶ月の短期間でヒマラヤ越えしてしまったらしいです)
と言うことで・・・
ショットン祭りの定番コースの後半、
セラ寺へ向かう事にします。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 航空会社
- 中国国際航空
-
ちょうどポタラ宮横でセラ寺行き502番を付けたミニバスが車窓から見えたので飛び降りて乗換える。
順調順調
しかし、明け方の寒さが嘘のように日差しが暑い!
半袖一枚でも汗が流れてくる。
手には冬物のジャケットを握り締めて、
バスを降りた私はお寺の参道を進んでいく。
想像以上にこのお寺も大きい。 -
この暑さでお坊さんも日傘(雨傘??)でUVカット対策は怠りません。
-
-
地図を頼りにタンカ台の有る奥へと進んでいく。
道の傍らにある大集会殿へ入ると・・・ -
薄暗い本殿の中もびっしり坊主が対面式に何列かに分かれ座っている。
軽く百人以上は居てるのじゃないかしら??
目の前には、
他寺の坊主っぽい人が宝仏と高僧に挨拶をして、
その後、脇に平列している坊主一人一人に札を配っている様子。
お布施も露骨にすると・・・なんか俗っぽくて・・・なんだかな〜 -
周りを見ると写真撮影をしているのでOK??って思い、撮影していると・・・・
(金額書いた張り紙見えなかったし)
しばらくして、頭頂部〜後頭部にかけて激しい衝撃が!
「何が起こったの!!!」
びっくりして振り返ると・・・
大きな坊主が仁王立ちしている。
きゃあ〜 睨んでいるよ〜 もともとチベタンの顔って迫力有るうえにデカイから こぇ〜よ〜!
やっぱり撮影するには金が要るらしく、
金を払わず撮影している私を叩いて注意しているようだ。
(傍らの柱の上の方に中国語で「仏殿内撮影20元」と記入していた)
薄暗いし柱の上の紙なんて気づかないんだよ〜
しかし、レディーに対して無言で頭を叩かなくても良いのに・・・・ぶつぶつ -
これが叩かれた時にシャッター切った写真。
ブレブレじゃないか〜!!! -
学堂にはこのような御法神の絵がよく描かれている。
-
一番奥のタンカ台へ行ってみる。
セラ寺のタンカ台はデンブ寺のような岩肌に足場を設けて斜めに吊るし置きするタイプで無く、
衝立のようなコンクリートの壁に吊るすタイプのようだ。
あちこちで護摩が焚かれ
タンカの周りが白煙で色鮮やかな絵もよく見えないぐらいだ。 -
デプン寺に比べて小ぶりのタンカ。
中央に大きく刺繍されているのは弥勒仏。 -
お昼を過ぎているのでタンカにも容易に近づき触ることが出来た。
坊主も頭を殴っている様子もないし・・・(笑) -
タンカの一部
-
暑さで投げ入れられたカタを身体に巻きつけて
日焼け除けをしているのか?? -
ここでも後姿が大迫力の女性を発見。
気合の入った編みこみ髪型がレゲーみたいでカッコイイです。 -
タンカ台から見たお寺の敷地
-
色鮮やかなタンカが風で波のように揺れている。
-
せっかくなので土産にお守りなど買ってみる。
横では金に塗れた「な○ぐ○坊主」が・・・金の中に埋もれるようにしてお札を数えている。
なんか「金拝主義」みたいで・・・チベットのお坊さんって・・・ -
ここでも巡礼でやってきた尼僧達が
小道の脇に座り込み読経している。 -
マニ石
専門の彫り師が彫った供養物。
彫り師の個性でマニ石のデザインも色々。
観音菩薩に讃える念仏「オムマニペメフム」・経文・神仏の絵など有ります。
私は小さいのを買ってきて
自宅で文鎮代わりに使っています。 -
反射板で太陽光線を集めて加熱する。
日差しが強烈な上に標高が高く沸点が低いのでやかんの水も簡単にお湯に変る。 -
おとうさ〜ん!
いくら暑いからって・・・
我が子を抱えてそのまま蛇口に頭出して直接水浴びさせないでください。
なかなかワイルドです。 -
暑いけど・・・これも修行のうちですね。
小豆色の法衣姿が渋いです。 -
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何気な建物の装飾も芸術のような美しさです。
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どこを切っても絵になります。
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入口の像は地味目ですが、中には鮮やかな煌びやかな仏像が沢山有りました。
これは「十忿怒尊」の一つのようです。 -
中ぐらいの仏殿は大体こんな感じです。
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バター灯明が薄暗い部屋でゆらゆら・・・幻想的です。
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扉もアートです
セラ寺の有名なものに「問答」があるようで、
是非見てみたかったんだけど・・・
夕方3時過ぎまでガイドブック記載の問答場の中庭を探してみたけど・・・やっていない様子。
お祭りなんで修行はお休み??
その後は慌しくバス乗り場に戻り、ポタラ宮へ
但し、その前にもう一仕事。
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