2007/10/30 - 2007/11/10
7892位(同エリア8889件中)
明石DSさん
世界中の方々が
このアンコールワット前の木の下で涼む
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■アンコール・ワットに行く
3時に迎えに来てくれたC君と専用車に乗ってアンコール・ワットに向かった。
何故?アンコール・ワット遺跡観光は午後から行くのかというと・・・正面が西を向いているので太陽が午前中は写真を撮るのに逆行になるかということである。だから観光客は午前中にはトムに行き午後にワットに集中するようだ。
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環濠に架かった参道を歩む
この参道も修復済みとそうでない部分がある
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サリナ・ホテルから15〜20分で到着する。やはり観光客で溢れている。
アンコール・ワットは12世紀前半に30年余の歳月を掛けて建立されたそうだ。
日本では平安時代(794年〜1185年頃)中期なのか、1008年には源氏物語もほぼ完成らしいから、日本も中々高尚なる文明文化があり優雅な貴族の生活があったのだ。
木と石の違いはあるだろうけど、当時の日本美の美しさを思う。 -
やっぱり多くは修復済みの歩きやすい方を歩いてるな
左:修復済み
右:これから修復予定 -
11月末くらいから繁忙期だそうだ
もっともっと観光客は多くなるのか?
世界中何時からそんな豊かになったんだ -
アンコールワットには内戦時の弾痕跡が結構あった
こりゃあ当たりゃあ死ぬ -
修復後の柱にも弾痕っていうことは
内戦よりず〜と前から修復は行われていた -
高さ4mのヴィシュヌ神像
2004年に修復とある
ひっくり返っていたようだ。両足を鉄筋で繋いでいた
右に立っているのはガイドのC君 -
これが、ア、ア、アンコールワット(Angkor Wat)だ!
ヒンドゥー教三大神の中のヴィシュヌ神に捧げられた寺院であると同時に、
スールヤヴァルマン二世を埋葬した墳墓でもあった。
・・・とのこと -
上の写真はこの池の手前の此処で写す
撮影スポットなり -
修復中のアンコールワット
ここより入る -
第一回廊のレリーフ
今は手で触れることは出来ない・・・が
手で触れれる高さまでは磨きがかかっていた -
これぞ森本右近太夫一房が書き残した落書き
1632年1月3日:墨書
2007年−1632年=375年前
手の届かない場所に書いていたのは驚いた
踏み台を置いて書いたのか?
何でこんな場所に書いたのか?
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この遺跡で私が見たかったのは、寛永9年1月3日(1632年1月3日)に日本人、森本右近太夫・・・(父の菩提と母の後生の為、仏像四体を寄進。回廊には、日本語の落書きも残る。)が書いた落書きと、内戦時代の弾痕跡である。C君にも先に私の希望を言っておいた。
トムとワットは直ぐ傍だけど、トム遺跡には弾痕跡はほとんど見当たらず、ワット遺跡には沢山あるあるとのこと。その理由については聞き損ねたが、この遺跡の中にもどっちかが陣地を構築し戦っていたのか?それとも追われてこの遺跡に逃げ込み遺跡を盾に戦わざるをえないような状況になってしまったのか?
もっともアンコールの遺跡群は、日本やその他の外国の援助と協力で現在のように復興している。まだまだ修復過程の途中で、修復の終わりなどまだ遥か遠い先のようだ。その辺にもNoが書かれた崩壊した遺跡の石が点々と並べられ転がっている。今のような観光に耐え得る形に復元したのも最近のことのようである。
遺跡の所々に援助国の国旗が明記された看板が見受けられた。日本が一番多い。C君の口からも上智大学の協力でという言葉が度々出ていた。多くの観光客と共に参道を渡って入り口付近に近づいた時に、C君が「これが弾痕跡ですよ・・・」と教えてくれた。そこらじゅうに弾が当たって弾けた跡が残っている。昔からの柱だけではなく、修復したコンクリート製の柱にも多くの弾痕跡があった。
内戦の前から修復していたのだろう。
若いC君にポルポト時代のことを聞いたが、その「3年何ヶ月かの時代は地獄の時代だった・・・」と言っていた。彼に「家族で殺された者はいるのか?」との質問には「家族は殺された者はいないが、おじさんが餓死した」と言っていた。こんなに緑が豊富で食いものならどこにでもありそうなカンボジアでも餓死してしまうのが不思議といえば不思議だが・・・。
でも森林だらけでも人間の食える物というは限られているのだろうなあ。ニューギニアのジャングルで日本軍が食い物がなく栄養失調でバタバタ死んでいったように。
森本右近太夫の落書きも写真で見た通りだったが、右近太夫の書いた文字の上に又黒い線が書きなぐられてほとんど読めない。でも現地にいってこそ分かったのは落書きが柱の結構高い部分に書かれており、身長2mの者でも書けない位置にあった。
・・・と、いうことは台の上に乗って書いたのであろうけど、それをこの寺院の者が許したのであろうか?仏像四体寄進の価値は如何ほどで、その当時の森本右近太夫はこの地でどのように遇される存在だったのか?想像するだけでも面白いなあ。 -
日本人観光客には有名な落書きだろうけど
その他の国の観光客は??? -
あんな場所に書いてあります
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街道を行く・・・ではなく、回廊を行くです
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回廊に施されている物語を綴ったレリーフも精巧ではっきりと残っており、C君が説明してくれた猿軍団に助けられた王子の話なども面白かった。
アンコール遺跡に興味を持っている人にとっては7日間通し券(60ドル)を買って毎日来ても此処だけではなく、この近辺だけも各所に点在し、みんな見るのは中々大変な規模の遺跡群だ。
でも規模も大きく修復の成果で見ごたえがあり周囲の風景ともマッチして、世界中の人が訪れる人気観光地というのは納得できる。
私のような観光地にはあまり興味を示さないものでも、この遺跡周辺は来ても損はないところだろう。
時間的にゆっくり見て周り、それなりの写真も撮れて納得のアンコールワット観光だった。世界各地からの沢山の民族種族を一同に会してその行動の様を眺めているだけでも価値が十分ある。
アンコール白黄あれど黒は無く世界の現実如実に示す。 -
レリーフは今まで手の油で磨いていましたが
今は手で触れことは出来ません
何故でしょうか?
手の届かないところは磨けていません -
第三回廊への急階段
今までは登ることが出来ましたが
つい最近から禁止になってしまいました -
こんなことになっています
ロープが張ってあり進入禁止です -
第二回廊と第三回廊の間のスペース
一体、僧と白人女性、何語で話をしているのでしょうか? -
歩いていたら森本右近太夫の墨書が見えました
あんな場所のあの柱に書いています -
何処をどう歩いてこの場所に来たのか?
さっぱり覚えていませんが
絵画のように美しかったです -
逆光のアンコールワット
中々の雰囲気でした -
ここでも象は活躍してます
象に乗る人、乗らぬ人、その心は・・・?
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■夕陽のメッカ、プノン・バケン(Phnom Bakheng)山に登る
夕暮れ近くから60メートルくらいの高さの山の上に登って行く。
一応この山はアンコール三聖山の一つのようだ。その山の上にピラミッド式のプノン・バケン遺跡がある。登り口にはカンボジアの楽器で音楽を奏でている楽団があった。観光客からチップのような形でお金を集めているようだ。
私も¥5,000リエラ容器に入れると金額がちょっとこれでも多いのか?「ありがとう」という日本語が返ってきた。フフフ悪い気はしない。この楽団真っ暗になって山から降りて来た時もその暗がりの中でまだ引き続けていた。
今、写真で確認すると8名で何と彼らの前に義足が並んでいる。その時は気付かなかった。傷痍軍人なのか?地雷で障害者になった者が結成しいている楽団なのだろう。 -
登り口で最後まで音楽を奏でいた楽団
写真で見て初めて分かった
足がない
みんな障害者のようだ -
象には乗らぬが象のように歩く
象の鼻は何で長い? -
プノン・バケン
写真で今見れば結構高いなあ
現地で見た時はそうでもなかったのに・・・なんで?
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頂上に登るとピラミッド形式というだけあってその遺跡の上に登るには急な階段を登らなければ上がれない。私が登ろうとした時、カンボジアの老僧がみんなに支えられながら上から降りてくる途中だった。
下から見上げれば、建物で言えば3〜4階建て位の高さがあるように感じた。
その階段は超急傾斜で高齢者に大変だが、みんなここまで来てすごすご引き下がれないと仲間に支えられたりしながらでも登る人も多い。
みんな海外に来ればテンションもあがるのだろう。それも旅の楽しさの一つだと思う。 -
老僧を支えながら降りてくる一団と遭遇
お祈りに来るのであろうか? -
急なとこはホンマに急でっせ
-
周囲を見渡せばカンボジアならではの風景か?
ここが・・・。
高層ビル林立の風景に変わる前に人類は亡ぶのだろう -
50m四方の上に一体何ヶ国、如何ほどの人種がありや?
私に行動力と度胸と英語力あれば
走り回って一人一人に聞きたいけれど
ここはミニ地球上と化すのか否や? -
そりゃあこの場にいれば誰しも平和を感じるだろう
世界は一つ人類皆兄弟なんて能書きを垂れる輩もいることだろう
でも私の心は冷めてるぜ
そんなもん此処だけの寝言だと
そんな私の捻くれ度数は120%なのかも
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上に登れば360度の展望が開けてこの地の風景が一目瞭然の如くである。旅に出ればとにかく高いところから、彼の地の全体を眺めたいというのは誰しもあるだろう。
高い山並も無くビルも都会も見えず、緑に覆われた大地が広がっている。地球の温暖化も砂漠化も地球人口の増大も感じない緑一色の自然の大地がどこまでも続いていた。
そして30メートル四方のプノン・バケンの上部には、多種多様の観光客が入り乱れ、手に手にカメラを持って右往左往、仲間同士で遥かこのアンコール遺跡に観光に来た満足を語り合っているようだ。天気は良かったが雲もそこそこ多く、この時間にはちょうど地平線上には雲が垂れ込め夕陽はその姿を隠していた。
でも、誰しもそんなことは何処吹く風、ここまで来てこの景色を前にすれば十分だろう。私の旅は景色プラス人間ウォッチングだから、こんな狭いスペースでうごめく多人種の行動様式を観察するのは夕陽より価値がある。
様々な言語が飛び交っている。黄6白4、○は皆無。背の高いイタリア人らしき男二人が、記念撮影している女性グループの後ろにこっそりと立ち、驚かせていたり・・・。
赤ちゃん連れのフランス人夫婦と僧衣をまとったカンボジア僧が並んでみんなから写真を撮られたり・・・私も写した。ここは国際交流の場とも化していた。
夕陽が地平線間じかで、サービスなのか真っ赤な一部を雲間からチラッと出した。その時、みんなは総立ちになりカメラを向けていた。人間観察の感想は白黄ともこの場の行動様式は似た者だった。
夕陽が沈めば直ぐに暗くなるのでいっせいに帰路に着く。階段を降りるときは注意しないと転げ落ちて骨を折るだろう。
山を下る頃には懐中電灯が要るくらい暗かったがみんな黙々と歩いていた。用意周到で懐中電灯を持ってる者も何人かはいた。そしてその暗がりの中で、まだ登り口の楽団は奏でていた。
暗くなったアンコール遺跡を後にして、車は一目散にホテルに到着。今日一日付き合ってくれたC君、もう一生会うことのないだろう今日の出会いである。三男と同い年のC君にいささかの思いをこめてチップを渡し別れた。
好青年だった。6時半頃である -
この白人の言語はフランス語だった
こんな赤ちゃんを此処に連れて来るということは・・・。
カンボジアに暮らすフラン人夫婦ってことだろう
仕事なのか?
まさか本国からこんな赤子連れてはこまい
もし連れて来たのなら、人道に反する罪で逮捕だ -
観光用のアンコール・バルーンが見える
何々、一人15ドルってか
ふ〜ん、そうなん、なら乗ったらよかった。 -
地平線に沈む前に一瞬?夕陽が顔を出す
それと同時に人間が立ち上がりカメラを構えシャッターを押す
これは連動したものです
何の脚本もなく約束もなく誰が何を言わずとも、そうなります -
白も同じ人間なのだと分かりました・・・が
違うところもあります
油断大敵です -
悠久の歴史の中の一瞬を
50m四方の中で共に過ごすは何の因縁なり
名も知らず国も知らずただただ不思議としか言いようがない -
日本料理店
「茶輪 芭蕉」
大きな提灯が掛かっている
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■日本料理店での夕食
部屋でちょっと休憩し、晩飯を何処で食おうか考えた結果、日本料理を食いに行くことにしてガイドブックで近いところを探したら、「茶輪 芭蕉」という店が歩いて行ける所にあった。
日が沈めば直ぐに外はもう真っ暗である。街頭がほとんど無く・・・でも、まだ時間は早く、ホテルを一歩出ると運ちゃんたちから声が掛かるが「ウォーク、ウォーク」と歩くカッコウで腕を振りながら門を左折して通り過ぎる。
そして突き当りのタップ・ヴォン(Tap Vong St)通りを又左折し2百メートルほど歩いたらメーンストリートのようなシヴァタ(Sivatha St)通りに出る。そこには信号があり、角にガソリンスタンドがある。その信号を又、左折し、次に右折してSt・5という通りを行けば左手に「茶輪 芭蕉」がある。
7時頃ホテルを出て7時20分頃に着いた。
最初は分からず前を行きすぎ又引返し見つけた。外から店内はオープンに開け、暖簾と大きなちょうちんがぶら下がっていた。 -
日本人客3人と白人一人の先客がいた
足元に蚊取り線香を持って来てくれた
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入ると、先客は3名。座敷で食べながら大きな声でしゃべっている中年のおっさん、そして30代くらいの部下らしき男、と、そして30代くらいの女。日本人の三人。そしてカウンターには白人客が一人。
私はテーブルに座って、まず一服。若いカンボジア男性の店員がメニューを持って来た。うどんに丼もの とんかつ定食のようなものもあったと思う。私は親子丼¥4ドルとコーラ¥1ドルを頼む。
20歳の店員は英語を話しそうだが日本語は話せない。でも笑顔よしの愛想のいい青年だった。足元に蚊取り線香を持って来てくれた。
味はまあまあそれなりに、日本人のオーナーが作る日本料理だから。味噌汁の具の豆腐はちょっと違うけど・・・。この旅行で初めで最後の日本料理を食べた。
お金を払うときに日本人オーナーが出て来たのでちょっと話をした。
鹿児島から来て8年になるそうだ。日本の味はカンボジア人には丼ものは大丈夫だが、煮物のような微妙な味は駄目なようである。カンボジア女性との結婚は、やはり文化風習が違うので難しく、友人たちの現況を見てもそのように感じている・・・とのことだった。
シェムリアップに来て8年、観光客はサーズや、鳥インフルエンザの時は激減だったが、年々増えていてるとのこと・・・。
暗い中、目指す場所を探し当て腹も膨らみ満足しながら帰路に着いた。 -
シェムリアップで食う親子丼
それにコーラとは・・・。 -
20歳の愛想のいいカンボジア青年
日本料理の修業なのか? -
ホテルへの帰り道
メーンストリートでもこんなに暗いでっせ -
シェムリアップの夜道を歩くのは
つまづくので要注意でっせ -
雑貨屋の娘さん
何度か水とジュースを買いました
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■ホテルに戻る
ホテル近くの雑貨屋でジュースと水を買いホテルに戻った。このSajikoという果物ジュースが旨かった。
そして、ロビーの一角に設けているインターネット場で30分¥1ドル50セントでインターネットをし、部屋に戻る。8時40分
体調は大分良くなりホッとする。
さあ、明日はどうなる -
このジュースが旨かったです
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