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ハノイとシェムリアップを観光し思ったこと<br /><br />旅たち前<br /><br />2007.平成19年9月4日(火)<br /><br />■ネパールを又も断念<br /><br /><br />去年もネパールに行こうと思っていたが、今年もネパールは無理になった。 <br /><br />お金を出せば行けるのだが、ヤフートラベルの格安航空券も格安ツアーも、様々にあるが結局、バンコク〜ヤンゴンまでの座席に格安の空席がないということだ。 <br /><br />ツアーも航空券も10月、11月の毎日出発予定が書いてあるが全部一応書いてあって、急遽のキャンセル待ちくらいしかない。 <br /><br />結局、ハノイ〜シェリムアップ延泊8日間の旅に決定した。 <br /><br /><br />2007.平成19年9月6日(木)<br /><br /><br />■こんな旅になりました<br /><br /><br />四日の日に急遽決め航空券の手配も出来たようで、早速、申込金2万円を振り込み秋の海外旅行は決まった。 <br /><br />・・・・・・・・・・・・<br />ご旅行代金(基本):お一人様@¥72,000.−<br />1名様参加代金:お一人様@¥9,000.−<br />延泊代金(ハノイ):1泊@¥4,000.−<br />延泊代金(シェムリアップ):1泊@¥3,000.−<br />シングル料金(ハノイ):1泊@¥4,000.−X 3泊=¥12,000.−<br />シングル料金(シェムリアップ):1泊@¥3,000.−X 3泊=¥9,000.−<br />空港使用料:お一人様@¥2,650.−<br />ハノイ現地空港税:お一人様@¥1,730.−<br />燃油特別付加運賃:お一人様@¥17,500.−(予定)<br />合 計   ¥130,880.−  <br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /><br />♪*******************♪<br /> ツア−エンタ−プライズ株式会社<br /> 担当:松村 景子<br /> TEL:06-6375-3545/FAX:06-6371-2073<br /> 〒531-0072<br /> 大阪市北区豊崎3-4-14ショーレイビル5F<br /> E-MAIL: telosa2@tour-enter.co.jp<br /> H.P. : http://www.tour-enter.co.jp <br /> Blog : http://blog.livedoor.jp/tour_enter/ <br /> 土・日・祝日は、お休みを頂いております。<br /> 営業時間は、9:30〜18:00です。<br />♪*******************♪<br /><br /><br />この他にも、昨日アマゾンに地球の歩き方「ベトナム」「カンボジア」の2冊を注文し、今日届いた。 <br /><br />アンコールワットとカンボジア ¥1,764<br />地球の歩き方 ベトナム ¥1,764 <br /><br />小計: ¥3,360 配送料: ¥0 合計: ¥3,528 <br /><br />そしてカンボジアはビザ が必要なので郵送で取り寄せることにした。 <br /><br />返送料金も含めて¥4,600円也 <br /><br />すでに<br />130,880+3,528+4,600+320(振込み料金)=¥139,328也、ムムム <br /><br />まだ何の予備知識もないまま。 <br /><br />10月30日:ベトナム航空<br />949便 関空(発)18:55分〜21:50分(着)ハノイ <br /><br />11月2日:ベトナム航空<br />843便 ハノイ(発) 15:10〜17:50(着)シェムリアップ <br /><br />11月5日ベトナム航空<br />820便 シェムリアップ(発) 21:15(発)〜22:55(着)ホーチミン<br />940便 ホーチミン(発) 23:35(発)〜6日6:45(着)関空 <br /><br />全てフリーのツアーだから空港からホテル、ホテルから空港の送迎付きなだけで、中味はゼロだ。 <br /><br />まだまだお金も必要ってことだなあ。 <br /><br />何となく決めたが、あとの段取りは早い。<br />さあ、ハノイとシェリムアップに行こう! <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

ハノイ・シェムリアップへの旅

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2007/10/30 - 2007/11/06

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11

明石DS

明石DSさん

ハノイとシェムリアップを観光し思ったこと

旅たち前

2007.平成19年9月4日(火)

■ネパールを又も断念


去年もネパールに行こうと思っていたが、今年もネパールは無理になった。

お金を出せば行けるのだが、ヤフートラベルの格安航空券も格安ツアーも、様々にあるが結局、バンコク〜ヤンゴンまでの座席に格安の空席がないということだ。

ツアーも航空券も10月、11月の毎日出発予定が書いてあるが全部一応書いてあって、急遽のキャンセル待ちくらいしかない。

結局、ハノイ〜シェリムアップ延泊8日間の旅に決定した。


2007.平成19年9月6日(木)


■こんな旅になりました


四日の日に急遽決め航空券の手配も出来たようで、早速、申込金2万円を振り込み秋の海外旅行は決まった。

・・・・・・・・・・・・
ご旅行代金(基本):お一人様@¥72,000.−
1名様参加代金:お一人様@¥9,000.−
延泊代金(ハノイ):1泊@¥4,000.−
延泊代金(シェムリアップ):1泊@¥3,000.−
シングル料金(ハノイ):1泊@¥4,000.−X 3泊=¥12,000.−
シングル料金(シェムリアップ):1泊@¥3,000.−X 3泊=¥9,000.−
空港使用料:お一人様@¥2,650.−
ハノイ現地空港税:お一人様@¥1,730.−
燃油特別付加運賃:お一人様@¥17,500.−(予定)
合 計   ¥130,880.−  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

♪*******************♪
 ツア−エンタ−プライズ株式会社
 担当:松村 景子
 TEL:06-6375-3545/FAX:06-6371-2073
 〒531-0072
 大阪市北区豊崎3-4-14ショーレイビル5F
 E-MAIL: telosa2@tour-enter.co.jp
 H.P. : http://www.tour-enter.co.jp
 Blog : http://blog.livedoor.jp/tour_enter/
 土・日・祝日は、お休みを頂いております。
 営業時間は、9:30〜18:00です。
♪*******************♪


この他にも、昨日アマゾンに地球の歩き方「ベトナム」「カンボジア」の2冊を注文し、今日届いた。

アンコールワットとカンボジア ¥1,764
地球の歩き方 ベトナム ¥1,764

小計: ¥3,360 配送料: ¥0 合計: ¥3,528

そしてカンボジアはビザ が必要なので郵送で取り寄せることにした。

返送料金も含めて¥4,600円也

すでに
130,880+3,528+4,600+320(振込み料金)=¥139,328也、ムムム

まだ何の予備知識もないまま。

10月30日:ベトナム航空
949便 関空(発)18:55分〜21:50分(着)ハノイ

11月2日:ベトナム航空
843便 ハノイ(発) 15:10〜17:50(着)シェムリアップ

11月5日ベトナム航空
820便 シェムリアップ(発) 21:15(発)〜22:55(着)ホーチミン
940便 ホーチミン(発) 23:35(発)〜6日6:45(着)関空

全てフリーのツアーだから空港からホテル、ホテルから空港の送迎付きなだけで、中味はゼロだ。

まだまだお金も必要ってことだなあ。

何となく決めたが、あとの段取りは早い。
さあ、ハノイとシェリムアップに行こう!







航空会社
エアージャパン
  • 10月31日ハノイ:ホーチミン廟<br /><br /><br />2007.平成19年9月6日(木)<br />■大東亜戦争とインドシナ<br /><br /><br />以下↓Web参照 <br /><br />1940年(昭和十五年)、パリが陥落し、ドイツ肝いりのビシー政権が誕生すると、日本はそのビシー政権に、北部仏印に軍を出したいと通告した。 <br /><br />日本は当時、重慶の蒋介石政府にてこずっていた。重慶を落とすにはその糧道、いわゆる援蒋ルートを叩き潰すのが最も効果的で、それにはこの仏印進駐が作戦上どうしても必要だった。幸いというか、その仏印を握るフランスに同盟国ドイツの息のかかった政権ができた。友だちの友だちはみな友だちである。当然、友好的に受け入れてくれるものと考えた。 <br /><br />しかし、当のビシー政権を含めた欧米はそんな単純な受け止め方はしなかった。日本の仏印進駐は「十五世紀、バスコ・ダ・ガマの到来で始まった白人によるアジア支配に初めて亀裂を入れる」(英歴史学者クリストファー・ソーン)ことになるからだ。 <br /><br />ビシー政権は英国に置かれたドゴール仏亡命政権に泣きつき、ドゴールは米国に助けを求めた。米国はフランスに特使を派遣し、相談のうえでドイツを通じて日本に再考を促すよう働きかけた。 <br /><br />アジアの植民地は欧米諸国の大きな財産だ。「だれにも侵させない」という暗黙の了解があって、たとえお互い戦争していてもその点では助け合っていたわけだ。 <br /><br />しかし日本はそういう思惑にはまったく鈍感で、通告通りさっさと仏印へ向かい、国境にある仏軍の要塞から激しい砲火を浴びることになる。 <br /><br />かくて日本軍との間で戦闘が始まる。最初のうちこそ数倍の兵力を持つ仏軍の勢いはよかったが、やがて突撃を繰り返す日本軍の前に戦意を失い、ドンダン要塞は数時間で陥落した。日本側十五人、仏側四十人が戦死した。 <br /><br />この攻防を一人のベトナム人が間近で見ていた。道案内をした反仏活動家、陳中立(チャン・チュンラップ)である。 <br /><br />彼の知る故郷は仏植民地政府の下で百年悲惨のどん底にあった。人々は高額の人頭税に泣き、そのために十歳の子供が炭坑でトロッコを押さねばならなかった。人頭税だけでなく葬式にも結婚式にも課税された。 <br /><br />阿片も政府が売りつけ、国中に中毒患者があふれていた。「ニョクマムのビン法」というのもあった。ふたのない容器は非衛生的という口実で「仏製のビンを強制的に買わせて」(A・ビオリス著「インドシナSOS」)金を巻き上げていた。 <br /><br />人々は当然、反発するが、そうすれば植民地軍が徹底的に殺しまくり、首謀者はギロチンにかけ、生首を街中にさらした。 <br /><br />白人にはかなわない、というのが百年の歴史の教訓だった。その白人が今、自分たちと同じ肌の色の日本軍の前に逃げまどい、両手を挙げているのである。 <br /><br />陳はその場で同胞に決起を呼びかけた。あっという間に二千人が集まり、彼らはハノイの仏軍をやっつけに山を下りだした。 <br /><br />しかし、その数日間のうちに事情は変わっていた。ビシー政権は日本の進駐を認め、友好関係が樹立された。つまり日本軍は陳を支援できなくなっていた。「勝てる相手ではないと何度も忠告した。でも、白人には勝てないというのが迷信だと分かっただけでも大きな力になると笑って出ていった」とベトナム協会の西川捨三郎氏は当時を思いだしていう。 <br /><br />日仏の小競り合いと日本軍の勝利のニュースはすぐにタイにも伝わった。そして驚いたことに、英仏に領土を好き放題奪われてきた“おとなしい国”が突如、領土回復を図って仏印に攻め込んだのである。講和条約は東京で開かれ、タイは希望を一部かなえた。 <br /><br />オランダ領インドネシアにも同じ現象が起きた。この国の人々もまた百年、ご主人様の「ビンタにおびえながら働かされ、食事がきちんと与えられる刑務所の方がましとさえ考えていた」とR・カウスブルックは「西欧の植民地喪失と日本」の中で書いている。 <br /><br />その地で日本軍はあっという間にご主人様をやっつけてみせた。八万二千人の連合軍がこもるバンドン要塞はたった三千人の日本軍の前に降参した。人々は陳のいう「迷信」から覚めていった。 <br /><br />日本が敗れて消えたあと、戻ってきたオランダと人々は戦った。四年間戦って約八十万人が殺されながら、戦いを放棄しなかった。そして独立を得た。 <br /><br />引用:産経新聞(以上) <br /><br />

    10月31日ハノイ:ホーチミン廟


    2007.平成19年9月6日(木)
    ■大東亜戦争とインドシナ


    以下↓Web参照

    1940年(昭和十五年)、パリが陥落し、ドイツ肝いりのビシー政権が誕生すると、日本はそのビシー政権に、北部仏印に軍を出したいと通告した。

    日本は当時、重慶の蒋介石政府にてこずっていた。重慶を落とすにはその糧道、いわゆる援蒋ルートを叩き潰すのが最も効果的で、それにはこの仏印進駐が作戦上どうしても必要だった。幸いというか、その仏印を握るフランスに同盟国ドイツの息のかかった政権ができた。友だちの友だちはみな友だちである。当然、友好的に受け入れてくれるものと考えた。

    しかし、当のビシー政権を含めた欧米はそんな単純な受け止め方はしなかった。日本の仏印進駐は「十五世紀、バスコ・ダ・ガマの到来で始まった白人によるアジア支配に初めて亀裂を入れる」(英歴史学者クリストファー・ソーン)ことになるからだ。

    ビシー政権は英国に置かれたドゴール仏亡命政権に泣きつき、ドゴールは米国に助けを求めた。米国はフランスに特使を派遣し、相談のうえでドイツを通じて日本に再考を促すよう働きかけた。

    アジアの植民地は欧米諸国の大きな財産だ。「だれにも侵させない」という暗黙の了解があって、たとえお互い戦争していてもその点では助け合っていたわけだ。

    しかし日本はそういう思惑にはまったく鈍感で、通告通りさっさと仏印へ向かい、国境にある仏軍の要塞から激しい砲火を浴びることになる。

    かくて日本軍との間で戦闘が始まる。最初のうちこそ数倍の兵力を持つ仏軍の勢いはよかったが、やがて突撃を繰り返す日本軍の前に戦意を失い、ドンダン要塞は数時間で陥落した。日本側十五人、仏側四十人が戦死した。

    この攻防を一人のベトナム人が間近で見ていた。道案内をした反仏活動家、陳中立(チャン・チュンラップ)である。

    彼の知る故郷は仏植民地政府の下で百年悲惨のどん底にあった。人々は高額の人頭税に泣き、そのために十歳の子供が炭坑でトロッコを押さねばならなかった。人頭税だけでなく葬式にも結婚式にも課税された。

    阿片も政府が売りつけ、国中に中毒患者があふれていた。「ニョクマムのビン法」というのもあった。ふたのない容器は非衛生的という口実で「仏製のビンを強制的に買わせて」(A・ビオリス著「インドシナSOS」)金を巻き上げていた。

    人々は当然、反発するが、そうすれば植民地軍が徹底的に殺しまくり、首謀者はギロチンにかけ、生首を街中にさらした。

    白人にはかなわない、というのが百年の歴史の教訓だった。その白人が今、自分たちと同じ肌の色の日本軍の前に逃げまどい、両手を挙げているのである。

    陳はその場で同胞に決起を呼びかけた。あっという間に二千人が集まり、彼らはハノイの仏軍をやっつけに山を下りだした。

    しかし、その数日間のうちに事情は変わっていた。ビシー政権は日本の進駐を認め、友好関係が樹立された。つまり日本軍は陳を支援できなくなっていた。「勝てる相手ではないと何度も忠告した。でも、白人には勝てないというのが迷信だと分かっただけでも大きな力になると笑って出ていった」とベトナム協会の西川捨三郎氏は当時を思いだしていう。

    日仏の小競り合いと日本軍の勝利のニュースはすぐにタイにも伝わった。そして驚いたことに、英仏に領土を好き放題奪われてきた“おとなしい国”が突如、領土回復を図って仏印に攻め込んだのである。講和条約は東京で開かれ、タイは希望を一部かなえた。

    オランダ領インドネシアにも同じ現象が起きた。この国の人々もまた百年、ご主人様の「ビンタにおびえながら働かされ、食事がきちんと与えられる刑務所の方がましとさえ考えていた」とR・カウスブルックは「西欧の植民地喪失と日本」の中で書いている。

    その地で日本軍はあっという間にご主人様をやっつけてみせた。八万二千人の連合軍がこもるバンドン要塞はたった三千人の日本軍の前に降参した。人々は陳のいう「迷信」から覚めていった。

    日本が敗れて消えたあと、戻ってきたオランダと人々は戦った。四年間戦って約八十万人が殺されながら、戦いを放棄しなかった。そして独立を得た。

    引用:産経新聞(以上)

  • 10月31日ハノイ:ロンビエン橋<br /><br /><br />・・・・・・・・・・・ <br /><br />以下↓Web参照・・「明号作戦(仏印武力処理)」 <br /><br />1945年・昭和20年3月9日〜5月15日<br /><br /><br />1940年4月、ヨーロッパではドイツ軍がデンマーク、ノルウェーを占領、5月にはフランス国境を突破して進撃を開始。 <br /><br />1940年6月17日、フランス軍はドイツ軍に降伏する。 <br /><br />一方、日本政府はドイツ占領下のフランスで成立したヴィシー政府と協定し、軍を北部仏印にと進めた。 <br /><br />目的は交戦中の中国軍に対する援助ルート(援蒋ルート)の遮断であった。 <br /><br />翌1941年、日本政府はヴィシー政府に仏印の共同防衛と南部仏印の基地使用容認を要求、その結果、7月末、南部仏印に進駐を開始した。 <br /><br />仏印は、1941年12月開戦とともに進駐したタイ国とともに、大東亜戦争における日本軍の最も重要な作戦基地ないしは兵站基地あるいは海運中継地で、これらの機能発揮のためにもこの地域の安定確保が必要であった。 <br /><br />こうしてフランスの主権下にあったインドシナでは、日本軍の仏印進駐以降、日本軍とフランス軍との奇妙な共存が開始された。<br /><br /><br />1944年8月、連合軍がパリを解放し、ヴィシー政府が消滅すると言う事態を迎えると、日本軍にとって仏印各地に共存するフランス軍が、連合軍の侵攻に伴いいつ動き出すか判らない。<br /><br /><br />連合軍の攻撃に対するインドシナ防衛の第1段階として、これを事前に処置すべく発動されたのが、仏印軍の武力処理「明号作戦」である。<br /><br /><br />1945年2月28日、大本営は南方軍総司令官に対して3月5日以降武力を行使して仏印を処理することを命じ、第38軍は3月上旬作戦準備を概成した。<br /><br /><br />1945年3月9日午後7時(日本時間)、日本政府は松本大使を通じて、ドクー総督に対して軍隊を含む全機能を日本軍の統一指揮下に置くよう、通告を行った。<br /><br /><br />3月9日午後10時10分、北部仏印の一部において通信手の誤りからすでに攻撃の開始されたことを知った第38軍司令官・土橋中将は、仏印総督の回答を待たず1945年3月10日午後10時21分、全部隊に武力発動を命じた。<br /><br /><br />武力発動命令を受けた各部隊は直ちに行動を開始し、仏印全土にわたり一斉に武力を行使し既定目標の処理にあたった。<br /><br /><br />北部インドシナのハノイ、ランソン、中部インドシナのフエ、クイニョンにおいてはその抵抗が強く、ハノイ、ランソンは3月10日午後にようやく降服した状況であったが、南部インドシナでは大きな抵抗もなく処理が終わった。<br /><br /><br />3月10日、主要要地の仏印軍の処理をおおむね完了した日本軍は、引き続き交通要線上にある諸都市機関の占領、撤収を開始するとともに交通通信機関、施設の運営を開始した。<br /><br /><br />以上の処置を終えた日本軍は、直ちに奥地に逃亡した仏印軍の掃蕩を開始したが、逃亡した仏印軍は険峻な地形を利用して巧みに行動し容易に捕捉できず、他方、北部インドシナの北方ではヴェトミンが跳梁し始め、当初予定の4月上旬をもって作戦を終了することは困難であった <br /><br />当初の計画では約1ヵ月のうちに作戦を終了することになっており、作戦第1日から第3日までの第1期では主要地域の仏印軍の処理:作戦第4日から第10日までの第2期では、交通要線にある諸都市機関、保安隊の占領撤収:作戦第11日から作戦第30日までの第3期では、奥地に逃亡する仏印軍の掃蕩と計画されていた。<br /><br /><br />しかし日本軍にとって長く軍隊を分散配置することは不利であるのでその成果は必ずしも十分ではなかったが、戦局全般の情勢上、1945年5月15日をもって仏印軍の討伐を中止し、明号作戦を終了した。<br /><br /><br />土橋第38軍司令官は次期作戦準備とともにインドシナ統治の問題にも取り組むこととなった。<br /><br /><br />尚、日本軍の武力処理発動により、フランスの統治権が一時停止した好機に乗じ、インドシナ3国はそれぞれ一方的に保護条約を破棄して独立宣言を行った。<br /><br /><br />◆ヴェトナム:アンナン皇帝(バオダイ帝)<br />・・・・・1945年3月11日に独立宣言<br /><br /><br />◆カンボジア:シアヌーク・ノロドム国王<br />・・・・・1945年3月13日に独立宣言<br /><br /><br />◆ラオス:ルアンプラバン国王(ティアン・サバン・バタナ王)<br />・・・・・1945年4月8日に独立宣言<br /><br /><br />*引用参考文献 <br /><br />『戦史叢書 シッタン・明号作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室、朝雲新聞社、1969年12月) <br /><br />『フランス外人部隊』(柘植久慶 著) <br /><br />『前進か死か1【インドシナ】』(柘植久慶 著)          <br /><br />・・・・・・・・・以上、参照終わり <br /><br /><br /><br /><br />

    10月31日ハノイ:ロンビエン橋


    ・・・・・・・・・・・

    以下↓Web参照・・「明号作戦(仏印武力処理)」

    1945年・昭和20年3月9日〜5月15日


    1940年4月、ヨーロッパではドイツ軍がデンマーク、ノルウェーを占領、5月にはフランス国境を突破して進撃を開始。

    1940年6月17日、フランス軍はドイツ軍に降伏する。

    一方、日本政府はドイツ占領下のフランスで成立したヴィシー政府と協定し、軍を北部仏印にと進めた。

    目的は交戦中の中国軍に対する援助ルート(援蒋ルート)の遮断であった。

    翌1941年、日本政府はヴィシー政府に仏印の共同防衛と南部仏印の基地使用容認を要求、その結果、7月末、南部仏印に進駐を開始した。

    仏印は、1941年12月開戦とともに進駐したタイ国とともに、大東亜戦争における日本軍の最も重要な作戦基地ないしは兵站基地あるいは海運中継地で、これらの機能発揮のためにもこの地域の安定確保が必要であった。

    こうしてフランスの主権下にあったインドシナでは、日本軍の仏印進駐以降、日本軍とフランス軍との奇妙な共存が開始された。


    1944年8月、連合軍がパリを解放し、ヴィシー政府が消滅すると言う事態を迎えると、日本軍にとって仏印各地に共存するフランス軍が、連合軍の侵攻に伴いいつ動き出すか判らない。


    連合軍の攻撃に対するインドシナ防衛の第1段階として、これを事前に処置すべく発動されたのが、仏印軍の武力処理「明号作戦」である。


    1945年2月28日、大本営は南方軍総司令官に対して3月5日以降武力を行使して仏印を処理することを命じ、第38軍は3月上旬作戦準備を概成した。


    1945年3月9日午後7時(日本時間)、日本政府は松本大使を通じて、ドクー総督に対して軍隊を含む全機能を日本軍の統一指揮下に置くよう、通告を行った。


    3月9日午後10時10分、北部仏印の一部において通信手の誤りからすでに攻撃の開始されたことを知った第38軍司令官・土橋中将は、仏印総督の回答を待たず1945年3月10日午後10時21分、全部隊に武力発動を命じた。


    武力発動命令を受けた各部隊は直ちに行動を開始し、仏印全土にわたり一斉に武力を行使し既定目標の処理にあたった。


    北部インドシナのハノイ、ランソン、中部インドシナのフエ、クイニョンにおいてはその抵抗が強く、ハノイ、ランソンは3月10日午後にようやく降服した状況であったが、南部インドシナでは大きな抵抗もなく処理が終わった。


    3月10日、主要要地の仏印軍の処理をおおむね完了した日本軍は、引き続き交通要線上にある諸都市機関の占領、撤収を開始するとともに交通通信機関、施設の運営を開始した。


    以上の処置を終えた日本軍は、直ちに奥地に逃亡した仏印軍の掃蕩を開始したが、逃亡した仏印軍は険峻な地形を利用して巧みに行動し容易に捕捉できず、他方、北部インドシナの北方ではヴェトミンが跳梁し始め、当初予定の4月上旬をもって作戦を終了することは困難であった

    当初の計画では約1ヵ月のうちに作戦を終了することになっており、作戦第1日から第3日までの第1期では主要地域の仏印軍の処理:作戦第4日から第10日までの第2期では、交通要線にある諸都市機関、保安隊の占領撤収:作戦第11日から作戦第30日までの第3期では、奥地に逃亡する仏印軍の掃蕩と計画されていた。


    しかし日本軍にとって長く軍隊を分散配置することは不利であるのでその成果は必ずしも十分ではなかったが、戦局全般の情勢上、1945年5月15日をもって仏印軍の討伐を中止し、明号作戦を終了した。


    土橋第38軍司令官は次期作戦準備とともにインドシナ統治の問題にも取り組むこととなった。


    尚、日本軍の武力処理発動により、フランスの統治権が一時停止した好機に乗じ、インドシナ3国はそれぞれ一方的に保護条約を破棄して独立宣言を行った。


    ◆ヴェトナム:アンナン皇帝(バオダイ帝)
    ・・・・・1945年3月11日に独立宣言


    ◆カンボジア:シアヌーク・ノロドム国王
    ・・・・・1945年3月13日に独立宣言


    ◆ラオス:ルアンプラバン国王(ティアン・サバン・バタナ王)
    ・・・・・1945年4月8日に独立宣言


    *引用参考文献

    『戦史叢書 シッタン・明号作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室、朝雲新聞社、1969年12月)

    『フランス外人部隊』(柘植久慶 著)

    『前進か死か1【インドシナ】』(柘植久慶 著)         

    ・・・・・・・・・以上、参照終わり




  • 11月3日アンコールワット<br /><br />森本右近太夫の落書き<br /><br /><br />2007.平成19年9月10日(月)<br /><br /><br />■アンコールワットの落書き<br /><br /><br /> 1632年、今(2007年)から375年前に森本右近太夫一房がアンコールワットに書いた落書きが残っているらしい。是非本物を現地で見てみたい。 <br /><br /> ・・・・・・・以下、落書きの文言 <br /><br />「寛永九年正月初而此所来 <br />寛永九年正月初めてここに来る <br /><br /> 生国日本/肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫/一房 <br />生国は日本。肥州の住人藤原朝臣森本右近太夫一房 <br /><br /><br /> 御堂心為千里之海上渡 <br />御堂を志し数千里の海上を渡り <br /><br /> 一念/之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為 <br />一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清めるために <br /><br /> 其仏像四躰立奉者也 <br />ここに仏四体を奉るものなり <br /><br /> 摂州津池田之住人森本儀太夫 <br />右実名一吉善魂道仙士為娑婆 <br />是書物也 <br />尾州之国名谷之都後室其 <br />老母亡魂明信大姉為後世是 <br />書物也 <br /><br /> 寛永九年正月丗日」 <br /><br />・・・・↑以上 <br /><br /> その墨跡が中央回廊付近の柱に残っていて今でも見る事が出来る。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />--------------------------------------------------------------------------------<br /><br />2007.平成19年10月2日(火)<br /><br /><br />■ホテルも決まった<br /><br /><br />{2007年9月14日}・・・旅行社より以下のメールが来た。 <br /><br />さて、ご利用予定の便とホテルは以下のとおりです。 <br /><br />10月30日 VN-949 関空発18:50 ハノイ着22:30<br />11月2日  VN-843 ハノイ発15:10 シェムリアップ着17:05<br />11月5日  VN-820 シェムリアップ発21:15 ホーチミン着22:35<br />11月6日  VN-940 ホーチミン発00:10 関空着07:00<br /><br /><br />※前回、口頭でお知らせしたときより、スケジュールの変更が入っています。 今後もスケジュール変更や便の変更が入る可能性もございますので ご了承ください。 <br /><br />ハノイ:ATSホテル<br />    住所: 33B PHAM NGU LAO st, HANOI CITY<br />TEL: 84-4-824-3428 <br /><br />シェムリアップ:SALINAホテル<br />    住所: NO.125, TAPHUL VILLAGE, SIEM REAP<br />    TEL:855-63-380221 <br /><br />ハノイのATSはネットで自前で予約すれば一泊¥4320円。<br />シェリムアップのサリナ・ホテルは¥4300円のホテルだった。 <br /><br />全部フリーのツアーとは言え、ちょっとがっかり。でも、航空券から自前で購入しても総計にすれば変わらない値段になると思う。 <br /><br /><br /><br /><br />

    11月3日アンコールワット

    森本右近太夫の落書き


    2007.平成19年9月10日(月)


    ■アンコールワットの落書き


     1632年、今(2007年)から375年前に森本右近太夫一房がアンコールワットに書いた落書きが残っているらしい。是非本物を現地で見てみたい。

     ・・・・・・・以下、落書きの文言

    「寛永九年正月初而此所来
    寛永九年正月初めてここに来る

     生国日本/肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫/一房
    生国は日本。肥州の住人藤原朝臣森本右近太夫一房


     御堂心為千里之海上渡
    御堂を志し数千里の海上を渡り

     一念/之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為
    一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清めるために

     其仏像四躰立奉者也
    ここに仏四体を奉るものなり

     摂州津池田之住人森本儀太夫
    右実名一吉善魂道仙士為娑婆
    是書物也
    尾州之国名谷之都後室其
    老母亡魂明信大姉為後世是
    書物也

     寛永九年正月丗日」

    ・・・・↑以上

     その墨跡が中央回廊付近の柱に残っていて今でも見る事が出来る。








    --------------------------------------------------------------------------------

    2007.平成19年10月2日(火)


    ■ホテルも決まった


    {2007年9月14日}・・・旅行社より以下のメールが来た。

    さて、ご利用予定の便とホテルは以下のとおりです。

    10月30日 VN-949 関空発18:50 ハノイ着22:30
    11月2日  VN-843 ハノイ発15:10 シェムリアップ着17:05
    11月5日  VN-820 シェムリアップ発21:15 ホーチミン着22:35
    11月6日  VN-940 ホーチミン発00:10 関空着07:00


    ※前回、口頭でお知らせしたときより、スケジュールの変更が入っています。 今後もスケジュール変更や便の変更が入る可能性もございますので ご了承ください。

    ハノイ:ATSホテル
        住所: 33B PHAM NGU LAO st, HANOI CITY
    TEL: 84-4-824-3428

    シェムリアップ:SALINAホテル
        住所: NO.125, TAPHUL VILLAGE, SIEM REAP
        TEL:855-63-380221

    ハノイのATSはネットで自前で予約すれば一泊¥4320円。
    シェリムアップのサリナ・ホテルは¥4300円のホテルだった。

    全部フリーのツアーとは言え、ちょっとがっかり。でも、航空券から自前で購入しても総計にすれば変わらない値段になると思う。




  • 11月3日 シェムリアップの町<br /><br /><br />2007.平成19年10月23日(火)<br /><br />■ハノイ半日観光を申し込む<br /><br />30日の夜遅くハノイに着くので、翌日からの予定が何もないまま行くのは不安なので現地ツアーを申し込んだ。 <br /><br />ハノイ半日1名参加¥33ドル。 <br /><br />ホーチミンが1958年から1969年まで実際に住んでいたホーチミンの家<br />べトナム独立宣言が読み上げられたホーチミン廟<br />蓮の池に立つ寺で有名な一柱寺<br />ベトナムで最初の大学として知られる文廟<br />有名なオペラハウスとハノイ教会(車窓から)<br />ハノイ市街を代表する景色、ホアンキエム湖、湖に浮かぶ玉山寺<br />市民の生活があふれるハンザ市場 <br /><br />ホーチミン廟はメンテナンスの為に行けないそうだが・・・。<br />31日(水)当日朝、ホテルロビーに迎えが来て¥33ドル現地払いでOKとのこと、電話には日本人スタッフが対応してくれた。 <br /><br />TEL=0915761905(担当:山崎さん) <br /><br />TNKトラベルJAPAN <br /><br />■カンボジア・シェリムアップ観光の申し込み <br /><br />昨日、シェリムアップの旅行社にメールを送り、『アンコールワットとアンコールトム1日観光(昼食・バケン山より夕日鑑賞付)1名参加¥8,000円』の申し込み依頼をした。 <br /><br />ロコモトラベル <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />--------------------------------------------------------------------------------<br /><br />2007.平成19年10月25日(木)<br /><br /><br />■アンコールワットandトムへの一日ツアー<br /><br /><br />ロコモトラベルに¥8,000円入金し、今日以下のメールが来た。 <br /><br />・・・・・・<br />本日ご入金が確認されました。 <br /><br />あわせて、バウチャーを以下のとおり、お送りいたします。<br />内容のご確認をお願いいたします。 <br /><br />バウチャーは、予約内容と支払い済みの証明となりますので、プリントアウトをして当日ご持参下さいませ。チェックイン時、またご滞在中に何か問題がございましたら、バウチャーに記載の緊急連絡先までご連絡ください。 <br /><br />また、ご質問等ございましたら、 travel@locomo.com まで、いつでもお気軽にお問い合わせください。 <br /><br />では、お気をつけてお越し下さいませ。<br />ご旅行が素晴らしいものになりますことをお祈りいたしております。<br />弊社をご利用いただきましたこと、重ねて御礼申し上げます。 <br /><br />ロコモトラベル(ネット販売担当)<br />http://www.locomo.com/travel/<br />travel@locomo.com <br /><br />・・・・・・・・以上 <br /><br />入場料20ドルは別なので、日本円にすれば1万円を越える。<br />もっと安いツアーもあるが、これに申し込んだ。 <br /><br />それなりに値打ちがあるのかどうなのか?それも旅の楽しみの一つである <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />--------------------------------------------------------------------------------<br /><br />2007.平成19年10月28日(日)<br /><br /><br />■日本語ガイドの料金<br /><br /><br />ハノイのTNKトラベルJAPAN とシェリムアップのロコモトラベル に日本語ガイドの料金を問い合わせた。 <br /><br />回答はハノイのTNKは、ガイドだけの料金の回答はなく各種ツアーの申し込みという感じで分からなかった。 <br /><br />ロコモからは、以下の回答が来た <br /><br />・・・・・・・・・・<br />弊社へのお問い合わせありがとうございます。ロコモトラベルです。 <br /><br />ご希望の半日(5時間以内)の専用車両及び日本語ガイドの手配は可能でございます。また、女性のガイドのご希望をリクエストさせていただきます。 <br /><br />ご利用の時間帯がお決まりでしたらご連絡いただけますでしょうか。こちらのご利用はご宿泊ホテルよりのご出発及び終了時の送迎となります。もし、ホテルから空港までの送迎等のご希望がございましたらお知らせください。 <br /><br />なお、昼12時をまたいでのご利用は、5時間以内のご利用であっても1日料金(車両:\6,000-・日本語ガイド\7,000-)とさせていただきます。(車輌手配料金には、アンコール遺跡その他の入場料は含みません。)また、遠距離・悪路の遺跡や午前7時以前・午後9時以降に渡ってのご利用は、別途追加料金がかかります。詳しくは下記のページをご確認ください。 http://www.locomo.com/travel/other/price/ <br /><br />下記内容で、仮予約を行ないました。(現時点でのキャンセルは無料です。ご連絡/お振込の無い場合、自動的にキャンセルいたします。この仮予約によって、キャンセル料等をご請求することは一切ございませんのでご安心ください。) <br /><br />ご意向と異なっておりましたらお知らせいただけますでしょうか。 <br /><br />仮予約から7日以内、且つ催行日5日前までに、弊社指定口座(下記に記載)へのお振込をお願いいたします。お振込確認の後に、弊社より添付ファイルにてバウチャーをお送りします。お振込人名が異なる場合や、お振込日延期・ご予約内容の変更/追加等のご要望がございましたら、折り返しご連絡くださいませ。 <br /><br />**********<br />ご予約内容?<br />日時 : 2007年11月04日<br />アイテム名 :半日(5時間)・車両手配(セダン・4SEAT)<br />価格 : \3,500- <br />**********<br />ご予約内容?<br />日時 : 2007年11月04日<br />アイテム名 :半日(5時間)・日本語ガイド手配<br />価格 : \4,000- <br />**********<br />合計:\7,500-<br />・・・・・・・ <br /><br />以上のような回答であり、<br />半日5時間=ガイド+車=¥7,500円。<br />一日=ガイド+車=¥13,000円<br />そしてちょっと郊外の観光地なら別途料金を請求されるような感じである。<br />とにかくハノイもシェリムアップも行ってから考えようと思う。 <br /><br />ハノイ半日観光は、同じ日に日本人旅行者が申し込んだようでグループツアーの料金になって¥33ドルが¥19ドルに安くなった。 <br /><br />31日の朝、8時半にホテルのロビーに来てくれるそうだ。<br />料金はドルでその時に支払う。 <br /><br /><br /><br /><br />

    11月3日 シェムリアップの町


    2007.平成19年10月23日(火)

    ■ハノイ半日観光を申し込む

    30日の夜遅くハノイに着くので、翌日からの予定が何もないまま行くのは不安なので現地ツアーを申し込んだ。

    ハノイ半日1名参加¥33ドル。

    ホーチミンが1958年から1969年まで実際に住んでいたホーチミンの家
    べトナム独立宣言が読み上げられたホーチミン廟
    蓮の池に立つ寺で有名な一柱寺
    ベトナムで最初の大学として知られる文廟
    有名なオペラハウスとハノイ教会(車窓から)
    ハノイ市街を代表する景色、ホアンキエム湖、湖に浮かぶ玉山寺
    市民の生活があふれるハンザ市場

    ホーチミン廟はメンテナンスの為に行けないそうだが・・・。
    31日(水)当日朝、ホテルロビーに迎えが来て¥33ドル現地払いでOKとのこと、電話には日本人スタッフが対応してくれた。

    TEL=0915761905(担当:山崎さん)

    TNKトラベルJAPAN

    ■カンボジア・シェリムアップ観光の申し込み

    昨日、シェリムアップの旅行社にメールを送り、『アンコールワットとアンコールトム1日観光(昼食・バケン山より夕日鑑賞付)1名参加¥8,000円』の申し込み依頼をした。

    ロコモトラベル








    --------------------------------------------------------------------------------

    2007.平成19年10月25日(木)


    ■アンコールワットandトムへの一日ツアー


    ロコモトラベルに¥8,000円入金し、今日以下のメールが来た。

    ・・・・・・
    本日ご入金が確認されました。

    あわせて、バウチャーを以下のとおり、お送りいたします。
    内容のご確認をお願いいたします。

    バウチャーは、予約内容と支払い済みの証明となりますので、プリントアウトをして当日ご持参下さいませ。チェックイン時、またご滞在中に何か問題がございましたら、バウチャーに記載の緊急連絡先までご連絡ください。

    また、ご質問等ございましたら、 travel@locomo.com まで、いつでもお気軽にお問い合わせください。

    では、お気をつけてお越し下さいませ。
    ご旅行が素晴らしいものになりますことをお祈りいたしております。
    弊社をご利用いただきましたこと、重ねて御礼申し上げます。

    ロコモトラベル(ネット販売担当)
    http://www.locomo.com/travel/
    travel@locomo.com

    ・・・・・・・・以上

    入場料20ドルは別なので、日本円にすれば1万円を越える。
    もっと安いツアーもあるが、これに申し込んだ。

    それなりに値打ちがあるのかどうなのか?それも旅の楽しみの一つである








    --------------------------------------------------------------------------------

    2007.平成19年10月28日(日)


    ■日本語ガイドの料金


    ハノイのTNKトラベルJAPAN とシェリムアップのロコモトラベル に日本語ガイドの料金を問い合わせた。

    回答はハノイのTNKは、ガイドだけの料金の回答はなく各種ツアーの申し込みという感じで分からなかった。

    ロコモからは、以下の回答が来た

    ・・・・・・・・・・
    弊社へのお問い合わせありがとうございます。ロコモトラベルです。

    ご希望の半日(5時間以内)の専用車両及び日本語ガイドの手配は可能でございます。また、女性のガイドのご希望をリクエストさせていただきます。

    ご利用の時間帯がお決まりでしたらご連絡いただけますでしょうか。こちらのご利用はご宿泊ホテルよりのご出発及び終了時の送迎となります。もし、ホテルから空港までの送迎等のご希望がございましたらお知らせください。

    なお、昼12時をまたいでのご利用は、5時間以内のご利用であっても1日料金(車両:\6,000-・日本語ガイド\7,000-)とさせていただきます。(車輌手配料金には、アンコール遺跡その他の入場料は含みません。)また、遠距離・悪路の遺跡や午前7時以前・午後9時以降に渡ってのご利用は、別途追加料金がかかります。詳しくは下記のページをご確認ください。 http://www.locomo.com/travel/other/price/

    下記内容で、仮予約を行ないました。(現時点でのキャンセルは無料です。ご連絡/お振込の無い場合、自動的にキャンセルいたします。この仮予約によって、キャンセル料等をご請求することは一切ございませんのでご安心ください。)

    ご意向と異なっておりましたらお知らせいただけますでしょうか。

    仮予約から7日以内、且つ催行日5日前までに、弊社指定口座(下記に記載)へのお振込をお願いいたします。お振込確認の後に、弊社より添付ファイルにてバウチャーをお送りします。お振込人名が異なる場合や、お振込日延期・ご予約内容の変更/追加等のご要望がございましたら、折り返しご連絡くださいませ。

    **********
    ご予約内容?
    日時 : 2007年11月04日
    アイテム名 :半日(5時間)・車両手配(セダン・4SEAT)
    価格 : \3,500- 
    **********
    ご予約内容?
    日時 : 2007年11月04日
    アイテム名 :半日(5時間)・日本語ガイド手配
    価格 : \4,000- 
    **********
    合計:\7,500-
    ・・・・・・・

    以上のような回答であり、
    半日5時間=ガイド+車=¥7,500円。
    一日=ガイド+車=¥13,000円
    そしてちょっと郊外の観光地なら別途料金を請求されるような感じである。
    とにかくハノイもシェリムアップも行ってから考えようと思う。

    ハノイ半日観光は、同じ日に日本人旅行者が申し込んだようでグループツアーの料金になって¥33ドルが¥19ドルに安くなった。

    31日の朝、8時半にホテルのロビーに来てくれるそうだ。
    料金はドルでその時に支払う。




  • 11月3日シェムリアップの夜<br /><br />2007.平成19年10月29日(月)<br /><br /><br />■準備は出来たけど<br /><br /><br />先日NHKで放送があったベトナムの港町「ホイヤン」の録画を見ていたら、そこは400年前に日本との貿易が盛んで、今も残る日本橋は1593年に日本人が作った屋根つきの橋がある。最盛期には1,000人を超す日本人が住んでいた時期があったようだ。 <br /><br />そして今も日本文化の影響が残っているのには驚いた。その一つが食べ物の「カオラウ」という麺で、その昔この地に居た日本人が“うどん”を懐かしがって作ったものの名残であるとのこと。 <br /><br />それに今の貨幣でもあるDONG(ドン)は、ベトナムは銅が産出しないらしく、当時銅は日本からの銅銭(寛永通宝)が流通し決済に使われていたそうだ。その銅ドウの呼び名がそのままベトナム通貨の名前(ドン)になっているとのこと。 <br /><br />ふ〜ん、そうだったんか、である。まあ日本にもそんな外来語は山のようにあるのだろうけど。カステラ・タバコ・パン・ガラスのように <br /><br />さあ、明日の今頃はハノイのATSホテルって言うわけかフフフ。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />--------------------------------------------------------------------------------<br /><br />2007.平成19年10月30日(火)<br /><br /><br />■出発の時<br /><br /><br />今、午前10:09分。今日のベトナム時間22時30分、日本時間31日午前零時半にハノイの空港着になる。 <br /><br />ホテルに着いて寝る頃には一体何時頃になるのだろうか?そして31日には午前8時半にATSホテルのロビーにハノイ半日観光の迎えが来てくれるはずだ。 <br /><br />さあ、私の旅はすでに始まっている。用意して早目に家を出て三ノ宮でもぶらつきながら・・・旅たち前の不安と緊張と非日常に浸って現世を忘れ楽しもう。 <br /><br />帰国後には又旅行記に四苦八苦し、百年後の子孫に我が旅の様子を記し置く。フフフ。 <br /><br />さっきマックスヴァリューでパンやお菓子を遠足行く前の子供のように買って来た。 <br /><br />グリコのビスコ¥124・北海つまみ(タコの燻製)¥207・アンパンマンミニスナック¥125・フジ、ミニマドレーヌ4コ¥99・モントワールもちもちきなこ¥198 <br /><br />計¥753円也 <br /><br />朝、家内は仕事に出かけに「行ってらっしゃい、気をつけてね〜」と、“気をつけてね”が一言多かったが普段と全く変わらずあっさり出勤した。 <br /><br />納得・・・。 <br /><br />

    11月3日シェムリアップの夜

    2007.平成19年10月29日(月)


    ■準備は出来たけど


    先日NHKで放送があったベトナムの港町「ホイヤン」の録画を見ていたら、そこは400年前に日本との貿易が盛んで、今も残る日本橋は1593年に日本人が作った屋根つきの橋がある。最盛期には1,000人を超す日本人が住んでいた時期があったようだ。

    そして今も日本文化の影響が残っているのには驚いた。その一つが食べ物の「カオラウ」という麺で、その昔この地に居た日本人が“うどん”を懐かしがって作ったものの名残であるとのこと。

    それに今の貨幣でもあるDONG(ドン)は、ベトナムは銅が産出しないらしく、当時銅は日本からの銅銭(寛永通宝)が流通し決済に使われていたそうだ。その銅ドウの呼び名がそのままベトナム通貨の名前(ドン)になっているとのこと。

    ふ〜ん、そうだったんか、である。まあ日本にもそんな外来語は山のようにあるのだろうけど。カステラ・タバコ・パン・ガラスのように

    さあ、明日の今頃はハノイのATSホテルって言うわけかフフフ。








    --------------------------------------------------------------------------------

    2007.平成19年10月30日(火)


    ■出発の時


    今、午前10:09分。今日のベトナム時間22時30分、日本時間31日午前零時半にハノイの空港着になる。

    ホテルに着いて寝る頃には一体何時頃になるのだろうか?そして31日には午前8時半にATSホテルのロビーにハノイ半日観光の迎えが来てくれるはずだ。

    さあ、私の旅はすでに始まっている。用意して早目に家を出て三ノ宮でもぶらつきながら・・・旅たち前の不安と緊張と非日常に浸って現世を忘れ楽しもう。

    帰国後には又旅行記に四苦八苦し、百年後の子孫に我が旅の様子を記し置く。フフフ。

    さっきマックスヴァリューでパンやお菓子を遠足行く前の子供のように買って来た。

    グリコのビスコ¥124・北海つまみ(タコの燻製)¥207・アンパンマンミニスナック¥125・フジ、ミニマドレーヌ4コ¥99・モントワールもちもちきなこ¥198

    計¥753円也

    朝、家内は仕事に出かけに「行ってらっしゃい、気をつけてね〜」と、“気をつけてね”が一言多かったが普段と全く変わらずあっさり出勤した。

    納得・・・。

  • <br />10月30日火曜日の昼頃の西明石駅ホーム <br /><br />この俺様が今日の夜にはハノイにいるってこと知ってる者はおらん <br /><br />一体、みんな何用あってこの時間にここに居るのやら?? <br /><br /><br /><br /><br />2007.平成19年10月30日(火):晴れ<br /><br />■出発は夜だけど朝から旅は始まった<br /><br /><br />関空、午後6時50分(発)なのに朝から旅気分。 <br /><br />ワクワクと言うとより何か感傷的な気分で、きっと内心いつものことだけど不安の方が大きいのかも・・・ <br /><br />枕が変わっても寝れない私は本当は旅に不向きなのだろうと思う。だからこそ人より旅を大袈裟に考え、自分への挑戦・修行への出発でもあるのだと思っている。 <br /><br />きっと気軽に何処にでも行ける人と比べれば、何度行ってもルンルンとはなれないだろうなあ。 <br /><br />早昼を食べていざ出発。時は11時15分である。老いて反応のないジョンに別れを告げ駅に向かった。 <br /><br />


    10月30日火曜日の昼頃の西明石駅ホーム

    この俺様が今日の夜にはハノイにいるってこと知ってる者はおらん

    一体、みんな何用あってこの時間にここに居るのやら??




    2007.平成19年10月30日(火):晴れ

    ■出発は夜だけど朝から旅は始まった


    関空、午後6時50分(発)なのに朝から旅気分。

    ワクワクと言うとより何か感傷的な気分で、きっと内心いつものことだけど不安の方が大きいのかも・・・

    枕が変わっても寝れない私は本当は旅に不向きなのだろうと思う。だからこそ人より旅を大袈裟に考え、自分への挑戦・修行への出発でもあるのだと思っている。

    きっと気軽に何処にでも行ける人と比べれば、何度行ってもルンルンとはなれないだろうなあ。

    早昼を食べていざ出発。時は11時15分である。老いて反応のないジョンに別れを告げ駅に向かった。

  • JR三ノ宮駅前、神戸の玄関口で〜す <br /><br />胡散臭いキリスト教が布教活動をしていまいした <br />ホンマに日本人は能天気で警戒心っていうものも無く <br /><br />いろんなことで、いろんな意味で <br />密かに深く潜行している闇の部分が拡大してことを感じます <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />神戸で降り、コインロッカーにリュックを入れて何年か振りかトンと記憶にないがハーバーランドを散策す。 <br /><br />こんな風になっていたのか?都会だなあ・・・何でこんな時間にこんな所で歳若き人たちが椅子に坐ってボサーとしているのだろう?なんて考えながら・・・。 <br /><br />そこで2時間ほどうろつき三ノ宮に向かった。駅前の花壇のヘリに坐って人の往来を見ていたら、さっきからチラシを配ったり、通り掛かりの人に声を掛けている女性が私の左横に腰掛けてチラシを横に置いた。 <br /><br />一体何のチラシなんだろう・・・と、チラシを見ると、彼女が「興味ありますか?・・・どうぞ・・・」と私に話し掛けて来た。チラシを手にとって見るとキリスト教の布教活動のチラシだった。 <br /><br />彼女は話し始めた。 <br /><br />「今、○○聖書学院で学んでいて月に何度かこうやって駅前で実践活動をしています。韓国から牧師の資格がある方が来日していて私たちを指導しながら共に活動もしています」 <br /><br />・・・と、そんなことを話してくれた。 <br /><br />私が「その方は、日本に来てどうやって生活しているのですか?経済的にも大変だと思いますけど・・・」と聞くと彼女はその韓国人の素性だとか、来日の経緯、神戸での生活の実態等々については何も知らなかった。 <br /><br />「そんなことは何も聞いていませんので知らないです」という返事に驚いた。 <br /><br />丁度その時に、その本人が現れたので彼女が私を彼に紹介し、私も会釈をした。そして彼女が「この人が、貴方の神戸での生活の事を聞いているのですが・・・」と、その時が初めてのような口ぶりで彼に質問したが彼は笑みを浮かべるだけで答えなかった。 <br /><br />ホンマに胡散臭い男である。韓国にある日本人用の韓国ハレルヤ・キリスト教会・日本語礼拝部ということがチラシに書いてあった。日本人を相手に布教をするこんな教会が韓国に沢山あり、そこからの派遣のようだ。 <br /><br />でも私に対する態度もそうだが・・・私の直感からして胡散臭い。 <br /><br />その場にこの男と彼女、そしてもう一人の女性の三人がいた。 <br /><br />私:「日本ではキリスト教は布教しにくでしょう。」<br />彼女:「なんででしょうね・・・」<br />私:「日本人の宗教心の根本には神道があるし、仏教もある。宗教の戒律に縛られなくても昔から高い道徳観を持った民族ですから・・・それに一神教には拒否反応を示しますね。」 <br /><br />牧師の?おっさんはニヤッとしているだけだった。こんな奴が日本に来て布教をしているのか?アフガンで人質になり殺された牧師の話もしたが、今も毎年多くの韓国人が世界に布教に回っているようだ。 <br /><br />この後、牧師は女性たちと待ち合わせ場所と時間を決めて去っていった。その時も、さっきまで話の輪の中に居た私には挨拶も会釈もなくである。日本人なら「お先に・・」の一言か、会釈くらいするのが礼儀って言うものだろう・・・。 <br /><br />まあ私が気に入らなかったこともあるだろうけど・・・。その後、私も立ち上がりリックを担ぎ直して彼女たちに「お先に、さようなら」と挨拶して関空行きのリムジンバス乗り場に向かった。 <br /><br />彼女たちが日本人なのか?韓国人なのか?知らないが、統一教会といい韓国ハレルヤキリスト教会といい・・・日本人女性であるならば、胡散臭い韓国の宗教団体に騙されないように願うばかりだ。 <br /><br />

    JR三ノ宮駅前、神戸の玄関口で〜す

    胡散臭いキリスト教が布教活動をしていまいした
    ホンマに日本人は能天気で警戒心っていうものも無く

    いろんなことで、いろんな意味で
    密かに深く潜行している闇の部分が拡大してことを感じます









    神戸で降り、コインロッカーにリュックを入れて何年か振りかトンと記憶にないがハーバーランドを散策す。

    こんな風になっていたのか?都会だなあ・・・何でこんな時間にこんな所で歳若き人たちが椅子に坐ってボサーとしているのだろう?なんて考えながら・・・。

    そこで2時間ほどうろつき三ノ宮に向かった。駅前の花壇のヘリに坐って人の往来を見ていたら、さっきからチラシを配ったり、通り掛かりの人に声を掛けている女性が私の左横に腰掛けてチラシを横に置いた。

    一体何のチラシなんだろう・・・と、チラシを見ると、彼女が「興味ありますか?・・・どうぞ・・・」と私に話し掛けて来た。チラシを手にとって見るとキリスト教の布教活動のチラシだった。

    彼女は話し始めた。

    「今、○○聖書学院で学んでいて月に何度かこうやって駅前で実践活動をしています。韓国から牧師の資格がある方が来日していて私たちを指導しながら共に活動もしています」

    ・・・と、そんなことを話してくれた。

    私が「その方は、日本に来てどうやって生活しているのですか?経済的にも大変だと思いますけど・・・」と聞くと彼女はその韓国人の素性だとか、来日の経緯、神戸での生活の実態等々については何も知らなかった。

    「そんなことは何も聞いていませんので知らないです」という返事に驚いた。

    丁度その時に、その本人が現れたので彼女が私を彼に紹介し、私も会釈をした。そして彼女が「この人が、貴方の神戸での生活の事を聞いているのですが・・・」と、その時が初めてのような口ぶりで彼に質問したが彼は笑みを浮かべるだけで答えなかった。

    ホンマに胡散臭い男である。韓国にある日本人用の韓国ハレルヤ・キリスト教会・日本語礼拝部ということがチラシに書いてあった。日本人を相手に布教をするこんな教会が韓国に沢山あり、そこからの派遣のようだ。

    でも私に対する態度もそうだが・・・私の直感からして胡散臭い。

    その場にこの男と彼女、そしてもう一人の女性の三人がいた。

    私:「日本ではキリスト教は布教しにくでしょう。」
    彼女:「なんででしょうね・・・」
    私:「日本人の宗教心の根本には神道があるし、仏教もある。宗教の戒律に縛られなくても昔から高い道徳観を持った民族ですから・・・それに一神教には拒否反応を示しますね。」

    牧師の?おっさんはニヤッとしているだけだった。こんな奴が日本に来て布教をしているのか?アフガンで人質になり殺された牧師の話もしたが、今も毎年多くの韓国人が世界に布教に回っているようだ。

    この後、牧師は女性たちと待ち合わせ場所と時間を決めて去っていった。その時も、さっきまで話の輪の中に居た私には挨拶も会釈もなくである。日本人なら「お先に・・」の一言か、会釈くらいするのが礼儀って言うものだろう・・・。

    まあ私が気に入らなかったこともあるだろうけど・・・。その後、私も立ち上がりリックを担ぎ直して彼女たちに「お先に、さようなら」と挨拶して関空行きのリムジンバス乗り場に向かった。

    彼女たちが日本人なのか?韓国人なのか?知らないが、統一教会といい韓国ハレルヤキリスト教会といい・・・日本人女性であるならば、胡散臭い韓国の宗教団体に騙されないように願うばかりだ。

  • リムジンバスに乗って関空へ <br /><br />■関空へ <br /><br />三ノ宮〜関空リムジンバスの往復券を買う。往復¥3,400円。<br />バス停乗り場の安売り店で買う。片道百円安い。 <br /><br />

    リムジンバスに乗って関空へ

    ■関空へ

    三ノ宮〜関空リムジンバスの往復券を買う。往復¥3,400円。
    バス停乗り場の安売り店で買う。片道百円安い。

  • その日、こんなに空いていた関空 <br /><br />4時25分に関空(着)手続きは人も少なく楽勝だった。 <br /><br />搭乗口ゲートで待っている時に、私の横に座ってハノイのお札を数えている年配の男性に両替のことを聞いた。 <br /><br />「空港で換えれば良い」と・・・ドルも並行して使用可能だから小額だけで良いと思うとのこと。これだけでもガイドブックで知るより、ベトナムを行き来している方から直接聞くのとは大違いで安心感がある。 <br /><br />数え方はドン(ベトナム通貨の名称)のゼロ二つを押さえて7掛けすれば大体の日本円だとその方は教えてくれた。 <br /><br />10,000ドンのゼロ二つ消して×7=¥70円・・・まあこんなものだろう。実際は空港での両替は日本円1万円=138万ドンだった。しかるに今回のハノイ旅行のベトナム・ドンvs日本円は1万ドン=¥73円の計算とする。 <br /><br />

    その日、こんなに空いていた関空

    4時25分に関空(着)手続きは人も少なく楽勝だった。

    搭乗口ゲートで待っている時に、私の横に座ってハノイのお札を数えている年配の男性に両替のことを聞いた。

    「空港で換えれば良い」と・・・ドルも並行して使用可能だから小額だけで良いと思うとのこと。これだけでもガイドブックで知るより、ベトナムを行き来している方から直接聞くのとは大違いで安心感がある。

    数え方はドン(ベトナム通貨の名称)のゼロ二つを押さえて7掛けすれば大体の日本円だとその方は教えてくれた。

    10,000ドンのゼロ二つ消して×7=¥70円・・・まあこんなものだろう。実際は空港での両替は日本円1万円=138万ドンだった。しかるに今回のハノイ旅行のベトナム・ドンvs日本円は1万ドン=¥73円の計算とする。

  • JL755便の機内食 <br />日本人スチュワーデス、まあまあでした・・・が <br /><br />こんなもんかとも思いました <br />昔に比べるとスチュワーデスも肉体労働者で <br />誰しも客として海外に行けるようになったし <br /><br />・・・・・・・・・・・<br /><br />飛行機は便名:VN949便だったが共同運航のJL755便になった。<br />日本航空で行くのは初めてかも??日本人スチュワーデスはムムムそれなり?だった。 <br /><br />しかし、しかしこのハノイ行きの飛行機の中で大失態をしてしまった(汗)。今思い出しても申し訳ないが、真ん中通路の左右に三列の席で私は左席の通路側に坐った。 <br /><br />その私の横にツアーの一団の二人のおばさんが坐っていて彼女の荷物をトランクに積んで揚げたのを機に話しをしたのだが・・・思わず口を滑らした。「失礼ですが、親娘ですか?」・・・と。 <br /><br />その瞬間。奥の窓側の女性が怒り出した。「あ〜、いややいやや、ホンマそんな歳に見られるなんて・・・旅の始めにこんな嫌な思いするなんて・・もう行きたくなくなったわ・・」と・・・後の祭りとはこの事だった。 <br /><br />奥に坐っていたので良く見えなかったし、髪の毛をシルバーっぽい色に染めていたので・・・でも、親子とはあんまりだった。せめて姉妹だった。良く見れば二人とも60代なのだろうと思う。 <br /><br />この後、私は針の筵に坐っているような気分だったが、娘と思われた隣の綺麗な奥さんは機嫌よく私に飴などくれるのでその度に小さくなってもらっていた。 <br /><br />奥の女性も、その後元気に騒いでいたが、前後も同じツアー仲間に囲まれていた中での遣り取りで、みんなに知れ渡ったので思い出す度に気分が悪いだろうなあ・・・と、深く反省した。 <br /><br />二度としょうもない間違いをしないように私は良い経験になったけど・・・。 <br />

    JL755便の機内食
    日本人スチュワーデス、まあまあでした・・・が

    こんなもんかとも思いました
    昔に比べるとスチュワーデスも肉体労働者で
    誰しも客として海外に行けるようになったし

    ・・・・・・・・・・・

    飛行機は便名:VN949便だったが共同運航のJL755便になった。
    日本航空で行くのは初めてかも??日本人スチュワーデスはムムムそれなり?だった。

    しかし、しかしこのハノイ行きの飛行機の中で大失態をしてしまった(汗)。今思い出しても申し訳ないが、真ん中通路の左右に三列の席で私は左席の通路側に坐った。

    その私の横にツアーの一団の二人のおばさんが坐っていて彼女の荷物をトランクに積んで揚げたのを機に話しをしたのだが・・・思わず口を滑らした。「失礼ですが、親娘ですか?」・・・と。

    その瞬間。奥の窓側の女性が怒り出した。「あ〜、いややいやや、ホンマそんな歳に見られるなんて・・・旅の始めにこんな嫌な思いするなんて・・もう行きたくなくなったわ・・」と・・・後の祭りとはこの事だった。

    奥に坐っていたので良く見えなかったし、髪の毛をシルバーっぽい色に染めていたので・・・でも、親子とはあんまりだった。せめて姉妹だった。良く見れば二人とも60代なのだろうと思う。

    この後、私は針の筵に坐っているような気分だったが、娘と思われた隣の綺麗な奥さんは機嫌よく私に飴などくれるのでその度に小さくなってもらっていた。

    奥の女性も、その後元気に騒いでいたが、前後も同じツアー仲間に囲まれていた中での遣り取りで、みんなに知れ渡ったので思い出す度に気分が悪いだろうなあ・・・と、深く反省した。

    二度としょうもない間違いをしないように私は良い経験になったけど・・・。

  • 30歳:独身ガイド、ドンさん <br /><br />11月1日(水)シルクの村ヴァンフックにて写す <br />サッカー選手だったそうだ。 <br /><br />11月17日(土)サッカーオリンピック予選 <br />日本vsベトナムがここハノイで試合をする <br />この日本人応援団のガイドをすると言っていた <br /><br /><br />■ハノイ到着 <br /><br />22時30分の定刻通りぐらいにハノイに到着した。少しむっとする空気を感じた。時差は2時間、日本時間夜中、0:30分となる。 <br /><br />出国手続きはスムーズに行き、出口に出ると迎えが来てくれていた。 <br /><br />ドンさん30歳・独身・男である。両親はハノイではないが共に高校教師で、生活はそこそのようだ。姉はすでに結婚し共働き、子供は二人とのこと。趣味はサッカーで大学時代そこそこ強かったチームのようである。 <br /><br />今もガイドのチームでサッカーをしており守備はセンターバック。体も背はそんなに高くないが現役サッカー選手を思わせるようにぜい肉はなく引き締まっていた。 <br /><br />彼女が今日本の札幌で日本企業に就職し、一年に二度ほどハノイに帰郷するらしい。いずれ結婚するようだ。ドンさんも日本に行きたいようだが日本へ行くのはなかなか難しいようだ。 <br /><br />迎えのワンボックスカーに乗り、途中、ベトナム空爆の時に有名になったロンビエン橋の横を通りATSホテルに到着した。 <br /><br />町外れなのか暗くひっそりした中にホテルがあり、ホテルに着いてから水を買いに行こうと思っていたが周囲に店らしき灯りもなく、夜も11時半くらいになっていたので外に出れなかった。 <br /><br />空港からここまでの間に、ドンさんに二日後のツアーを申し込んだ。郊外のシルクの村:ヴァンフックと夕方の水上人形劇鑑賞と夕食のコースで70ドルと言う事である。これでも大分値切ったつもり、言い値はもっと高かった。 <br /><br />一人でガイドと車を貸し切るので値段は高くなるが仕方が無い。 <br /><br />明日はハノイ半日コースを予約しているし、これでハノイ滞在の予定も決まり、それ以外はひたすら好きに歩き回ってハノイを楽しもう。 <br /><br />実質、初日は飛行機とホテルまでの旅であった。 <br /><br />思えばこんなに遠くまでもあっという間に来れるようになったのだ。 <br /><br />100年後の旅は如何に? <br />

    30歳:独身ガイド、ドンさん

    11月1日(水)シルクの村ヴァンフックにて写す
    サッカー選手だったそうだ。

    11月17日(土)サッカーオリンピック予選
    日本vsベトナムがここハノイで試合をする
    この日本人応援団のガイドをすると言っていた


    ■ハノイ到着

    22時30分の定刻通りぐらいにハノイに到着した。少しむっとする空気を感じた。時差は2時間、日本時間夜中、0:30分となる。

    出国手続きはスムーズに行き、出口に出ると迎えが来てくれていた。

    ドンさん30歳・独身・男である。両親はハノイではないが共に高校教師で、生活はそこそのようだ。姉はすでに結婚し共働き、子供は二人とのこと。趣味はサッカーで大学時代そこそこ強かったチームのようである。

    今もガイドのチームでサッカーをしており守備はセンターバック。体も背はそんなに高くないが現役サッカー選手を思わせるようにぜい肉はなく引き締まっていた。

    彼女が今日本の札幌で日本企業に就職し、一年に二度ほどハノイに帰郷するらしい。いずれ結婚するようだ。ドンさんも日本に行きたいようだが日本へ行くのはなかなか難しいようだ。

    迎えのワンボックスカーに乗り、途中、ベトナム空爆の時に有名になったロンビエン橋の横を通りATSホテルに到着した。

    町外れなのか暗くひっそりした中にホテルがあり、ホテルに着いてから水を買いに行こうと思っていたが周囲に店らしき灯りもなく、夜も11時半くらいになっていたので外に出れなかった。

    空港からここまでの間に、ドンさんに二日後のツアーを申し込んだ。郊外のシルクの村:ヴァンフックと夕方の水上人形劇鑑賞と夕食のコースで70ドルと言う事である。これでも大分値切ったつもり、言い値はもっと高かった。

    一人でガイドと車を貸し切るので値段は高くなるが仕方が無い。

    明日はハノイ半日コースを予約しているし、これでハノイ滞在の予定も決まり、それ以外はひたすら好きに歩き回ってハノイを楽しもう。

    実質、初日は飛行機とホテルまでの旅であった。

    思えばこんなに遠くまでもあっという間に来れるようになったのだ。

    100年後の旅は如何に?

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